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孝塚オブザデッド



<1>



 朝。俺は、ドアの前に何かが落ちているのを見つけた。紙だ。そこにはまた『9時 ラウンジ ドアの前』というメモが残されていた。ラウンジなのかドアの前なのかどっちやねん。

 ふと気になってドアを開けると、廊下には本が積まれてあった。


「管理人さんかな……」


 俺は積まれた本を抱えて部屋の中に戻った。


「おはよう、旦那さま。今日は一人で起きられたんだね」


 金鞠は窓の傍に佇み、薄く笑っている。


「昨日はあたしが起こしてあげたんだよ」

「えっ、どうやって?」


 嘘だろ、女の子に起こされるなんてかなり、その、いいじゃないか。俺史に燦然と輝くであろう決定的瞬間を覚えていないなんて昨日の俺を許せない。さ、ささげる。


「何発か平手で」

「優しくぅー。もっと優しく起こしてくれよ」


 俺に妹がいたら騎乗位で起こして欲しかった。

 俺に彼女がいたら一緒に布団に入ってきて耳元で囁いて起こそうとするんだけど二度寝に突入してイチャイチャしたかった。


「それより、その本は?」

「目ざといですな。はっは、これはな、俺がかんりに……友達から借りた本だよ! どうだ!」

「へえ、どんなの?」

「えーと」


 全部格ゲーのムック本だった。しかもフレーム表とか当たり判定ががっちり載ってるやつだった。


「こんなもん読むか!」

「いいよ、字さえ書いてあるなら」


 金鞠はどこか嬉しそうにして俺から本を受け取った。



<2>



 時間になり、俺はラウンジに降りた。金鞠も誘ったが、あいつは食事をしなくてもいいらしいので断られた。それよりも彼女は管理人さんから借りた本が読みたくてしようがない様子だった。


「おはようございます、里見さん」

「ざいます。あ、本ありがとうございます。でもアレはどうかと思います」


 管理人さんはぷんすかし始めた。


「どうしてですかっ。今はもう格ゲーの攻略本がすごく珍しい時代なんですよ! そんなクレイジーな時代にあれが読めるなんてすばらしいと思いませんか」

「いや、でも、古いのばっかりで……」

「だって最近の格ゲーはアプデで調整するのが当たり前なので、本を出してもフレームとか変わっちゃうんですよね。出すに出せないというか」


 管理人さんは悲しそうだった。

 俺は席に座り、ラウンジを見回す。


「今朝はどうしてこの時間に呼ばれたんですか?」

「それはですね」


 キッチン近くにいた管理人さんはパッと表情を明るくさせる。


「入居者の皆さんのスケジュールは、だいたい把握しているんです。その空白の時間を狙って里見さんを呼び出しているというわけなんですよ」


 徹底的―。そうまでして俺と一緒にいるところを見られたくないのかよ。


「私はここのスタッフですからね。特定の方に肩入れと言いますか、えこひいきするのもどうかと思うので」

「でも俺といるところ、他の人に見られたりしてますよね」

「ある程度はしようがないです。最悪、義川さんに見られなければ……」

「義川?」


 誰のことだろう。


「里見さんが不審者として追われていた時、めちゃめちゃ怒ってた女性の方ですよ」

「ちょっと元ヤンっぽいというか、気が強そうな……?」

「あ、たぶんその方で合ってます。義川さんは里見八総を追い出す会の会長ですからね」


 そんな会が発足されてるのかよ。初耳だしショックだよ。


「俺、そこまで嫌われるようなことしたんですかね」

「……好かれるようなことはしていませんよね」


 ごもっともである。


「それよりもー、今朝は和食にしてみましたよー。里見さんはご飯とパンならどっち派な方ですかー」

「俺はもう断然ご飯ですね」

「あら、でしたら最初から言っといてくださればよかったのに」

「いやあ、管理人さんのご厚意を無下にはできませんからね」

「めんどくさい真似しなくて結構ですよ」


 あしらわれた!


