当たり前のことが一番難しい
<1>
シャワーでも浴びてやろうかと思って全裸になった俺。突如として現れたマッチョども。彼らを率いていたのはハマー・Gだった。俺の貞操やいかに。
「どうなんだ。俺の戦利品を奪ったのはお前なのか」
ハマーはガチだ。
俺もガチだ。よく分からねえが、ハマーは大事なものを盗られて怒っている。そして盗んだのは俺じゃない。
「知らない。何のことか分からないって」
「まあ、そう言うだろうな。言うわけないよな。おい、やれ」
「何をだよ!? ちょっと待てって! 頼むから説明してくれよ!」
ハマーはじっと俺をねめつけていたが、息をついて腕を組む。
「俺が部屋を二つ借りてるのは知ってるよな? 一つは倉庫として使っていた。大量の戦利品を収めていたんだ。いわば俺の、俺だけの宝物庫。そこが破られた。段ボールに詰めた夢いっぱいの薄い本を持っていかれた」
「同人誌を? なんだってそんなもんを」
「そんなもんだと!? そんなもんって言ったな!? 言ったよな! 国際問題に発展するぞ。何がゴボウだ。木の根っこを食わせやがって黄色い猿め!」
「ひいい俺はゴボウなんて出してないですうう、ゴボウ美味しいですうう」
こいつのこの怒り様、ハンパじゃねえ。
「どうして俺が疑われてんだよ! 証拠でもあんのか、出せよ!」
「確証はない。それを今からお前の体に聞くんだ」
「隠すところなんてねえよ! 丸出しじゃねえか! 何も持ってない!」
「いいや、そこにあるだろ。何か隠せるような門がな」
ハマーは俺のケツを指差していた。
「雑種ゥゥゥ! 俺の肛門に触れたらどうなるか分かってんだろうな!」
「いいかヤツフサ。芳流閣の警備は厳重だ。基本的にはな。戦利品のチェックは俺が日に三度、八時間ごとに行っている。昨日の零時にはあったんだが、朝になったら箱が一つなくなっていた」
「だから何だってんだ」
「犯人が外部からやってきた可能性は低い。零時から朝八時の間、アリバイがなく、怪しいやつが怪しい」
「お前の日本語も怪しくなってんぞ」
「ロスだったらとっくに銃をぶっ放してるからな。……間違いない。内部の犯行だ。それにお前には前科がある。お前が芳流閣にやってきた初日。誰も招いていない、ロックを開けていないのにもかかわらず、お前はラウンジに入ってきた」
それは金鞠がロックを解除したからだ。しかし、ハマーたちには彼女のことが分からない。説明しても自分の首を絞めるだけだ。
「それだけじゃないぞ。昨夜、お前を見たってやつがいる」
「はあ?」
「白を切る気か? 三時ごろだ。その時にお前を見たって言うやつがいるんだよっ」
確かに、その時間に俺は眠れなくて洗面所へ行っていた。
考えろ。考えろ。今のハマーはブチ切れててちょっとまともじゃない。何か一つ誤れば俺の初めてがマッチョマンに奪われてしまう。ていうかこいつら何者なんだよ! どうして俺を貶めることにやぶさかではない、というかまんざらでもないって顔してんだ。……あっ、待てよ!
「俺は確かにその時間、洗面所に行っていた」
「認めたな」
「その時間に起きていたことは認める。だが俺はこの階から移動していない」
「だから何だ」
この階に住んでいるのは俺と犬飼さんだけのはずだ。他のやつがこの階を訪れることはほとんどない。ましてや午前三時というけったいな時間では。そんな時間に俺を見たと言ってるやつの方が怪しいだろう。
そのことに思い至ったのか、ハマーは眉根を寄せた。
「俺はその時間に物音を聞いた。何か引きずってるような音だったり、ドアが開くような……俺より、俺を見たってやつの方が怪しくないか?」
そもそも、本当に俺は誰かに姿を見られたのか?
