表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

コロナで恋をして

作者: 河杜隆楽

「今日もいい天気ですね」


 なんてつまらないことを言うんだ。パソコンに向かっている最中、聞こえてきた声にイラっとしてしまう。僕はせわしなく動かしていたマウスを止めて、返事の代わりに、彼女に資料を渡した。


「目黒さん。次、こっちやって下さい」

「はい」


 目黒カオリがコツコツと歩く音が、人気の少ない部屋に響く。近づいてきた彼女は、僕の手から資料を受け取った。僕はさっさと視線をパソコンに戻し、彼女に指示を出す。


「そのリストの人に、さっきの資料を送信してください。パスワードも忘れないように」

「分かりました」


 マスクの奥から感情の分からない声を交わす。普段通りなら聞こえづらいその声も、今日の静かな事務所ではよく聞こえる。


『家で仕事をしましょう』


 という標語が壁に張り出されると同時に、この会社は大半のメンバーを在宅勤務に切り替えた。緊急事態宣言が出された日に、世間の流れに遅れないようにと、社長の鶴の一声で決まったのだ。「社員の健康が第一」と演説していたが、怪しいもんだ。

 だけど、そんな急に切り替わっても、システムが追い付いていない。結局のところ、僕たち事務職が交代交代で会社に出て、在宅勤務の環境づくりをしなければならない。今日も機械音痴の諸先輩方のために『WEB会議のやり方』と題した資料を送る羽目になっている。

 こんな状態で、外の天気なんか気にするわけがないだろう。ましてや、コロナウイルスで自粛ムードの中、天気が良かろうと悪かろうと、家にいなければならない。

 不意にこみ上げてきた苛立(いらだ)ちに追い打ちをかけるように、目黒カオリがまた声をかけてきた。


「コロナ、早く収まってほしいですね」


 当たり前のことを言うな。僕は資料ファイルを適当な文章と共に、お偉いさん方に送りつける。誰に見せるわけでもない、化粧をマスクの下にばっちり決める彼女の無神経な発言に、僕はため息をついた。それと同時に、はたと気づく。


「しまった。社長に送ってなかったよ……」


 ――*――


 テレビの中で、つまらない番組が流れる。昔の映像を切り貼りした総集編か。世間に怯えた共演者が不自然な距離を取るバラエティーか。自粛していない人を非難して、見せしめに晒すニュース番組か。疲れた僕は自宅の居間で、チャンネルを何度も変えては、呆然(ぼうぜん)と映像を見るしかなかった。

 どこかへ遊びに行こうにも、店は閉まっている。目の前にはコンビニで買った弁当。薄い透明なシート越しに、マスクをした無表情の店員から買った。あのシートでコロナウイルスは本当に防げるのだろうか。たぶん、あの店員も首を傾げていることだろう。

 コロナウイルスが僕たちを閉じ込めている。息苦しさをふと感じた。


『皆さん、今が頑張り時です』


 テレビの中で、出演者が与えられたセリフを読んでいる。マスクをしながら微笑む女性タレントの顔を見るのを最後に、僕はテレビを消した。そして味気ない飯を食べきり、弁当のカラをゴミ箱に捨てた。

 僕はこれから、さっさと風呂に入り、いつもより早く寝るのだろう。しょうがない、しょうがないと呟きながら。


(今日はどんな天気だっただろうか)


 今日は空を見ていないことに気付く。そういえば、目黒カオリが「いい天気」と言っていたっけ。でも、僕にとっては「いい天気」ではなかったような気がした。


 ――*――


 そんな生活だからこそ、週一回でも出勤出来るのはありがたかった。自宅で悶々(もんもん)とするよりも、生活にメリハリが出る。スーツやネクタイをこんなに気持ちよく着ることが出来るのは、初めてのことだ。

 しかしながら、仕事であることは変わらない。


「はい、はい、すみません……」


 電話の向こうからグチグチと海老原課長の説教が聞こえてくる。僕が送ったメールの文面に間違いを見つけたという。その指摘だけならいいのだが、この人の場合、精神論にまで発展するから、困りものだ。


