第42話「献身」
光も届かない牢獄で手首を鎖につながれたまま兄弟を殺した男に身体を好き勝手弄ばれている。
男の舌が私の身体を這いずるたびに、意思に逆らって屈服の声を上げてしまう屈辱ーー
そして男は荒い鼻息で、私に顔をうずめるのだ。
「できたぞ。従属の紋様だ。これでお前もダチの能力で強化された」
そういってイナバと名乗るこの男は私の胸にタトゥーを刻んだ。
「なぁ先生ーー、いやモコといったか、この力がどんなものか見せてやる」
そう言って男が手を翳すと宙に大きな紋章が浮かび上がる。
妖術のたぐいなのだろうか、紋章の真ん中にはまるで、そこにあるかのように森の中が広がる。
訳が分からず、いったい何を見せられているのか理解が追いつかなかい。
しかし戦っている獣人の姿が見えた瞬間、ハッとさせられた。
それはロノ兄ィとペレ、ノアといった弟たち、殺されたはずの兄弟が戦っている光景だった。
そして戦っている相手は魔王様ーー
「右条の野郎イキリ散らしやがって」
と、男は紋章を睨みつけながら唾を吐く。
***
魔王様はお仲間のオッド様を巨大な盾に変化させて兄弟たちの攻撃を防いでいるご様子。
「クライム、このまま何もせずでありますか?」
「すまない。頭を冷やさせてくれ。どうにかなっちまいそうだ」
魔王様は険しい表情を手で覆い、兄弟たちの攻撃を防戦一方のまま耐え続けられる。
***
「いったいどうなっているの」と、すぐさま男に問いかけた。
「これこそが阿久津の力だ」
男はそう言って胸のタトゥーを指差す。
よく見れば兄弟たちや、リザードマンと戦う人間たちの身体にも私と同じタトゥーが刻まれている。
「この従属の紋様があれば、ただの人間さえもこの阿久津の力で身体能力がとびっきり強化されて戦える。
例えば片手で剣を一振りするだけで相手を鎧ごと胴体を真っ二つにできる。すごくないか?」
たしかに非力なはずの人間が、硬い表皮に覆われたリザードマンの首を一撃で斬り落とした光景には驚かされた。
獣人ですらそんな芸当はできない。
「まぁ、だけどその能力にも悩みがあってだな⋯⋯」
男がそう言って視線を向けた人物が、アクツという者であろうか。
その人物のところに人間が何やらを伝えに駆け寄って来る。
『アクツ様、リザードマンの表皮が硬すぎて、戦った兵たちが腕が折れたと次々に離脱しています』
『チッまたか、人間はいっくら強化してやっても、強度まで上がるわけじゃないからすぐ壊れて使い物にならなくなる』
なるほどリザードマンを超える強さを得た人間にはその代償は大きいわけか。
「これが阿久津の力の欠点だ。阿久津の能力を使った人間は使い捨て同然だ。だから俺は考えたんだよ。壊れても戦えるようにすればいいって」
アクツはニヤリと表情を変えて答える。
『”麻酔”ってわかるか? 』
『は?』
『稲葉が作った痛覚を鈍化させる毒をお前たちの食事に混ぜて与えてやった。そいつらは痛いと喚いたか?』
『いいえ⋯⋯不思議と痛みは無く。ですが武器が握れずに思うように戦えないと⋯⋯』
『だったら戦えるじゃん! 喜べよ成功だ。お前たちの身体は骨が折れようが、腕が捥げようが内臓ひとつ潰れようが死のうが、
5体のどれかがひとつでも残っていれば痛みもなく戦えるようになったんだぜ。そいつらに伝えろよ。武器が無くたってお前たちは死んでも戦えるから安心しろって』
そして男も私の身体を舐め回すように見ながら答える。
「それに比べても亜人てすげぇな。こんなに阿久津が酷使してやっているのにまだ人の形を保っていやがる。
長持ちするっていいねぇ。おまけに死んでるから泣き言も言わないときた」
私にこのタトゥーが刻まれた意味をはじめて理解した。
「お前たちの操り人形にするために私を! 兄弟を!この外道!」
男は無理矢理、顎を鷲掴みにして口を塞ぐ。
「むぐぅッ⋯⋯」
「黙っていろよ。先生は俺の道具としてそばに置いてやるんだから安心してろ」
男は刻まれた紋章を見せつけるように舌を出しておどけてみせた。
