アークの助言
エルとムギが拠点としている倉庫に戻ってきた時の事。
エクセルとカヤが買い物に出かけて行った時のことだった。
エルが倉庫内に設けられた従業員用のシャワーを借りている際にソレは現れた。
身長は平均的女性程度。
すらっとしているが服装のせいで別段スタイルが良いという感じはしない。
ボサボサの頭にメガネに白衣。
疲労知らずの神のはずがなぜか目の下にクマ。
寝不足のアラサー女研究者といういでたちには「いくつかの民族にその事実が伝えられたら世界各地でジョーンズタウンの悲劇が起きる」と確信できる。
『何の用だ……アーク』
ムギは未だにこの呼び名がしっくりこない。
そもそも地球の神というのに違和感がある。
人の神ならいくらでもいる。
地球にもまるで「こういうのがいるのではないか」と想像されし者達がいる。
だが大地の神はいても地球の神というのは殆ど例がない。
理由は簡単で、人間が「星」という存在を見つけたのはかなり以前からだが、
地球自体も同じ「星」であったと認識するのに時間がかかった事にある。
古代メソポタミア文明が定義した存在ぐらいである。
エル曰く「下級神は外界の神々の力を恐れて殆どが真名を隠しながら生きている」とのことだった。
真名を知られると呪いのような形で攻撃できるからという。
そのため、生まれてから与えられた名をすぐさま封印される形で外界からの影響を防いでいるとのことだった。
アークの綴りは「Ark」であり、聖櫃を意味する言葉である。
地球を意味する「アース(Earth)」ですらなかった。
アークはそれについて「地球の情勢に大きく影響するから」とあえて身を隠しているが、
エルの話では地球の人間の何人かはそれに微妙に気づくことができていて絶対神に女神を想像する者は真理に到達しかかっている信仰心の強き者なのだという。
ムギも地球にいた頃は「きっと神様は女なんだよ!」なんて冗談めいて言っていたことがあったが、
内心では人の神は男神であり、きっとオーディンのような存在こそ地球人の本当の唯一神ではないかと考えていた。
実際、そういう者達はいたので、それは半分正解であった。
人の種族神はみな男。
だがそれは自身のいる宇宙に揺らぐ揺り篭とそこに住まう者達の「神」ではなかった。
そこにいたのは「ただの地球人のアラサー理系女」であり、
それが地球の唯一神。現時点で約70億いる地球人全ての「唯一の神」であるのだ。
ただし70億人の中でたった一人だけ、唯一神でなくなったものがいるが。
真名を名乗ってもまるで外から何かされる事のない原初の神が、いつも近くにいるムギだけが彼女を「唯一神ではない」と否定できる立場にあった。
『なーに、大したことはない』
アークはムギが作業中にカヤ達が座って過ごしていた商談用か何かのための応接対応用とみられるテーブルが置かれた椅子に腰掛ける。
そして手で「対面に座れ」と示し、ムギは「ふぅ!」と嫌そうに息を吐きつつも座った。
『お前が俺について一言も発しなかったおかげで、リーンフィールドで死にかけた』
ムギは転移時のあの日を思い出してアークに噛み付く。
光に満たされた美しき街に突如として現れた人間をリーンフィールドは受け入れなかった。
自分でも何が起こっているか理解できぬままムギは追われる身となり、逃げた先にて魔獣と遭遇。
そこで出会った者達がセンターズサークルまで運んでくれなかったら今のムギは存在しない。
しかし追われる直前ムギは「地球の人間だ」と何度も主張し、リーンフィールドの者達が何度も確認をとっても応えることがなかった。
おかげでムギは身分を詐称しているという扱いをされてしまう。
それはムギにとっては怒りを通り越して殺意すら抱かせるものであった。
なにしろこの世界に来てみると、神々は自身が接続する人々に対してある程度保護する姿勢があったものだから、
せめて一言それを認めればいいだけだったのに、それを怠った者に対して恨みを抱くのは当然のこと。
真面目一辺倒で生きてきたムギがあの日ほど「正直者はバカを見る」と感じた日はなかったのである。
『転移に気づいたのはかなり後だ。お前が転移した際にリーンフィールドでは神々が人々をモニタリングできなくなる事象が発生していてね……神力に干渉などこれまで経験がない。次元移動の原因と思われるが私なんかのような弱小神ではどうにもできん』
