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英国淑女は三つ首龍に想い馳せる


 〝彼〟は闘争に囚われていた――少なくとも私にはそう思える。

 常に死と隣り合わせの戦場の中においてでさえ、彼の顔に所謂「死ぬ覚悟」は見えない。死ぬ、という結果など、彼の視界に入ってさえいないのだ。それどころか、眼前の敵をただ見据え、全生命を両手で構えた身の丈ほどの刀身のニホントウに込めて突進する。

 そうやって、彼は、屍の山を無限に築き、無限に越え続ける。不気味なほどに、狂ったような笑みを浮かべたまま……。


 2020年も残り三か月となった九月。イギリス・ロンドンで、私ことオリヴィア・ミラ・ウィンドセアリスは久々にオフを満喫していた……のだろう。

 特にこれといった予定もない。ただ家から逃げるように、ロンドンの街へと出てきただろう。斜めにかけたショルダーバッグには、携帯や財布などの必要最低限のものしかない。

「困ったわね……本当にすることがないわ……」

 私は周りを見渡しながらため息をつく。

 見たところ護衛の人達はいないみたい。……それもそうか、と私は心の中で呟く。飛び出すように家を出たのだから、今頃付近を捜索しているに違いない。

 ヴィンドセアリス家の屋敷はロンドンにどっしりと構えられている。私の父は今となっては珍しい公爵という爵位が与えられている。というのも、第二次大戦時、枢軸国の善戦によって、戦争に参加していた英国貴族は大損害を受けた。一家まとめて――という一族も少なくない。

 失い過ぎた貴族の再興のため、英国政府は国民の生活の安定化が達成し次第、軍と共に貴族の補填を始めた。

 その過程で、前線で奮闘した私の祖父に公爵となった、という訳だ。

 私はそんな裕福の象徴である屋敷を抜け出して、街中で先の事を考えている。

 ――私には、あそこは少し窮屈なのかしら?

 英国淑女として教育を受けてきたし、淑女に相応しい習慣は身に着けている。決してそれに不快感を覚えたことは無い。だとしたら、無意識のうちに拒絶したがっていたのか、何か別の要因があるのかもしれない。

 そう思いながら、私はぱあっと大英博物館などの有名な観光地を見て回りながら、一体何が私を突き動かしたのかを考える。

 しかし、そう簡単に結論とは出せないもので、気付いたらロンドンから二百十八キロほど離れたグラストンベリーへと来てしまった……。アーサー王物語などで有名で、観光客で賑わうこの地に、今日に限って誰一人として立ち寄る者はいなかった。

 何故だろうと思い、辺りを散策すると、その原因が分かった。

 一体のドラゴンが佇んでいたのだ。黒い体。太く、長い首に何列も並んだ棘には膜が張られており、どっしりと地につけた後ろ脚。関節の多い巨大な翼。そして、何より三つの首が特徴的だった。

 紅い三対の瞳が私を真っ直ぐ捉えた。恐怖はある。けれど、すぐさまここを逃げ出したくなるような程のものではない。

「……ほう、逃げないのか」

 ドラゴンの口が動く。中央の頭部だけだったが……。ドラゴンは明らかに日本語を話していた。私も小さい頃からよく日本には行っていたし、日本語も少しは話せる。

「ええ、折角ここまで来たんだもの。すぐに帰るのは勿体ないでしょ?」

「そうだな、勿体ないな」ドラゴンは片言の私の言葉に相槌を打つ。

 意思疎通ができるドラゴン、というのはしばし創作の世界で見てきたが、実際にそういうのに会うのは――いや、それ以前に本物のドラゴンに遭遇することすら驚くべきことなのだ。

