いいんだよ
ブラウニーとシラタマに護衛されながら少し休んだ後、目が覚めた。
……途中で聞こえる音に何度も目を覚ましたせいで、あまり寝た感覚はない。
「アリス、だいじょうぶ?」
「……他の人たちは?」
「おとうさんはやることがあるって、おかあさんも途中で起きてお部屋にもどった。侍女さんたちは、アリスが落ち着かないみたいだから離れてもらった」
「そっか」
スフィが色々と気を使ってくれたみたいだ。
「……ね、アリス、おねつは大丈夫?」
「うん、なんか調子いいみたい」
寝不足感はあるけど、不思議と身体が軽くなっていた。
軽い風邪で微熱がでている時くらいのだるさだ。
「おにわいかない?」
「……うん」
何か言いたげなスフィの表情を見て、ぼくは頷いた。
浮きながら手を引かれて飛ぶ。
リビングに出ると、立ったまま待機していた神官服の侍女たちが頭を下げてきた。
外が星空だから今が何時かわからないけど、これも大変な仕事だ。
ピタッとスフィが動きを止めて、しばらく沈黙が流れる。
「…………姫様、如何なさいましたか?」
「あ、えっとね、目が覚めちゃったから。お庭を見ようとおもって」
根負けしたように侍女の方から口を開き、スフィが気付いたように目的を伝える。
「ただちに準備いたします」
「ううん、ふたりで行きたいの、ダメ?」
「しかし……」
「おねがい、見えないところにいかないから」
「それでしたら……」
スフィのお願いを受けて、侍女は渋々といった様子で部屋の扉を開けた。
「どうされましたか?」
「姫様がお庭を見たいとのことです」
部屋の外には普通に門番が居た。
侍女たちのものとは違う、動きやすそうな神官服の女性がふたり。
片方は犬人に見えるけどもう片方はわからない。
額に小さな白い角が生えて、細長い耳としっぽの形は馬人にも見える。
「このような時間にですか?」
「目が覚めてしまわれたようで、同行をお願いします」
「べつに大丈夫なんだけど」
「そういう訳にはいきません」
取り付く島もなく、当然のように護衛たちが同行することになった。
出そうになったため息を何とか噛み殺して、スフィに手を引かれて庭に出る。
空は相変わらずの星空で、ずっと居たら時間の感覚がわからなくなりそうだ。
懇願するようにスフィが侍女たちをじっと見ると、ようやく距離を取った。
侍女たちが互いに目配せをしながら、ぼくたちを囲むように散らばる。
外側には戦えそうな人が、城側には侍女たちが。
何かあったらすぐに駆けつけるような位置取りだ。
距離を取ると、スフィが庭の真ん中あたりにある橋に腰掛け、足先を水面につける。
天の河に波紋が広がった。
「お母さん、驚かせてごめんねって言ってた。スフィたちのことずっとずっと探していて、もう二度とどこにも行ってほしくないんだって」
「…………」
スフィは水面を足で蹴る。
侍女たちを気にしていたら、顕現したワラビが周囲に音を遮断する幕を張ってくれた。
……気が利きすぎだ。
スフィの隣に腰掛ける。
「ねえアリス。逃げちゃおっか?」
ワラビを見上げていたスフィが、思いもよらないことを口にした。
「アリス、なんだか凄く辛そうで、見てられなくて。アリスは昔からおとうさんたちの話したがらなかったし。スフィがおとうさんとおかあさんに会いたかったから、無理してくれたのかなって」
手を握ってくるスフィの瞳が潤んでいる。
「窮屈なのきらいだもんね。スフィはいいよ、逃げても。アリスならできるでしょ?」
いいはずない、良い訳がない。
スフィが親と一緒にいる子供を羨ましそうに見ていたのを知っている。
ノーチェやフィリアから親との思い出を聞いた日は、普段よりぼくにべったりになる。
スフィの幸せを願ってここまで歩いてきたのに、自分の態度のせいでスフィがそれを捨てようとしている。
「ダメだよ、スフィにとって大事な家族でしょ」
「一番大事な家族は、アリスだよ」
まっすぐに見てくるスフィの視線に耐えきれず、目をそらした。
まさか自分がこんなウジウジした悩みを抱えることになるなんて。
そのせいで感動の再会に水を差すことになるなんて、思いもしなかった。
「……前に」
隠したまま、スフィにそんな決断をさせるのはあまりに不誠実だと思った。
「前に、ぼくが前世のことを覚えてるって話したよね」
「うん、前の玩具の街みたいなところで、おじさんたちと暮らしてるの。スフィも夢で見た」
スフィの言っているのはパンドラ機関に居た頃の記憶だ。
思うところは大いにあったけれど、決して辛くはなかった日々のこと。
聞かれなかったからというのもあるけど、覚えている範囲のことを必要以上に話したことはなかった。
「国際神秘蒐集機構パンドラ機関。アンノウン……こっちでいう精霊みたいな人智を超えた存在を、人の社会の害にならないように集めて封印する集団。ぼくはそこにいた」
「うん」
「そこに入る前、前世のぼくにも母親がいた」
これは、出来れば話したくなかった……ぼくにとっても嫌な記憶だ。
■
物心ついた時、ぼくは母親とふたりで小さな古アパートに住んでいた。
母親はどうやら金持ちと付き合っていたようだけど、ぼくが産まれたせいで別れることになったらしい。
随分と酷く当たられた。
一時期はゴミ、お前、死ねのどれかが自分の名前だと思っていたくらいに。
夜、暗い部屋の中で手探りで食べ物を探して虫と奪いあう。
