├異形の将
フードコート脇にあったエスカレーターを使い2階へ登ろうとノーチェたちが動き出した、その時だった。
――ガシャアアアアン。
唐突な破壊音と共に、窓ガラスが砕け散った。
飛び散るガラス片をものともせずに飛び込んできた影が、音もなくフードコートの真ん中に着地する。
他の異形たちと同じ2メートルを越える巨躯、青い肉体は女性的な曲線を描いている。
皮膚のない人体を思わせる肉体構造をしていた剣の異形とは違い、こちらはどこか金属を思わせる身体をしていた。
上半身だけをフードで隠しており、両手の甲には鋭く伸びる3本の鉤爪。
その異形はノーチェたちを見つけると、四足獣を思わせる動きで床に伏せた。
「敵にゃ!」
かけごえを発しながらダガーを抜いてノーチェは構える。
瞬きはしていなかった。
一瞬で爪の異形が目前に迫り、左手の爪を突き刺すように振りかぶる。
狙いは首元。
反射的に爪を受け流そうとダガーを構えて首をかばった瞬間、腹部に凄まじい衝撃が走り身体が弾かれたように飛ばされる。
「がふッ!」
「ノーチェ!」
「――――!!」
スフィが剣を構えてノーチェの方へ走ってくる。
フェイントに引っ掛かって蹴りをくらったことはすぐにわかった。
問題はフィリアが加護を使ってノーチェを守ろうとしていることだ。
違う、スフィを守れ!
そう叫ぼうとしたが声が出ない。
「守って!」
追撃しようとする爪の異形から守るようにノーチェの前に光の壁が現れる。
動きを止めたのを好機と見たのか、剣を振りかぶったスフィが爪の異形に斬りかかる。
「やー!」
真横に振り抜かれた剣を、爪の異形は地面スレスレまで身体を伏せることで回避した。
カウンターで足を狙って払うように腕を振る。
普通なら避けられない挙動だ。
「ッ!」
しかしスフィは剣を振った勢いで回転しながら、右足に魔力の光を纏わせて飛び上がる。
「『スマッシュ』!」
跳躍で爪を回避しつつ、今度はスフィが武技を使った蹴りを伏せた異形の背中へ向かって放つ。
対する異形も残しておいた片方の腕で床を掴むように身体を滑らせて、スフィの蹴りを回避してしまう。
白金の光をまとったスフィの足がダンッと床材を砕いた。
「いったぁ!」
思い切り床を蹴ってしまい、スフィが痛みに叫ぶ。
転がりながらしなやかに体勢を戻した爪の異形が、今度はスフィを狙って突進してくる。
「グ……」
ノーチェが動くよりも早く、遠方から飛来した輪ゴムが爪の異形を妨害した。
爪の異形は途中で方向を変えながら輪ゴムを回避する。
まるで移動先まで読んでいるかのように正確に飛んでくる輪ゴムを爪で切り払い、一瞬で遮蔽物の向こう側へ移動してのけた。
「ノーチェちゃん! スフィちゃん! 大丈夫!?」
「あしいたい……」
「……げほっ、ようやく、息できるにゃ……さっきの角のやつよりイテェ」
爪の異形が動き出そうと少しでも姿を見せると、輪ゴムが飛んできて床を砕く。
シェリフのおかげで免れているが、明らかに他の異形たちとは格が違う。
いわば剣の異形と同格の存在、強さも同じならノーチェたちの手に余る。
「フー……数で来ないだけ、マシにゃのか」
「もしかして、メイガスさんとシェリフさんがどんどん倒しちゃうから警戒されたのかも」
「…………ありうるにゃ」
スフィの発想はむしろ理に適ったものだ。
異形たちの目的こそまだわかっていないが、一定以上の知性があることは間違いない。
雑魚をいくら送り込んでも無駄として、将が乗り込んできたと考えるほうが自然だ。
「まだこっちの主力が戻ってにゃいのに、しゃれにならにぇー……」
最悪なのは強いのが爪の異形だけとも限らない点だ。
メイガスもまだ合流できていない。
剣の異形がこちらに向かっているわけではないから敗北はしていないのだろうが、戦いが長引いている可能性も高い。
「どうしよう、もうひとりきたら」
「縁起でもねーこと」
言うんじゃねぇと口にする前に、シェリフがいるであろう場所に壁を突き破って何かが飛来した。
轟音と共に建築物の破片が激しく飛び散る。
ついに騒動に気づいたのか、上階から人間の悲鳴が聞こえ始めた。
「…………」
一瞬身体をビクリと反応させたあと、4人は無言で顔を見合わせる。
「フィリア!!」
「ま、守って!」
「フシャア!」
「た―!」
「ひい!?」
フィリアが盾を出現させた頃にはもう爪の異形は目の前まで走ってきていて、出現した盾を回り込もうとしていた。
気付いたノーチェとスフィが即座に左右に分かれて迎え撃とうと動く。
異形が向かったのはノーチェが動いた方だった。
伸びてくる爪を右手のダガーで受け、即座に加護を発動する。
武器を伝って翠雷が走り、爪の異形が奇妙な動きをして一瞬固まる。