「…………」

「…………」

 会話が途切れる。風が優しく吹き、草木が揺れる音だけ。金色の私の頭髪がなびく中、私はその沈黙を破る。「――普通、ドラゴンって姿を隠すものじゃないかしら?」

「人に見られて騒ぎになってはまずいから、か?」

「ええ。人智を超えた存在ですもの」

「……私はそんなに困らないな。とはいえ、先程来た彼らには悪いことをしてしまったと反省している」

 そう言って、ドラゴンは腰を起こす。翼を広げ、今まさに飛び立とうとしていた。私は反射的にこう口にした。

「――よかったら、今から私を乗せて行って欲しいの。頼めない?」

 ドラゴンは一瞬驚いていたが、すぐに余裕を取り戻す。

「まあ、別に構わないが、たった今知り合ったばかりの私に、頼むのか?」

「そうね、別に悪いドラゴンって感じはしないし、今は少しこの国を離れていたいから――」

「うん、私イギリスに旅行しに来たって言ったよね?」

「いいでしょう、別に。どうせパスポートなしの不法入国なんだから」

「飛行機が遅いのが悪い。音速だと乗客に悪影響が出るから、というのは納得できるが、遅い」

「そもそもあなたの身体じゃ入らないわよ……」

 あっ、確かに……と俯くドラゴン。だが、彼はそんな今の私たちの空気、雰囲気を気に入ったようで、私の頼みを快く引き受けてくれた。

 巨大な翼は、まるで腕が二つ連続してあるかのような印象を抱かせる構造で、それに伴って翼膜もより強靭に発達していた。翼を地面に下げ、私が背中に乗れるよう導いてくれた。

「背中の棘、痛くないか?」

「ええ、痛くないわ。ここの大きな棘、乗っている間掴まっていてもいいかしら?」

「ああ、いいぞ。落ちたら大変だしな」

「ありがとう、じゃあ、ここ借りるわね」

 私がしっかりと掴まったことを確認すると、ドラゴンは羽ばたいて、その巨体が宙へと浮き始める。大空へと翔け上がり、まずは欧州全域を上空から見たい、と我が儘を言ったけれど、

「……確かに、あんまり上からよく見たことは無かったし、いい機会だな」

 と私の無茶に付き合ってくれる。

「まずはイベリア半島の方から見てみるか」

 主に言葉を発するのは中央の頭部だが、左右の頭にも意思や感情はしっかりとあるらしく、私と同様、ヨーロッパ特有の自然と都市の融合した風景に心躍らせていた。

 イベリア半島――スペインやポルトガルから見ていく。この地域一帯は、西岸海洋性気候であるため、冬に近づくこの十一月はやや暖かい。歴史的に見れば、一時期イスラム教圏であったため、モスクなどのイスラム文化特有の建築物などが点在している。また、ポルトガルなどにも、十五世紀以降の大航海時代での建築が混在していることも特徴らしい。

 ……ちょっと高いから見えにくいけど。

 しかし、そんな文句を言っていても仕方ないのだ。

 ある程度高度を保っていないと、流石にUFOとして処理してもらえなくなる。都市伝説系の番組、あるいはネットや週刊誌の記事にUMAとして載るくらいが一番いいのだから……。それに、私がソレにまたがっているとなれば――。後を想像するのはやめておこうと思う程に、対応が複雑になる。

「――君も映っていては困るから、か?」

「……驚いたわ。あなた、心が読めるの?」

 こちらを振り向いて、「ああ」と頷くドラゴン。得意げに笑っていて、なんだか私と同世代の青年のような雰囲気を醸し出していた気がした。


 上空から見下ろす景色は壮大で、人間の矮小さを知らしめるものだった。

 人の手の届かぬ自然も、人の生み出してきた人工物も――私のこの碧眼に映る〝世界〟そのものが美しいと感じた。

 私たちはついつい忘れてしまう。確かに人間の文明の発展は、自然に害を与えるものだ。けれど、私にはどちらも美しいと思える。

 数年前、気分で学校から歩いて帰宅した時。既に日は傾いており、家の門の前から見た夕日と、それに照らされた屋敷の美しさは今でも忘れない。私のパソコンに壁紙として設定しているくらいだ。

 どちらかが絶対的に優れている、劣っている、正しい、間違っている――。そういう真理は存在しない、というのが私の持論だ。

 その持論をドラゴンに話すと、

「奇遇だな、私も同じ考えだ。……だが、少し違うかな」

「どのように違うの? 聞かせてもらえるかしら?」

「勿論だよ、レディー。それはね、〝存在するか否かはわからない〟、ということだよ」

 私はオウム返しに、

「〝存在するか否かはわからない〟……?――あっ」

 と口にして、ようやく気づいた。もしかしなくても、このドラゴンは揚げ足を取り、屁理屈や正論で相手の顔面を平手打ちするのが好きなのだろう。

「もしかしなくてもそうだよ、そうだとも。……話を戻そう。仮に絶対的なものがないのだとすれば、その凝り固まった思考も取っ払ってしまうべきかもしれない。世の中に絶対的なものがあるのか、はたまたないのか――そんなことは、我々の一生で発見するのは難しいだろうね。なんせ絶対的なものがないと、全ての事象を見てから結論付けなくてはならない」