「つまり……ヤツフサ。お前は、誰かに罪を擦りつけられたと言いたいんだな」
「そうだ。とにかく濡れ衣だよ。あとで俺の部屋を調べてくれてもいいし、そもそも、俺を見たってのは誰なんだよ。そいつにも話をもっぺん聞いてみろって」
ハマーは長いこと思案していたが、小さく頷いた。
「分かった」
「分かってくれたか」
「とりあえずお前の部屋に行く」
「よし、服着るからとりあえず出ろ」
「いや、そんな時間はない」
はあ!?
ハマーが顎をしゃくると、マッチョどもが俺を担ごうとする。その時にケツを触られたり乳首を弄られたりした。
「お前らふざけんなよ!」
「よし、行くぞ」
俺はマッチョたちに担がれたまま自室に向かう。こんなところ管理人さんに見られたらいよいよ変態扱いで追い出されてしまう。
部屋には鍵をかけておらず、マッチョはドアを開けて部屋の中に俺を放り込む。
「旦那さ……」
金鞠は本を読んでいたが異常事態に気づいて口をつぐみ、そっと部屋の隅に移動した。
「今、何か物音がしなかったか?」
「気のせいだろ。……おっと」
マッチョの一人がつまづき、俺を押し倒す。肌と肌が触れ合って最悪だった。俺はこんな形で人の温もりなど知りとうなかった。
「へへ、悪い悪い。よう、あんた結構いい体してるな」
「絶対わざとだろ! ハマァァァァァ! いよいよ戦争だぞコラァ!」
「よせ、どうどう。ステイステイ」
ウマ娘に押し倒されるならともかくとってもウマナミのモノをぶら下げてる男に押し倒されるなど言語道断、愚の骨頂である。
ハマーはマッチョどもを抑えつつ室内に目を配った。なんてことだ。金鞠がオーラを薄めたことによってこの空間の男女比がえげつねえことになっている。このままではお○ん○んランドが開園してしまう。
「何もない部屋だ」
クローゼットやベッド下もチェックされたが、残念ながら俺の部屋には物がほとんどない。
「部屋には隠していないらしいな」
「部屋どころかもうどこも隠せてねえよ。見ろよこの情けない姿をよォ、すっぽんぽんでよォ」
こいつらには分からないだろうが、金鞠には俺の情けないさまをばっちり見られている。
「分かった。俺も少し頭が冷えてきたよ。ヤツフサ。あとでラウンジに来てくれ」
「そいつらはどっか行かせろよ」
「ああ、そのつもりだよ。悪かったな。それじゃあまた後で」
ハマーはマッチョを引き連れて出て行った。
俺はシャワールームへ着替えを取りに行くこともできず、その場にへたり込んだ。
「よしよし。旦那さまは悪くないからね」
「ちくしょう、ちくしょう。どうして俺がこんな目に……」
「あたしだけは旦那さまの味方だよ」
<2>
落ち着きを取り戻した俺は、今度こそシャワーを浴びて熱いお湯で嫌な記憶を洗い流した。着替えて、金鞠に慰めてもらってからラウンジに降りる。俺を見つけるなり、ハマーは申し訳なさそうな顔になった。
「すまなかった。つい、頭に血が上って」
なんて酷い目に遭わせてくれるんだと罵りたかったが、ハマーは被害者だ。大事なものを盗まれてしまったのだ。それを思えば強くは責められない。
「分かってくれればいいんだよ」
二人してテーブルに着くと、ハマーは空のグラスを用意しており、俺にワインをすすめてきた。
「俺はいいよ。それより、盗まれたのは同人誌なんだよな。箱一杯に詰めてたとはいえ、そこまでの価値はあるのか?」
「実は……その箱に入っていたのは全てとある作品の二次創作にあたるウス=異本や、グッズだったんだ」
