そんなものは存在しないぞ?
前回のあらすじ
初めましてヨグ=ソトースさん。
男の瞳は色彩で、本来なら綺麗だと思うはずなのに、何故か恐怖心が先につま先から頭部に掛けてぞわりと駆け抜ける感覚がした。目深に被ったローブの隙間から見えるその瞳は、俺自身を映し出していた。
「?」
男性は中性的な声のようだ。疑問を口に出しながら一度だけ俺の視線を逸らして腕を組んで悩んだのち、再び俺の方をじっくりと時間を掛けるかのように見始めた。
「やめた方がいい。ヨグ=ソトース。奴は救世主だ」
クトゥルフさんは、それに察したのか旧知に逢えた嬉しさなのか穏やかで優しいな声音で、咎めるようにそう言った。
「救世主? この中身がちぐはぐな彼がかい?」
ヨグ=ソトースはそう言ってから俺に近づいて、俺の周りを2周ぐらい回りつつ尋ねてきた。
「ええ。キオリって名前の青年なのだけど、天族や魔族、それにあたし達が平穏で平和に過ごせるようにしたいと言って来たのよ」
ニャルラトホテプさん、俺の顔をじろりと舐めるような視線で見てくるヨグ=ソトースに嬉しそうに言えば、ヨグ=ソトースは驚愕しつつ再び俺の観察へと戻った後に数分して何かに納得したのか頷いた。
「なるほど。先に来ていた2人は気が狂ったようだけど。君には、それらを跳ねのけているのか。それに救世主という言葉も、あながち間違ってはいないようだ」
そう言って距離を少し開けた後、黄色いローブを外した。
白髪の短い髪が特徴的な、女子から男扱いされない男子と言っても過言ではない可愛い系の顔立ちをしていた。
「初めまして。僕はヨグ=ソトース。よろしくね」
そういって右手を差し出してきた。
「あ、ああ。俺は、キオリだ。よろしくな」
いつもは左手で握手を交わすのだが、異世界に来てからは、右手で握手を交わしていた。別に両方でも違和感はないのだが、基本慣れた左手のほうがしっくりくるということだ。
「? 君は、左手で握手を交わすはずだと思ったんだけど」
「あ、いや。すまない。驚いただけだ」
茫然としていて差し出された右手に握手すら交わしていなかった俺は、慌てて握手を交わした。意外とゴツゴツとした男らしい手だ。
「あの、ヨグ=ソトースさんにお願いがあって」
と俺は、すっかり抜けていたここに来た理由を思い出して、メル・マグ管理図書の地下空洞内で時間が逆行していることを説明すれば、ヨグ=ソトースさんは腕を組んでから
「それで、何時、時間が逆行したのかは記録されていないみたいで、2年前の冒険者がいたぐらいなんで、この地下空洞だけ時間の進みが遅いのではないかという可能性も出てきたぐらいなんだ。それでヨグ=ソトースさんに話をと思ったんだが…………」
説明をすること数十分ぐらいだろうか、ヨグ=ソトースさんは俺の疑問に腕を組んでからさらに数十分ぐらい悩んだ後
「ああ、多分あれかな。僕はここで睡眠するようになった時、時間の流れが速いからわざと時間を遅くしたつもりなんだけど、もしかしてそれが原因かな?」
と閃いたと言わんばかりの顔でそう言ったのである。
「それで、間違いはないだろう。せめて地下空洞内だけで元の時間に戻すことは可能か? もうあの2人以外、人はいないだろう?」
クトゥルフさんの言葉に2人はヨグ=ソトースは頷いた。
「まぁ、そうだね。他にシュブニグラスとアザトースがいるけど、彼らには連絡入れなくてもいいのかい?」
知らない奴が2人出てきたぞ。というかこの地下空洞って隠れ家的な何かか?