「つまり、それを悟るには、私たち生き物の一生はあまりにも短すぎる、ということなの?」

「そういうことだ。それこそ、聖人、と言われるような人ではない限りね。悟ってみてみるまでは分からない――シュレーディンガーの猫のようなものかな?」

「確かに……答えを出すのは早いのかもしれないわね。参考にするわ」

 そう言っていると、徐々に次の国が見えてくる。フランスだ。

 私の祖国であるイギリスとは、基本友好的な関係を築いている。近代は、の話だが……。当然かの国とは敵対したこともあった。歴史的に見れば百年戦争が代表的なものだろう。

 だからと言って、そんな過去の歴史で――それも中世や近世の時代のことで、私のフランスに対するイメージが悪くなるわけでは決してない。公爵令嬢として外国へ赴く機会は多くあった。その中で、現地の国民によくしてもらった、という経験はごまんとある。

 だから、この国は好きだし、フランス語も勉強してきた。

「――だから、私、結構いろんな国の言葉がしゃべれるの」

「バイリンガル、というやつか」

「あなたは日本語以外に話せる言葉とかは? ……というか、私、あなたの事全然知らないのね。日本生まれのドラゴンなんて、ヤマタノオロチくらいしかしらないわ。頭も八つじゃなくて三つだし」

「だろうな。スラブ文化や古代ペルシャあたりなら、そういう話はある。だが、日本には三つ首龍の伝承はない。だが、君の心を読んでいけば、こう言えば十分じゃないかな。――君の祖父と、私の祖父は出会っているよ」

「――ってことは、あなた……」

 私はここで、祖父の話の続きを思い出した。


 それは、ある一人の、イカれた男の話。

 第二次大戦で、日本のシキカと呼ばれる特務機関が名を馳せた。怪物並みの力を持ち、一度戦場に投入されれば、戦線は崩壊。防衛戦すらまともに行うこともできない……。

 その化け物じみた兵士たちの活躍の結果、大日本帝国は連合軍との対等な和平交渉を進め、1947年11月13日に正式に終戦となった。

 無論大英帝国もシキカに――一杯食わされるどころでは済まない――損害を与えられていた。ドイツ経由によるブリテン島上陸によって、ノルマンディー上陸作戦でドイツ軍に大打撃を与えたイギリス軍に痛手を負わせた。軍人や貴族を中心に、イギリス軍に死を恐れず突撃してくる日本人に、私の祖父は相当な恐怖を覚えたと語っていた。


 中でも、クロノミヤ、という男は、禁忌であるとも……。

「朝鮮半島から中華民国、イラク……と陸路で進んでくる兵士が一人」

 その報告を聞いた時、祖父だけでなく、司令室にいた者は戦慄した。決して眠りにつくことは無く、絶えず後に続く者たちのために道を切り開き続けた男がいる――そんな報告を聞けば、私だって度肝を抜かす。いや、驚かない人間などいるのだろうか?

 ただ一人で遮二無二突っ込んでくるクロノミヤは、もう数時間で大英帝国に到着する、という予測に私の祖父は質問した。至極当たり前な質問を。

「一体どうやって海を越えてくるのだ? 船もないのに――」

 口にして、ようやく祖父は気づいた。はっと見開いた祖父に、作戦指揮官は頷いた。「おそらく公爵閣下のご推察の通りです。現在イギリス海峡を航行中の艦隊を飛び越えてくると……」

「馬鹿な……まさか、あり得ない――」

「しかし、ここまでの数週間、件の兵士はひたすら前進しています。それも不眠不休で、です。我々の予想を超えてくる……それくらい考慮せねば、気付いた時には我が国は――」

 その後、司令官の推測通りにクロノミヤは海上の艦隊を飛び越えながら、ブリテン島に上陸した。

 手に持ったカタナを横に振っただけで、建物は薙ぎ払われていく。

 ただでさえ、敵地の中心に単騎突撃というのは気が狂っているとしか言いようのない愚策、自殺行為だ。家屋も、基地も、あらゆるものを薙ぎ、何百発もの弾丸を浴びても尚、彼はその足を止めなかったという。

 数日間による「本土防衛戦」という前代未聞の激戦の末に、イギリス軍兵士たちの疲弊の隙をついて、スエズ運河を攻略した日本艦隊と合流。クロノミヤはブリテン島を後にした。


