├閉じられた空2
漠然とした不安を抱えながらもノーチェたちの探索は続いた。
差し迫る危機を前に足を止めているわけにもいかない。
「フカヒレ! サポートたのむにゃ! ワラビ! 泡見付けたら教えてくれにゃ!」
「シャアー!」
幸いなことに、解放された精霊はノーチェたちにも好意的な子たちだ。
フカヒレは床の中を泳いで足を引っ張ることで相手の動きを妨害する。
直接戦闘には向かないワラビは空中に浮かびながら、虹色の泡探しを手伝う。
見つけた虹の泡は3つ。
解放できたのはフカヒレ、アリスのカンテラ、ワラビ。
見付かっていないのはシラタマ、ミストドラゴン、不思議ポケット、シャオの首から下。
「ミストさんかシャオの身体を解放したいにゃ……」
現在建物内に居る角の異形は数少ない。
ちっとも安心できないのは、空から異形なんかよりよっぽどまずい存在がでてこようとしているせいだ。
「全然みつからにゃい……」
「あっちの方で戦ってる音がするよ、ね?」
建物内を西側へと進み続け、ついに隠れ家にしていた洋服店の位置を超えた。
ノーチェたちにはどんな施設かわかっていないが、案内図によると先には映画館やフードコートがあるようだった。
スフィが耳を動かしながら尋ねると、フィリアも兎の耳をぴくと揺らして頷く。
「……人間と戦いになるとあんまりおもしろくないにゃ」
アリスが聞き取った情報によると、この施設内には3つの大きな勢力が存在している。
ひとつめは先程話した穏健派で、アリスが事前に話をしたおかげか言葉が通じないノーチェたちにも友好的だった。
ふたつめは産土の会という宗教のグループで、こちらも性質的な穏健派に近いと伝わっていた。
問題は3つめの過激派。
いわゆるスラム街の悪党みたいなものが中心となっているような、暴力を肯定する連中だとノーチェは聞かされている。
このあたりのアリスの翻訳をノーチェは特に疑っていない。
だからこそ過激派とぶつかることは避けたい気持ちがあった。
何しろ状況は逼迫している、探し物で忙しいのに敵勢力を増やしたくはない。
「でも泡があるとしたらあっちの方だよにゃ……」
「だね……なに、このおと?」
突然激しく響く聞き慣れない音が全員の耳を打った。
空気を震わせるような重低音から、短い破裂音が何重にもなったような音。
異形が発する音とも思えない。
魔獣の唸り声にも似た突然の音に、ノーチェたちは表情を強張らせて、音のする方向を見る。
「■■■■■!!」
現れたのは自転車によく似た大型の乗り物と、それにまたがって通路を駆ける青年。
髪色は赤く、視力のあまり良くないノーチェたちでは顔立ちもわからない。
その青年は右手に金属の棒を持ち、乗り物から爆音を響かせながら通路にいる角の異形に衝突する。
まともに受けた角の異形は通路を転がり、青年は衝撃で乗り物から振り落とされたように見えた。
しかし青年は空中で棒を振りかぶり、乗り物から投げ出された勢いをのせて膝立ちになった角の異形の頭部を強打する。
流石にこれは効いたのか角の異形は足を震わせて手をつく。
「■■■■! ■■■■!」
棒を腕で防ぎながら立ち上がろうとする角の異形。
青年は頭部を殴る動きで頭を守らせながら、突然攻撃を膝へ変える。
立ち上がろうとしていた異形はバランスを崩し、咄嗟に床に手をついてしまう。
「■■■! ■■!」
青年はおたけびをあげながら隙を見せた角の異形の頭部を殴りつける。
「…………」
咄嗟に身を隠して様子を見ていたノーチェたちは、冷や汗を流しながらお互いに顔を見合わせた。
戦い方は問題じゃない。
