~異世界転移~ 僕が地球への帰還を望まず、殺人への忌避を失った理由
「楽しい」
満身創痍の身体で逃げ出してきた盗賊たちを殺した直後、僕の口から飛び出した言葉がそれだった。
言葉だけじゃない。楽しい。愉しい。とてもタノシイ。嗚呼、なんてたのしい。快悦の波が僕の思考と感情を埋め尽くす。
こんなに楽しいのは生まれて初めてだ。
「人を殺すことはいけないことだと言うわけだ。殺人は大罪だと言うわけだ」
こんなに楽しいことを全ての人間が知ってしまったら、人類はあっという間に絶滅してしまう。
法と道徳、二つの観点を用いて禁じなくてはならないのも頷ける話だ。
「食い物の恨みは怖い――なんて言うけど、こんなに楽しいなら殺人の恨みも怖いな。きっと」
僕のこの発見は教育の敗北を意味するのか。
否。
断じて否である。
深い理由は分からずとも、人を殺すのはいけないことだと誰もが感情的に、社会的に理解している。
自らが殺されることを想像して殺人に対する忌避や嫌悪に繋げることが出来る者も少なくない。
恐らくだが、僕の本能は社会性を遥かに上回り、原始的な衝動を色濃く残しているのだろう。
「サイコパス――っていうのとは違うんだろうな」
感情の一部が欠如しているという点において特筆される精神病質者、らしい。
そういった意味では僕には当てはまらない。僕に欠如している感情は無く、心を患わせているものは何も無い。
寧ろ、人を殺すことの楽しさを知り、理解してしまった僕は非情に先進的な人間であると言える。
サイコパスは自分以外の人間に対する「愛情」「思いやり」などの感情が著しく欠けており、そのためにきわめて自己中心的に振る舞う傾向にあるらしいが僕は違う。
僕にとって家族はとても大切なものだし、友人や恋人のことだって大切にしたいし、困っていることがあるなら助けになりたいし、出来ることがあるなら何でもやりたい。
身内のために振るう労力に惜しむ気持ちなど微塵もありはしないのだ。
「ただそれはそれとして人を殺すのは楽しいな。うん、とっても楽しい」
僕が殺した人達にも家族がいただろう。父が、母が、祖父が、祖母が、兄が、姉が、弟が、妹が、夫が、妻が、息子が、娘が、孫が。
友人がいた筈だ。恋人がいた筈だ。未来があった筈だ。命があった筈だ。
だが、彼等は奪われた。奪われてしまったのだ。
そうだ。僕が奪った。彼等の未来を、彼等の命を奪ってやった。
想像するだけでこれまでにない絶頂を迎えてしまった。極上の女が僕に心奪われて、僕が口に出すまでも無く僕の心を読み取り、快楽の極みを味わわせてくれたとしても、これ程の絶頂を味わえることはまず無いだろう。
これは快楽だ。快楽の極みだ。
チート? ハーレム? そんな物は下らない。つまらない。どうだって良いことだ。
人を殺し、未来を奪う。家族や友人、恋人の命を奪い取り、絶望させることに比べたら些細なことだ。
あまりにも下らない。小さい。些事の極みだ。
「ああ、なるほど。そういうことだったのか」
気付いた。僕は気付いてしまった。
異世界に転移、転生し、チートやハーレムに現を抜かしているのは殺人という快楽から目を背けさせるため。
或いは己が快楽殺人鬼であるという本性を世俗から誤魔化すための方便なのだと。
「僕だって世界から排除されるのは御免被る。チートやハーレムなんかで満足して見せれば安心してくれるのが世界だというのならそうしてやるさ。殺して良いなら、これからも、もっともっと殺しを楽しませてくれるなら良い。全然良い」
非文明的な世界に転移して絶望した。
ネットが無い以前に電気が無い。演劇も、絵画も、文学も、ありとあらゆる娯楽の質が低い。気を使った言い方をするなら肌に合わない。
異性の容姿も同じだ。今のご時世、美男美女は作れる。それだけ美容というものが洗練されているからだ。
芸能人やモデルといった美男美女の見本がいるのも大きい。
原始的な美容で美の善し悪しすら分かっていない世界では、ハーレムなんてものを築いたところでブスの動物園でしかない。ただの罰ゲームだ。
「異世界なんてものに希望を持つこと自体が間違いだと思っていたんだけどな……」
都市だろうが田舎だろうがモラルが低くて、空気が悪く、不衛生。
一分一秒でも地球に、日本に、自宅に帰りたくて仕方が無いと思っていた。
「だけど、今は帰りたくない。もっと、もっとだ。もっと殺したい。命を奪い取りたい。こんなに楽しいことは、無い」
殺すだけなら日本でも出来る。けれど日本で人を殺すのは駄目だ。
日本で人を殺せば犯罪者だ。殺せば殺すほど罪は大きくなり、法の定めにより僕が殺されてしまう。
それは嫌だ。僕はもっと沢山殺したい。殺して、殺して殺して、僕は愉快になりたい。
「異世界は良い所だ。殺しても良い人間なら何人殺しても咎められない。英雄として称えられる。好きなことをしてるだけなのに褒めてもらえる。僕はこの世界だけで好きなことだけをやって生きていくんだ。日本には、もう、帰らない」