「パンはパンでも管理人さんのパンは美味しいですから」

「え? なんです? なぞなぞですか?」


 俺の声は水流によって掻き消されていた。もう黙るしかなかった。


「はーい、お待たせしましたー」

「おお」


 出てきたのは、何だか懐かしさすら感じられる和の食事だった。


「俺、みそ汁だけでご飯三杯くらいいけますよ。もしくは頑張って走ってる女の子見てもご飯三杯くらいいけますね」

「そうですか」


 管理人さんは俺の対面に座った。なんか、眼光が鋭いような気がする。格ゲーで相手を画面端に追い込んで、ジャンプして逃げるのを待っている時のような、そんな決意が見え隠れしていた。


「あ、あの、なんか殺意に目覚めそうなオーラ纏ってません?」

「冷めますよ。どうぞ」

「いただきます」


 俺は味噌汁を啜った。うん、美味い! というか俺はだいたいのものを美味しく頂ける。出されたものはたいてい『美味い』としか言わないので、島ではお手伝いの梓さんも張り合いがないとつまらなそうにしていたのを思い出した。


「美味い美味い」


 もしゃもしゃと食事を続ける。俺は管理人さんに話を振ろうとするが、彼女はそれを聞いちゃくれなかった。

 粗方のものを平らげた頃、管理人さんの表情が和らいだ。


「美味しいですか?」

「ウマいす」

「本当ですか?」

「嫌だなあ。俺は嘘をついたことがないので有名だったんですよ」

「それは嘘をつく人の台詞ですけど、まあ、その食べっぷりに免じましょう」


 ごちそうさまでした。超元気出た。釘パンチとか打てそうな気分だ。


「ここに住んでる人たちの料理って、みんな管理人さんが担当してるんですか?」

「あー、いえ、そうでもないですよ。お願いされれば作りますけど、皆さんにも好みとか、時間の都合とか、色々ありますから。その、色々と」


 ふーん。


「まあ、対面でじっと見られたら食いづらいって人もいそうですし」

「えっ、ええ、そうですね」


 管理人さんの挙動が油を差していないロボットのようにぎこちない。明らかに狼狽えている。


「まさか、毎回毎回今みたいにしてたんですか? じーっと、画面端に追い込んだような顔で」

「そんな顔してました? え、してたんですか? ……ええー? そんな顔してないですよう」

「かわい子ぶっても駄目ですよ。ちょっと圧がありましたもん。アレですか。料理の感想が気になるタイプですか?」

「多少は」


 なるほど。そういや、お手伝いの梓さんも新しい料理を出してきた時は、そういう顔つきになってたっけ。


『どうですか坊ちゃん。腕によりをかけたのですが』

『えー? うーん。あんまり……』

『そうですか……梓は残念です』

『いった!? 痛い痛い! しゅんとした顔で極めるのやめてェ!』


「無茶苦茶やなあの女!」

「え? だ、誰のことですか?」

「すみません。脳みそのブラックボックスを開けてしまって……」


 とにかくアレか。管理人さんに食事をお願いする人はほとんどいないということか。でも、料理している時の彼女は楽しそうにも見えた。


「管理人さんは割かしエンタテイナー気質なんですね」

「そうですかね……?」

「ご飯を作るのも、マンションの人たちを気にするのも、誰かに気持ちよくなってもらいたいからじゃないですか」

「それはもちろんですよー。私は芳流閣も、皆さんのことも大好きなので」


 にっこりと笑う管理人さん。好きになってしまいそうで、思わず目を反らした。その視線の先に女性がいた。俺と同年代くらいだろうか。黒髪ロングで、何だか寝起きって感じでぬぼーっと立っている。