母親は基本的には家にいなくて、たまに男を連れて帰ってきた。
そういう時は家に居ちゃいけないから、外に出ないといけなかった。
決して人にバレるなと言い含められていたから、人の気配から逃れながら外を歩いた。
暖かな風が吹く日も、雨粒が頬を叩く日も、風音がうるさい日も。
クロと出会ったのはそんな風に家にいられなくて、外を歩いていた時だった。
身を隠すために入ったどこかの建物の隙間の先、真っ暗な場所でクロは丸くなって泣いていた。
暗くてよく見えなかったけど、黒い子犬だと思った。
真っ暗な世界の中、ひとりで泣くクロを見てぼくは声をかけた。
「おまえもひとりなの?」
「ぼくもひとり」
「ねえ、いっしょにいよう」
クロは最初は驚いたようだけど、ぼくが手を伸ばして抱き上げても抵抗はしなかった。
優しさとかじゃない、ぼく自身が寂しかっただけだ。
腕の中のぬくもりは、ひとりぼっちだった世界に光が差してくれた。
予想通りの黒い子犬で、名前も安直にクロとつけた。
最初はふれあい方もわからなくて、ただ寄り添って、見つけた食べ物をふたりで分けて。
ただ一緒にいるだけの時間が、ぼくを孤独から救ってくれた。
母親にバレてはいけないから、クロにはアパートの近くに隠れて貰っていた。
毎朝クロと会って、隠れながら街を歩くのだけが楽しみだった。
そんな楽しい生活は、数ヶ月戻らなかった母親が突然帰ってきた日に終わった。
運悪くクロを抱き上げたまま部屋に居たぼくを見て、母親は怒鳴りながら手近なもので殴りつけてきた。
「死ね! お前は! 言うことも聞かずにあたしに迷惑ばかりかける! お前みたいなクズがいるせいで! あたしは不幸になった! 死ね! 死ねよ!」
咄嗟にクロを庇って丸まった背中を何度も強く叩かれて、痛みにうめきながら何度も謝った。
産まれてきてごめんなさい。
産ませてしまってごめんなさい。
必死に謝るぼくをみて、母親は余計に激昂して、痛みが激しくなった。
ぼくが覚えている前世の母親の顔は、その時の鬼みたいな表情だけだ。
痛みで一瞬気を失っていたのか、気がつくと母親の姿はなくなっていた。
割れた酒瓶が転がっていて、玄関の扉は開けっ放し。
心配そうに顔を寄せてくるクロに起こされたのだ。
遠くからサイレンの音が近づいているのに気付いて、ぼくはクロと一緒に家を出た。
存在がバレてはいけない、特にあのサイレンが鳴る白い車に乗っている奴らにはと、普段から言い含められていたから。
母親はそれから二度と帰ってこなかった。
アパートにも戻れなくなって、クロと一緒に街の放浪がはじまったのもその時だ。
僅かな寂しさと、それを覆い隠すような安心があった。
街の人達は優しかった。
母親はろくでもないやつらだと言っていたけど、浮浪児のぼくを心配してごはんをくれたりする人もいた。
思い出深いのは、和菓子屋のおじさんが「作りすぎて余った」と言って分けてくれた白玉団子。
余り物という割に白玉と果物がたくさん入った甘い食べ物は、生まれてはじめて食べた"美味しいもの"だった。
それからたまに顔を出すぼくたちに、おじさんはお菓子を分けてくれた。
たまにスーツを着た大人の人が一緒に居る時があったけど、その時だけは近寄らなかった。
母親にあいつらは凄く悪いやつらだって教えられていたのを信じていたから。
思えば街の中で奇妙なものを見るようになったのはその頃だった気がする。
屋根に乗っかって窓から中を覗き込む異様に首の長い人間。
暗がりからじっと見てくる毛玉のようなもの。
ぼくを心配して近付いてくる子もいれば、明らかに害意を持って近付いてくるのもいた。
よくないものが和菓子屋の近くをうろついている時、追い払おうとしたぼくに協力してくれた子もいた。
しばらくはこっそりと、優しくしてくれた街の人たちをおかしなものから守っていた。
そんなヒーロー気取りの行動がきっかけになって、パンドラ機関に捕捉された。
これが、ぼくにとっての"親"の記憶だ。
■
脈打つ心臓を押さえながら全て話し終えると、スフィが静かに涙を流しながら抱きしめてきた。
「……こわいんだ」
無意識に口が動いた。
「手を伸ばして、また振り払われたらって」
落ちこぼれと思われるように誘導したのと同じだ。
他人事で眺めているほうが楽だった。
「ぼく、スフィに押しつけてばっかりだ」
守っているつもりで、結局いつも守られている。
結局一番怖いところは押しつけて逃げていた、それに気付いた。
なんてカッコ悪い。
「いいんだよ」
抱きしめられているから顔は見えない、鼻をすする音が近くで聞こえる。
「スフィはアリスのおねえちゃんなんだから」
「……なんだか少し、怖くなくなった」
道を阻む得体のしれない暗闇の正体に名前がついた。
たったそれだけなのに、恐怖は薄れた。
最初からここは自分の居場所じゃないと感じていた。
スフィは無事に送り届けたし、ひとりで逃げてしまおうと思っていた。
だけどそれじゃダメだ、スフィが大事なものを失ってしまう。
「チュリリ」
応援するようにシラタマが鳴いた。
いつの間にかクロが消えてしまって、酷く落ち込んでいたぼくの所に現れた。
振り向かないでいたぼくを諦めず、ずっと傍にいてくれた親友。
「ふたりで、ちゃんと話してみよう」
「うん!」
これもまた前世から続く疵痕だ。
ひとりじゃ越えられない暗闇も、今なら乗り越えられる気がする。