『俺の立場を証明する機会ならいくらでもあったはずだろ』
『証明したからセンターズサークルまで追っ手が来なかったんだ。逆恨みをされても困るな』
アークは椅子にもたれかかって頬杖をつき、ムギに対してやれやれという表情を浮かべた。
――こいつ! 本当にムカつく! なんなんだ、まるで地球人の性格の悪い女そのものじゃないか。なんでこいつはこんなにも威厳がなく、こんなにも地球人らしいんだ? それが地球の神ってことかよ!……。
『そうだが?』
『チッ』
ムギは自身の心の内を読まれ舌打ちをする。
エルと異なり、アークはムギの心の中を常に見ることができるのをすっかり忘れていた。
『それで何の用だ。アークさんよ』
『お前に1つ助言しておくことがある。これはある種、私が賭けに負けたので今度はお前にベットを賭けようと思っての行動だ。この間のヒトデ、私はお前が死ぬと予想してそちらに賭けた。それを一人で乗り切れると豪語した偉大な神がいてな……だから私もお前に少し掛け金をかけてやろうと思ったんだ』
――……もしかしてエルか?……
その言葉から即座にエルことローズルが想像できたムギは益々ローズルの信仰心が強くなり――
『む! これはムギの気配ではないか! なんだ何があったのだ? んー? むむぅ、アークの気配が近くにあるではないか……あやつめコソコソと……風呂を楽しんで意識が逸れている間に……まぁよい、好きにさせてやるか』
エルはムギを通してアークの存在を感知したが、原書の神の余裕をみせつけてあえて風呂を楽しむことを継続した。
『そう、ローズルだ。私はお前が死ぬならローズルも所詮は常にボンヤリすごしている力だけが強いボンクラだと思っていたが、さすが原書の神。私の予想を上回った。だから私も1つ賭け金を投入してみようと思ってな』
『一体なんだよ……ゾルゲンを黒幕かもしれないと考えてトゥルーマンを追うのは間違ってるぞとでもわざわざ言いに来たのか』
『違う。まずはこれを見ろ』
サッと手を手をひるがえして両手に現れたのはサイコロである。
アークの手にはそれぞれ2つずつのサイコロが並んでいた。
『これで説明するのが手っ取り早い。見ていろ』
アークはテーブルの上にサイコロを転がす。
左手側は2:3、右手側は4:6を示す。
『いい数字だ。今の差はざっと2倍。もう一度やろう』
ムギは再びサイコロを転がす姿を無言で見守る。
次は1:1と5:5となった。
『さらに差が広がったな。問題だアズサ……いやお前がコンプレックスを抱いているから、奴にならってムギとしておこうか。ムギ……この数字の差はいつか埋まるか?』
『可能性は0じゃないけど、ものすごく時間がかかると思うね』
『その通り。ではどうすればこの数値の差は埋まる?』
ムギはしばし考え込むと答えを出す。
『これがお前ら神々による所業を示すのだとするならサイコロを増やせる。そうすれば埋まる可能性は高くなる』
『正解。プログラムでいう乱数と同じようなものだ。あまりにも低い答えが続いた場合、内部で確率を整えるのにサイコロを振りなおすのがプログラムでいう乱数だとして、時間が常に進行する世界ではやり直しがきかない。だったら増やしてバランスを整える』
ムギはそこからなんとなく何かを理解し、背もたれからやや前に重心を傾ける。
『これがメディアンの縮図だと?』
『お前は話が早くて助かる。ただしサイコロを増やすのは我々神々ではない。メディアンは常に自動でサイコロを振って環境などを整えるように出来ているが、メディアンの名が示す通り、バランスを体現する世界なのだ』
『どういうことなのかわからない』
『カルマという言葉がある。宿命と捉えていい。プログラム的に説明するならばメディアンでは行動ごとに人にこのカルマという数値が蓄積する。増減するんだ。例えば大量殺人を行った者がいたとしよう。そいつは永久にその行動を続けていられるか?』
ムギは頭脳をフル回転させ、ふぅーと息を吐きながら答えを導き出した。
『例えばそれが米国大統領だというなら天寿は全うできるかもしれない。核ミサイルスイッチを押したとしても正当化できうる可能性はある。だが、それが大量殺人鬼なら別だ。間違いなくどこかでミスるんじゃないか』
