国家安全保障調査室からの依頼
『少なくとも我々は買いかぶりだとは思っていません。だからこそここにいるわけですが……ところで、なぜアズサではなくムギと名乗っていらっしゃるのですか?』
『功を焦っていた国籍審査官のせいですよ。センターズサークルは都市国家ながら一応は国家。自分はあそこの首相から名誉市民権を得て晴れて国籍を得る算段でセンターズサークルの首長などと手続きを進ませていた』
『国籍については初耳です。とても貴重な情報では?』
やや顔をあげたブライアンは明らかに未発表の情報についてムギが述べたことで裏に国家的な重要な何かが絡んでいることを察知し、暗に伝えて大丈夫なのかというそぶりを見せるものの、
ムギにとっては大した話ではないのでムギはそのまま話を続けた。
メディアンにおいては地球と同様「永住権」と「国籍」は別途のものとして扱われており、ブライアンは自身が知る限りはムギが現在も「センターズサークルの永住権」を得つつも「リーンフィールドの国籍を持つ」という情報を得ていたため、
先ほどのムギの「名誉市民権を得る所だったのに拉致されて国籍を強引に付与された~」という物言いに妙な違和感を感じていたが、ようやくムギが何を言いたいのかブライアンは理解する。
つまり本来、ムギは「センターズサークルの名誉市民にして国籍保持者」となる予定だったのである。
『元々はリーンフィールドだと中々国籍が得られないからとリーンフィールドで働く労働者のために誕生した都市国家のセンターズサークルですが、今や立場は対等なぐらい経済的には発展していて発言力や国力もそれなりにあったから、当然国内でそんな不法行為を働いて名誉市民かつ国籍保持者として迎える予定だった人間を連れ込んだりしたら……』
『黙っちゃいないと……確かにセンターズサークルの外務大臣は貴方が忽然と消えてリーンフィールドに照会をかけておりましたね。事件を隠していられる時間は短かったはず。翌日には大々的に外交問題として報道されるでしょうから』
ブライアンにとってこの事件は「リーンフィールドの謎の行動」として認知していた。
名誉市民とさせるだけならリーンフィールドがその発表前に強引に国籍を与える理由などない。
センターズサークルがリーンフィールドに照会をかけた理由は単純に「ムギの意思による行動によってセンターズサークルが混乱した」と認識し、同業の者達や同僚たちもほぼ同じ認識を共有していた。
しかし背景には「どちらが国籍を与えるか」という点で熾烈な競争が裏で展開され、
強引な手法によってリーンフィールドが事実上の勝利を収め、
最終的に「センターズサークル名誉市民」となりながらも「リーンフィールドの国籍」を持ち、「事実上のセンターズサークル国民」となっている立場のムギが生まれたわけである。
ムギがリーンフィールドの国籍獲得後にリーンフィールドに足を踏み入れようとする様子が一切なかった理由が彼の発言によって全て解明された事になり、「外からは見えないものもあるものだ」とブライアンは感じつつも、むしろセンターズサークルに拘っていたムギの姿に彼への評価を益々上げることとなった。
『……元々、アズサってのは地球の……自分の国では女性向けの名前です。そう名づけられるのはあまり好きではなかったのでセンターズサークル内ではアガタと名乗っていた。だがリーンフィールドはアガタを偽名と知っていたらしく、本名に拘ったが……漢字も平仮名も彼らは読めなかったんですよ…ブライアンさん。貴方と違ってね』
『私も翻訳には苦労しましたよ。なんか違うんじゃないかと思って必死で調べたんです。趣味みたいなもんですねこういうのは……でも、何故ムギと?』
『国籍審査官は蕎麦田を構成する文字の中で中間部分しか解読できなかった。だがメディアンの公用語はなぜか英語。その文字を直接変換することが出来ない。翻訳するとしたら穀物(Grain)しかない。自分は好きじゃないんであえてアズサとは名乗りませんでしたけど、必死で解読した結果読みをそのまま名前にする事にした……私の国では名前と苗字の位置が逆転していることもわからずにメディアンの常識を当てはめて。同意も何もありません。でも昔そういう名前でも呼んでいた人がいたから悪くないなと思ってはいる』
時間がなかった。
間違いなく時間が足りなかったのだとブライアンは推察した。
リーンフィールドが国籍を与えて発表した翌日、センターズサークルはほぼ予定通りにムギを名誉市民として認定。
ムギが黙秘を続け、手続きが遅れれば「センターズサークルへの移民申請を希望しているアガタという地球からの転移者である男性をリーンフィルドが功績欲しさに強引に拉致した」と発表して外交問題とできる。
