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8/11

いつもみたいに愚にもつかない話をしてて



<1>



 犬飼さんを信じるな。

 ハマーはそう言った。住人たちを詮索するなとも言っていた。


「金鞠。俺は反省したよ」


 本を読んでいた金鞠は顔を上げて、訝しげに俺を見る。


「人を疑ったり、プライベートを探るのはよくないことだ」

「は? いきなり何言って……頭を打ったの?」


 打ってない。俺は悟っただけだ。


「というわけで魔導書だの犯人だのを探すのはいったん中止する。というか性急だったんだよ」


 性に急ぐという字面こそ素敵だが、俺はまだ芳流閣に来たばかりだ。ここの人たちのことをほとんど何も知らない。そんなうちから誰かを疑って、こそこそと探って……やっぱり向いてなかったんだ、俺には。


「だから」


 俺は言いかけたが、金鞠が俺をねめつけているのに気づいて絶句する。こいつ、こんな目で俺を見るのか。


「旦那さま」


 金鞠の声には妙な圧があった。いつもの涼しげで、余裕のある雰囲気じゃない。俺のことを旦那さまとは言いこそすれ、俺を虫とか、ゴミを見るような顔つきでもあった。


「前にも言ったじゃないか。旦那さまのためなんだよ? このままじゃ一年で死んじゃうのに、どうして途中で投げ出すの? 魔導書を探して、呪いを解かなきゃだめなんだって、どうして分からないの?」

「俺は」


 金鞠は俺をじっと見ていた。かなり長い間のように感じられて、俺は自分がどうなっているのか判然としない状態にまで陥りかけていた。やがて彼女は諦めたかのように息をつき、読書に戻った。


「どうなっても知らないからね」



<2>



 新しい朝が来た。そのたびに俺は自分が異世界に転生したんじゃないかと期待する。見覚えのない景色。草花の匂い。聞きなれない言語。そういったものを期待する。


「……おはよう、旦那さま」


 金鞠は件の魔導書に目を落としていた。ご機嫌斜めなのは間違いないだろう。ただ、こうして挨拶をしてくれているのと、まだこの部屋にいるということから、俺はまだ見捨てられていないのだと、なんとなくそう感じた。


「おはよう。……あのさ、昨日言ったことだけど、もう少しゆっくりやるよ」


 金鞠は本で口元を隠すようにして、俺をちらりと見上げた。


「分かった。旦那さまがそうするって言うんなら。あたしも……昨日は言い過ぎたかもしれない。脅かすようなことを旦那さまに言っちゃったからさ、気にしてたんだ。許してくれる?」


 女というのはどうしてこうもずるい生き物なのか。


「もちろん」

「仲直りの握手でもしようか。それとももっと別のことがいい?」

「はっはっは、いいっていいって、そんじゃあ顔でも洗って朝飯食ってくるかな」

「ん、いってらっしゃい」


 俺は金鞠に背を向けて部屋を出た。心の中で赤色の涙を流していた。もっと別のことって何? 一緒にクレープ屋さんにでも行ってくれるの?



<3>



「俺も夏コミに行きたかった」

「は? いきなり何?」


 孝塚さんに睨まれた。俺は、キッチンでザ・俺のために愛情たっぷりじっくりことことフレンチトーストを作ってくれている管理人さんを観察した。ちょこまか動いていてマスコットっぽくもある。しかしその手さばき、流れるような調理作業はお手伝いの梓さんに負けず劣らずといった感じである。


「里見もそういうの興味あるの?」


 そう言って俺を『でもそういうのに行くのって犯罪者予備軍って呼ばれてる人たちじゃないの』と純真無垢かつ失礼な目で見てくるのは忠山さんだ。


「超ある。だから島を出たくって、本土の大学を受験したんだよ」

「へー、里見もどっかの島に住んでたの? 私も出身は島なんだー。もっと南の方だけど」


 忠山さんも島育ちだったのか。シンパシー。


「イベントとかさ、一回も行ったことなくって。憧れるよな……握手会とか、ライブとか、ラジオの公開録音とか」

「ねねね、ショーは? ショーは? 里見ヒーローショー興味ない?」

「あるある。でも俺みたいな大きなお友達が行ったらドン引きされるんじゃないの?」

「そんなことないぞ。っていうか、里見よりずっと年上の大人も観に来るし」


 ああー、と、孝塚さんはわざとらしい大きな声を出した。


「最近のは大人の鑑賞にも耐えうるらしいんだって。私は見たことないけど、そういうの聞いたことある」

「へえええ。そんじゃあ忠山さんも見に行ったことあるの?」

「めっっちゃ面白いよ!」


 忠山さんニッコニコ。正直、俺はオ○ズのメズ○ル的な悪の女幹部に興味津々なんだけど。なんで悪の女幹部ってあんなにエロイのかな。子供の性癖歪んじゃうじゃん。俺がヒーローで、でも敵に捕まって甘噛み程度の拷問受けてこっちに来なよ、悪の道は気持ちいいんだよって勧誘されてああああ気持ちいいのはやつふさ、好きー! でもそれを言ったら彼女に怒られてしまうー。