「その作品って、めちゃめちゃ人気なやつなのか?」
「いいや、まだ。これから人気が出る予定ではあったし、一部のマニアは『これは来るな』と目をつけていた。夏コミはまだその作品に手をつけていないサークルばかりだったが、冬は増える。間違いなく。これから手に入りづらくなる。そう思って今のうちだとしこたま買った」
「はあ。それで?」
「公式がその作品の二次創作に関するガイドラインを発表した。要は『こっそりやれ』とのお達しだった。大っぴらにやるなとな」
素晴らしいじゃないか。その作品を好きだって人たちの熱意を公式が認めてくれたんだろう。
「つまり、その作品で金を稼げなくなったってことだ。これじゃあ誰もその作品の二次を書かなくなる。夏に創作されたものもいずれは入手できなくなる。価値が上がるかもしれないんだよ」
「お前……同人活動ってお金を得ることが目的じゃないんだろ? その作品が好きだから二次を書くわけじゃないか。だってそうだろ。見たこともない作品、たくさんの人に人気があるってだけでそんな好きでもない作品の二次創作をやるわけないじゃないか」
「ヤツフサ。お前は人間を誤解している。しかし今はその点で議論するつもりはない。長くなるからな。重要なのは、盗まれた箱は宝の山たりえたかもしれないってものが詰まっていたんだ。犯人にはその手の知識がある。数ある箱の中でそれだけを盗んでいったんだからな」
ああ、だから俺を疑っていたのか。
「なんか世知辛いなあ。まあいいや。それで、夜中に俺を見たってのはこのマンションのやつなんだろ? 誰なんだ?」
「それは言えない。しかし、そいつとの連絡がさっきから取れなくなった」
「何ぃ?」
めちゃ怪しいじゃねえか。
「犯人は恐らく一人だ。盗んでいったものの数が少ないからな」
「だろうな」
「しかし、俺は共犯者がいるという可能性も捨てていない」
ハマー君。人を疑ってばかりだと疲れないか。
「昔……身内にスパイがいたんだ。そいつのせいで組織は……いや、この話はよそう」
「すげえ気になるんだけど」
「とにかく、また俺の宝が狙われないとも限らない。見張りを立てたいと思ってる」
「その、お前の借りてる倉庫代わりの部屋にか?」
「ああ」
俺は少し迷ったが、その見張りを引き受けることにした。
「いいのか?」
「俺だって盗まれたものは持ち主のところに戻るべきだと思うし、お前が心配してるのも分かるからな。何かしら力になれればいいなって。それに身の証も立てられるんじゃないかなーって」
「まあ、そうか。それでまた盗まれたら、今度こそお前を疑うことになるが」
「大丈夫だって」
「よし、任せた。あとで部屋の鍵と倉庫にあるもののリストを渡す。俺は連絡が取れなくなったやつの足取りを探して追ってみる」
一つ、気になったことがあった。
「なあ。そいつって、このマンションの人なのか?」
「……まあ、そうだ」
「前に、犬飼さんの本を盗ってったのと同じやつなのかな」
「同一犯ってことか。その可能性はあるし、どうせならそうであって欲しいと思う。芳流閣はいいところだと思ってる。そういう場所に泥棒は二人もいらないからな」
本当は一人だっていちゃならないんだけど仕方がない。
俺はその後、ハマーから鍵とリストを預かって部屋に戻った。
<3>
「どうしてあたしがそんなことをしなきゃいけないんだ」
俺は金鞠に見張りを頼んだ。彼女ならもし誰かが来ても見つからないし、暇そうだったからだ。
「いや、だって俺バイトとか学校とかあるし」