普人が角の異形を相手にするならあのくらいの勢いでないといけない。
問題は単独でそれをやっていること。
それから狂気に満ちた声、ぼやけていても感情が伝わってくる表情。
明らかに暴力を楽しんでいる。
恐怖を越えるために狂気の力を借りている者とはまったく違う。
内に秘めた狂気を外に向ける機会を得てしまった者。
青年は角の異形が動かなくなるまで殴ると、倒れていた乗り物の様子を伺い、何かを叫びながら蹴りつけた。
どうやら乗り物は壊れてしまったようだった。
手にする鉄の棒の青い血液を適当な布で拭い取ると、青年は自分がやってきた方向へ歩いていく。
「……あのひと、こわい」
「あのおっちゃんたちと同じ国の人間だよにゃ?」
穏健派のアジトで話した経験から、ノーチェはニホンという国の人間を『温厚で理性的』な人間だと思っていた。
もちろん最初に出会った野盗崩れのような例外がいるのもわかっていたが、あの青年は魔獣の脅威が至近距離にあるゼルギア大陸の人間にとっても"狂戦士"の類いである。
「今はやつらも中へ入って来ないし、できるだけ鉢合わせしないように動くにゃ」
「そうしよ」
「うんうん」
「見た目といい、まるで南方竜宮人なのじゃ……」
軽く打ち合わせを済ませたあと、ノーチェたちは気配を隠してフードコートエリアに足を踏み入れる。
このあたりには角の異形も殆ど入り込んでいないようだった。
■
「あまり派手に動けないにゃ」
「上の方に人が集まってる……なんかたのしそう」
「あれは食べ物の絵なのじゃ?」
西側奥にあるエリアは1階がフードコート、2階にはゲームセンター、3階にはレストラン街と映画館がある作りになっているようだった。
流石に食べ物の匂いはしていないが、大量に並べられた美味しそうな食べ物の写真は興味を惹く。
若干の空腹もあって名残惜しそうに写真を眺めながら、ノーチェたちはフードコートエリアを探索する。
「……やっぱ食い物はにゃいか」
「残念、武器になりそうなのもないね」
「全部持っていかれてるね」
「これは竜宮のウドンにスシ、知らぬが米を使った料理も多いのう、やはり竜宮に似ておるのじゃ」
虹の泡を探すついでに使えるものはないかと探ってみたが、なにひとつ見付からない。
包丁やフライパンなど、武器に使えそうなものは根こそぎ持ち出されていた。
もちろん食べ物の類も同じだ。
「これ冷蔵庫だよにゃ? おっちゃんたち、あの部屋のベランダから見えるやつらに似てるし……やっぱり関係あるんだよにゃ」
「アリスが言葉わかってたから、たぶんねー。この建物に来てから、ずっとヘンだったもんね……焦ってるというか、怖がってるというか。あの声みたいなのが聞こえてから、特に酷かったけど」
アリスがよく作っていた、米を使った料理の絵。
それを眺めながら、スフィが思い出をなぞるように口を開く。
404アパートで見つけた備蓄も気付けば殆どなくなっている。
アリス本人は気にしていない風に振る舞っているが、姉であるスフィから見れば寂しそうなのはバレバレだった。
「そのうちね、アルヴェリアでも似たようなのないかなって、おかーさんに探してもらえたらなって。アリスは"前のこと"あんまり話したがらないけど……きっとね、キライじゃなかったんだと思う」
「…………ま、そうだろうにゃ。いつもベランダから外みてたし」
時々懐かしそうにベランダから外を眺めているのも全員が目撃している。
もし前の人生の全てが嫌な思い出だったのなら、アリスを待っていたというマイクがそんな場所を再現するはずがない。
自己犠牲とは一種の自傷行為である。