「キオリはどうするの? 一旦戻ってもらう?」
ニャルラトホテプさんはそう言って俺の方をチラリと横目で見ながらそう言った。
「そうだな…………。帰還魔術で強制的に帰らせてから」
その続きの言葉は、俺の意識が途絶えたことにより訊くことは出来なかった。
目を覚ませば、そこはアキベエルさんが泊めてくれた部屋の一室であった。
上半身を起こしてからベッドから降りて窓の方を見れば淡い色で構成された家と太陽の光が街を明るく照らしていた。
「…………。夢? じゃ、ないような?」
俺は目をパチパチとしながら腕を組んで唸っているとドアノブを軽く叩く音が聞こえた。
「キオリくん。起きているかしら? 朝食にしましょう」
「あ、起きてます! 先に行っててくれ」
ティアマトさんがドア越しからそう言って来たので俺は、そう返事をしてから、部屋着に着替えた。
部屋から出てから顔色が元通りになっているアキベエルさんとティアマトさんの顔に安堵していると他に知らない人達がいた。
「…………ん? その人は?」
「キオリは初めましてだったわね。彼がヘルヘイム調査団の人達よ。キオリが寝た後に無事戻ってきたみたいで、それで報告会をここでやることになったのよ」
「戻って…………?」
俺の言葉にアキベエルさんは呆れた目を俺に向けながら
「おいおい。大丈夫か? キオリ。昨日キオリが話していただろう? ヘルヘイム調査団がこのメル・マグに来てから消息が途絶えていると」
「あ、あぁ、そうでしたね。寝ぼけてました」
そんなことを言ったのは確かだが、ヘルヘイム調査団数十人の内の何人かは亡くなっていると訊いたんだが……。どうなっているんだ? まぁいい。そんなことは後で考えるとして俺は空いている椅子に座る。
それを確認したティアマトさんは
「ヘルヘイム調査団の連絡が途絶えたのは、メル・マグで確認されていた現象である突然転移魔術の調査よ。メル・マグでは他に天族の他に転生冒険者を含めた200人前後が行方不明になっていたのだけれど、それがメル・マグ調査団本部にある場所に向かうとアトランダム形式で、転移魔術で飛ばされていたのよ。ヘルヘイム調査団がいた場所はティル・ナ・ノーグにあるメグ・メルという地方都市よ。此処からだと約30kmぐらいあるわね。他の天族と転生冒険者のいた場所はヘルヘイム、イ・ラプセルなど基本的にメル・マグの周辺地域から半径10km範囲内で転移されていたわ。その転移魔術は、わたしで早朝に解除したけれど、一ヶ所だけじゃないと思うのよね」
そう言ってからテーブルに地図を広げて人差し指で地形をなぞりながら説明した。
「それなら、無線機で連絡をとったらよかったじゃないのか? 無線機って結構遠い距離でも音声が拾える最新技術が詰まったものだろう?」
俺がそう言えば、ティアマトさんは首を横に振った。
「そのことなのだけど、実は転移魔術をした際に連絡を入れようとしたら…………。こんな無様なものに」
そう言ってテーブルの上に置いたのは破損されている無線機であった。踏まれた後のような痕跡まである。
「俺たちの推測で、転移魔術の中に破壊魔術と魔力制御魔術まで使用されていたんじゃないかってのが、今のところの推測だ」
「魔力制御魔術?」
俺の知らない魔術に首をかしげる。
「魔族や天族の魔力を制御できる魔術の事だ。先ほどヘルヘイム調査団を見てみたが、魔力の底は初対面時より半分以下になっている。つまりすれすれの状態だったんだ。今は一晩寝かせたから何とか回復しているが暫くは魔力回復の為に療養するしかないだろう。ヘルヘイムにいる魔王にはそう言ってくれないか?」
アキベエルさんは俺に優しく説明したあとティアマトさんを見ると
「ええ。分かったわ」
ティアマトさんは真面目に頷いた。
メグ・マグを観光してちょうだい。と、ティアマトさんに言われた俺は、管理図書の奥の部屋に向かって扉を開いた。そこに通じる地下空洞はなくただの物置となっていた。しかも埃まみれだ。
「……いきなりどうしたんだい? キオリ。迷わずそっちに向かったようだが」
アキベエルさんは不思議そうな顔をしながらそう言うので
「あの、ここって地下空洞あります?」
俺がそう言えば、アキベエルさんは目を見開いた後
「地下空洞? ここにかい? そんなものは存在しないよ」
とまるでおかしなことを言うもんだと言わんばかりの声音でそう答えた。
【メル・マグ管理図書の地下空洞】
本来は突然現れた空洞ではなく、ある人物がある目的で造った幻惑魔術で造られた地下空洞で本来は、ニャルラトホテプさんを含む人物たちが住処として使用されていた。
【時間逆行】
ヨグ=ソトースが使える能力の1つで地下空洞内の時間が遡っていた原因でもある。
本当は遅らせる能力を使ったのが間違って逆行になった。その逆行を戻すには、人間関係をリセットさせる必要があるらしい。
【シュブニグラスとアザトース】
会話に出てきた生物。女性と男性。
【地下空洞にいた人物】
発狂して死亡したりどこかに行ったりしていた人物はヨグ=ソトースによって時間が戻る+ニャルラトホテプの人体再生により復活。今まで通り生きています。
ただし壊れたものに関しては、そのままである。