「おはようございますー……」


 黒髪の子はおぼつかない足取りで、俺たちのテーブルまで歩いてきた。


「た、孝塚さん? あ、あの、今日は一限から講義だったのでは?」

「やー、そうなんですけど、ちょっと昨夜は張り切り過ぎちゃって……えへへ、寝坊です」

「そ、そうでしたか」


 管理人さんは俺にちらちらと視線を送っていた。俺はウインクを返した。


「そうじゃないです!」


 突っ込みの声で目が覚めたのか、孝塚という女の子は短い悲鳴を発した。そして俺の存在にも気がついてまた悲鳴を発した。


「ど、どうしてこの人がここに」


 俺から距離を取り、こっちを指差す女の子。レッサーパンダを初めて見たかのようなリアクションだ。


「いや、俺だって入居者だもん。そらラウンジにもいるでしょ」

「だめじゃないですか! 死んだ人が出てきちゃ! 部屋に引きこもってなきゃああ!」


 お前はザビ○ネか。死んでて(疑惑)部屋に引きこもってるやつは別にいるしな。

 というか、この子があの孝塚さん? 俺のことをすげー目で見てて距離を取って指まで差してるんですけど。そしてフォーク握り締めてるんですけど。


「管理人さん。全然話と違うじゃないですか。『いい子』は人を死人にはしませんよ」

「どうやら、里見さんは相当嫌われているようですね」

「えー。俺、何もしてないんですけど。つーか君とは初対面だよね? そんな風に言われるようなことしたっけ」


 俺は孝塚さんを見た。彼女は大きく目を見開いた。


「は、は? 初対面? いや、えっと、何を言って……」

「どっかで会いましたっけ?」


 もしかして、マンションの中ですれ違ったりしてたのかな。


「私のことを犯そうとしたじゃないですか!」


 管理人さんもフォークを握り締めた。濡れ衣だ。


「里見さん。私はあなたを少し信じ始めていたところだったんです。はあ。残念です」

「お願いです。絶対何かの間違いです。いや、マジでこの人とは初めて会うんですって!」

「嘘をついてます! この人は、ここに不法侵入した時に! し、ししした時にっ、ラウンジで! ラウンジで私を!」


 管理人さんは俺と孝塚さんを見比べていた。


「自分で言うのもなんですが、俺にそんな度胸はありません」

「確かに。里見さんってばヘタレ系ですもんね」

「グムーッ、認めるのも認めないのも辛い!」


 孝塚さんは発狂モードに突入しかけていた。


「うーん? でも、孝塚さんは里見さんとラウンジで会ったと言ってますよ」


 俺が芳流閣に初めて来た日のことか。確かに、俺はあの時ラウンジには行ったけど。


「義川さんっていうアナ……」

「穴?」

「……気の強そうな人はいましたよね。あと、帽子被った背の高い人も。『はわわ』とか言ってました」

「ああ、それはかけはしさんですね。それ以外の方とは?」

「俺の腹をボコボコにした子と、あ、そういえば管理人さんもいましたよね」

「そうですねー」

「いやー、あの時は死ぬかと思いましたよ」

「あはは、そうですねー」


 懐かしい話に花が咲いた。孝塚さんは叫んだ。


「和む!? ここ和むとこ!?」

「ご、ごめんなさい。……でも、それ以外の人って、うーん」


 駄目だ。思い出せん。

 孝塚さんは自分のことを何度も指差している。


「そ、ソファにいた私を押し倒そうとしてたじゃん!」

「えー? つーか逃げるのに必死でそんなんしてる暇ないって。人を淫獣扱いすんなよ」

「まあ、確かに」


 管理人さんが同意する。孝塚さん、怒る。


「管理人さんはこんな人の味方するんですか!」

「味方はしませんしませんっ、しませんってば!」


 いや、してくれよ。孝塚さんは俺の人生を狂わそうとしてるんですよ。


「っていうか、見覚えないっつーか、マジで見分けがつかないんだよな」

「は?」

「いや、だって、孝塚さんって大学とか駅前とか、どこにでもいるような人って感じだからさ」

「はあ?」


 髪の毛とか服とか喋り方とかで区別できない。


「俺って島育ちだからさ、特徴とかないと覚えられないっていうか、だからたぶん、孝塚さんは俺のことを知ってても俺は君のことを知らないし見覚えないし興味ないって言うか」