***
つくづくだぜ。俺はこのモコって女を顔を眺めるたびにどうかしちまいたくなる。
心のざわつきが治まらねぇ。
すべてはこの獣女が先生に似ているせいだ。
イラつくことを思い出させてくれる。
***
香津涼花先生ーー
この人が俺の担任にだったのは中学一年のときだった。
俺は先生の授業のときだけはなぜか頭がボーっとしていた。
国語の教科書を読む先生に聞きいっていると自然と意識が遠くなった。
しばらく経つと「稲葉君⋯⋯稲葉君⋯⋯稲葉君」と、遠くから声が聞こえてきて
最後は決まって頭を小突かれた衝撃で覚醒する。
ハッとすると目の前にはしかめっ面の先生の顔がある。
「稲葉君、今のところ聞いてた?」
「はい⋯⋯」
そして教室中に笑い声が響く。
この頃の俺は背がまだ伸びてなくて列の先頭にいたし、声変わりも遅れてて
女子たちからはショタ扱いされてイジられていた。
先生は俺への注意が済むと必ず教科書で小突いた部分を撫でてから教壇に戻っていった。
このころの国語の成績は抜群に良かった。
***
それは塾の帰りだ。
その日は塾の終わりが遅くなったので電車に乗り遅れないように、近寄るなと言われていた飲み屋街の通りを近道として使った。
すると裏路地に入って行く先生の姿を見かけた。
学校以外で先生を見かけたのは初めてだ。
普段以上に”ドクン“という心臓の音が大きくなる。
何を期待していたのだろうか、挨拶しようと先生のあとを追いかけた。
「先生! 香津先生!」
走って裏路地の角を曲がると目の前に飛び込んできたのは先生が教頭と一緒にホテルへ入って行く姿だった。
「⁉︎ どうして⋯⋯教頭って奥さんとか子供いたよな⋯⋯」
気づけばスマホを手にとってカメラを連写していた。
悔しかった⋯⋯
裏切られたという気持ちが俺の中で次第に大きくなっていく。
気づけば先生の顔だけを隠すように加工した写真が出来上がっていた。
そしてこの写真が学校中に拡散するのに時間はかからなかった。
***
どうして⋯⋯
この憎いはずのイナバという男の顔が、下の子に意地悪をしてロイズ兄ィに叱られたときに弟たちがするような顔に見えてくる。
気づけば弟たちにしてやったように自然と男の頭を撫でていた。
「イナバ⋯⋯」
***
鎖を外してやってすぐにこの獣女が俺の頭を撫できたのは意外だった。
こいつの予想外の行動のせいであの日のことを思い出しちまう⋯⋯
俺は放課後しばらく教室にひとりでいた。
夕陽も落ちかけてきて徐々に暗くなってきた。
階段を上がる靴音ーー
先生はすぐに俺が残っていることに気づいた。
その時も静かに先生は後ろから俺の頭を撫でてくれた。
「稲葉君。何かあったの?」
***
「どうしたイキリ右条! 何もしないままジッとしているつもりか!
拍子抜けだぜ!何かしてこいよ! ヘタレ!」
「さっきから金魚のフンがうるさいな」
「ああ? なんか言ったか右条!」
「なぁ、阿久津。お前はお前自身の力で何かをしたことがあるのか?」
「はぁ?」
「お前は稲葉や鷲御門、陽宝院のような強い奴にただ乗っかってきただけだろ」
「それがなんだ」
「なのにお前は自分がカースト上位だと思い上がっていた」
「!」
「調子づいた態度で、佐倉先生や女子たちにも気安く話しかけていたけど、みんな寒いと思ってたぜ」
「黙れ⋯⋯」
「気づかなかったか? 女子たちは苦笑いうかべながら無理して合わせてやっていたことに」
「黙れ⋯⋯」
「陽キャを装ってもその下から溢れ出るお前の違和感がみんなに嫌悪感しか与えなかった」
「黙れ」
「カースト上位を気取って、下を見下ろしているつもりだったんだろうけど、見下ろされていたのはお前だ」
「黙れ! ーーだからお前はうぜぇ! ぼっちじゃなければ勝ちだ! 上のやつに乗っかってでもぼっちにならずいられたらそれで勝ちなんだよ!」
「だから、お前は薄っぺらいんだ」
「ぼっちの3年間ほど地獄はない。だから俺は高校デビューにかけたんだ! とりあえず陽キャ演じてればクラスでは浮かない。なんとなく上位であることを醸し出せる。