「アクションもすっごいんだよ。バンバン飛んでガンガン殴ってー」


 身振り手振りを交えて話す忠山さん。あのー、パンチが俺の肩にバンバン当たってます。


「埃が立っちゃうからあんまり暴れないでくださいね」


 管理人さんが『めっ』て忠山さんを叱っていた。俺もそんな風にされたい。


「管理人さん管理人さん、俺もめってやってくださいよ、めって」

「いけませんよ里見さん、滅ッ」

「ひい殺意の波動が! あっ、管理人さんはイベントとかって行ったことあります?」

「えー、私ですかー」


 俺の前に美味しそうな湯気が立つ。出来立てのフレンチトーストほど甘美なものはない。


「大会には出たことありますね」

「ゲームのですか?」

「いい成績は残せなかったですけど、今となってはいい思い出です」

「ふーん。孝塚さんは?」

「私?」


 トーストを口に運ぼうとしていた孝塚さんがぴたりと動きを止めた。ややあって、彼女は首を振る。


「別に。ないかな」

「え、ないの? なんか意外だな。コミケ行かないの?」

「……ないって言ってんじゃん」


 ないのか。……あれ? でも、ハマーが孝塚さんもイベントには行ってたって……いや、いやいや、駄目だ。そういうのは当分はやめとこうって決めたはずだろ。


「そっか。行きたいなーとかは思わないの?」

「うるさいなー」


 孝塚さんがトーストをフォークで刺す。力が余ったのか、フォークの先がトーストを貫通した。かちゃんという音が鳴り、ラウンジが一瞬間静まり返る。


「ごめん、何かこう、うるさく聞き過ぎたみたいで」

「や、別に、気にしてないし、私もちょっと……」


 そこから孝塚さんはあまりしゃべらなかった。朝ごはんを食べ終わると、ふいっとラウンジを立ち去ってしまった。悪いことをしたかな。



<4>



 大学の講義が終わった帰りしな、俺は駅前で孝塚さんの後ろ姿を見かけた。珍しいこともあるもんだ。いつもは逆だ。彼女が俺の背中を刺すようにして見ていたっていうのに。

 孝塚さんの背中には哀愁が漂っている。何か嫌なことでもあったんだろうか。まさか今朝のことを引きずってないよな。声をかけようと思ったが、外では話しかけるなとも言われている。俺はそのまま、何もできずに彼女の後ろをついていく形となった。

 駅前を歩き、本屋に入り、すぐに出て、今度はアニメショップへ。俺も店内に入る。少し息苦しく感じる店の中にうるさいBGMが。女性ボーカルが頭の悪い歌詞を歌い上げている。人気アニメのオープニング曲だ。ノリがいい曲なので俺も好きだ。思わず指でリズムを取ってしまいそうになる。

 孝塚さんは棚に並んだ漫画の背表紙をじっと見つめたり、手に取ってため息をついたりしていた。相当元気がないらしい。俺が隣にいても気づかないくらいだ。

 俺は少し悩んだが、その場を立ち去ることにした。


「声くらいかけなさいよ」


 背中に声を投げられて、俺はくるりと振り向いた。孝塚さんは漫画の単行本を見ながら言った。


「私のことずっとつけて回っちゃってさ、気持ち悪い」


 お前に言われたくない。お前にだけは言われたくない。そう思ったが口には出さないでおいた。


「なんだよ、気づいてたのか」

「何か用? それとも、また私の変なところを撮ろうって?」

「そんなことしないって」

「どうだか」


 孝塚さんは皮肉めいた笑みを浮かべた。


「なんか、今日はいつもより元気がないのかなって。ちょっと気になってさ」

「……うわ。もしかして私、里見くんに心配されてたやつ?」

「そういうやつ」


 漫画を棚に戻すと、孝塚さんは出入り口の方を見た。


「外で話そうよ。ここじゃアニソンがうるさいから」


 俺はうながされるまま店の外に出て、そこから孝塚さんに付き従うように歩いた。どこに連れていかれるのかと思ったが、芳流閣の近くにある公園で彼女は立ち止まる。個人的に思い出深い場所だ。俺はここのベンチに座っていて、金鞠を見つけてフラメンコを踊ったりもしたっけ。