 ドラゴンは、その紅い瞳で私の目を見て、自分の名を名乗った。

「そうだ。私が――いや、俺が第百八十九代目黒ノ宮大蛇だ。……どうだ? 俺が英国を半壊させた男の孫だと知っても、いや、それ以前に俺も俺で、散々手を汚してきている。戦争から戦争へ。世界が平和であろうが、闘争の最中にあろうが、自分の生まれ故に愉しめてしまう。なら、君は俺を憎まずには――」

 直後、私の頭の中に何かが流れ込んでくる。

 笑顔の絶えない青年が――、体中が何十発、何百発もの弾丸を撃ち込まれた青年が、戦場を駆けまわり、敵地へ突っ込んでいく。ニホントウを両手にしっかりと握り、地面を蹴り上げて、敵陣のど真ん中へと突撃していく。

 ――もっとだ……もっと! もっとだ!

 青年が叫ぶ。闘争本能がむき出しになった瞳。確かにそこには狂気があり、余程の強者でない限り、こんな真似はしない。

 だからこそ、彼はきっと、祖父の語っていた剣士の孫なのだろう。

 そこに来て、私はようやく前線に立った兵士たちの恐怖を知った。不老不死とすら思わせる、人智を完全に超越した存在を前に、諦めないはずはないのだ。

 ――だとしても、私はここで、彼の発言を首肯するわけにはいかない。たとえ彼が、彼の敵を根絶やしにしているのだとしても。たとえ彼が、闘争に愉悦を覚える異常者だとしても。

 私の脳裏にある彼は友好的に接してくれたドラゴン。

 人は相手の第一印象に囚われやすいという。また、それが払拭されるまで数か月かかるという話もある。

 だから、私は囚われよう。その第一印象に。

「――いられるわ。勿論、いられるわよ!」

 私の心を読める、というのは、存外メリットだけではないらしい。

 彼への言葉、彼への決意。そしてその理由――。全てを見通したドラゴンは、黒ノ宮源焉は、目を閉じて、

「……うん、試すような真似をしてすみませんでした」

 と、謝罪の言葉を口にした。

「いいわよ。心読んだんならわかるでしょう。過去は敵でしたが、今は同盟国。簡単に水に流せることではお互いないとわかっている。それだけで十分じゃない。世界の真理を探求するには短い一生だけど、両国の友好を目指して粉骨砕身するには、それほど短くないのよ? それに、あなたがどんなことをしてきたのかも知らない。気にするだけ無駄なのよ」

「そうか……そうだな。気にするだけ無駄、と言われたのは初めてだが……。今度こちらに来る時は、是非黒ノ宮の一族として視察に来るかな」

「ええ、そうして頂戴。イギリスに来てくれれば、このオリヴィア・ミラ・ヴィンドセアリスが最大限のもてなしをするわ」

「それはありがたい話だ。ならば、君が日本に来た時は、ぜひとも日本文化を体験してもらおう。無論、黒ノ宮の名にも、君たちヴィンドセアリスの名にも恥じぬもてなしをさせてもらう」

 私たちは二人そろって口元を緩ませる。とてもとても、初めて会ったようには思えないのはどうしてだろう――。

 私は再び、祖父の体験談を回想する。

 件の彼、クロノミヤは去り際に、電文でこんなことを伝えたという。


 いずれ三つの悪夢が世界を獲る。八つの山、八つの谷を越えて尚、飽き足らず、いずれは玉座に手をかけるだろう。我が一族の本懐に、十二万年の時をかけ……。その日まで健やかなる時をすごさんことを。

大日本帝国宰相兼色家総帥・黒ノ宮高志之八岐大蛇


 その文章を見て、祖父たちは困惑した。話を聞いた時、私も当然だと思った。いきなり何を、何の意図を持って伝えてきたのか。その疑問を解決したいと思っていても、解決するための情報量が少なすぎる。

 そもそも色家とは、黒ノ宮とは――?