それの何が悪い!」
「違う。お前のは悪目立ちだ」
「右条ォーッ!」
「シールド・イージス。装甲展開!」
盾中心部の6つの六角形のパネルが展開して、青白く収束するエネルギーを露わにする。
「オッドが変身した盾には受けたダメージを吸収してそれを反動とすることができる。さらばだ、ロイズ、ロノ、ペレ、ノア⋯⋯ケモミミ族の兄弟たち」
放たれたエネルギーがケモミミ族と阿久津の兵士たちを飲み込む。
「これで苦しむことなく葬ってあげられた」
***
俺はおそるおそる先生にスマホの写真を見せた。
このときはこれが正しいと思った。
見せれば先生が自分の間違いに気づいて戻ってきてくれると本気で考えていたーー
するとさっきまで俺の頭を撫でていた先生の手がピタリと止まり、急に俺の髪を鷲掴みにした。
「⁉︎」
「お前だったのか? お前のせいで⋯⋯お前のせいで私の幸せは無くなった。あの人も校長への出世が無くなってこの学校に居られなくなった」
「先生⋯⋯」
涙目になりながら、おそるおそる後ろを振り向くと穏やかだったはずの先生の顔は殺意に満ちた形相に変わっていた。
そして今も先生によく似た獣女は、先生と同じ殺意に満ちた形相で俺の口に手を突っ込んできた。
「「お前だけは許さない!」」
***
魔王様が兄弟たちの仇をお取りになられた。
私も仇に弄ばれているままではいけない⋯⋯
たしかこの男の舌には紋章があった。
もしかしたらそれがこの男の急所?
しかしこの男にはロイズ兄ィですら刃が立たなかったーー
“!”
そうかこのタトゥーの力ならば⋯⋯
***
木々が燃えて炎に包まれる中、阿久津は千切れた右腕を抑えながら喚いている。
「腕⋯⋯腕が」
「おお、阿久津のやつ、紋章がついた腕持ってんじゃん」
「⁉︎ 右条⋯⋯それは俺の右腕⋯⋯返してくれ」
「安心しろ阿久津⋯⋯」
阿久津の紋章は右腕の前腕に刻まれている。
俺はそいつを鷲掴みにして目の前で握りつぶしてやった。
「うあああああ!」
「お前は簡単には殺さない」
そう言って俺は目でリザードマンたちに合図に送る。
同胞を殺された怒りに震えるリザードマンたちは一斉に阿久津に群がり
よって集って、棍棒で阿久津の身体を殴り続けた。
阿久津の身体が原型を留めなくなるのにそう時間はかからなかった。
***
男が私の方へ振り向いた瞬間、男の口へ向かって右腕を伸ばした。
“舌を握りつぶす”
右手が男の口腔内に突き刺さろうとした瞬間、胸のタトゥーが砕けて消滅した。
魔法が解けたようにスッと全身に宿った力が消えた。
だが手応えはあった。
「どうして⋯⋯どうしてせんせぇ⋯⋯」
男は目尻に涙を溜めながら私の顔を見つめる。
男の顔は瞬く間に憎しみに満ちた表情に変わり、私の手を噛みちぎる。
「ああああああ!」
男はゆっくりと口を開いて私に口腔内を見せた。
「⁉︎」
男の舌は口腔内を覆う蜘蛛の巣に守れていた。
「瞬時に展開できなかったら殺されていたところだった。残念だったな」
***
あの日以降、先生は学校へ来なくなり、そのまま学校を去っていった。
俺もその後すぐに成長期を迎えて、街のどこかであってももう俺とはわからないだろう。
そして俺もその学校を転校した。
***
俺はモコが囚われているというルドワルド屋敷に正面から突入した。
まず目に入ってきたのは屋敷のエントランスで血を流して倒れているモコの姿。
「モコ!」
あからさまな罠であろうと構わずモコに駆け寄り彼女を抱き上げた。
「ダメです。魔王様⋯⋯」
「しっかりしろモコ!」
「ここには痺れ効果のある毒が充満しております」
「うっ!」
「はやくお逃げくさい⋯⋯」
その言葉を最後にモコの腕は力なくだらんとし、ぐったりとするとそのままこときれる。
「モコーッ!」
彼女の名を叫ぶと眩い光が俺たちを飲み込んだ。
***
ルドワルドの屋敷は俺の仕掛けた爆薬でまるごと爆発させた。
これで右条は死んだ。
せっかくだ。俺が魔王になってやろう。
つづく




