如何にもこうにも、無いものはない
タランディヴァの空は、透明だ。
古来より伝わる、その言葉に余りに相応しい、雲一つない晴れの日である。
その天気に似つかわしくない、重苦しい雰囲気の漂う場所があった。
ライエン家邸宅の応接室。数十分前から、深い溜息の音しか聞こえない。
「……なあ、エリード」
「はい」
「やっぱり、どうしても居ないか」
「……はい」
大きく溜息を吐きなおし、男は項垂れる。ライエン家次期当主、ガヴェインは悩んでいた。
タランディヴァ国には、王族・エンディミア家を頂点とし、複数の貴族が存在する。ライエン家もその一つだ。
各貴族は、毎年エンディミア家に、指定の物を寄進しなければならない決まりがある。食料である年もあれば、王女が生まれた年には、溢れんばかりのぬいぐるみを納めた事もある。
例年ならば、あまり地位の高くないライエン家でも、ある程度の物を納めることが出来た。しかし、今年は窮地に立たされていた。
「なあ、エリード」
「はい」
「おかしいと思わないか?」
「……思います」
「だよなあ。おかしいよな」
「おかしいですよ!今まで果物だのワインだのだったのに、今年になって急にメイドを一人だなんて!!!!」
エリードが立ち上がった瞬間吹き飛んだ眼鏡を、ガヴェインは見ないようにしていた。
今年のエンディミア家からの指定は、「メイドを一人」であった。
他の貴族であれば、絶好のチャンスとばかりに、年頃の娘を飾り立て、教養を叩き込み、大手を振って王宮に送り出すのだろう。万が一にでも王子の目に留まれば、タランディヴァ国王妃も夢ではない。
しかし、ライエン家には年頃の娘がいない。
娘はおろか、血縁の少女すらいなかった。一族の家々を回ったものの、年頃とは程遠い女達に「私が20歳若ければねえ~」と同じことを言われるばかりであった。
エンディミア家への寄進は、いかに自らの家を飾り立てられるかである。
当然、質の良いものを用意しなければならない。しかし、用意できなければもっての外である。
寄進の日まで、一か月を切ろうとしていた。
「ガヴェイン様!」
エリードが、吹き飛んだ眼鏡を掛け直しながら言う。
「もうこれは、奥の手を使うしかないのでは?」
「奥の手……とは」
何かを決心したようにエリードが囁いた。
その言葉に、ガヴェインはもう頷くしか方法が無かった。
「おまえ、可愛いのにかわいくないね」
スパンコールに孔雀の羽。はたまた黒のレースに縁取られたガーターベルト。ぎらぎらと着飾った女たちが、真っ赤な唇を開いてスーに投げ掛ける言葉は、いつも同じものだと決まっていた。もう何度目だろう。18回目から数えるのを止めた。
いつも通り、小さな声ではい、と呟き、高いヒールの靴を磨く。こんなものを履いて、なぜ怪我をしないのだろうか。スーは不思議で堪らない。
「ねえ、スー」
甘ったるい声に顔を上げると、いきなり頬をぶにっと抓まれた。
「痛い、ビビ」
「あは、ごめーん」
ビビと呼ばれた女は、ちっとも反省していない様子でひらひらと手を振った。潤んだ垂れ目を、大袈裟すぎる程の睫毛が縁取っている。
「ビビ、睫毛。派手じゃないの」
「えへ、だってスーってば。今日はしかめっ面に磨きがかかってるんだもん」
全く答えになっていない。スーはため息をつき、手の中の靴に目を落とす。
「今日は多分忙しいよ」
「ああ、もうそんな時期?」
「船が港にいっぱい泊まってたもん。あーあ、今晩持つかなあ」
安っぽいレースが付いたキャミソールの肩紐を直し、やだなあーと笑顔で呟く。嫌そうに見えないのは気のせいだろう。
「どうせ抱かれるならいい男が良いよ。ねえ、スー」
「ん?」
「まだこないの?」
「……」
その時、夜を知らせる鐘の音が六つ鳴った。辺りが一斉に騒がしくなる。
「あ、もう行かなきゃ」
「……」
「……スー」
突然、いつもより声のトーンを落としたビビに思わず目を向ける。
「ごめんね」
それだけ言うと、ビビはヒールの靴を受け取り、カンカンと鳴らしながら去って行った。後からも、ビビと同じような格好の女達が、むせ返るような匂いを撒き散らしながら歩いていく。
「なりたいもんか、あんなもの」
スーの呟きは、賑わしくなってきた通りの喧騒に掻き消されていった。