├雪の精霊
シラタマは機嫌が悪かった。
傍観していたくせにいきなり現れたかと思えば、状況を引っかき回した三毛猫。
それによってアリスは連れ去られ、自分は時を隔てる泡の中に閉じ込められてしまった。
挙句の果てにまた巨大な建物の中に放り込まれて変化を待つしかない状況。
何故か周辺に集まっていた人間の群れ、その中をかいくぐって現れたスフィによって解放された直後、シラタマは脇目も振らず全力で飛び出した。
シラタマにとっての最優先事項はアリスだ。
気配は追いかけられないが繋がりは残っている。
そうやって飛び出したはいいものの、通常移動で行ける範囲にはアリスがいない。
すぐに気付いて減速したシラタマに聞こえたのはノーチェの声だった。
子供たちがピンチなのは理解していた、それでも最優先事項を変える気はない。
スフィならばそれは理解しているはずだった。
シラタマにとっての人間とは、自分とアリスの間を引き裂こうとする邪魔者。
我が物顔で世界を支配したつもりになっている、紛い物の泥人形。
その認識は地球に居た頃もゼルギア大陸に来てからも変わらない。
今も勝手に増えて勝手に争い、自分たちが苦労して用意した庭を荒らす害獣のままだ。
アリスの元へ飛ぶ方法はある。
生まれたばかりで未熟な他の精霊たちと違い、シラタマは幻体の運用にも慣れている。
今の幻体を完全に放棄してからアリスの元で再構成する。
他の精霊ならば最低で数日はかかる工程を、シラタマなら数秒で行える。
「…………」
すぐにでも幻体を放棄すればそれで済む。
アリスの安全確保より優先すべきことなんてない。
なのになぜ自分が躊躇しているのか。
イライラが頂点に達した時、シラタマは氷の塊を階下でノーチェを殺そうとしている爪の異形に叩きつけた。
「よかった……信じてたにゃ、シラタ……マ?」
「チ゛ュ゛リ゛リ゛リ゛リ゛……ウ゛ィ゛ー゛!」
翼をはためかせて降りたシラタマに声をかけてくるノーチェに怒りを向けながら、シラタマの視線はすぐに爪の異形を捉えた。
青い骨と肉で構成された異形の女。
通常サイズのシラタマと比べても劣らない巨体で、明らかにシラタマを警戒して敵意を向けてくる。
「…………ヂュリリ」
――ティンダロスの住人。
正体を察してシラタマは嘆息した。
シラタマの世代ならかろうじて知っている。
大昔、三毛猫が猫の化身を作る以前に叩きのめして異次元に追放した神獣とその一派。
源獣の欠片を奪い、独占しようとした愚か者。
やつらもこちらの世界の人間を憎んでいるはずだ。
ノーチェたちを襲う理由も頷ける。
三毛猫の監視をすり抜けてこちら側に出てくることはできないはずだが、おそらく人間たちが次元に余計な干渉をしたせいで抜け道が出来てしまったのだろう。
人間がまだ生きているのは、空けられる穴が小さくて尖兵しか送り込めなかったからか。
「ピ」
目の前で爪を構えるこの異形もいわば、あっちの世界の"人間"だ。
ティンダロスの盟主の血を受けてその身体を変異させてはいるが。
睨み合う中、爪の異形がシラタマに向かって瞬間移動さながらの速度で踏み込み、その爪を身体に突き立てる。
腕を左右に引くと同時にシラタマの身体が上下に切断され、雪となって崩れた。
しかし1秒も経たないうちに雪の中からひょこんと新しいシラタマが出現する。
アリスが泥を取り込んだ状態で強制中断されたせいか力は充実している。
この場で幻体を再生させることは容易だった。
「ピィ」
「――――!!」
爪の異形は高速で爪を振り回し、凄まじい勢いで跳躍したかと思えば、壁まで利用してあちらこちらから間髪入れずの突進攻撃を試みる。
その全てをまともに受けて雪となって崩れては、すぐに復活してを繰り返していた。
「チュリリ」
シラタマは反撃出来なかった。
単純に速すぎてまったく捉えれる気がしない。
一方的に身体を切り刻まれては真っ白な氷の粒を飛び散らす。
人によっては凄惨な光景に見えるかもしれない。
シラタマは近接戦闘が苦手である。
例え自分の得意なフィールドで全力状態であろうとも、近接の距離では達人クラス相手に手も足も出ない。
この場の雪は無限ではないし、少しずつ着実に力を削られていく。
爪の異形は力の満ちたシラタマを脅威と見なし、確実に排除することに決めたようだ。
「――――!?」
再び突進してき爪の異形が、唐突に膝をついた。
驚きながら顔を下に向ける異形。
足元には真っ白な霜が降りていた。
立ち上がろうとする爪の異形の身体が僅かに震え、動きが鈍った。
その隙を逃さず、シラタマは翼をバサリと振って雪の波を飛ばした。
「ヂュリリ」
「――ちょ」
爪の異形の背後で体勢を立て直し、様子を伺っていたノーチェの巻き込みを狙いながら。
■
小さな雪波を浴びながら逃げようとする爪の異形の頭部を、黒い足爪が掴んだ。
ぴしり、パキリと氷が身体を覆う。
爪の異形は焦った様子で長い爪を何度もシラタマの身体に突き立て、かきむしる。
再生出来ると言っても雪が飛び散ったぶんの力は霧散する、だからダメージはある。
このまま1時間も攻撃し続ければシラタマも力尽き、幻体を放棄しなければいけなくなるだろう。
1分も経たない内に、爪の異形の腕を振る力が弱まっていった。
上半身が霜に覆われて、白く凍てついていく。