「『スラッシュ』!」
間髪入れず、スフィが剣の柄を両手で握りしめ、飛び上がりながら爪の異形の首を背後から狙う。
異形は雷で動けないでいる。
ノーチェが獲ったと確信して雷の威力を強め、空いている手で爪の異形の腕を掴もうとした矢先。
「にゃ!?」
「きゃあ!?」
爪の異形が無理矢理動き、全身で回転しながらスフィとノーチェを弾き飛ばした。
ぶつかったのは乱雑に振り回された腕だ、鉤爪の直撃こそ避けたものの、ふたりは揃って別々の方向で転がっていってしまう。
「ふたりとも!」
「大丈夫なのじゃ!?」
「ぐ、フィリア! 自分をまもるのを優先するにゃ!」
異形の方も無理矢理動いた影響か、片腕を激しく床に打ち付けた後、あらぬ方向に飛んで机をなぎ倒している。
その隙に体勢を立て直し、ノーチェはダガーを構えながらシェリフのいるであろう方角を見た。
いくつもの槍のようなものが飛来してきているようだった。
槍の一部が着弾するたびに爆発が起きている。
飛んでくる槍の大半は空中で撃ち落とされているため、シェリフは健在のようだがこちらを援護する余裕はなさそうだ。
「もう一体いるとしたら、これで打ち止めにしてほしいにゃ」
ぼやきながら見つめるのは、まだしびれが残っていながらも立ち上がり、圧倒的な威圧感を放つ爪の異形。
唯一と言っていい希望は爪の異形にもしっかりと雷が効くこと。
絶望は手の内がバレてしまったこと。
「ごめん! 避けられた……」
「あんなん予測するのは無理にゃ、気にするにゃ」
硬直した身体を無理矢理動かして逃げるなんて、普通は思いつかない。
奴が自分の身体能力を熟知しているからこその荒業だろう。
「フカヒレ! 頼むにゃ! いくぞスフィ!」
「おー!」
「シャアー!」
フカヒレが先行して床に潜るのに合わせ、ふたりは駆け出す。
フィリアの助けは得られない、こういう手合を相手に盾があまり有効ではないのもあるが、下手なことをしてフィリアが狙われるのが一番都合が悪い。
「(守ろうとしたらあっという間にやられそうにゃ)」
待ちの姿勢を見せていた爪の異形は、踏み込んだノーチェを牽制するように爪を振るい、合間を縫って飛び込んできたスフィの攻撃を上半身を反らして回避する。
鞭のように振るわれる爪の異形の手足をかいくぐり、スフィをカバーするようにノーチェが踏み込む。
爪の異形はスフィへ反撃よりも回避を優先したようで、力強く飛び上がって近くのテーブルの上に着地する。
そのまま逆立ちをするようにテーブルを爪で切り刻むと、くるんと身体を回して勢いよく破片を蹴り飛ばす。
「チッ!」
明らかにノーチェを意識している動きだった。
ノーチェは舌打ちしながら身をかがめて破片を避けると、左手で予備の軽作業用ナイフを取り出して雷を纏わせてから投げつける。
床に着地すると同時に少し大袈裟に避けた爪の異形の足にフカヒレが食らいつこうとするが、今度は新体操のような動きで回避する。
爪の異形はそのままバク転を繰り返して大きく距離を取った。
飛んでいった先でクラウチングスタートのように前かがみに倒れ込む爪の異形に、ふたりの毛が逆立つ。
「スフィ!」
「うん!」
凄まじい速度で飛び込んできた爪の異形を、ふたりはタイミングを合わせて横に飛んで避ける。
見えたわけじゃない、さっきやられたからタイミングがわかっただけだ。
「(まずいにゃ)」
いくらノーチェの迅雷の加護が強力無比でも、突進のような勢いのついた攻撃を防ぐ事はできない。
初手で倒しきらなければいけなかった。
そうでなくとも、それなり以上のダメージは与えなければいけなかった。
「(シェリフやメイガスが助けに来るまで待つ……スタミナが持つわけにゃい)」
そんなすぐに決着がつくならもう合流できている。
正直、詰んでいると言っていい。
「(何か、何か手を……! ダメにゃ、考えてたらヤられる!)」
再び飛んでくる爪の異形の突進を転がりながら避ける。
0.1秒の反応の遅れが生死に直結している、思考している余裕がない。
「(くっそ、アリスがいれば。シェリフの方はどうなってるにゃ、上の人間が降りてきたりしにゃいか!?)」
普段ならアリスが俯瞰的な観測と状況把握、指示出しを代わりにやってくれている。
自分たちも頑張ると決めた矢先に泣き言が漏れそうになった頃、遠くから聞き慣れた風鈴の音が聞こえた。
――チリン
「(ワラビ?)」
――チリン、チリリン
フードコートのすぐ近く、ノーチェたちが闘っている場所のすぐ隣も吹き抜けになっている。
そこにいるワラビは助けに降りてくるわけでもなく、2階の手すりの近くに留まったままただ身体を揺らして鈴を鳴らしている。
「…………!! スフィ!」