"自分ごと切り捨てる"ような決断をさせてしまうような、そんな何かが"前の人生"であったのだろう。
だけど、それでも過去を懐かしむくらいには良い思い出も、"前の人生"にはきっとあったのだ。
「……のじゃ? まえのこと?」
「シャオちゃん、あっちの麺のお料理も竜宮にあるの?」
「ム? 知らないのじゃ」
雑に誤魔化しにかかるフィリアと、雑に誤魔化されるシャオをちらりと見て、ノーチェは両腕を上げて背筋を伸ばす。
不思議とこの会話が時間のムダとは思えなかった。
ただの直感だ。
この"何故"を解き明かしてたどり着く答えが、三毛猫が自分たちにしている問い掛けの答えと同じになる気がした。
「ここには無さそうだにゃ、これ以上奥はないし……上にゃ?」
「音が聞こえるし、人がいるよね、大丈夫かな?」
「行ってみるしかないにゃ、最悪つっこんで泡を回収したら脱出にゃ」
「う、うん……」
「まぁいざとなれば……うーん」
ノーチェとて先程の青年を見た時はその狂気にビビっていたが、実のところ脅威とまでは思っていなかった。
強さという意味では騎士たちと比べ物にならないし、1対1で戦ったところで負ける気もしない。
この逼迫した状況で面倒な奴の相手をしたくないというのが全てだ。
差し迫った状況だ、もし襲ってきたらすぐ殺せばいい。
なんて思うほどノーチェはまだ壊れていない。
「……ま、戦闘不能くらいにはできると思うにゃ」
何故かノーチェの脳裏をよぎったのは、永久氷穴から因縁が続いていたカテジナという女騎士だった。
アリスはあれを『タガが外れてしまった人』と表現していた。
一番被害にあったのは殺されかけたアリスだ。
世界の特例みたいなアリスだから生き残れただけで、そうでなければ確実に死んでいただろう。
なのに、まるで憐れむような言い方に憤る気持ちは今でも残っている。
「(これが"タガ"ってヤツなんだろうにゃ)」
樽がバラバラにならないように締め付ける役割を持つ輪っかのことだ。
あの女騎士も見捨てる決断、切り捨てる決断、殺す決断を繰り返しているうちにああなってしまったのだろう。
ノーチェとて戦いを経験しているし、冒険者として生きるうえで"殺す覚悟"が必要なことも理解している。
邪魔になる敵をさっさと始末する決断をすることを悪いことだとは思わないし、騎士たちからはむしろ褒められるだろう。
こんな風に殺しを可能なら避けるべきことと考えるのはきっとアリスの影響もある。
「(だから、あたしらだけでも逃がそうとしたってか?)」
自分の都合だけで殺したり見捨てたり、そんな決断をせずに済むように。
そんな思いをしなくてもいいように。
「(ナメすぎにゃ)」
最初に別館に入った時、逃げる人たちを見捨てる決断をしてしまった。
いざとなれば仲間に対してすらそんな決断を迫られるときが来るだろう。
自分か仲間かを選ぶときがきて、ノーチェもアリスと同じように仲間を選ぶ。
力が足りない人間は提示された選択肢しか選べない。
どちらを選んでも仕方がないことだと、みんなが慰めてくれるだろう。
普通の人間なら取捨選択は当たり前だと。
"普通の人間"ならば。
「――あぁ」
「?」
写真を覗き込むフカヒレとワラビを見て、ノーチェは頭を抱えた。
「アァぁあ!」
「ど、どうしたの!? まさかまたお外見ちゃった!?」
突然髪の毛をかきむしりはじめたノーチェに、スフィが慌てて駆け寄ってくる。
ノーチェは顔を上げるとおもむろにスフィの両肩を掴んで声を荒げた。
「アリスは普通じゃないにゃ」
「え、うん」
あれ? いま妹の悪口言われた?