「何を虚刀流の七代目みたいなこと言ってんの!? 言うに事欠いて、言うに事欠いて!」

「事欠いてるのそっちじゃん」

「そもそも島育ちでも普通に見分けつきますよね」

「管理人さんは黙っててください!」


 えー。もう超こええわこの人。


「里見さん里見さん」


 管理人さんが俺を肘で突いてくる。


「なんすか」

「もう認めちゃった方が早くないですか?」

「今ご自分がありえない提案してるの分かってます?」

「私もう掃除とかしなきゃですし、さっさと終わらせてゲームしたいんですよ。ホントに覚えてないんですか?」


 うーーーん。


「あっ」

「おっ?」


 思い出したぞ。

 そういやあの日、ラウンジにもう一人いたっけ。


「孝塚さん」

「何!?」

「ちょっと白目剥いてくんない?」


 孝塚さんは固まった。硬直が解けるやいなや俺に掴みかからんばかりの勢いで声を荒らげる。


「ど、どうして? どうして白目を剥かなきゃいけないの?」

「いや、思い出したんだけどさ。なんかあの時、白目剥いてる女の人がいたっけって。ちょっと雰囲気とかがさ、孝塚さんに似てたような……」


 管理人さんは小首を傾げた。


「孝塚さん。あのー、白目、剥いていらっしゃったんですか?」

「む、剥いてなんて……! いたような、ないような……」

「ちょっと剥いてくれよ。それで思い出すから」

「え、えー?」


 孝塚さんは何故だか困惑している。

 どうしてだ。白目を剥きさえすれば、あの日、彼女がラウンジにいたかどうかが判明するというのに。


「えー、つーか、ええー? ありえなくないですか? どうして私がそんなことしないといけないのかわけが分かんない……」

「いや、そっちが俺をレイプ魔扱いしたからだろ」

「そ、それは、その、今にして思えば言い過ぎかなーとか」

「白黒はっきりさせたいんだ! だからほら、白目剥いて」

「……ちょっと待って。私が白目になっても問題解決しなくない?」

「するって! 俺がここに来た初日のことを話してるんだろ! 孝塚さんと初日に出会ってるかどうかがカギを握ってるんじゃないか!」

「そ、そうなのかな?」

「そうだって! ほら、早く!」


 孝塚さんは目を瞑って低い声で唸り始めた。俺も管理人さんも本人でさえも薄々どころかおおよそ気づいているが、寝起きで頭が回っていなかったやつの発言である。信憑性に欠けまくっている。まともに付き合ってたら時間がいくらあっても足りない。現に管理人さん、もうすっかり興味をなくしてこっそりスマホゲーで遊んでいる始末だ。


「こ、こんな感じ?」


 孝塚さんは上の方を見て『てへぺろ☆』って感じで舌を出していた。


「全然ちげーよ。そんなんまだ『変顔~』つってインスタ映え狙ってるレベルじゃん。俺が見たいのは超マジの白目だって」


 素晴らしきヒイッ○カラルドばりの白目を見せてみろ。


「あのー。そろそろ私の勘違いだったかなーって思ってるんだけど」

「人のこと性欲過多扱いしといてそれはないだろ。いいか。こっちには犬飼さんがついてるんだからな。出るとこ出てもいいんだぞ」


 犬飼力は孝塚さんにも効果てきめんだったらしく、彼女は本気で白目を剥き始めた。女の子が白目を剥くってちょっとやばい。


「うわー、俺こういうのゾンビ映画で見たことあるわ」

「バイオですね、バイオ」

「うっ、うう……もう許して」


 孝塚さんは白目を剥きながら泣きそうになっていた。

 俺はケータイを取り出して孝塚オブザデッドをばっちり撮った。


「いいよもう、忘れるよ。水に流すよ」

「はい……」


 孝塚さんはうなだれた。


「そもそも白目剥いてる女を襲うやつなんかどこにいるんだよ」

「うわああああああんん!」



<3>



 勝利者などいない。しかし俺は満足感を得て大学に向かっていた。ちらりと後ろを見るとゾンビみたいな足取りの孝塚さんがいた。どうやら彼女も二限の講義を受けるらしい。おそろいだね!

 さっきから風に乗って孝塚さんの呟きが聞こえてくるが、たいていが俺への呪詛だったので聞き流しておこう。

 大学に着いても孝塚さんは俺の後ろを歩いている。受ける講義も同じらしかった。そこで俺は見た。彼女は教室に入る直前、しゃきーんという効果音と共に元気いっぱいの表情に切り替わった。どこにでもいるパリピの出来上がりである。


「おはよー」

「うぃー、孝っちお疲れー」

「お疲れー」


 まだ何もしていないのに、どうしてお疲れという言葉を挨拶代わりにするんだろう。八総わかんない。

 俺は教室の前の方の席へ。孝塚さんは一番後ろに陣取っていた。なぜだろう。背中が熱いし、痛いような気がしてならなかった。



<4>



 孝塚信乃たかつか しの

 俺と同じ大学に通う、どこにでもいる普通の大学生だ。

 髪の毛は黒く、長い。中肉中背。取り立てて美人ということもなく、飛び抜けた不細工というわけでもない。服も口調も性格も身につけているものにも個性がない。周囲に溶け込むのを目的にしているかのようだ。そいつを裏付けするかのように、孝塚さんはいくつかのグループを渡り歩いている。協調性があり社交性がある。和を乱すことをしない。何かあってもよそ行きの笑顔でお茶を濁すのが上手い。特定の個人と長時間一緒にいないっぽいのだ。


「…………」


 どうして今日一日で孝塚さんに詳しくなったのかって?