本人の意思がセンターズサークルの国民となるのだと固まっているならば尚更それが外交カードとなり、ムギを無条件で引き渡さなければならないのは必至。
センターズサークルがそれだけの力を持つことはブライアンも知っていた。
だから各種手続きを済ませて行為を正当化しなければならなかったのだ。
発表してしまってさらに神々が追認すればセンターズサークルは介入できない。
ブライアンは「だからこそあの時、わざわざ神々まで前面に出て大々的に発表したのか」と真実を突き止めた。
背後には間違いなく神々による行動があったとブライアンは確信を持つ。
にわかに噂されていた「神々はムギを絶対にリーンフィールドの国民にしたかった」という話が事実である事、
その裏事情をちょっとした会話で知ってしまったのだった。
センターズサークルはかねてよりムギの保護に努めていた事を知っているブライアンは、
ムギ自体がセンターズサークルが好きで何度も帰国して活動しているのを知っていたので、同情する。
『酷い扱いだ……リーンフィールドがそのような事をやるとは。国籍付与は神々が企てたものと我々は聞いておりますが、さすが神に仕える神官といった神職者達ばかりの国ですな。神のためなら何でもありということですか。初めて知りましたよ。いや本当に驚きです。……さて…雑談もこの程度にして……どうします?』
本当はもう少しセンターズサークルとの関係について知りたかったものの、ブライアンは仕事モードに気持ちを切り替え、改めてムギの意思を伺う。
ムギはしばらく考え込むと、答えを出す前に1つ質問を投げかけた。
『それって報酬はこの間の取引の補填であると見ていいんですか?』
『無論そのつもりです。ただ、貴方の活躍次第といったところですが……ある程度の活躍がないと上を説得するのは難しいので……なにぶん、補填は国庫からになりますから』
――面白い……公安調査庁での仕事は単なるデスクワークであの経験が何の役に立つとも思えないが……やるだけやってみる価値はあるし、それに今回の原因の一端がつかめるかもしれない……。
『ならばやりましょう』
『それじゃあ、ちょっと空中散歩でもどうです? 空から街をめぐりませんか?』
ムギとエルはブライアンという男に連れられ、宿屋を後にした。
エクセルとカヤは別行動をとることになっていたので、特に連絡することなどはしなかった。
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30分後。
ブライアンがタクシーを呼んで案内したのはこの街の中でも高さのある高層ビルの屋上。
そこには小型の飛行船が待ち構えていた。
ムギはここで初めてこの世界の「四輪」を体験し、さらに飛行船も体験することになった。
飛行船はパイロット以外はムギ達しかおらず、ムギは応接間のような飛行船内の一室に案内された。
『いやあ~自動車なんてこっちでは初めて乗りましたよ……メディアンじゃ殆ど見かけないから』
『リーンフィールドでは珍しい乗り物なのでそうでしょうね。ムギさんもそろそろメディアンに馴染んできたから知っているはずだ。この世界には魔獣や魔物という存在がいて、地域間の輸送インフラは断絶しているのが当たり前……故によほど強大な経済力と戦力がなければ国土を維持することが出来ない。車もきちんと道路整備した国土を持つ国でないと使い物になりませんからね』
――戦後の日本も酷かったらしいからな……舗装の重要性はよくわかる……。
ムギはこれまでの旅の中で様々な魔物と遭遇してきた経験などから、この世界におけるインフラ維持がいかに難しいことかよく理解していた。
人の数倍はある植物状の魔物、巨大な生きた岩とも言えるような魔物、そして巨大で凄まじい戦闘力を誇る魔獣。全てが地球では天災のような大きな被害をもたらす凶悪生物ばかり。
ここではそれが日常的に各地で徘徊している。
日本で例えれば940hpa級の台風が毎日発生しては本州に直撃してくるような状況である。
メディアンにおいては密林のような場所も多く、森の木々も地球では想像できないほどの高さまで伸びる影響などから輸送の主流は空輸であるが、そうなるのも明らかであった。
車関係は都市部などでシティーモビリティやアーバンモビリティという形でしか使われることは少ない。
鉄道や道路整備をしたところでその維持は容易ではなく、国力がなければ魔獣や魔物などにすぐに破壊されてしまうからだ。
ムギがそのような事を考えていた頃、エルは喉が渇いたのか近くにあった冷蔵庫を開けると中から適当な飲み物を取り出して飲んでいた。
しかしブライアンにはその姿は「何か述べようと機会をうかがっている」ようにも見えた。