円卓組始末記(9)
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……なのだが、どうも様子がおかしい。
こちらを覗いつつ、少しづつ距離を詰めてくる……のではなくて、すたすた歩いてくるのである。闇夜に乗じている意味を拒否するかの様に。
しかも、正確にはすたすたではなく、ポコポコという軽やかな足取りなのである。どうやら四足歩行の動物のようだ。【特外外】か。なにやら音的にはお茶目で、緊張感を削がれそうだが……いや、油断は禁物、俺は剣の柄を握る手に力を込めた。
そうだ。ならば有利区間だ。今度はかなり強力な奴を準備している、という訳か。確かにこちらがひとりなのは先日の戦闘で明白、魔力の大半を注ぎ込んだ【結実】で一発勝負を仕掛ける、という腹なのではないのか。
……にしては、少々無謀が過ぎる。この月明かりの下で、もう目視できる距離まで近づいているのである。
四脚の動物に跨った人影。
暗黒の色に染まっただぶだぶの法衣を頭からすっぽりと被った人影。人相はまだ伺えないが、かなりの子柄のようだ。丸腰。やはり魔法使いか。
そして、驚愕の事実が判明。ポコポコの正体である。
ロバだった。馬よりも小柄、反してピョコっと立てている耳が大きく、何やら可愛らしい。いや、ロバのように見えるだけで、実は凶悪で獰猛な肉食の魔獣かもしれない……たぶん違うだろうが。
いやいや、気を緩めるな。すでに奴の有利区間の範囲かも知れないが、俺は立ち上がる事とした。剣を抜く。
『……ん……どうかしたの?』
不意にウマ子の声。起きたか。
俺は振り返りざまに左手の伸ばした人差し指を唇にあて、ウマ子の続く発言と動きをすばやく制した。すぐさま正面を向く。
すると、ロバに乗った法衣がぴたりと歩みを止めた。距離は十メートルというところ。すでに奴の射程か。あるいはもう有利区間に触れているのかもしれない。視界に変化はなし。手足にも違和感はない。いや、じわじわと蝕んでくる遅効性の様式かもしれない。それも厄介だ。自身の変化にも気を使いつつ、奴への警戒をさらに高めた。射るように凝視。
奴がするりとロバから降りる。
月夜の静寂が割かれたのは、次の瞬間だった。
「その馬、しゃべるの? え? どういうこと?」
女か。だからといって手加減はしないが。俺は剣を水平に構えた。
「あ、やだやだ、ちょっと待って」と、女が頭部の覆いを外そうとする動きを見せた。
俺は短く吐き捨てる。「動くな」
女は疑問形で返した。「はぁ?」
「動くなと言っているんだ。お前は誰だ?」
「なんっかエラソーね、あんた。そっちこそ誰だゴラァ!」
と言うや、女はすっぽり被っていた覆いを一気に取り払った。
声の張りから察してはいたが、若い女だった。月明りを受け、銀色の長い髪が惜しみなく輝きを発している。うっかり見惚れてしまうような美しさであったが、当の彼女はそれと同様に、お怒りの様もまるで隠していなかった。
「あたしんちの庭先で、許可なくひとりキャンプとかしているそっちが失礼なんでしょ! それを逆ギレとは、どういう了見だゴラァァ!」
……いや、キレているのはそちらであって、俺ではないのだが……と、ここで気付く。庭先?