「また海老原課長ですか」


 と目黒カオリが二つ隣りの机から声をかけてきた。マスクの下に苦笑いを浮かべている。僕も困った表情をした。


「そうなんだよ。相変わらず細かいんだから……おっと」


 携帯が鳴る。画面には『海老原課長』と表示されていた。


「また来た」

「きっと、高橋さんとお喋りしたいだけなんですよ」


 僕はため息をついて電話に出る。またクドクドと説教が始まった。

 その電話の内容を聞き流しながら、もしかして本当に会話したいだけなのかと思った。だとしたら、どうか別の人にしてもらいたい。おっさんの暇つぶし道具じゃないのだ、僕は。

 それだったら、僕も他の人と会話したい。今年入社した可愛らしい望月くんや、社長も気に入っている白鳥さんとか、彼女たちと会話したい。というか、久しぶりに会いたい。彼女たちのキレイな姿で目の保養をしたい……。


『おい、聞いているのか』


 海老原課長の声に、現実に引き戻される。僕は慌てて謝ると、海老原課長は壊れたWEB動画のように、また一から説教を繰り返す。


「頑張ってください」


 僕が振り向くと、目黒カオリが微笑みかけてきた。最近では、同じ出勤シフトの彼女としか会っていないし、話をしていない。これが望月くんや白鳥さんだったら、もっとやる気が出るのになあ。

 でも、仕方のないことだ。それに、彼女も案外優しいし、知識も豊富だ。少しミスはするけど、誠実に仕事をしてる。会話相手としてはちょうどいい。

 そんなことを思っている間に、やっと海老原課長の通話が終わる。僕がほっと一息ついた時、コトリと机にコップが置かれた。


「大変でしたね。お茶、どうぞ」

「ああ、ありがとう」


 ありがたく、そのお茶を貰う。四月とはいえ、外はまだ寒い。温かいお茶が体を癒してくれた。意外と気が利く。

 もう一度感謝を伝えようと、彼女の席に顔を向けた。彼女はパソコンに向かって、真剣な表情で仕事に取り組んでいた。

 僕は不意に、マスクの上に見える彼女の黒い瞳に、視線が吸い寄せられる。


(綺麗な目をしているんだな)


 ――*――


 いつまで続くのだろうか。日本中、いや、世界中がこの日常にうんざりしているのを感じる。同期の営業の若松が電話越しに愚痴(ぐち)る。


『濃厚接触はダメだから、お客さんとまともに打ち合わせも出来ない。こんな中でも仕事取ってこい、だぜ。やになっちまうよ。そのやり方を教えてくれって』


 その話を聞きながら、その指示を出す上司の苦労も分かった。誰もやり方なんて知らないのだ。こんな事態に誰も直面したことがない。目を瞑って生活するようなものだ。それが分かっているからこそ、若松も愚痴(ぐち)るしかないのだろう。

 僕たちの仕事は相変わらず忙しい。全員、パソコンやスマホで仕事をするから、マシントラブルが相次ぐ。それでも仕事をしないといけないから、僕たちに「何とかしろ」とヘルプがひっきりなしに来る。そのおかげで、僕はこの数週間で随分とパソコンなどに詳しくなった。

 今日も黒田部長の「このファイルが大きすぎてお客さんに送れない。どうしたらいい」という面倒な質問に答え終わり、やっと休憩に入ることが出来た。給湯室に逃げ込むと、そこには目黒さんがいた。