「旦那さまがあたしを追い出そうとしてるー」
「してないって! 頼むよ。ほら、倉庫にある本なら読んでもいいって許可もらったし」
何の本が置いてあるかは知らないけど。
「分かってるよ。旦那さまの頼みだし、さっきの人たちに協力しなきゃ旦那さまの立場が危ういからね」
「なんていい嫁なんだ。俺は嬉しい」
金鞠は小首を傾げた。
「ああ、そうか。そうなってたっけ。ところで旦那さま。旦那の意味って知ってる? 仏教の言葉でね、お布施をしてくれる人のことをダーナって呼ぶんだ」
へー、そうなんだ。
「金鞠は物知りだなあ。じゃ、鍵とリスト渡しとくよ」
「だめだよ。あたしの姿が見えるのは旦那さまだけなんだから。あたしが持ち歩いたんじゃあ鍵とリストが宙を浮いてるようにしか見えないよ。ドアだって独りでに開いたようにしか見えないし」
それもそうか。
「そんじゃ行こうか」
「はいはい」
ハマーの部屋は三階にある。確か忠山さんの部屋も三階だったっけ。
俺は金鞠を連れて、ハマーが借りたという部屋の鍵を開ける。中は段ボールやらショーケースやらでいっぱいだった。地震があったら一発で終わりそうだ。
「旦那さまの部屋は物がなさすぎるけど、ありすぎるのも考え物だね。これじゃあ二人で一緒に寝られないや」
ちらりと見たが、確かにハマーが宝物庫と呼ぶのも頷けるくらいに色々なものがあった。段ボールも様々だ。何かしらのキャラクターが描かれているものも多い。あいつ、この部屋以外にも色々と倉庫とか借りてそうだな。
「えーと、リストに載ってるのは」
膨大だな。これ全部チェックするだけでも骨が折れそうだ。えーと、何々……うおおこんなレアなものまで……。
「いいよ。あたしがやっとくから」
金鞠は俺の手からリストを奪い取る。
「任せちゃってもいいのか?」
「気にしないでよ。それより、旦那さまは他の人に話を聞いてみたら? 犯人が早く見つかるのに越したことはないからね。……それに」
金鞠は言い淀んだ。俺には彼女の言いたいことが分かるつもりだ。
「ハマーの本を盗んだやつと魔導書を盗んだやつは同一犯かもしれないよな」
「うん。そういうこと。いひひ、分かってるならいいよ」
俺は、管理人さんたちに話を聞けないかと連絡をしてみた。
<4>
ラウンジに集まったのは俺、管理人さん、孝塚さんに忠山さん。それから眠たそうに目をこする梯さんも来てくれた。しかし各々方の反応は芳しくなかった。
「えー。話があるって聞いたから、私はてっきりゲームで遊ぶのかと」
「私は里見が実験台になってくれるのかなって思ってたのに」
「そうじゃなくって、ハマーのことだよ」
四人は顔を見合わせて、席を立ち上がりかけた。
「えーっ、ちょっとちょっと! どうして帰ろうとするんだよ!」
孝塚さんは長い溜息を吐き出した。
「だって、ハマーって嘘つきだし」
「大げさに言うし」
「わけが分からないこと言うし」
「ナチュラルにセクハラしてくるよね」
散々な言われようだった。
「でも、芳流閣で盗難があったのは確かじゃないか」
「ま、まあ、それもそうですが。その、あまりそういうことは大きな声で言わない方が……んんっ、管理能力を問われるかもしれませんし、そうなったら私の立場というものがですね」
管理人さんは日和見主義だった。
「大っぴらにはしないですよ。こっそりズバッと解決しましょう」
「探偵ですね。ミステ○ートみたく紳士的に!」
「じゃ私はダブル探偵がいい! 風の街の平和を守ろうよー!」