「あそこ座ろっか」


 孝塚さんは空いているベンチを見つけてそこにどっかりと腰かけた。大学では決して見せない、横柄で乱暴な態度だった。俺はその隣に座る。


「別に。元気なさげに見えたのは、里見くんのせいとかじゃないから」

「うん」

「てーか、誰のせいでもないし。自分のせい。私が勝手に一人でやって一人で落ち込んでるだけ。あはは」


 俺は頷いた。


「その……なんで落ち込んでたのか聞いていい?」

「イベントに行ったことないっつったじゃん? アレ、嘘。ホントは行ったことあるし、毎年行ってる」


 あ、やっぱそうだったんだ。


「でも、里見くんが思ってるような感じじゃない。楽しくないし、笑えない」

「何のイベント行ってるんだ……?」

「コミケ」


 えー? それってお祭りだろ。楽しいとこだろ。笑えるとこじゃないのかよ。


「私にとっては面白くもなんともない場所」

「でも、毎年行ってるんだよな?」

「そう」

「じゃあ、なんでわざわざ……何をしに行ってんだ?」


 孝塚さんは口をもごもごさせていたが、力を抜いて、俯いた。


「諦めに行ってるの。毎年、毎年。諦めようって思いながら」

「諦めるって、何を」

「それは」


 何か言いかけた時、孝塚さんのスマホがぶーぶーと震え始めた。彼女には友達が多い。ラウンジで一緒のテーブルに座っていても、一人だけスマホを弄っていることが多いくらいだ。俺のは放っておいても鳴らないし、震えない。もしかして同じように見えて全く違うものを持っているのかもしれない。

 孝塚さんはじっとスマホを見続けていた。


「返事、返さないの?」

「……休みになったら遊びに行こうって。冬休みになったら旅行に行こうって。どうせそういうお誘いの連絡だから」


 何だそれ。自慢か。自慢なのか。


「よござんすね」

「よくない。でも、いい機会なのかもって思ってる。ねえ。今からちょっと痛いこと言っていい?」

「えっ、爪の間に針を刺すとか、そういうやつ……?」


 グロテスクな話は勘弁してもらいたい。


「それより痛いかも。あのね。里見くんはなりたいものとか、やりたいこととかってある?」

「夢の話?」

「そ。夢の話」


 夢か。

 ……夢かあ。いや、そりゃあ女の子にモテたいとか、亜人のハーレム作りたいとか、膝枕で耳かきされたいとか(ノットビジネス)、新作のゲームやりたいしラノベ読みたいしアニメも観たい。時間が足りないから一日を五〇時間くらいにして欲しいし分身もしたい。そういう欲求はある。

 でも、それって夢か? なりたいもの。やりたいこと。自分の人生を使って、賭けて、まっすぐに向き合うもの。俺には、ない。俺はただ、島を出たかった。でも、それも確固たる信念があっての行動じゃない。本土の学校に受からなかったら、俺はそのまま島に残っていただろう。

 今、何をしたいか。そして大学を卒業した後のビジョン。何も見えやしなかった。


「ごめん。ないや。思いつかない」

「なんで謝んの? みんなそんなもんだって。何もないから大学に来てんじゃん。モラトリアムもらってさ、将来どうするのか考えるために学校通ってるんじゃないの?」

「まあ、そうかも。じゃあ、孝塚さんにはあるんだ。なりたいもの、やりたいこと」

「たぶんね」


 孝塚さんは自信なさげに答えた。彼女は詳しくは話さなかった。まだ話すつもりがないんだろうし、話すのを怖がっているようにも思えた。

 話してくれて、少し嬉しかった。俺は誰かに夢とか、将来とかを聞かされたことがなかったからだ。


「俺は孝塚さんじゃないからさ、正直よく分かんないんだけど、でも、続けられるうちは続けた方がいいよ。なれるかどうか、夢が叶うかどうかなんてさ、誰にも分かんないんだし、それがいつになるかも分かんないと思う。大事なのは運と縁じゃないかな」


