第三話 お人好し
どこからか誰かの泣く声が聞こえる。
どこかで聞いたことのある懐かしい声だった。
目を開けると、目の前に夜空をも焼き尽くすはどの炎が広がっている。
しかしそれは不思議と熱くない。
俺は何がどうなっているのか分からなかった。
ふと、脳裏に何かがよぎる。
何かから必死に逃げていたような気がする。
思い出そうとしても何も出てこない。
まるで心にポッカリとあなが空いているような感じがした。
俺の中にはただただ恐怖と虚無感だけがあった。
為す術もなく俺は目の前の炎に巻かれた。
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俺は悪夢から抜け出し飛び起きた。
「ゆ…夢か…」
その瞬間、俺は忘れかけていた16年前の武弓飛鳥としての自我を思い出した。
「俺は何をしてたんだ…?」
深呼吸してあたりを見回す。
俺はまた知らない部屋で眠っていて、そこは質素な家の居間のようだった。
家には誰もいないようで開きっぱなしの扉から日の光と暖かい風が流れ込んでくる。
俺は数秒ほどあたりを見回した。
冷静になって、外の様子を見ようと起き上がる。
そしてこれまでの出来事を思い出す。
俺はあの、反乱を起こした人々から逃げていた。
最後の兵士、アーウィンが敵へと立ち向かった時俺は一心不乱に逃げた。
目ににじむ涙や足の痛み、息の苦しみさえも忘れてただひたすら走った。
途中、何回も転び服もボロボロだった。
しかし、それから先の記憶がない。
怪我をしたところが丁寧に治療してあり、服もきれいで新しいものだった。
俺は家の外に出た。
「お母さーん。起きたよー!」
そう言って突然見知らぬ男の子が駆け寄ってきた。
君は誰だい?
「お姉ちゃん大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。ありがとう。」
笑顔でそう返したが、大丈夫なわけないだろう。
こっちはいろんなことがありすぎて混乱してるわ。
考えてみると、この一日にありえないくらいの情報量のことが起きたもんだ。
しかし、いくら考えても何もわかりそうにない。
パンクしそうな頭を抱えている俺のところに、一人の女性がやってきた。
その女性は赤茶色のロングヘアーと少し青みがかかった目をしていて、まるで見た人を包み込むような優しい笑顔だった。
「あら、あはよう。体調は大丈夫?」
「あ、お陰様で。」
「あら良かった。心配したのよ。」
どうやらこの女性が俺を助けてくれたみたいだ。
「見知らぬ私を助けていただきありがとうございます。こんな治療までしてもらって。」
「いいのよ。倒れている人がいたら、助けてあげるのが普通でしょう。」
どうやら、見た目がいいだけでなく性格も優しい人のようだ。
俺は今、さっきの女性の家で夕飯を食べている。
この女性に誘われたのと、他に身寄りがないからだ。
女性と、さっきの男の子、そして女性の夫らしき男、俺の4人で食卓を囲んでいた。
男は無口でそそくさと飯を平らげ、他の部屋に行ってしまった。
女性が作る料理には城のものと違い、温かみがあった。
「ごめんなさいね。あの人、人見知りなのよ〜。」
そう言いながら男が入った部屋に視線を向けていた。
「いえいえ、大丈夫です。」
「そういえば、あなたの名前ってなんて言うの?ちなみに私はエリゼって言うのよ。」
「名前ですか…」
俺は一瞬戸惑った。
名前といえば、ツォンガ・ノエルという名前がちゃんとあるのだが…
ここでその名を出していいのだろうか。
なんせ俺は今、革命から逃げている王女なのだから。
彼らから見れば俺はお尋ね者だ。
この村にに革命が起きたという情報はまだ伝わっていないようだったが、ここもまだ元ツォンガ王国の領地。
この情報が伝わるのも時間の問題だろう。
ここでうかつにその名前を出してあいつらに突き出されるのは避けたい。
捕まって殺されるのは御免だからな。
なら、偽名を名乗るしかないが、どんな名にしようか…
そうだ、
「アスカです。」
とっさにその名前が口から出た。
前世の名前をとった安直なものだが、今は十分だろう。
「あら、アスカ!いい名前ね!」
「ありがとうございます。」
そしてエリゼさんから、俺がここに至るまでの経緯を聞いた。
彼女によると、俺はこの村の近くの森の中で倒れていたらしい。
そんな俺を彼女が発見し村まで運んできたそうで、
その時の俺はひどい怪我をしていて血や土などで汚れていた。
また、とても衰弱している様子だったそうだ。
改めて自分を見てみると、体に痛いところなど一つもない。
それどころか体調はとても良かった。
おそらく、彼女のおかげなのだろう。
見知らぬ人にここまでしてくれるとは、もはや優しいというレベルではなくとんだお人好しのようだ。
しかし、借りを作ってしまったな...