思わず頷いてしまったスフィが、数秒ほどの思考時間を経て眉間にシワを寄せる。
「なのに普通の側だと思い込んでるにゃ、普通じゃにゃいのに!」
「……う、うん」
困ったな、普通じゃないことは否定できない。
妹のことを理解しているが故に言い返せないでいるスフィに対して、ノーチェはようやくわかったとひとりで納得した様子を見せる。
当人がしている普通だという主張は"普通の人間"に対する憧れからくるものだろうが、事実としてアリス自身は普通とはかけ離れた存在である。
神星竜の娘、銀狼王家の最後の生き残り、アルヴェリア王家の血統、幼くして錬金術師になった天才児、偉大な錬金術師の直弟子、浮き世離れした言動。
極めつけに世界の化身である精霊たちに好意を寄せられる特異体質。
最近習った平均値や中央値といった概念を用いても普通の要素は見付からない。
ここまでくると、本人が普通という単語の意味を理解していないとしか思えない。
本人がコントロール出来る範囲じゃないとしてもその力は人知を超えている。
その片鱗は今まで散々見てきたはずだ。
「精霊の力を使えばきっと、想像もつかないくらい色んなことが出来るはずにゃ。なのにあいつはなんで、自分のことは諦めたにゃ?」
「…………」
「うむ、ノーチェよ、おぬしが思うようにはのう、いかないのじゃ。ほんらい精霊の力というものは自然そのもの、人が操れるものでは……」
「違うにゃ、それは"普通の人間"の考えにゃ」
ノーチェはシャオの語る理屈をバッサリと切り捨てる。
「ふ、ふつう……あの、わし、愛子なんじゃが……」
「あたしがしてるのは他人の召喚した大精霊をあごでつかえる奴の話にゃ」
「キュウ……」
黙らされて鼻から変な音を出すシャオを無視して、ノーチェはようやく合点がいったと盛大に息を吐き、しゃがみ込む。
「あたしがあの猫と同じ立場なら、こう思うにゃ」
自分が力を貸してやってもいいと思うおまえが、なんでその程度の事で諦めているんだ。
「もっと欲張れ、もっと欲しがれってにゃ」
あの三毛猫がそれで素直に手助けするタイプにも思えないが、それはそれ。
これはお互いの気持ちの話だ。
「よし、いくにゃ」
「……ノーチェ? どうしたの、急に」
結論らしきものを喋るだけ喋って、スッキリした様子でノーチェは立ち上がる。
きょとんとするスフィに、ノーチェはニカっと笑顔を見せた。
「あの猫がアリスにもっと欲張れって言いたいにゃら、あたしらに求めてることもきっと同じにゃ」
「どういうこと……?」
「あたしらにも欲張れってことにゃ。あたしらだって普通じゃにゃい、ちゃんとついていけるんだって示さにゃいとダメにゃ」
ノーチェは三毛猫が自分たちにも問い掛けているのだろうと思った。
この状況で自分たち可愛さに逃げ隠れるだけなのか。
それともアリスの力を借り受けて、自分の欲しい結末を目指すのか。
身を守るだけなら十分なシェリフとメイガスだけを残したのもそれだろう。
シャオの身体を持っていったことだけは疑問だが、アリスの自己犠牲への文句を伝えるためだけにこれだけ引っ掻き回すような奴の気まぐれだ、答えを求めても無駄だろう。
「助けられるものは全部助ける、拾えるものは拾ってくにゃ!」
そう言って探索を再開しようとした矢先、遠くに見える窓の外が一瞬真っ黒に染まった。
「にゃんだ!?」
駆け寄ったノーチェたちが、厄介なやつの方向を見ないように気をつけながら窓から外を見ようとする。
「ノーチェ! あぶないよ!」
「あたしだけで見るにゃ、奴は見ないように気をつけるけど、フカヒレ、ワラビ、もしやばかったらぶっとばしてでも止めてくれにゃ!」
「シャー」
スフィに止められながら、覚悟を決めて窓から黒い空を見上げる。
しばらくして大きな真っ青な月とその周囲に浮かぶいくつかの中くらいの月が映り込み、少し遅れて凄まじい異音と悲鳴に似た音が視界の外から響き渡る。
――ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!
それは建物全体が震えるほどの絶叫だった。
音の方向を見ようとして、すんでのところでノーチェは踏みとどまる。
もっと上空の、明らかに犬のような異形が出てこようとしていた場所から聞こえていたからだ。
悲鳴はしばらく続き、やがて空の向こう側へと消えていった。
黒い空と無数の青い月はゆっくりと消えていき、やがて青空に戻る。
ずっと上空で揺らめいていた不気味なオーロラはなくなっている。
恐る恐る空を見回すと、先程まで出てこようとしていた異様な存在は消え去っているようだった。
「あのやばいのいなくなってるにゃ」
「うん、もう気配感じない。それにね、いま、アリスの気配ちょっと感じたの」
「……状況はわかんにゃいけど、あっちも頑張ってるみたいにゃ。負けてられないにゃ」
「うん!」
空からくる最悪の脅威はなくなったが、まだまだ危険は残っている。
それでも見えてきた希望を目にして、ノーチェたちしっぽ同盟は決意を新たに動き始めたのだった。
おまたせしました、間が空いてしまった分ちょっと増量です




