6・主人公 立風颯太の事情
新釈ピュグマリオン・6
『主人公 立風颯太の事情』
ピュグマリオンは、ギリシア神話に登場するキプロス島の王。現実の女性に失望していたピュグマリオンは、あるとき自ら理想の女性を彫刻。そうして彼は自分の彫刻に恋をするようになった。そして彼は食事を共にしたり話しかけたりするようになり、それが人間になることを願う。その像から離れないようになり、次第に衰弱していく姿を見かねたアプロディーテがその想いを容れ、像に命を与え、ピュグマリオンはそれを妻に迎えた。
同姓同名の前の住人の立風さんの事情は分かった。しかし、わが主人公の立風颯太にも事情はあった……。
「好きだったら、どうしてこんなに放っておいたのよ!?」
四カ月ぶりにかけた電話の向こうで美音がなじった。
颯太は、一瞬で事態を理解した。
颯太は、芸大を卒業したあと、美術の教師になろうと励んでいたが、この少子化の中、教師不足の時代でも、美術教師に採用されることは簡単ではなかった。美術の教師は、音楽・書道と並んで、一校に一人いれば十分で、なかなか空きができず、試験に合格しても採用にいたることは少なかった。昨年は、二次試験まで通っていたが、欠員が出なかったために、採用はされなかったのだ。
もう三度目の採用試験であった。
最初の年から、颯太は常勤講師や非常勤講師で食いつないでいた。生徒が言うところのアルバイトの先生で、長くても一年の契約だ。
そんな不安定な生活の中でも、颯太には美音という彼女ができた。
二校目のバイトの学校で教育実習に来た美大生で、一見大人しく時代離れした実直な女子学生。大人しそうな分、自分の仕事や勉強には熱心な学生で、そんな美音に颯太は熱心に指導した。そうして、実習が終わった後に付き合いが始まった。
「こんな時代でしょ。立風先生でも採用がないんだから、あたしは一般企業の宣伝か企画の部署に就職します」
美音の見通しはドライで、現実的であった。
信じられないことに颯太は電話が苦手だ。
かといって、メールでは簡単すぎると思っている。
美音には手紙で連絡をとるのが常であった。
送った手紙の内容に応えるようにして美音が電話をし、月に一二度会っては、映画を見たり美術展に行ったり、つましいが中身の濃い付き合いをしていた。
その美音から三か月連絡が無かった。やむなく颯太は苦手な電話をした。
「このごろ、どうしてる?」
「……どうして、この三月ほったらかしにしておいたのよ! しっかり掴まえておいてくれなかったのよ!」
数秒の沈黙の後、美音はなじるように颯太を責めた。
「そうか……分かった」
颯太には、美音の数秒の沈黙と、意外なほどのなじり方で、全てが分かった。
この三か月の間に颯太が出した手紙は、美音の親によって美音の手に届くことも無く捨てられていたのだろう。娘に未来の見えない男と付き合わせたくない。颯太は親の気持ちを、そう忖度した。そして美音には新しい恋人が出来ている……。
颯太は、何も言わずに電話を切った。
本当のことを言っても、美音を混乱させるだけだろうと思ったからだ。
美音のことが好きなのは確かだ。
美音の幸せのためには静かに身を引くべきだと思った。アナ雪でクリストフが瀕死のアナを城に送り、心配顔のまま、その場を去っていく姿と重なった。思えば美音と観た最後の映画がアナ雪だった。ただ自分は、クリストフのようにアナの元に戻るようなことはないだろう。現実はディズニーアニメのようには展開しない。
美音は、去年の暮れに結婚した。
颯太は、同じ町にいるべきではないと思った。そして、産休講師の期限が切れるのを機に、東京の、このアパートに引っ越してきたのだ。
――不器用なんだね――
物思いにふけっていると、先代立風さんが残していったノッペラボーの人形が、そう言ったような気がした。