 俺が彼女につけられているからだ。孝塚さんはずっと俺の見える範囲で行動していた。たまたま講義が被ったってのもあるが、それにしても度が過ぎている。俺は大学が終わった後、駅前や商店街をぶらつき、バイト先に顔を出していたが、そこにも彼女はいた。これはおかしい。俺はある結論を出した。


「もしかして……俺のことが好きなの?」

「は?」


 芳流閣に帰宅し、ラウンジでハマーと駄弁り、誰もいなくなったところを見計らって孝塚さんに声をかけてみた。


「いや、だって」

「ありえないから」


 めっちゃ冷たい目でばさりと斬られた。これが照れ隠しに見えるほど俺はうぬぼれていなかった。だったら俺をつけてた理由はなんだ。問いただしてみると逆に詰め寄られた。


「そっちこそ、なんで私の行く先々にいるわけ?」

「エスパーじゃないんだしそんなの無理だろ。状況的に考えてもそっちが俺の後ろをついてきてたって方が筋が通るじゃねえか」

「通らない」

「いや、通るだろ」

「通らないしそういうこと言ってるんじゃないし」


 じゃあどういうことを言ってるんだよ!


「何がしたいんだよ、もう」


 孝塚さんは大学では絶対に見せないであろう不満顔でソファにどっかりと腰かけて、何か考えている様子だった。そうして、俺に手を差し出した。


「写真、撮ったでしょ。アレ消して」

「写真ってなんの」

「私の変な顔のやつ! あんなのネットに流されたら生きてけない!」


 ああ、バレてたのか。


「あの、モーニング・オブ・ザ・デッドの写真?」

「変な名前つけないで! とにかく、そう、それ。消して」

「どうして俺をつけてたのか言ったら消す」


 孝塚さんは舌打ちした。


「里見くんをつけてたら弱味が見つかるんじゃないかと思って。それを写真に撮って、交換条件にしようと思ってました」

「うわっ、根暗……」

「根暗で悪い? さ、言ったから消して」

「分かった。ゾンビ特急芳流閣行きはもう消すよ」

「だから……! もういい、いいから消して」


 俺は孝塚さんががっつり白目を剥いている写真を一枚消した。連写していたからまだフォルダにはいくつかが残っている。写真の貯蔵は充分だった。


「ほら、消したよ。そもそも、あんな写真Twitterとかに載せないって。載せたとしても誰も見に来ないって」


 アニメの実況とかクソ映画やクソ漫画の感想言ったり、ソシャゲのガチャ結果を報告してるだけのゴミのようなアカウントだ。フォロワー数ゼロに近いぞ。何故か一人、毎度のようにリプライしてくる人はいるけど。時折俺のことを坊ちゃんとか呼んでくるけど。


「……里見くん、そういうのやってるの? ふーん。アカウント教えて」

「は? なんで? ヤだよ」


 アレは俺の恥部だ。大切な人にしか見せたくない。


「だってそっちで私のこと呟いてるかもしれないじゃん」

「してねーし、しねーよ。せいぜい『やばいやつに狙われてる』くらいしか言わねーって。俺はネットではリアルのこと言わない主義なの」


 どこで俺を特定されるかわかったもんじゃないからな。


「なんか信用できない」

「どうすりゃいいんだ。つーか、俺をつけてたんならだいたい分かっただろ。自分でこういうの言いたくねえけど、こっちで一人暮らし始めてから友達なんてほとんどいないし、孝塚さんのことを話す人なんていないって」

「……本当に?」

「本当だって」

「ふーん。友達いないんだ」


 孝塚さんはソファから立ち上がった。


「何だったら気の済むまで俺を見張ってたらいいよ」

「え?」


 言ってから、しまったと思った。

 孝塚さんは俺をじっと見て、ぽつりと呟く。


「まあ、初日でぼろを出すとも思ってなかったし、そっちがそう言うんならそうしよっかな」

「マジで……?」

「うん、そうする」


 孝塚さんはわらっていた。笑っていたのではなく嗤っていた。俺の無様な姿を写真に収めるなりしたら、それをネットにアップして炎上させてやろうって顔をしている。こいつのどこが『いい子』なんだ、管理人さん。



<5>



 俺公認のストーカーが出現してしまった。頭を抱えながら自室に戻ると、ベッドの縁に背中を預けながら、足を伸ばして読書に耽っていた金鞠が本から顔を上げる。


「おかえり、旦那さま。浮かない顔をしているみたいだけど、何かあったの?」

「妙なやつに付きまとわれることになりそうで……」

「ふうん。今更じゃないか。何せ旦那さまは呪われてるんだから」

「……それもそうだな!」


 そうか。魔導書の呪いに比べたら、女子大生にストーキングされるなんて全然マシだよな。ていうかモテ期到来してるよな! 我が世の春が来た!