「私マーニーみたいなやつー」
あー、マーニーね。ちょっとあの髪の毛のぼさぼさ加減は角山さんに似ているような気がしてならない。
「……あ。ぼくは氷人とか木石って呼ばれたい、かな」
「梯さんまで」
この人たちは自分の得意とするフィールドに持ち込もうとするのが上手いんだよなあ。
「と、とにかく、それぞれ好きなやつでいいから。ハマーが盗まれたものを探してやりたいんだよ。何か心当たりとかないかな」
「んー。ではマンションの中を探してみましょうか」
「何が盗まれたんだー?」
俺は、盗まれたのは段ボールに入った本だと伝えた。薄い本だとは言わなかった。
俺たちは二手に分かれることとなり、俺は孝塚さんと二人でマンションの裏庭に足を伸ばした。
裏庭とはいえ特に何かがあるわけではない。さして広くないし、物置があるだけだ。
「里見くんって人がいいよね。盗まれたんだからもうとっくに売られてんじゃないの?」
「そういうもんかな。孝塚さんだったらどうする?」
「どうするって、何が」
「いや、孝塚さんだったら盗んだもんどうするのかなって」
「それじゃあ私が泥棒みたいな言い方じゃない」
そんなつもり毛頭ない。慌てていると孝塚さんはあははと笑った。
「たまにはからかう側に回るのもいいな。うそうそ、冗談だから。でも、私が泥棒だったらかー。やっぱり盗んだ物、いつまでも持っときたくないよね」
「じゃあ、すぐに売っちゃう?」
「足がつくの嫌だし、ほとぼりが冷めるまでどっかで保管しとくかも」
「じゃあ、もしかして今もこのマンションのどっかに?」
「さあ? たいていの人は私と同じように考えるんじゃない? だとしたら、とっとと売っちゃうのもいいかも。ずーっと持っててもさ、見つかるってリスクが高まるだけじゃん?」
結局、どこに何があるのかなんて分からないってことだよな。
今日の孝塚さんはずっと楽しそうにしていたが、ふと、俺を見て表情を消した。
「里見くんってさ、ハマーにっていうか、ものを盗まれた人に自分を重ねてるよね」
「え、そうかな?」
「何か盗られたん?」
俺は何も盗まれていない。俺は。
ただ、どうしてなんだろうって。
「好きなもんを取り上げるのはさ、どうなんだろうな。他の人からしたら何でもないもので、ただ単に値打ちだけが見えてるのかもしれないけど、そいつを好きで、大事だって思ってる人がいて。そういう人から何か奪うのって、俺はすげー嫌だなって」
「……難しいこと言うんだね」
「難しいかな」
「好きなものを好きだーって、当たり前のことが一番難しいんだよ」
孝塚さんの横顔は寂しそうだった。
<5>
結局、何も見つからなかった。
俺は金鞠に見張りを任せたままアルバイトに精を出すことにした。何はともあれ世の中は銭である。ぜぜこをこさえなきゃ生きていけないのである。
「はあ……」
「どうしたんですか先輩。露骨に元気ないですね」
「露骨か」
「はい。露骨です。心配してくれと言わんばかりですね。グラント○ノのイースト○ッドばりに臭い芝居です」
酷い。
でも角村さんは心配してくれてるのかもしれない。
「実は」
俺は、詳細は省きつつも本の盗難があったことを角村さんに伝えた。
「それって、前と同じ人がやったことなんでしょうか」
まあ、そう思うのも無理ないよな。
「そこまでは分かんないかな」
「先輩は大変ですね。そんな時はインド映画を見るのをお勧めします」
「インド?」
あんまり見たことないなー。どうせ歌って踊る場面ばっかりじゃないの?