 フランス・パリの陥落、スエズ運河の攻略、中国共産党とソビエト・ロシアの分裂……。

 決定打になったアメリカへの黒ノ宮大蛇の単騎特攻。イギリスの時と同じように、大損害を出したのだ。そうした過程を経て、連合国も、枢軸国も、最早まともに戦争を続けるだけの国力がなくなったため、和平交渉へと踏み切ることとなった。

 以降、国際法に基づき、国連安保理常任理事国の承諾がない限り、色家は戦場への参戦を禁ぜられることとなった。アメリカの開発した原爆とは異なり、一瞬で何もかも塵にしてしまうものでもなければ、放射能による二次被害が深刻なわけでもない。しかし、一旦戦場へ投入されれば、彼らを止める術はない。彼らに敵う存在はいない。

 終戦から七十年以上経った現在でも、その影響力は言うまでもなかった。

 祖父は終戦後、百八十七代目の黒ノ宮大蛇と会談する機会があり、そこで親友になったという。執務は息子から孫の源焉に任せつつあり、あと数年もすれば立派な次期色家総帥になるだろう、とのことだった。


 今、私の目の前にはその次期総帥がいる。大翼を広げ、私と共にヨーロッパの国々を眺めている。

 祖父の話に、おとぎ話とも言えるような、そんな話に出てくる伝説の剣士の子孫が――その彼が存在しているという事実に、私は驚いた。別に戦士になりたいわけでもなかったため、憧れてはいなかった。

 おとぎ話ではなかったらしい。その実感がふつふつと湧いてくる。

「オリヴィア、君のおじいさんに言伝が一つ出来た。私の祖父が世話になっています、これからもどうぞよろしくしてやってください、ってね」

「随分フランクに接しているみたいね」

「まあ、別に堅苦しいこととかないしな。由緒正しき名家、みたいなことは耳に胼胝ができる程聞いてきたが、そんな前時代的な悪癖は祖父と父の代で完全に取り除いてしまってな。使用人たちとも仲良くやれてるから、結果的にはすごく楽しいとも」

「いいわね、そういう生活も」

 そうして話しているうちに、私たちは孤島にやってきていた。

 視界に入ってくる景色を受けて、私たちは関連する話に花を咲かせ、気付いたら既にヨーロッパ全土を見尽くしていた。

 孤島、と言っても、何もない秘境という訳ではない。巨大な城がどっしりと建てられており、ドラゴン――もとい、源焉はそこへと着陸する。

「もう、こっちではこんな時間なの……」

 時計を確認すれば、時差は大体六時間ほど。こちらでの時刻はおそらく十二時前後。おそらくイギリスの方でも、そろそろ日が傾いている頃だろう。

 空を見上げると、月が見える。辺りには明かり一つなく、満点の星空が広がっていた。こういう景色はそうそう見たことがない。ネットやテレビで目にすることはあっても、肉眼で見るのはいつ以来だろうか……。

「――気晴らしによく来るんだ」いつの間にか青年の姿へと変化した源焉は、そう切り出した。

 私の隣に彼は立っていたが、二メートルはあろうかという身長で、私との差は約三十センチほど。威圧感がすさまじく、黒く、長い頭髪を三つ編みにしていた。

「オリヴィア、どうして今日グラストンベリーへ来たんだ? それに、どうして初対面の俺にあれほどの距離感の近さだったんだ?」

「それは……」私は言葉を詰まらせる。

 ただなるべく家の者に見つからないように、なるべく家から離れられるように……長く、遠く――。

 それだけだったのだ。ここまで何も聞かずに、いろんなところへ飛んでくれた源焉に甘えていたのだろう。公爵令嬢とか、英国淑女とか、それ以前に人として非常識極まりない行為だっただろう。

 ここにきて、私は口にできなかった。もしかしたら、もう彼には見破られているかもしれない。だからこそ、余計口にするのが、思いを言葉にするのがはばかられた。「……言わなきゃ、ダメ、かしら?」

「ああ。本来なら言ってくれるまで待ちたいところだが、やっぱりちゃんと聞いておかなくちゃいけないこともある。これから、いい友人として付き合っていくんだから」

「――ッ!」驚きと嬉しさで私は彼を見る。実年齢よりも少し幼い、そんな屈託のない笑みがそこにはあって、でもそれは、月には不似合いだった。

「そうね。言わなきゃダメよね……これ以上はしたない真似はできないわ!」

 公務上、守秘義務のあるものは言えなかったが、私は伝えられる限りのことを伝えた。

 公爵の地位を父が世襲した後、財産や地位目当てで私に求婚してくる男性貴族。誰も私を〝私〟として見てくれた人はいなかった。学校に通っていても、いつもそんな目で、誰も気を遣ってしまって、深い関係にまではなれなかった。