「元気になって何よりだよ」

「おう。……ん?」


 金鞠の近くには、管理人さんから借りた格ゲーのムック本が積まれていた。


「お前、もしかしてずっとそれを読んでたのか?」

「うん。案外悪かないよ。よかったらまた別のを借りてきて欲しいな」


 それは構わないけど、格ゲーを知らないやつからしたら拷問じゃねえのかそれは。


「文字を追っかけていると何か思い出せそうな気がしてくるんだ」

「え、マジかそれ」


 金鞠はカプ○ンファイテ○ングジャムのムック本を読んでいた。オールスターズの発売が待ち遠しくなってきちゃうな!


「どうせならゲームもありゃいいんだけどな」


 しかし俺は金欠である。管理人さん、貸してくれないかなー。


「別にゲームはいいよ。そういうのに興味ないから」

「でもあったら暇潰しにはなるだろ?」

「あたしは本のがよっぽどいいよ。それにああいうのは高価なんだろ? 本を貸してくれても、ゲームを貸してくれる友達なんか旦那さまにはいないじゃないか」

「い、いるわっ。ごまんとおるわ!」

「あたしに見栄を張らなくてもいいんだよ?」


 男にはプライドがある。

 俺が墓穴を掘り進んでいるとドアがノックされた。そして隙間には例の紙が差し込まれていた。


「『18時にラウンジ』。今日は早いんだな。どうしよう、晩ご飯が早過ぎると夜中にお腹減ってきちゃう」

「材料さえあればあたしが何か作ってあげるよ。いいからほら、あの小さい管理人を待たせるのも悪いでしょ」


 金鞠の手料理かー。それもいいな。俺は何だかウキウキしながら部屋を出てラウンジに向かった。

 管理人さんは既にスタンバっているらしく、包丁を片手にしながらこっちに向かって小さく手を振ってくれた。


「今日は早いんですね」

「そうなんですよー。皆さん、帰りが遅くなるみたいなので今のうちにと」

「こんなに早いと夜中にお腹が空いちゃいますね」

「そっすね」


 なおざりー。


「お、今日はビーフフトロガノ……ビーフスロガフ……ビーフストトロ……あの、肉料理ですね」

「はいー、今日はそうなんですー。ちなみにビーフストロガノフでもないですし豚の生姜焼きですので」

「はっはっは。あ、そうだ。よかったらまた本を貸していただきたいんですけど」

「えっ。もう読んじゃったんですか? いつの間に」


 俺が学校行ってる間に。


「サンドバッグになる気満々のいい心がけだと思いますー。じゃあまたムック差し入れしますね」

「あー、それもいいんですけど、よかったらゲーム機も貸してもらえたらなーって」

「それは……うーん。ラウンジにあるのを持ってってもらってもいいんですけどねー」


 え、ラウンジにゲームあんの?


