呪文使いの少女
このエクセルと自称する9歳程度と見られる少女とムギが出会ったのは3ヶ月ほど前のこと。
この世界の……いや、魔力という存在がある世界において経済発展と文化的発展を妨げ、各所を寸断させる要因となっている「魔獣」と呼ばれる魔物とは異なる異形の存在に襲われていた所に遭遇し、助けたことで出会った。
曰く、名門だった家柄の長女として生まれたが、祖父の死去後に一族は荒廃していったところをとある資産家につけこまれ、
父を殺され財産の一切を没収された挙句、自分も殺されそうになったので呪文書を読みながら座標移動の呪文を用いて逃げようとしたところ、
座標設定中に攻撃されてどこでもいいからと中途半端な詠唱の状態で瞬間移動した結果、辺境に飛ばされて魔獣にまで襲われた――とのことだったがムギは特段それを信用してなかった。
というのも、辺境には神との接続すらしていないことで「自然権が事実上存在しない」人権が保証されないような人間が数多くおり、
彼らは奴隷などになって人の下で人でありながら人以下の扱いを受けるといった状況に晒されていたが、
そこから逃げ出していく者も多く、そういった者は知恵を働かせて彼女のように振舞う者も少なくなかったのだ。
神との接続状況が曖昧というのは本当に危険であることは転移した直後に同じような扱いを受けたムギが良く知っている。
旅立った当初は同情してそういった者を助けようとしたが全てのケースで金品を奪われることになり、基本的にそういった者を助けることはしなくなった。
そんなムギが彼女を連れている理由はこれまでと異なり見た目が大変自分好みだったからというのが1つの理由ではあるが、
もっと大きな理由として他に出会ってきた奴隷達などとは異なり、セクセルは「貴方の仲間にしてほしい」とか「きちんと返すので金銭的手助けがほしい」などと主張したのではなく「その資産家が持っているであろう祖父の遺した呪文書を取り戻すのを手伝ってほしい」と懇願したため。
彼女が求めるのは「一族の名誉の回復」でもなく「奪われた資産」でもなく「父への復讐を果たすことで得られる虚しい何か」でもなく、呪文の明日を支えるかもしれない祖父が遺した大変貴重な資料のみ。
一族の名誉については「祖父と共に失われたもの」と捉えた上で、「己がもし呪文の進化した先を見出すことが出来れば回復など容易である」と考えていた。
生まれて10年経過していないまだ幼さの残る少女がそう決意している心意気に「乗っかった」のである。
彼女は取り戻せるなら「どんな目に遭っても構わない」と慰み者にされるのも覚悟していたが、
瞬間移動した先にて最初に出会ったのが本気で取り戻せることも不可能ではないかもしれない実力を持つムギであったのは実に幸運だったと言える。
特に辺境では表向き「助けてやる」といってペット同然の扱いのまま永久に助けてやらないような真似をする者など当たり前の地域。
エルがその話を初めて聞いたとき「それは神の所業か、世界が望んだものなのか」と関心を寄せていたほどであった。
といってもこれまでの経験から「これが全て嘘だったら一生奴隷として飼い殺すかどこかに売り飛ばすか」とも考えており、心の中ではまだ半分疑っていたムギであるのだが、
今回の「ガラスと部屋の修繕」によって少なくともムギの中でのエクセルの株が上がり、その考えを多少見直すことになるのであった。
かくしてエクセルが気を利かせてムギの部屋で修繕作業を執り行っていた影響により、ゲームで言うパーティを揃えたムギは今後の対策会議を開くことに。
といっても、リーダー格であるムギと他3名の関係は、元々用心棒として雇っているカヤ、密かにスペックの高い居候エクセル、
そして最後にムギに行動選択権を全て預けた上で表向きは唯一対等な仲間の立場でいるが、その裏では人が手を伸ばして届くことなどない天の遥か彼方にいる立場の原初の神エルという、歪な構成。
様々なものが見通せる力があるからこそエルはあえて意見を述べることはなく、
殆どのケースでエルはムギに賛同してしまうため多数決も意味がなく、基本的には経験値の高いカヤのアドバイスを聞いてムギがどうするか判断するといったものである。
カヤはこの世界では珍しくない「転生移民」と呼ばれる存在。
死こそ存在するが、寿命が取り払われた上で病を患うこともない優れた肉体を神より与えられてメディアンでの活動を許された者。
一体どれほどの時を生きているか本人も意識していないので曖昧であったが、その経験値は豊富でそれなりに頼れるものがあり、参謀格として、ご意見番としての立場としては優秀な人物であった。
『カヤ、あいつらについて何か知らないか? 調べたけどさっぱりわからん』
『さぁな……雇われただけの殺し屋か、諜報組織の実行部隊か……わかることは奇襲はお前達だけを狙っていて私達の部屋に突撃してくる事はなかったということだ』
ムギはすでにカヤに対して一連の事情について話していたが、カヤは「お手上げ」だと自身の記憶の中に刻まれた集団にそのような者はいなかったと主張する。
その上で自身は狙われなかったと表明したことでムギは気分を落とす。
宿屋の情報などを閲覧すれば同行者なのはすぐ判明すること。
これはつまり原因は自分がエルのどちらかにあるが、積極的に狙われる要因がエルにはない事から、自分が中心となって狙われている事を意味していた。
『そうなのか……俺達だけか』
つきつけられた事実に体が重くなったことを感じたムギは神妙な面持ちとなった。
『ああ。エクセルはベッドの下に隠していたが窓からお前たちが逃げていた姿を見た後は周囲に人の気配も殺気も感じなかった。むしろ安易に外に出るより宿屋内のほうが安全にすら思えるほどだった』
『……これまで用心棒続けていた中で類似するような連中もいなかったのか?』
『私が用心棒をするのは金持ちの小悪党といった部類の者達ばかりだ。それを襲おうとするのは統一された見た目、そして戦術ではないことが殆ど。私が雇用に応じる輩はお前みたいにそういう組織に狙われるような愚かな事はしないよ』
『うぐっ……』
鋭い正論にムギは口を紡いでしまった。