5・そもそも人形が届いた理由・3
新釈ピュグマリオン・5
『そもそも人形が届いた理由・3』
ピュグマリオンは、ギリシア神話に登場するキプロス島の王。現実の女性に失望していたピュグマリオンは、あるとき自ら理想の女性を彫刻。そうして彼は自分の彫刻に恋をするようになった。そして彼は食事を共にしたり話しかけたりするようになり、それが人間になることを願う。その像から離れないようになり、次第に衰弱していく姿を見かねたアプロディーテがその想いを容れ、像に命を与え、ピュグマリオンはそれを妻に迎えた。
「立風さんは二人姉弟の下なんだけど、ほんとは、下に妹さんがいたみたいなんだ」
家主は、湯呑の渋茶を飲み干すと、息とともに物語を吐き出した。
立風さんは、高校を四年いっている。つまり落第しているのだ。
担任の教師が、家まで来て落第を告げて帰ったあと、立風さんのお父さんがポツリと言った。
「楓太、お前と姉ちゃんに兄ちゃんがおったんは知ってるな」
「うん。月足らずで生まれて、死産の扱いになってんねんやろ」
立風さんには三つ上の姉の上に兄がいた。ご両親は、まだ新婚一年目で、子どもができると分かったときには、アパート中の人たちが我が事のように喜んでくれた。戦争が終わって、まだ四年足らず、日本は、まだ混乱と貧しさの中ベビーラッシュだったが、どこの町や村でも「子供が生まれる」と声が上がれば、近所中で喜んだものだ。
しかし、立花さんの兄は七カ月足らずの早産だった。
今の医療技術なら生存の可能性は高いが、当時の七カ月足らずは手の施しようが無かった。子犬ほどに小さな赤ん坊は、かすかに産声を上げ、三十分後に亡くなった。三十分でも生存していれば、出生届と死亡届を出さなければならない。そして葬式を出してやらなければならない。
貧しい若夫婦に、そんな余裕はなかった。
「死産いうことで届けとくさかいにね」
産婆さんは気を利かして、そういうことにした。
アパートの住人は、我が事のように憐れに思い、有志で葬式のまね事をやった。
赤ん坊の祖父は滋賀県の真宗坊主で、袈裟一枚持って、大阪にやってきた。
祖父は初孫に釋浄本の法名を授けた。
赤ん坊は、リンゴ箱の棺におくるみにくるまれ、哺乳瓶一本が添えられ、リヤカーに載せられ、神崎川の河川敷に埋けられた。
墓石など建てられるわけもなく。お父さんは、河原のラグビーボール大の石を目印に立て、のんのんと咲いているコスモスを束ね、ありあわせの花瓶に活けて墓らしくした。
その墓は、その年のジェーン台風で跡形も無く流されてしまった。
この話は、立風さんには耳にタコであった。身に堪える話だが新鮮味は無い。
だが、自分の下に妹がいたと聞いたのは初めてだった。
「うちは、三人の子供は養われへん。せやから三か月で堕ろしてしもた……女の子やった」
立風さんの頭に、初々しいセーラー服を着た女の子の姿が浮かんだ。立風さんは十八歳の五月生まれだから、三つ年下の妹は初々しい高校一年生の姿で焼き付いた。
映画の早回しのようにイメージが流れた。
三歳だった立風さんは、お母さんと寝ていたので、三か月の間お母さんのお腹を隔て妹と同じ布団の中で一緒だったことになる。
堕ろされると決まった夜、三か月の妹は、生まれたら「ああもしたい、こうもしたい」という想いを三歳の兄に預けていった。
立風さんは、その妹やジェーン台風で流された兄の分まで生きなければならない。落第した身で、そんな自信は微塵もなかったが、想いとしては、そうでなければならないと思った。
立風さんは、大学も五年通ったが、三十歳の直前に五回目の教員採用試験に合格して、なんとか人がましい人生を送ってきた。
仕事一途で、三十年間困難校ばかりのドサ回り、留年した生徒やしそうな生徒には手厚い指導をしてきた。
「えらいもんだ、立風さん」
大家は感心したが、立風さんは寂しそうに否定した。
「ただ、クビにするのが上手かっただけですよ」
「そんなに卑下なさっちゃいけねえや」
「卑下じゃないんです、実際その通りなんです。安易に留年させても、まっとうに卒業する生徒は二十人に一人もいません。残ればダブリと、ヒネこびて、下の学年をむちゃくちゃにします。悪貨良貨を駆逐するってグレシャムの法則です。学校のためにやつらをクビにするんです。教師としては二級品です」
この話を聞き終ったころ、颯太の渋茶は、手つかずのまま冷めてしまった。
立風さんの人形作りには、そういう背景がある。楓太は、まだ、そんなセンチメンタルな背景でしか、人形の素体を見ることができなかった。
それに、颯太自身、このアパートに越してきた、そもそもの心の整理がついていなかった……。