どのような恩返しをするべきなのだろうか?
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次の日、俺はエリゼさんに村を案内してもらっていた。
案内されるとよく分かるのだが、
なんにもない!
畑と民家と森しかないのどかな場所だ。
そしてどこか懐かしい感じがする。
異世界に来たのなら、こんな場所でスローライフを送りたいものだ。
しかしそうはいかない。
この村もすぐに出なければならない。
しかし、出たあとに行く場所もない。
もう身寄りなんてこの世界にはないのだから。
そんなことを考えている間に村の案内が終わっていた。
エリゼさん案内全然きいてませんでした...。
すいません。
俺は心の中で謝罪した。
そんな時、俺が恐れていた事態が起きたのだった。
そう、それは...。
この国に革命が起こったことが村に伝わること。
「なんで伝わったのが分かったの?」だって?
そんなの誰でも分かるだろう。
それは新国家の軍が村に来たからだ。
この小さな村には多すぎるほどの軍隊が前国家の滅びと新国家の建国を伝えに来た。
ついでに俺のことも探すつもりだろう。
軍の人数は1000人程度で、革命のことを伝えるには多すぎるが俺のことを周辺の森までくまなく探すとすると十分な数だった。
そんなこともつゆ知らず、俺はどこかに行くのでもなく村をぶらぶらしていた。
こんなことしてる暇ないんだけどなぁ。
すると突然、目の前からエリゼさんが駆け寄ってきた。
彼女は肩で息をしながら話し始めた、この村に軍が来たことを。
そして、俺の事を探していたことも。
俺は動揺した。
いくらなんでも早すぎる。
こんな辺境の村などもっと後回しにするのが普通だ。
まるでここに俺がいることがわかっているようだ。
俺は違和感を感じた。
違和感といえば、他にも思い当たる事がまだあった。
それはあの日、
国の軍隊が奴らに壊滅させられたこと。
兵士は一般人にやられるほど弱くない。
しかし兵士は全滅した。
そして、城に攻め込んできた奴らの目だ。
俺が逃げていたからなのかもしれないが、奴らの目はまるで獲物に飢えた魔物のようだった。
誰かに操られているかのような...
まあ、俺の気のせいかもしれない。
無我夢中で逃げていたからな。
「それで、アスカさんはどうするんだい?」
「え、どうするって...。」
「まさか、あいつらのところに行くつもりじゃないでしょうね?」
「勿論、どこかに逃げるつもりです...。でも、エリゼさんはなんで私のためにこんなにしてくれるんですか?」
「それはね、あなたの顔よ。」
「顔...?」
「あなたの顔は悪人の顔じゃなくて、ただ悪人を怖がっているだけの女の子だなぁって、最初見たときから分かってたわ。だから逃げて、あなたは生きる権利があるわ。あなたはあいつらなんかに捕まっちゃだめな人よ。」
そう言って俺に一つのかばんを差し出した。
その中には、食料や短剣、少しばかりのお金などが入っていた。
「これ、あなたにあげるからどこか遠くに逃げなさい。あいつらに見つからないようなところまで。」
「でも、こんなにもらえません。」
「いいから持っていきなさい!」
彼女はそう言うと俺にかばんを押し付けた。
次の瞬間、俺の目にあいつらの姿が飛び込んできた。
新国家の兵士だ。
その時俺は覚悟を決めた。
彼女がただのお人よしだろうと、とんでもない悪人だろうと彼女を信じようと。
この体は私だけのものではないのだから。
俺は彼女に深々とお辞儀をして、走りだした。
彼女は優しい笑顔でこちらに手を振り続けていた。
「おーい、待ってくれぇ〜!」
俺が村の門に向かって走っていると、後ろから若々しいその声が聞こえた。