「あっ、その顔はインドを舐めてる顔ですね」
「だって映画と言ったらハリウッドだろ」
「インド映画はボリウッドとも呼ばれているくらい盛んなんですよ。ちなみに年間で映画を作っている数も、お客さんの数も世界で一番多いんです」
「マジか……あいつらカレーしか取り柄がないとばかり。キン肉マンだったらしょせんカレクックだろと馬鹿にしてたわ……」
「ナンで叩かれますよ」
角村さんはやれやれといった風に息をつく。
「インド舐めてたわ。でもなんであんなに踊るんだろな? どシリアスなやつかと思ったら開始数分で踊ってたりするし」
「それは、インドがややこしい国だからでは? 多言語国家ですから、会話シーンばかりだと伝わらないんですよ。恋愛描写も制限が多いみたいですし」
なるほど。そいつを一発で解決するのがダンスというわけか。やっぱ肉体言語最強だわ。
「インド映画には人の心を揺さぶるものがいっぱい詰まってますからね」
「何かおすすめある?」
「やっぱり、今だったら『きっと○うまくいく』とかバーフバ○じゃないですかね。個人的にはD○Nシリーズをおすすめしますが」
「バ○フバリってどんなん?」
「それはですねえ!」
角村さんの瞳が輝き、距離がぐっと縮まった。彼女は喜々とした、恍惚とした表情で語り始める。
「CGはちょっと予算がなかったのかなーって思っちゃうくらい安っぽかったりするところもあるんですけど、後半に出てくるおバカ戦車は見ごたえありますよ! アクションシーンが気持ちいいんですよー。ほら、あの、なんとか無双ってゲームみたいで! 私もあんな戦車に乗ってみたいなあ。思わず叫びそうになりましたよ。パンツァーフォーって!」
ヒャッホウとか言いそう。
「……うーん、まだですね」
「え、何が」
「まだ先輩、元気がないみたいです。そんな顔で接客はできませんよ」
俺は角村さんに促され、バックルームで休憩することにした。椅子に座ってAVのパッケージをじっと見ていたであろう店長はぎょっとしていた。
「ちょっと、ふつう四時間そこいらのシフトで休憩する?」
「はあ。でも、角村さんにそうしろとすすめられたもんで」
「……まあ、確かにいい顔色じゃあないね。いいや、ちょっと座ってなよ。何かあったら角村さんのフォローに行くように……おっ」
店長はモニターを指差した。監視カメラが店内のカウンター付近を映している。角村さんの可愛らしくもっさりしたヘアが揺れていた。どうやら買い取りを頼みに来たお客さんの対応をやっているらしい。その客はカウンターの上に段ボール箱を乗せていた。
「大量だなあ。段ボール一箱分に……えーと、本だねえこれ。それも本。あれも本。というよりほとんど本しか入ってないねえ! うちはビデオ屋なんだけどねえ!」
「日ごろから何でもかんでも買い取るからじゃないですか」
「その最たるものを買い取ったのは君だからね! いくら俺でも魔導書なんか買い取らないよ!」
うるさいと机を叩いてやろうかと思ったが、店長がまた妙な声を発した。
「ずいぶんと薄っぺらい本だなあ。しかも同じのが何冊も」
「え」
俺もモニターを注視する。客の男が持ってきた段ボールには、日本郵便公式マスコットキャラの京橋○海ちゃんの姿があった。確かハマーの倉庫にも同じ段ボールがあったっけ。あの段ボール、ハマーはコミケで入手したとか言ってたか? 箱の中の薄っぺらい本は……同人誌だ。しかも、これは。
「ハマーが盗まれたって言ってたやつじゃないか……?」
「えっ。今盗まれたとか言わなかった?」
「言いました」
「嘘だろ!」
店長は頭を抱えた。
「どうしてうちには盗品ばかり持ち込まれるんだ!」
「審査がガバガバだと思われてるのかもしれませんね」
「その一翼を担っているのは紛れもなく君だけどね!」
まだ確証はない。この客が持ってきたものがハマーのものだという確証が。
俺はハマーと連絡を取り、すぐにここへ来るように告げた。時間を稼がないと。
「店長。この人……」
俺はモニターに映っている男性客を指差した。
「見覚えありますか?」
「いや、ないなあ……」
じゃあ、こいつは魔導書を売ったやつでもないってことか。
