21話:東北へ油を送れと放射能問題、募金活動
その結果、電車でガソリン、灯油などを日本海側、新潟経由で北の青森経由して盛岡から陸路輸送、その後、新潟から磐越戦で郡山へ輸送できた。しかし原子炉から漏れ出した濃度の高い放射能が、大問題になった、
そのため、原子炉と周辺の地域には、帰宅困難区域として封鎖され、誰も入れなくなり封鎖期間が長い間続いた。もちろん世界からの募金、救援物資が届いた。特に、台湾が、世界でもトップクラスの募金を集め送ってくれた。
その、チャリティーショーがテレビで流され、本当の友人の国はどこかという事が鮮明となった。和光市役所でも各階に募金箱が設置され、多くの方の善意の募金が集まった。
そして大学生をはじめ多くの若者が東北の復旧のボランティアとして、バスに乗って、被災者たちの復旧作業を手伝っている映像が流された。また、親を亡くした、震災孤児の姿も移され、日本国民の涙を誘った。
また、多くの芸能人が、自分のトラックやバスで東北に入り、炊き出しをしてる光景もテレビで流れた。秀一が和光市役所に勤めて、震災後、最初、4月に回されたのが住民票や税金、保険などに関する窓口業務を先輩について、言われたように動いた。
市民と応対の仕方、言葉遣いなど基礎を半年かけて研修した。体は楽だったが、頑固な老人にはどなられるし、資料は、まだなのとヒステリックな、おばさんには叱られるし、平常心を保てるようになるまで半年かかった。そして2011年の夏が終わり秋、冬と移り、2012年を迎えた。
博美は、大学3年生になり、今後、インターネットを使った情報や物の販売が今後、発展していくだろうと漠然と感じた。大学の講義でも流通革命の内容に興味を持った。そして図書館に通いインターネット使って情報収集して勉強を継続していた。
特に、この分野で先行しているアメリカ企業、その中でもアマゾンに注目していた。それに引き換え日本の小売業ではヨーカ堂とイオングループの2強に集約していった。
日本のイトーヨーカ堂とコンビニ部門のセブンイレブンや中小の小売店が合併して大型化したイオングループは、いずれ時代遅れになると考えた。またコンビ二と一般スーパーのすみわけはどうなるかとか流通業界の今後の展開に非常に興味を持ち大学で勉強をした。
兄が、大学時代に留学したので両親が博美はどうすると聞いた。留学には、興味がないと、あっさり断わった。その代わり投資資金が欲しいと言った。そこで21歳になったら投資資金300万円を博美の口座に入金してやると父が言った。
それを聞き、ありがとうと言い、それで十分よと笑って答えた。秀一は、和光市役所で美しいピンクのプリウス車で通ってくる影山里美さんと同じ部署で研修するようになり、親しくなった。
彼女は、成蹊大学出身で三菱関連の大企業の重役の娘さんと新人ながら和光市役所でも有名だった。秀一も同期で、研修を受けたので、顔を知っていて、会うたびに、挨拶していた。
2012年6月下旬、梅雨に入ったばかりの頃、彼女の車が泥で、ひどく汚れているのを見て昼休みの時間にホースを持ってきて洗車してやった。帰るとき、影山里美さんが、綺麗になってる車を見て車を洗っていただいた方は、どなたと市役所で聞いて回ったが、わからなかった。
秀一は、僕が、洗ったと話すタイミングを逸して黙っていた。その事件から2週間後、守衛さんに、里見さんが、私の車を洗ってくれた方、ご存じありませんかと聞くと、新人の島村秀一君だよと答えた。
すると、里美さんが、一緒に仕事をして居る島村に車を洗っていただいてありがとうと言った。でも、その話をなんで、私に直接、話してくださらないのと、詰め寄った。それを聞いて大意はないよ。ただ、言うタイミングを逸したと答えた。
それと言うのも市役所内で、君のピンクの車は有名だったので、注目されていたのさ。それが、梅雨の雨の日、はねが上がって泥で汚れていたので、気になって昼休み、断りもなく何気なく、きれいにしただけなんだと白状した。僕は、目立つのが、あまり好きじゃないのだと白状した。