『半分正解というところだな。大量殺人鬼が天寿を全うした例ならいくらでもある。戦争に参加した兵隊などはそうだと言えるが、本当に犯罪的な行動を起こしている猟奇殺人を行う者が天寿を全うすることもある』
『んん? それは地球の話ではないんだよな』
『今はメディアンのことだけ考えろ』
アークの説明にムギの頭の中はオーバーヒートしかける。
猟奇殺人を行う者がなぜ天寿を全うできるのか理解できない。
――あるとしたら、それが世界に必要だったから?……。
『正解だ。その行動が世界にとってバランスをもたらすというならば、メディアンはその行動を許容できるまで許容する。正でも負でもどちらでもな。だが正でもそれが強過ぎて事象という名の世界の裏側にある天秤が大きく傾くと補正しにかかる。本人を惑わそうとしてきたり、周囲が裏切り行為を働いたり、周囲が本人の名に泥を塗る形で足を引っ張ったり……』
『偉人が今偉人でいられるのも、英雄が英雄でいられるのも…それでバランスが取れるから存在できると?』
『一部例外はあるんだがその通りだ。今お前におかれた状況も世界がバランスを保とうとしてお前を選んだと言い切ることが出来る。仮にゾルゲンがかつて偉大な政治家だったとしても世界がそれを否定するというならゾルゲンを倒す力がどこからか湧き上がってくる……その逆が起きる可能性もしかり……ストゥルフ地方は今、極めて危ういシーソーゲームの真っ只中にある』
ムギの体に電撃が走る。
それは初めてアークが神らしいと思えた瞬間であった。
世界を全体で捉え、全体論としての話をしている。
いままでそういう素振りを見せなかったことから、ようやくムギはここにきてアークを神として多少認めることが出来るようになった。
膝に当てた手には自然と力が入った。
『俺はそのボードの上の駒か』
『そうだな。ローズルは今回の件、お前が揺れ動くシーソーに一定の答えを出すことに賭けている。面白そうなので原書の神の感というものに私も賛同したくなった……だからこそ地球と違うメディアンという世界の常識を1つ教えてやろうとおもってな……本来このことは神に選ばれた一部の者にだけ伝えられることになってるが、なあに……お前はメディアンの民じゃない……移民なんだ。関係ない』
両手でスッとサイコロをどこかえと消滅させたアークは立ち上がる、
そしてそのままテクテクと歩き出し、ムギの毛皮のマントがかけられたコートハンガーの方向へと歩き出した。
『ふざけたデザインだ。私が全ての民に平等で直接的には物を与えないと言ったらこんな印を……』
それはアークの印と呼ばれるリーンフィールドの神々が作って渡したものだった。
神と接続する者というのはメディアンにおいてはその印を必ず携帯しなければならず、
この印は投げ捨てようが手元に戻ってくるものであった。
いわば首輪と鈴に近いものと言い換えることができる。
アークは「間接的に物を渡したことはあっても、基本は間接的な助言しかしない」と全ての民に平等であるので物を渡すことを拒み、結果別の神々がマーキングの目的もかねてアークの印を創造してムギに強引に渡していた。
国籍と共にムギは鈴を付けられていたのである。
ただし、エルが近くにいる際は干渉していたのでマーキングの意味を成していなかった。
この間の部隊がムギの情報を上手く手に入れられていなかったのも、エルの影響でムギの動向が隠されていたためである。
アークはその印を手でバキンと握りつぶす。
中から虹色の光が漏れだしたかと思うとスッと消えていく。
『お前を帰す術はない。お前はもう地球市民ではない。だから餞別だ……元地球市民に地球代表の印をくれてやる』
パァァとアークの右手が光り輝いたと同時にソレは現れた。
まるで地球そのものといったような青く美しく輝く宝石が「A」をかたどった文字の中に埋め込まれた「真のアークの印」である。
アークはそれを毛皮のマントに装着する。
『こいつは地球の何もかもがわかるようになっている……後はお前次第だ』
アークはその言葉を最後にどこかへとスッと消えていった。
それがムギが「初めて」見たと言える地球の神の姿であった。