とりあえず、俺はフロアに出て件の客に番号札を渡した。店内で少しお待ちくださいと言って、再びバックルームに戻る。一緒についてきた角村さんは不思議そうにしていた。
「あのー、私ではああいう本に値段をつけられないんですが」
「いや、その必要はないよ」
「えーと……?」
角村さんの疑問に答えるより早く、ハマーがマッチョを引き連れて店に来るのが見えた。俺はフロアに出たが、彼は首を素早く振って俺を制する。
例の客は店の隅にいたらしく、マッチョたちが壁になって彼とハマーの姿を隠した。時間にして数分か。マッチョが男を引き連れて店の外に出て行った。
「すまない、助かったよヤツフサ」
「あ、ああ」
ハマーはカウンターの上にあった段ボールを自分一人で持つと、また後で報告すると言って店を出た。残された俺たちはしばらくの間、ぽかんと突っ立っていることしかできなかった。
<6>
バイトが終わって、角村さんが原付に跨るのを待っていると、彼女は遠慮がちに口を開いた。
「さっき連れてかれた人も、芳流閣の人だったんですか。その、もしかして先輩の友達、とかだったりします?」
「いや、違うよ。芳流閣に住んでる人だとは思うけど、友達じゃない。……五割らしいんだ」
「何がですか」
「ソーシャルアパートメントって色んな人がいて、住んでるけど、中には部屋から出てこないし、ほとんど交流をしないって人もいる。その割合がだいたい五割なんだって。だから、俺はさっきの人は初めて見たよ」
この先、俺はあの人とすれ違うことだってないんだろう。
「少しホッとしました」
「どうして?」
「だって、そうだったら先輩の元気がまたなくなっちゃうなって。私、先輩とお話するの好きですよ。先輩、映画の話だってちゃんと聞いてくれますし」
角村さんは照れ臭そうにしていた。俺が彼女を見ると、急いでヘルメットをかぶった。
「それでは! 先輩、また遊びましょうね!」
「アルバイトは遊びじゃないぞー」
「えへへへ、そうでした!」
角村さんの後ろ姿を見送り、俺も帰路についた。その帰りしな、ハマーから連絡があった。詳細は伏せるが、さっきの男もまたハマーとは同好の士だったそうだ。物の価値を知っているやつで残念だった。ハマーはそう言っていた。
話を聞く限り、やはりその男は魔導書を盗んで売ったやつとは違うらしい。同一犯ではなかったということだ。……なんか。何とも言えねえ。悲しいのか虚しいのか、よく分かんないや。
芳流閣に戻り、ラウンジを覗いてみた。管理人さんがぐてーっとした様子でソファに体を預けているのが見えた。
「どうしました」
声をかけると、管理人さんは何でもないんですと笑顔を作った。たぶん、ハマーの件だろう。彼の本を盗んだ男がマンションから出て行ったのではないか。あるいは、管理人さんたちが追い出すようなことになったか。俺はそう思った。
「あ、里見さんお腹空いてますよね。何か作ります」
「いや、今日はもう大丈夫ですよ。管理人さんもお疲れでしょうし」
管理人さんはじっと俺を見た。
「……いえ、作ります。ちゃんと食べてってくださいね」
「いいんですか」
「こういう時こそいつも通りのことをするのがいいんです。ふふ、お腹が空いてるとだめですねえ。よくないことばっかり考えちゃいます」
頷き、俺は椅子に座って待つことにした。管理人さんに何か話しかけようとも思ったが、やめておいた。
少し待つと、二人分の料理がテーブルに並べられた。
「今日は私もいっぱい食べちゃいます。ご一緒しても構いませんか?」
「食べましょう食べましょう。明日のことは明日考えればいいんです」
「よし食べます。食べちゃいますよ。もう結構遅い時間だけど食べちゃってもいいですよね。ワイルドなアームズのお姫様くらい食べちゃいますよ」
ああ、だから今日の夕食は焼きそばなのか。
「いただきます」
管理人さんはあまり喋らなかった。無心でお箸を動かして、口を動かして、何か忘れようとしているようにも見えた。
食べ終わった後、皿洗いなどの片づけは俺がやった。こんなことで管理人さんの慰めや助けになるわけでもない。それでもやらずにはいられなかった。
俺が皿を洗っているのを、管理人さんは面白そうに見つめていた。