 まるで私が「貴族」という、一般の人々との壁、あるいは柵や檻に囚われているような気分だった。

「――それで、耐えきれなくなってオフで思う存分遊んでやろう、と思ったわけだ」

「その通りよ。だから、ごめんなさい。初対面なのに、あなたの心遣いに甘えてしまって……」

「――オリヴィア、楽しかったか? 今日の旅は?」源焉は、脈絡もないことを言い出す。あまりにも唐突だったから、頭が真っ白になったけれど、それでも言うべきことは無意識で分かっていたみたい。「ええ。とても楽しかったわ。それはもう、とても」

「なら、構わない。君が悩む必要もなくなったな。俺はもともと気晴らしがしたくてイギリスに行ったんだ。むしろ、オリヴィアと旅をしていてよかったな、話し相手ができてよかったよ。海外の友人だなんて、そうそう出来るものでもないし」

「……そう? あ、あなたが構わないなら私は本当に気にしないわよ?」

「ああ、是非そうしてくれ」

 しばらく私たちは、言葉を交わさず、月を眺めていた。気を楽にしていられたのは、やっぱり今日一日楽しかったからだろう。楽しかったから、一日の流れがいつも以上に早く感じる。

「さて、そろそろ帰るか。オリヴィアの親御さんも心配しているだろうしな」

「そうね。行きましょうか。……今度はここで一日中本を読んだり、城内を見物してみたいわ」

「いいな、それ。楽しそうじゃないか」ドラゴンの姿へと戻り、再び羽ばたいて源焉は離陸する。そこからはイギリスの私の屋敷まで――私が案内して――一直線に向かう。


 屋敷の庭に降りる時、私の祖父や父が出迎えてくれた。

 祖父は源焉の方を見る。「三つの首のドラゴン……。お主がアイツの孫か?」

「ええ、祖父が毎度お世話になっているようで……。祖父の代わりに、お礼を」

「いやいや、気にするでない。ミスター・ゲンエン、彼は元気かね?」髭に手を添えながら、祖父は訊く。

「まだまだ現役ですよ。これからも祖父と仲良くしてあげてください」

 彼はドラゴンの姿のまま、私の方へ向く。「オリヴィアに託した伝言、俺が直接言ってしまったな」

「いいんじゃないかしら? あなたがすぐに帰って、私が伝える、というのも少し変な話でしょう?」

「それもそうだな」

 ただ一言、ふっと笑みをこぼしながらそう言った。

 彼は翼を羽ばたかせ、飛ぶ準備をしている。左脚、右脚……と助走をつける。

「それじゃあ、オリヴィア。またいつか会える日を楽しみにしているよ」

 と言い残して、飛び去ってしまった。

「ええ、それじゃあ、また」と私は彼の背中に言った。

 姿が見えなくなってしまっても、彼の飛び去った空へ、しっかりと私は「ありがとう」と伝えられた。きっと彼の耳には届いただろう。そうでなくとも、太平洋上の立派なお城からの帰路の中で、きっと彼は私の心を読んでいただろうから、多分彼の心には伝わっていると思う。

 そうであっても、そうでなくても、次会う時には、私はきっと、直接伝えると思う。初対面とは思えないほどの、私と彼との雰囲気も、彼といると公務で張り詰めた私の心が休まるのも、きっと何か理由があるのかもしれない。

 私の彼への印象を思い返してみるのならば、いささか電文に違和感が残る。彼は本当に「悪夢」と形容されるべき存在なのだろうか?

 それとも、別の見方からすれば「悪夢」なのだとうか?

 世の中には分からないことだらけで、それを考え尽くすには、人生は短すぎる。だとしたら、彼と再会するまで、私の仮説は一体幾つ増えているのかしら……?

 私の予想に耳を傾け、驚き、納得する源焉の顔を見てみたくなってしまう。

 彼と別れた後にも拘らず、私はその「次の機会」を心待ちにしていた。


 ちゃんと一次創作したことはたぶん初めてだと思うんです。

 はじめまして、むみょう・あーすと申します。どこかで出会ったことがある方も、もしかしたらいるかもしれません。

 なるべく「オリヴィアの不思議な体験」という部分に重きを置きたくて、一話完結を意識しながらも黒ノ宮家関連の謎などは詰め込まずに書きました。

 生々しいこと言ってしまうと「一話完結を目指してといいながらいつでも続きをかけるように」という理由です。申し訳ない。

 それでは。



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