一瞬遅れてノーチェが意図に気付いた。
名前を呼ばれたスフィも、既にワラビが虹の泡を見つけたことを気付いていた様子で剣を構える。
「まかせて!」
スフィが剣を手にエスカレーターに向かって走り出す。
ノーチェはダガーを片手に積極的に爪の異形に斬りかかる。
「フシャアアアア!」
足に噛みつこうとするフカヒレにタイミングを合わせながらの猛攻。
敵側の雷への警戒もあって一時的にだがノーチェが押しはじめる。
「(長くはもたにゃい!)」
スフィが駆け上がってすぐ、2階から人間の怒号や悲鳴が聞こえはじめる。
どうやらこのあたりにいる普人と揉めているようだ。
「(たのむにゃ、スフィ!)」
押せているのは、雷を警戒して最初のような積極的な直接攻撃を狙ってこないからだ。
更にフカヒレが足を狙ってくれるおかげで、相手の攻撃の機会を殆ど潰せている。
しかし、その有利も持って数十秒。
次第にノーチェの攻撃にも慣れてきたのか、爪の異形は明らかに動きを変える。
左右に大きく身体を揺らすようになり、不意に後ろに大きく飛んで背中を丸める。
「っ!?」
右足に青い光が集まるのが見えて、ノーチェの背筋を悪寒が駆け抜けていく。
爪の異形の足が真上に向かって勢いよく振り上げられる。
それと同時に青い光が斬撃のように放たれて、凄まじい速度で床を走り、咄嗟に回避したノーチェの真横を抜けていった。
攻撃を飛ばすタイプの武技は何度か受けたことがある。
直感を信じて事前に動いていなければ、真っ二つになっていた。
「っぶ」
基本的に大ぶりになる武技はそうそう当たらないが、ここまで速度があると知らなければ避けるのは難しい。
無事に避けきったと安心したノーチェの視界に、するりと爪の異形が飛び込んでくる。
「ニャ!?」
心臓に向かって突き出される鉤爪の先端を、上半身を反らしながらダガーで無理矢理逸らす。
「(重ッ)」
世界がスローモーションに見えるほど極限の攻防だった。
雷をまとわせながら力付くで鉤爪をそらしきったノーチェが、足をすべらせて背中から倒れ込む。
受身は取ったが、この状況で背中からの転倒は致命的だ。
転がって向きを変えるなど、どうあがいても起き上がるまでにワンアクションが必要になる。
雷で動きは鈍っているが、ノーチェを殺すだけでいいなら問題ない。
多少狙いがズレるとしても、倒れたところに爪を振り下ろせば終わりだ。
まずいと冷や汗をかくノーチェの視界に、吹き抜けに飛び出す白くて小さな球体が映り込む。
戦闘中に虹の泡を探し回っていたワラビが見つけたのは、シラタマが封じ込められた泡だったようだ。
「スゥ――――シラタマァァァァァ!」
あらん限りの声でノーチェが叫ぶ。
しかしこっちを見向きもしないで、シラタマは吹き抜けを横断しようとしている。
シラタマにとって一番大切なのはアリスで、自分たちはあくまでおまけでしかない。
一刻でも早くアリスの元へ駆けつけたいだろう。
でも、それじゃあ困る。
「(説得する方法、短く一言で、無茶にゃ!)」
人間嫌いのシラタマの興味を惹き、力を貸してもらわなければいけない。
とつぜん現れた気配に爪の異形も上空を見上げている。
時間はない。
「みんなで一緒に帰るにゃ! おまえの力が必要にゃ!」
ノーチェたちとシラタマは、アリスを間に挟んでようやく成立している共存関係だ。
雪の精霊の大将と仲良くなれたなんて自惚れてはいない。
きっと自分たちの生き死にだって、シラタマにとっては限りなく"どうでもいい"に近いだろう。
『アリスが悲しむ』以上の感想なんてないのかもしれない。
それでも、アリスと共に自分たちが過ごした時間にわずかでも価値を感じているのなら。
聞いてくれるはずだとノーチェは"信じた"。
「力を貸すにゃ! シラタマァァァ!!」
……何のリアクションもなく、白い球体が吹き抜けを通り抜けて消えていった。
静寂の後、呼吸音だけが聞こえる中。
既に視線をノーチェに戻していた爪の異形は、首元を狙って躊躇なくその爪を振り下ろす。
その前に、爪の異形に向かって白い氷の塊が高速で降ってきた。
衝撃音と異形の頭部が揺れて、狙いがズレた爪が床に突き刺さる。
ばさりと翼を広げる音が聞こえ、爪の異形の巨躯に負けない通常モードの大きさに戻ったシラタマが吹き抜けから降下してくる。
「よかった……信じてたにゃ、シラタ……マ?」
「チ゛ュ゛リ゛リ゛リ゛リ゛……ウ゛ィ゛ー゛!」
アリス相手に絶対に出さないような音を出しながら、凄まじい怒気をまとったシラタマがノーチェを睨みつけた。
「(やっぱこいつあの猫の同類にゃ)」
爪の異形が警戒先をシラタマに向けている間に、ノーチェは頬を引き攣らせながら何とか立ち上がって武器を構えるのだった。