 孝塚さんは目だけで俺を見た。


「ラッキーって、何かいいことが起こるかもー、なんて、誰にも分かんないじゃんか。何かやってれば、誰かがそれを見てくれるかもしれない。その人が孝塚さんにとって、すげーいい人になるかもしんない。宝くじと一緒だよ。買わなきゃ当たらない。やってなきゃ何も叶わない」

「宝くじねえ……当たるのかな、そんなの」

「俺は当たったよ」

「え、マジ? いくら?」

「ホントの宝くじが当たったわけじゃないけどさ。俺って、芳流閣に来る前にちょっと不幸かな? ってことがあったんだ。家が燃えたり、車に轢かれたり。学校に行けなくって入院してた。誰にも何にも話せないし、助けなんてなかった」


 孝塚さんは口をあんぐりと開けていた。


「そういえばそうだったっけ。里見くんってアホみたいに能天気だから、そんなことあったの忘れてた。つーか不幸かな? じゃない。絶対不幸じゃん、そんなの」

「でも芳流閣に入れたし」

「それが当たり?」


 俺は自分のスマホを取り出して、それを孝塚さんに突きつけるようにした。


「何よ、それ」

「友達が……あ、いや、俺が勝手にそう思ってるだけなんだけど、とにかく友達もできた。住む家も見つかったし、大学にも通えるし、バイトだってできるんだぜ。漫画もラノベも貸してもらえるし、管理人さんの作るご飯は美味い」


 同居人はちょっと変わってるが可愛い女の子だし。


「普通じゃん、そんなの」


 俺の普通と孝塚さんの普通は違う。


「とにかく俺は当たったの。そう思ってるんだからいいだろ。孝塚さんとも会えたし、充分当たりだよ」

「……ああ、そう。そうですか。なんか、幸せそうでいいな」


 孝塚さんはそっぽを向いてしまった。


「他人事だから言うけどさ、諦めるかどうか分かんないんなら続けなよ。何かあったら相談……に乗っても何も解決しないかもだけど。愚痴とか、それくらいだったら聞けると思うし。あ、いや、ほら、仲いいやつには言えないこともあるんじゃないかなって。そういう話ってどうでもいいやつにほど話せたりしない?」

「友達でいいよ」

「え」

「だから、友達。私と里見くんが」

「お、おお」


 トモダチ宣言された。初めてかもしれない。ソシャゲのフレンドは山ほどいるが、サポートキャラの貸し借りしかしない間柄である。

 俺はすげー嬉しかったが、孝塚さんは恥ずかしそうな、鬱陶しそうな表情である。


「言っとくけど。普通は友達のことを『友達だ』って言わないから」

「言わないのか……じゃあ、どうやってこの人は自分の友達だって認識すりゃいいの?」

「ええ? 言わなくても分かるってことあるじゃん。話が合うとか、ご飯一緒に食べるとか……そういうの言っちゃうのって恥ずかしくない? こう、自然と? なってるもんじゃないの?」

「夢がどうとか言っちゃうよりはましだと思うんだけど」

「なぁんで、そういうことっ、言うの!」


 孝塚さんは立ち上がって俺の背中をばしばしと叩いた。


「くそー、里見くんなんかに励まされたのか。ムカつくなあ」

「励ましになったんなら何よりだ」

「どや顔しないでよ。嘘松よりムカつく。何アレ。一ページ適当に書いたくらいでバズっちゃってさ……」

「別にいいじゃないか……」


 それで言うなら俺たちの好きなもののほとんどが嘘松フィクションのはずだ。


「ま、いっか。年内は続けてみよっかなー」


 孝塚さんは体を伸ばした。ぺきんと骨の鳴る音がした。


「あ。言っとくけど、学校で話しかけないでよね。里見くんと友達だと思われるの嫌だから」

「なんで!? 友達じゃないの!? 俺たち、ずっと友達だよね!?」

「普通の友達じゃないからだめ」


 そんな!



<5>



 夢かー。孝塚さんの夢って何なんだろ。


「金鞠は夢ってあるか」


 尋ねてみると、金鞠さんは俺が孝塚さんから借りてきた漫画(何でもいいと言ったらド○ヘド○貸してくれた)を読むのに夢中だった。既に夢の中ってわけか! そりゃいいや!