「……魔女か?」
「だとしたら何よ?」
女はとうとう腕組みをした。つくづく気の強い性分のようだ。一歩も引く気がない。
しかしまだ信用はできない。偽りの可能性があるからだ。
「……枯れ沼地の魔女なら心を読めるはず。俺の素性を言い当ててみろ」
「お断りだ、このぼっちキャンプ野郎! なーんであたしがそんな事しなければならないのよ? こっちの都合も考慮しろよ、このタコ助!」
「魔女なら剣を引く。非礼も詫びる。この場を収めるのに最適格な提案だと思うが?」
すると女はこちらにまで聞こえるような音を立てて、鼻から息を漏らした。気に入らないらしい。
「都合って言ったでしょ……」
「何の都合だ?」
「……初潮を迎えてから四十四回の満月を過ぎないと、読心術は確実に開花しないんだって。母からはそう聞いてる。でもさ、あたし、面倒くさくって二十回ぐらいで数えるの辞めちゃったのよ。だからココロが読めるかどうかなんて知らない。そもそも一人暮らしだし」
「初潮は何年前だ?」
その時、背後からもはやお馴染みとなった足音が近づいて来た。振り返るまでもない。ウマ子だ。呆れ気味の色合いの声が続く。
『そんなこと女のコに聞くもんじゃないわよ、馬鹿ね。配慮が足りないのにも程があるわ』
馬に馬鹿と言われた事はさておき、側まで来ようとしているウマ子へ、俺は左手を水平に伸ばして『近づくな』の所作。
しかし『大丈夫よ』と、ウマ子は俺の横に並んだ。
『剣を仕舞いなさいよ、お目当ての魔女さまじゃない』
「まだわからん」
『こんな僻地に女のコがひとりで住んでますって事だけで十分じゃない?』
それはそうだが、しかし『ひとり暮らし』が虚言の可能性もある。確証がほしい。ふと、昨晩が満月であった事を思い出した。女へ問う。
「確実に使いこなせないまでも、せめて名前くらいはうっすらと透けて見えたりはしないのか?」
女が「ふう」とため息。次いで腕組みのまま、俺を焦がすように睨んだ。
「…………エノ…………」
言われて俺はオウム返し。「エノ?」
「…………エノモトさん……? え? 誰? 」
女がなぜか目を丸くする。いや、腑に落ちないのはこちらの方なのだが?
「誰だ? エノモト? 誰の話をしている?」
「ガラハドさんの話をしている…………でも……そうじゃない方が、エノモトさん、あんたは死ぬな……って。なんなの?」
「こっちの台詞だ!」
まるでまとまらない会話のやり取りに、うっかり語気を強めてしまったが、それとは別の所で女は引いているようだった。腕組みからみるみる力が抜けていく。
「あんた……なんなの?……本当にひとり?」
女の銀色の髪が、仔細に震えているのがわかった。
「…………二人なんじゃないの?…………」
と。
その刹那、闇夜が一気に霧散、閃光が辺りを包み込んだ。
ほぼ同時、大地も避けよと言わんばかりの轟音。雷鳴である。かなり近くに落ちたようだ。
満天の星空。垂れ込める蒼い月明かり。雨雲の陰りすらないそんな夜空、それを裂いて雷の一撃が降ってきた。どういう理屈なのか。事態は異常でしかなく、その不条理を堂々と晒していた。
音は俺の後方から響いており、条件反射的に身体がすくんだ。それでも音源の方へと腰をひねり…………掛けたのだが、もうひとりの俺が背後を振り向かせなかった。
正面、女へ向かって走り寄る影が見えた。俺と同じくスモッグにズボンの軽装、そして手には剣。すでに抜いている。
瞬間、俺も前へと駆けていた。
しかし、間に合わない。凶刃が女へと振り下ろされる…………が、不自然な姿勢で影の動きが乱れた。自らの動きを制御出来なくなったかのように。
[動きづらい]か! 有利区間! 誰の仕込みだ?
それでも影が不自然な姿勢のまま剣を振る。
その間隙を縫って、俺の一歩が届いた。
間一髪、俺の剣が影の一太刀を止めた。女の頭上で、火花を散らし交わる剣と剣。
そして目が合う。
知っている顔だった。
「予想以上の働きぶりじゃないか。ランスロットのせがれ」
嘘臭い微笑を刻む、セリズアデス卿の相貌がそこにあった。