10・なんで喋んの? 動けんの?
新釈ピュグマリオン・10
『なんで喋んの? 動けんの?』
「なんで喋んの? 動けんの?」
そう聞くのが精いっぱいだった。
なんせ、硬質・軟質ビニールとポリカーボネートでできた等身大のドールが人間のように動き、喋っているのである。
「だって、あたし栞やねんもん」
答えにならない返事が返ってきた。でも颯太は叫んで逃げ出すこともなく、不思議といらだちはあるものの対等に喋っている。
「落ち着いてねフウくん。あたしはフウくんの妹なの。分かる?」
「わ、分からないよ!」
「だって、そうなんだもん」
「こんなこともあるんだ……」
「まったく……」
困り果てた颯太は大家と不動産屋のジイサンを呼んだ。二人のジイサンも驚いたが、どこか「さもありなん」という顔であった。
「こないだも言ったけど、前の住人の立風さん、堕ろされた妹さんに呵責があったんだ。言ったろ、高校で落第したときにはじめて堕ろされた妹さんがいたことを知らされたって……定年になって縁もゆかりもない東京の、自分で言うのもなんだけどボロアパートに越してきたってのは、一種の遁世だったと思うんだ。で、ここからは想像だよ……立風さんは、なあ」
大家は不動産屋に振った。
「妹さんを、その……復元してやろうと思ったんじゃねえかな」
「それが、志半ばで死んじゃった。立風先生の想いだろうね、同姓同名のあんたが越してきた……」
「立風先生は、あんたに託したんだよ……そんな気がする」
「フウくんは、お兄ちゃんとちゃうのん……?」
栞は、寂しそうな声で言った。表情が絵具で書いた笑顔のままなので、余計に寂しさが身に染みる。気づくと氷雨の雨音がする。季節が冬から春に変わるのに怯えているような氷雨だった。
「……分かった、オレが兄ちゃんになってやる!」
颯太は、思い切ったように言った。
「ほんま、ほんまにほんま!?」
「ああ、顔を描いて命を吹き込んだのはボクだ。世話してやろうじゃないか」
颯太には、こういうところがある。先の見通しも無く引き受けたり決心したり。ま、そのために本採用の可能性が低い美術の教師の道も諦めずにいられるのだが。
それから祝杯になった。歳に似合わず行動的な不動産屋がコンビニで、缶ビールとおつまみを買ってきた。
「栞ちゃん、景気づけだ、ビールをコップに注いでくれないかな」
「はい!」
栞は、缶ビールからコップに注いだが、うまく注げずに大半をフローリングの上にこぼしてしまった。
「あわわわ、拭かなきゃ拭かなきゃ!」
大家の慌てた言葉に栞は、こぼれたビールを吹いて、フローリングに広げてしまった。
どうやら、栞は、言葉と行動が赤ん坊のように一致しないようだった……。