 くだらないことを考えていると、金鞠が白い目で俺を見ているのが分かった。


「あたしにそんなの聞かないでよ。記憶がないのにさ。仕返しのつもり?」

「そんなつもりないって。ちょっと、ふっとそんなことを考えてただけだよ」

「何でもいいけど、旦那さまも将来を考えたいんなら呪いを解かなきゃだめだからね」

「はい……ニカイドウ可愛い?」

「んー、旦那さまも頭すげ替える?」


 嫌だよ。なんでワニ頭にならなきゃいけないんだよ。


「キノコ食べたら旦那さまもカイマンになるかな」

「どうせなら体大きくなるキノコがいい。そんでテニスとかパーティとかするわ」

「……キノコ」


 金鞠は本を閉じ、窓の外を見上げた。


「昔、あたしのいた場所の近く……たぶん、どこかの山だったと思う。そこにキノコが生えてたの」


 お? おう、なんだ?


「『美味しそうだ』って誰かがキノコを食べて、三日三晩笑い転げて死にかけてた」

「えーと? あの、何の話を」

「あたしの記憶だよ。なんか、そんなことがあったんだって今、こう、蘇ったの」


 今の話で!? 完全に雑談パートだったじゃねえか。気ぃ抜きまくってたわ。


「それって、結構大事なことなんじゃ」

「どうだろうね。大したことじゃないと思うけど」

「でも山にいたんだろ? そういうのが分かっただけでも一歩前進じゃないか」

「山と言っても、それこそ山ほどあるじゃないか」

「お、うまい。座布団一枚」


 へらへら笑っていたら射抜くような視線を受けてオデノメンタルハボドボドダ。


「何かキーワードがあれば思い出すのかもな」

「キーワード……じゃ、旦那さま」

「うん」

「いつもみたいに愚にもつかない話をしてて。あたしがいいって言うまでずっと」

「うん?」


 俺はいつだって聴衆の心を虜にするような話しかしないんだけど。まあいいか。


「それじゃあ俺が島にいた頃、森でかくれんぼしてたらいつまで経っても誰も探しに来ないから里見の坊ちゃんが神隠しに遭ったって大騒ぎになって、『それでは神を殺します』とチェーンソー片手に八つ墓村みたいな格好をしたお手伝いの梓さんを俺がマジもんの鬼と見間違えていつの間にか鬼ごっこになってた話をしようかな」

「タイトルで全部話してるじゃん……」



<6>



「うわああああああエンディングで管理人さんが踊ってるううううぅうう!?」


 しかも作画がヌルヌルだ!

 可愛過ぎて俺は飛び起きた。隣で寝ていた金鞠は鬱陶しそうに瞼をこすっていた。


「なぁに、旦那さま……まだお日様だって眠ってるよ」

「あ、ああ、悪い。……なんで隣にいるんだよ」


 俺が寝ようとしてた時、金鞠はいつものようにベッドの縁にもたれかかって漫画を読んでいたはずだ。


「お前、寝なくてもいいんじゃなかったのか?」

「そうだけど、寝られないってわけじゃないからね。旦那さまの話を聞いてたら眠くなっちゃったし」

「どういう意味だ」


 金鞠は布団から出ようとしなかった。まったくいつの間に潜り込んだんだ。

 俺は金鞠を踏まないようにしてベッドから降りる。まだ三時だ。窓の外に目を向けると、月は雲で隠れていた。だけど明るい。駅前周辺には煌々とした明りだらけだ。耳をすませば誰かが笑っているような声も聞こえてくる。ここは昼も夜もうるさい。だけどそんな雑音が心地よかったりもする。俺は今、虫一匹だってろくに隠れていられないような、そんな街に住んでいる。


「本の虫はいるけどな」

「何の虫って?」

「何でもナーミン……今、何か音がしなかったか?」


 俺は窓を開けてみる。冷たい風が吹き込んできて金鞠が文句を言った。


「えー……よく分かんないな。ホントにした?」

「したって」


 外? いや、マンションの中からか?


「引きずるような、引っ張るような、ずりずりって感じ。ドアが開くような音もした」

「旦那さま、耳『は』いいんだね」

「なんだその二重括弧は。その言い方だと、俺のどっかに悪いところがあるように聞こえるぞ」

「意外と神経質なんだね」


 気になるなあ。泥棒だったら怖いし。


「まあいいや、寝るか」


 俺はベッドを見下ろした。金鞠の和服。その胸元がはだけていた。


「なあ。寝たいんだけど」

「ん」と金鞠は両手を広げた。

「おいでよ」


 おいでよ!?