「ドリキャスとかサターンとかゲームギ○とかありますよー」

「プレステとかスイッチ的なものがいいんですけど」

「は? もしかして馬鹿にしてます?」

「してないですメガド○ミニとか超出て欲しいっす!」

「そうですか。64なら置いてたような……」

「あ、そっすか。にしてもバラエティに富んでますね」

「許可さえ取ってくだされば自室で使ってもらって大丈夫ですよ。もちろんずーっとってわけにはいきませんが」


 夢のような環境である。島にいた頃は見つからないように隠れながらゲームをしていたからな。


「ちなみにソフトはご自分で用意してくださいね」


 うぇー、まあ、そりゃそうか。


「管理人さん、どうせならゲーセンに置いてあるような筐体も置いたらどうですか」

「それがまだ申請が通らなくって……って、いうか、ですね」


 管理人さんはさっきから、ちらちらと俺の後ろに視線を送っていた。


「どうしました。俺の魅力に参っちゃいました?」

「そうですそうです、参っちゃいました」

「おぉい軽く流さないでくださいよ!」

「そうではなく。ほら、後ろに」


 俺は振り返った。ラウンジのソファに座っているやつがいた。孝塚さんだ。彼女は咄嗟に漫画雑誌で顔を隠した。尾行下手くそか。


「ああ、まあ、孝塚さんはいいんです」

「いいんですか? めっちゃ見られてましたけど」

「俺公認のストーカーですから」

「マッドでダークなストーカーさんなんですね……」


 見られるだけなら特に害はない。むしろ見られてる方が興奮する。

 その後、食事中も孝塚さんの視線は俺たちに注がれたままだった。


「あのー、私、どうしても気になるんですけど。そもそも、どうして孝塚さんが里見さんをストーキングしてるんでしょうか」

「俺の弱味を掴もうとしてるんですよ。それと、俺が何か変なことをしないかって見張ってるんですって」

「おおー、ウォッチメン的なやつですね」


 確かに、あの頭おかしい感じはロールシャッハを彷彿とさせるかもしれん。


「どうせなら一緒にご飯を食べたらいいのに」

「ちょっと呼んでみますか。おーい、孝塚さーん。孝塚さーん」


 孝塚さんは答えなかった。


「おい、白目」

「異名みたいに呼ばないで! ……しまった」


 ソファから勢いよく立ち上がった孝塚さんは唇を噛んでいた。


「メシ食わねーの? 今なら管理人さんが用意してくれるってさ」

「その手には乗りませんよ」


 どの手だよ。


「近くに来た方が見張りやすくないですか?」


 管理人さんがアシストする。もはや誰に対してのアシストなのかは分からない。

 孝塚さんは立ち上がったまま何か考えていたようだが、無意識のうちにか、お腹を摩っていた。腹減ってんだな。


「まあ、里見くんがそこまで言うなら」

「俺、別にそこまで言ってないんだけど」

「もういいじゃないですか。ではでは、もう一人分用意しますねー」


 キッチンに向かう管理人さんと入れ替わる形で、孝塚さんが俺の斜め前の席に座った。


「どうしても俺を変態に仕立て上げたいみたいだな」

「私は真実を明らかにしたいだけです」


 しかし孝塚さんは分かっていない。俺をストーキングしているという行為が既に変態なのだと。自分で自分の首を絞めている人を見るのはなかなかどうして面白い。


「そういや孝塚さんって漫画とか好きなの?」


 孝塚さんは俺を無視して携帯を弄っていた。たぶん、SNSで俺の悪口を言っているに違いない。


「ああ、ハマーからそういうこと聞いてたんだけど勘違いだったかな。だいたい漫画好きって言ってるようなやつに限って『この漫画がすげえやばい』的なランキングを鵜呑みにするんだよな。そもそも漫画が好きならそういうので知れ渡る前に目をつけてるって思わねえ? そんでおすすめの漫画はって聞かれたら判を押したように『寄○獣』とか言うんだよな」