「管理人さん。この後、よかったらゲームでもしますか。格ゲーでもなんでも相手になりますよ」
「マジっすか」
「マジっす」
「え、ええええ」
管理人さんは両手でほっぺたを押さえていた。可愛らしいがちょっとピ○コ感あるな。
「そんなあ、またまた里見さん。いったい何が狙いですか」
「えー、普通にゲームやろうって言ってるだけですけど」
「本当にいいんですか?」
男に二言はない。
「じゃあですねー、そろそろ大乱闘の新作も出ることですし、今日はブレードストレンジャ○ズやりましょう」
「なんすかそれ」
「格ゲーですよう。スマ○ラみたいなもんです。夢のオールスターです。海腹○背とかショベルナ○トいますよ」
「うわー地味ー」
「アイザ○クみたいに泣かしますよ」
この後、俺は予告通り泣かされる。その分だけ管理人さんが笑っていたのでよしとしよう。
<7>
自分の部屋に帰ると、むっつりした顔の金鞠さんがベッドに鎮座していた。
「遅い。おかえり、旦那さま」
「ごめんごめん、ただいま。見張りありがとうな。いつの間に戻ってたんだ?」
「旦那さまが小さい管理人とゲームしている前にだよ」
何だ、意地が悪いな。見てたんなら言ってくれればよかったのに。
「二人ともあんまり楽しそうだったからね。見張りの方は別に何もなかったよ。夜になってあの外国人が戻ってきたから、その隙に部屋を抜け出してきたんだ。どうやら、泥棒は捕まえられたみたいだね」
「ああ。でも、同一犯じゃなかった」
俺は金鞠に事情を説明した。彼女は話を聞き終えると穏やかな表情を見せた。
「仕方ないよ。でも、旦那さまの友達が盗まれたものは戻ってきた。そういう風にできてるものだって世の中にはあるんだよ」
「そういや、倉庫で何してたんだ? 本を読んでたのか?」
「読んでたけど、あんまりろくなものはなかったかな。……旦那さま。ハマーって人は旦那さまの友達なんだよね」
改めて言われると困るというか照れるというか、自分でもよく分からない。
「いいやつだと思うんだけどな。みんなはそうは言わないけど」
「そっか。あのね。倉庫で気になるものを見つけたんだ」
気になるもの?
「旦那さまから渡された、倉庫にあるもののリスト。暇だったから見比べて確かめてたんだけどね、倉庫の中には、そのリストにない本があったんだ」
「……そりゃ、あんだけ色んなものがあったんだし、一つか二つは漏れがあっても不思議じゃないような」
「あたしがその本を見つけて、触れる直前でハマーってのが戻ってきた。だから確かめられなかったんだけど……あの本は、魔導書だと思う」
は?
「ハマーの倉庫に、魔導書が?」
「あたしはそうだと思う。一つだけ毛色が違う本だったし、リストにもなかったし。ね。旦那さまはどう思う?」
「俺は……その本ってのを直接見てないからな。いずれ確かめようとは思う、けど」
「けど?」
「今、ハマーは倉庫のお宝だとか、自分のものを詮索されるのを嫌がると思う。盗まれたばっかりだし」
「そっか。分かった。旦那さまがそう言うなら」
金鞠はベッドの上で寝転がる。妙に聞き分けがいいな。諦めたのか。どうなんだろう。
<8>
人はだれしも仮面をつけている。
自他を偽り、虚飾を着飾り生きている。
善悪の問題ではない。人とはそのように作られている。少なくとも孝塚信乃はそう信じている。
『当たり前のことが一番難しいんだよ』
信乃の脳裏を言葉がよぎった。誰が言ったものだったか。暗がりの中、手探りでスイッチを押し当てると、自室の照明がほどなくして点く。その時、先の言葉は自分の発したものだと思い出し、彼女はため息を吐き出した。
憂鬱な気分になることが増えた。というより、ここ最近はそれが常だ。何をしても心が動かない。……否、ただ一つだけある。自分の情動を揺り動かすものが一つだけ。信乃はクローゼットを開き、そこにあった段ボール箱を撫でた。まるで母が子にするように、愛しげに。
「……バレなくって済んだ」
今日も一つ、嘘を守り通せた。
明日もきっと隠し通せるに違いない。段ボールの側面に描かれた、京橋○海こと、はるみさんは微笑んでいた。信乃は、その微笑みが自分に対して向けられたものではないと知っていた。