「高橋さんも休憩ですか」

「うん。やっとね」

「じゃあ、お茶を入れますね。そこにお茶菓子もありますよ」


 確かに、ポットの隣には金属の箱に入ったクッキーが入っていた。いびつな形をしてる。


「家でヒマなんで、作っちゃったんです。良かったらどうぞ」

「へえ」


 僕は遠慮なく、マスクをずらして、一個つまんで口に運ぶ。目黒さんの視線を感じる。モグモグと咀嚼(そしゃく)すると、バターの風味が程よく広がってきた。


「うまい」

「よかった! 作るの久しぶりだったんで、結構時間かかっちゃったんですよね」


 目黒さんもマスクをずらしてクッキーを食べる。お客さんにも上司にも会わないのに、今日もメイクをしっかりとしている。几帳面な人だなあ。


「コロナが収まったら、何がしたいですか?」

「え?」


 急に聞かれて、変な声が出た。そういえば考えていない。この日常が続くものだと思って、考えないようにしていたのかもしれない。

 答えが出ない僕は逆に尋ねると、彼女は遠い目をして答える。


「私、山登りが好きなんですよ」


 自然を感じながら、友だちと会話して、ゆっくりと登るのが好きだと言う。インドアな僕には縁のない趣味だ。高校生以来、山に近づいたこともない。

 そう言うと、彼女は僕の目を真っすぐ見てきた。


「今度、一緒に登りましょうよ」

「いいよ、僕は」

「いいじゃないですか。外で遊べるようになったら、せっかくですから」


 彼女に目を覗きこまれる。ドギマギとして、思わず頷いてしまった。


「じゃあ、約束ですよ」


 と言って彼女は、クッキーの箱に蓋を被せて、それを持って給湯室を出てしまった。彼女の香水の残り香を感じる。僕は頭をかいた。


「こういうのは一番嫌いなんだよ……」


 無理に誘われることは嫌いだ。疲れるだけで、ろくな目に会わない。経験上知っている。

 でも、この時だけは、不思議と僕の頬はほころんでいた。その理由は、何となく気が付いている。


 ――*――


『こんなのも良いですね』


 モニターに映るカオリが微笑む。お酒を片手にくつろぐ彼女は部屋着を着ている。朱がさした頬が色っぽく見えた。

 僕は彼女の顔から視線を外すことなく、自分のお酒を口に運ぶ。


「オンライン飲み会も馬鹿にできないな」


 僕の言葉に、カオリはまた微笑む。マスクをしていない彼女はもっと魅力的だ。手を伸ばしそうになるが、その度に相手が遠く離れていることに気付く。


「本当は近くで飲みたいけどね」

『じゃあ、それも〔やりたいことリスト〕に入れておきましょう』


 僕たちは色々な約束をした。コロナが収まったら何をしようか。お互いに挙げていき、頭の中で記憶しているリストを更新していく。

 二人で山登りをしよう。二人で遊園地に行こう。二人で買い物しよう。二人で食事をしよう。二人で映画を観よう。二人で……。

 いい加減覚えきれなくなってきた。それでもいいのだ。思い出した時にやればいい。コロナが収まったら、何でも出来るはずだ。


『やりたいことがありすぎて、困っちゃいますね』


 と言いながら笑うカオリの細くなった目や唇に、僕の視線はまた吸い寄せられる。僕はつまらないことを言う。


「早くコロナが収まったらいいね」

『そうですね』


 僕たちは笑い合う。モニターを挟んで、夢を語り合う。

 コロナは僕たちの生活をめちゃくちゃにした。僕たちの足に枷を付け、僕たちの心に黒いペンキを塗ろうとした。

 そんな中でも、僕たちは希望を持つことが出来る。愛を育むことが出来る。空が黒い雲に覆われていても、人はその向こうにある澄み切った青色を感じることが出来るのだ。

 僕たちはコロナに負けない。僕たちの魂は自由なのだから。

この現状を表現したいと思い、書いた作品です。

コロナウイルスが収束するまで、みんなで頑張りましょう!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 苦しい状況下で生まれる希望……。 いいなぁ。(*^-^*) ……と、思いました。
[良い点] 素直に時事ネタでさくっと書いちゃうところ。 思わずあーってなっちゃうところ。
[良い点] 重苦しい現状。 先の見えない不安。 そんな中にある日常の中で、少しづつ思いが変化して、想いになり恋心になる様子がとても自然で作品から目が離せませんでした。 どんな状況下にあっても、恋は生ま…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