魔力を身にまとって鎧にする技術をこいつも持っているのだろう、この距離で掴まれて随分と耐えた方だった。
やがて完全に力が抜けてしまい、爪の異形は膝から崩れ落ちる。
両腕がだらんと落ちて、長い爪がギャリリと床を掻いた。
シラタマはそのまま爪の異形を足で背中側に押すと、倒れる勢いでその凍った頭部を踏み砕いた。
――シラタマが最も得意とする戦い方は待ちを前提とする泥沼の持久戦である。
狙われるアリスや他のメンバーを守ったり、逃げる相手を追う戦いは苦手だ。
しかしこいつのように徹底して自分を狙ってくれるならむしろ望むところだった。
冷気は同じところに長くとどまる者にこそ牙を剥くのだ。
粉々に飛び散る白い破片に目もくれず、雪波を食らって雪まみれのノーチェの下へ歩いていく。
狙って攻撃されたのはわかっているのか、立ち上がったノーチェは露骨に頬を引き攣らせていた。
「シラタマ、その、助かったにゃ。あんがとにゃ……悪かったにゃ、すぐアリスのトコにいきたかっただろうけど……あたしらもピンチだったにゃ」
声をかけてくるノーチェを見下ろし、シラタマは静かに顔を下げてノーチェへ近づける。
そしてゴツンと、黒く短いくちばしを躊躇なくノーチェのツムジに突き立てた。
「いっっっだぁ!!」
「チ゛ュ゛リ゛リ゛」
アリスの気持ちを盾にして自分を使おうとする言動に腹がたったが故の行動だった。
涙目になって頭頂部を押さえるノーチェから視線をそらし、シラタマはスフィのいるであろう場所に顔を向ける。
繋がりから、かろうじてアリスの元にカンテラが戻ったことはわかった。
すぐに助けが必要な状態でもなさそうだし、戻ることはいつでも出来る。
だったらせめて、今の幻体の力が残っている限りはアリスに代わってこの子たちを守ってやろう。
シラタマはそんな風に考えながら、サイズを小さくしてノーチェの頭に飛び乗った。
そして、その心許ない手元の武器に白い氷をまとわせて剣のように形を作ってやる。
自分の恩寵を受けているアリスとは違い、直に持てば手が壊死するが、一時的に刃先を伸ばすくらいなら問題ないだろう。
切れ味はないため刺突用になるが、シラタマの氷なら加護の力も乗せやすい。
この場を乗り切るには十分な武器だ。
「チュピピ」
「ふにゃ!? おまえ、力貸してくれるにゃ……?」
ここまでしてくれるとは思っていなかったのか、氷の剣を見て目を丸くするノーチェに対して、シラタマは髪の毛を引っ張ることで答える。
そんなことよりもスフィが上から戻ってこない。
アリスが大丈夫そうなら次はスフィだ。
「ピィー!」
「いたただだだ! 引っ張るにゃ! 髪が抜けるにゃ! アッ!?」
数本ほど髪の毛を毟りながらさっさといけと促して、シラタマはノーチェの頭上を定位置にした。
髪を毟る以外の目的でアリスじゃない人間の頭に鎮座するのなんて、はじめての経験だった。
「フィリア! シャオ! スフィのところにいくにゃ!」
「う、うん……ノーチェちゃん、頭は大丈夫?」
「なんか別の意味に聞こえるにゃ!」
「アリスが関わってなかったらあの爪のやつと一緒に殺されてるのじゃ」
恐らく純粋に髪の毛を心配しているフィリアと、精霊のことを知っているが故に真顔にならざるをえないシャオ。
「まぁ、結構ドキドキだったにゃ……でもまぁ、まずあたしが精霊を信じなきゃ、あいつだって素直に信じられにゃいだろ?」
アリスがずっと警戒していたのは、怖がっていたのは、自分を慕う精霊が友達を傷付けてしまうこと。
だから精霊を遠ざけざるを得なかったし、人間が原因で遠ざけられた精霊が人間を嫌う悪循環が生まれていたのかもしれない。
最初の方はアリスの警戒が正しかったのかもしれない。
しかし結局、シラタマはしっぽ同盟とうまくやってきた。
「ここであたしらがシラタマとも協力してやっていけたにゃら、あいつだってきっと安心するにゃ。あいつのことが好きな精霊はあいつの悲しむようなことしにゃい。あたしらとも仲良くやれるって、にゃ?」
そうだろと笑いながら、ノーチェは頭の上のシラタマに指を近づける。
「――――チ゛ュ゛リ゛リ゛リ゛リ゛リ゛ウ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛!!」
「いだだだだ! おま! やめるにゃ! 髪の毛が! フギャア!?」
シラタマは返事の代わりに指を回避しつつ髪の毛をさらに数本毟る。
――子供たちに何かあればアリスが悲しむからというのが助けた理由で間違いない。
だが、アリスの異常性まで含めてちゃんと受け止めて一緒に歩んできた子供たちのことを、シラタマ自身が少し気に入ってしまったという気持ちがあるのも本当だった。
もちろん、それで精霊を使役出来るなんて思うのはお門違いだが。
とりあえず今の彼女たちがその思い違いをする心配はないだろう。
「とにかくスフィと合流したらさっさと泡を全部割って、シラタマをアリスの救援に出すにゃ! あたしがハゲるまえに!!」
「せ、切実だね……」
「髪の毛の心配だけで済むのじゃから、雪の精霊神の力を借りることを考えればやすいのじゃろうか……」
「ウ゛ィ゛ー」
ちょっとした代償を払うことになりながら、ノーチェたちは強力な味方を得てスフィを追いかける。
遠くではまだ、シェリフの戦闘が続いているようだった。