「何がおいでよだ。ここをけだものの森にするつもりか」

「添い寝したげるって言ってるんだよ。うるさいなあ」


 金鞠はごろりと寝返りを打った。俺を男とも人とも思っていないようなそぶりである。


「旦那さまはさあ、あたしをスケベな目で見てくるのに、そのくせヘタレなんだよね」

「何が? 別に? 俺そんな目で見てねーし? つーか金鞠って本の精霊とか言ってるじゃん? ってことはお前って本じゃん? 本に欲情するとかありえなくね? ページヒラヒラすんのと和服の裾がヒラヒラするのは全然別物じゃん? 聞いてる?」


 寝息が聞こえてきたので俺は諦めた。

 とはいってもベッドが占領されてちゃしようがない。どうせ明日は土曜日で学校は休みだ。朝まで適当に起きといて、バイトまで寝ててもいいわけだし。俺は部屋を出てトイレに向かう。ついでに顔も洗おうかな。

 部屋の外は当然だが真っ暗だ。この八階フロアの入居者は俺と犬飼さんだけらしい。暗いし、人気がなくって静かなのも当然である。こんなに本は置いてあるのにな。部屋だってあるのに。……もしかして全部犬飼さんが貸し切って物置代わりに使ってるんじゃないだろうな。ありうる。



<7>



「やっちゃん。やっちゃんは私のこと好き?」


 見覚えがある景色と声。俺は自分がどこにいて、誰と一緒にいるのか、すぐに分かった。俺をやっちゃんと呼ぶ人間は限られている。

 ここは夢だ。生まれ育った島の秘密基地で、ともちゃんと一緒に遊んでいる時の俺だ。


「ここにあるもの全部より私が好き?」


 里見智さとみ とも

 それがともちゃんの名前だ。母さんの妹で、俺にとっては叔母にあたる。涼しげな顔立ちにショートカットの黒髪。ともちゃんはいつも遠くを見ていた。

 好きかどうか。

 ともちゃんは俺にそんなことを尋ねた。口癖のようでもあった。


「タツ姉より、私が好き?」


 俺は、なんて答えただろうか。

 覚えていない。

 覚えてないが、ともちゃんはある日、いなくなった。俺に何もかもをくれて、そして奪っていったまま。


「あ」


 気づいたら昼に差し掛かろうとしていた。夢から覚めて、俺は芳流閣にいた。当たり前のことなのに、今だけは何だか妙な気分だ。ベッドには金鞠がいて、彼女は本を読んでいる。俺は床の上で寝ていたらしいが、布団が掛けられていた。


「おはよう旦那さま。もうお昼だよ。さっきまでスマホも鳴ってたみたいだ」


 確認すると管理人さんから何件か通知が届いていた。朝飯と昼飯はどうするのかという連絡だった。俺は彼女に返事を送り、スマホをベッドに投げ捨てる。


「体が痛い」

「床で寝るからだよ」

「誰のせいだと……まあいいや、ちょっとシャワーでも浴びてくるわ」

「背中でも流してあげようか」

「遠慮しとく」


 部屋を出て廊下を進む。右手側の突き当りにはシャワールーム、洗面所、ランドリールームなど水回りの設備がまとまっている。犬飼さんは芳流閣の設備をあまり使わないらしいので、実質俺専用みたいなところがある。しかし大して嬉しくはない。俺は風呂と言えばしっかり湯船に漬かりたいタイプだ。近くに銭湯があるらしいがまだ利用したことはない。

 シャワールームの脱衣所にはドアがない。カーテンで仕切られ、目隠しされている。とりあえず一汗流すか。

 服を脱ぎ、シャワーのコックをひねる。床がちべたい。


「うー、さむさむ……」


 水が湯になるより早く、どかどかという足音が聞こえてきた。一人分じゃない。複数の足音だ。何故? 答えを出す前に全て分かった。

 筋骨隆々のマッチョマンたちがシャワー室のカーテンを開けて仁王立ちしていた。上半身裸で、下半身にはタオルが巻かれている。


「ここは使用中だぞ」


 できる限り凄んで見せたが全く通用しなかった。マッチョマンたちは俺の体を嘗め回すように見てくる。一言も口を利かないので怖い。


「おい。あ、いえ、あのー……」

「どいてくれ」


 後ろから男の声がして、マッチョマンたちが左右に分かれて道を開けた。現れたのは、


「お前は」

「ようヤツフサ。お前に一つ聞きたいことがあるんだ。その答え次第によっては……」


 ハマーだった。いつもの彼ではない。目が据わっていて、怒っている。


「聞きたいこと?」


 俺は局部を手で隠しながら言った。


「俺の戦利品を奪ったのは、お前か?」


 水がお湯に変わったが温かさはまるで感じられなかった。

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