「……面白いじゃないですか」

「え、何? 何か言った?」

「寄○獣いいじゃないですか。何がいけないんですか」

「別にいけなかないよ。ところで孝塚さんって浅野○におとか読んでそうだよな」

「読んでてもいいじゃないですかっ」


 めっちゃ食いついてきた。空腹のピラニアみたいだなこの人。


「ヴィレヴァンに週4で通ってそう」

「そんなに行ってません」

「おしゃれなカフェとか好きでしょ」

「嫌いな人はいないと思いますけど。ていうか私、別にサブカルとか好きじゃないから。漫画は好きだけど」


 孝塚さんはつんとして横を向いていた。


「へー、俺も漫画読むよ。ジャンプだったらアレだな。ぼく勉で毎週手首回転させるの好き」

「あ、私も。文系の子好きー」

「でも先生超強いよな。まさか人気投票で一位になるとは……」


 これアレだよな。主人公が教師になって先生ルート突入するパターンだよな(願望)。


「里見くん誰推しなん?」

「第一話から先輩推しでした」

「先輩は一話から出てねーし。……あっ」


 孝塚さんは口元を手で抑えた。


「どしたん?」

「あっぶな……! 普通に喋りそうになってた」

「ゴールデンカ○イで抱き枕になりそうなのって誰だと思う?」

「谷垣。あっ……」

「レスラー並みに防御しねえな」


 基本的に受けて立ってんじゃねえか。


「ああー、駄目だー、反応してしまうぅううう」

「しまうー」

「あっ、よつ○と? しまうー可愛いよねー」

「いや、今のは誘ったわけじゃないんだけど」

「あああああしまった恥ずかしいやつだあああぁああ」


 孝塚さんは顔を伏せてしまうー。


「頭ん中漫画ごっちゃになってるじゃん」

「だって、大学とかじゃこういうノリできないし……」

「そうなの?」

「陰キャインパルスはちょっと……みたいなノリのグループに入っちゃったんだもん。話題はだいたい、バイトとか、お酒とか、パーリィ的なこととかばっかりで」


 ちょっと羨ましい。俺も刀を六本くらい持ってパーリィしたい。


「やっぱ漫画好きなんだな」

「悪い?」

「なんで? 全然悪くないじゃんか。よかったらなんかおすすめとか貸してよ」

「えー、なんか、変な汁とか付着して返ってきそう」

「弁償するよ」

「汁のとこ反論して?」


 孝塚さんは俺に向き直った。


「いいよ、漫画貸したげる。その代わり変なことしたら大学にいられないようにするから」

「変なことってなんだよ」

「うるさいな。それで、どんなんがいいの?」


 とはいえ読むのは俺ではなく金鞠だ。漫画だったら俺も読むけど、あいつが読めなかったら意味がない。……そういや、文字を追いかけるのがいいとか言ってたっけ。


「文字数が多そうなやつ」

「ええ? 何それ? ……コ○ンとか、東京大学物○?」

「名探偵の方で」

「分かった。そういや組織の黒幕ってさ」

「おいネタバレしようとすんなよ! ホント根暗だな」



<6>



 もう少し居座っていたかったが、そろそろ皆が帰ってくるからとラウンジから追い出されてしまった。


「ひでえ話だよな」


 俺はベッドの上でごろりと転がっていた。

 金鞠は傍で黙々とムックを読んでいたが、俺を見ないまま、俺の髪の毛を指で弄り始めた。


「何してんだ」

「慰めてあげようかと思って」

「別に髪の毛触られても何とも思わねえんだけど」

「そう? 眠くなってこない?」

「血圧が低下してるからだろ。頭皮をいじくり回されるとそうなるんだよ」

「へえ、旦那さまは物知りだね。ちょっと試してみてよ」


 試す?


「ん」と金鞠は本を閉じて頭を近づけてきた。触れってことか?

「どうしたの? 試してみなよ」


 何だその挑発的な態度は。いいよ別に、女の子(仮)の髪を触るくらいなんともねえよ。

 金鞠のふんわりした髪の毛を、人差し指で掻き分けた。指の通りが非常にいい。絹のようにすべらかだった。


「どうすか」

「手つきがぎこちないね。旦那さま、こういう経験ないの?」

「どどどどどどどどど童貞ちゃうわ!」


 金鞠はふっと微笑んで、俺の手から逃れた。


「撫でられたのは久しぶりだったから、こういうのもいいね。旦那さまの手つきは子供のままごとみたいだったけど」


 子供のままごと……!?

 なんだ、その、自分はさも経験豊富ですみたいな言い方は。ちくしょう、荒波にもまれるかの如く翻弄されたい。



<7>



 夜にふと目が覚める。ゆっくりと体を起こすと、窓辺に金鞠がいた。彼女は俺が起きたのに気づいているだろうが、じっと月を見上げている。窓が少しだけ開いていて、風が金鞠の髪を揺らした。さっきの出来事を思い出してしまい、顔が熱くなってくる。


「寒い? ごめんね、起こしちゃったみたい」

「いや、別に大丈夫。……金鞠は寝ないでも平気なのか?」

「あたしは寝なくても、ご飯を食べなくても大丈夫なんだ。ただ、暇潰しには苦労するけどね」


 受験生が聞いたら歓喜しそうなセリフだな。俺だって大学の試験前はそうありたかった。銀河鉄道に飛び乗って機械の体を手に入れたいと錯乱しかけていたこともある。


「一緒に寝てあげようか?」


 幻聴が聞こえたような気がする。


「そんな顔しないでよ。眠れないなら傍で寝かしつけてあげようかって言ったんだよ」

「そ、そういうのってお金がかかるサービスなんじゃ……」


 金鞠は窓辺からベッドに近づき、屈んだ。


「ほら、布団開けて」

「ハイ」


 俺は言われるがままに従った。金鞠はするりと俺の横に潜り込む。そうして耳元で囁いてきた。愛の言葉ではなく子守唄を。俺は子供か。それでも去った睡魔が戻ってくるような気配があった。何だか懐かしい感覚だった。

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