表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
書店員の恋  作者: 三波都子
1/7

待ち合わせ

 今日は、彼女と夜桜を見に行く約束をしている。

 バイト中からそわそわして、上の空状態だ。

 やっと、バイトの終業時間になって、あわてて制服替わりになっている緑色のエプロンをお店のバックヤードに脱ぎ捨て、店の勝手口から出れば、そこには電信柱にもたれかかっている君がいた。

 今日の君は、白いシャツに紺色の膝丈チュールスカートを合わせている。その色が、君の色白の肌を際立たせている。長く、艶のある黒髪は丁寧に編み込まれて後ろで赤いリボンを使って結われている。

 「ごめんね!待たせてしまったね!」

 と声をかければ、君は、すっと顔を上げて、上品に微笑みかけてくれた。優し気な大きな瞳とそれを縁取る長い睫毛がふわりと揺れている。そして、ゆっくりと、その薄いがきれいな桃色をした唇が動いて、

 「そんなに待ってないから大丈夫。でも、早くいこう?」

といいながら僕に手を差し伸べてくる。

 僕はにやにやと笑いたい衝動を抑えながら、彼女の手をとろうとした。



 というところで、咳払いが聞こえた。

 慌てて顔を上げれば、中年のいかにも部長クラス!といった男性が、なかなかに高圧的な目線を僕に向けている。

 今、僕のいる場所は、店の勝手口を出た電柱の下ではなく、楠書店のレジの中である。そして、今僕がしなければいけないことは、夜桜を見に行くことではなく、アルバイトとしてこの中年男性に本を売ることである。


「い、いらっしゃいませ!!!」

 僕は慌てて、座っていたスツールから立ち上がり、男性から商品を受け取った。

 最近出た、推理物の文庫本だった。

「カバーおかけしますか?」

と尋ねると、大仰にうなづいたので、心のなかでチッと舌打ちをした。

 僕がこの書店で働き始めてちょうど一年経つが、僕はいまだにブックカバーをかけることが大の苦手である。


 僕が相当苦労をして、カバーをかけている間、部長(悪いがその見た目と態度からあだ名をつけさせてもらった)はじろじろと僕のことを上から下まで嘗め回すように見つめてきた。

 もしかしたら、さっき僕は妄想デートをしている間に、ひとりでににやにやしてしまっていたのかもしれない。

 そう思うと恥ずかしくなって、急に体温が上がり、手汗がじんわりとにじんできてしまった。

 まずい、ますますスムーズにカバーがかけられなくなってしまう・・・・。


 やっとの思いでブックカバーをかけて、

 「お待たせしました。ありがとうございました。」

と商品を差し出すと、部長はフンっと鼻をならし、僕から商品を奪い取ると、

 「君は、本当にいつまでたってもぼんやりしているね。」

と捨て台詞を残し、大股歩きで店から出て行ってしまった。

だから彼には、僕が言った

「申し訳ございません。」

という謝罪の言葉が聞こえなかっただろう。

僕は、ため息を深くついて、また、レジ台の内側にあるスツールに座った。


 僕は、この店の近所にある大学の文学部二回生で、名前を牧野郁夫という。

 一昨年、高校三年生だった時に、大学のオープンキャンパスでこの街に初めてやってきたとき、大学までのバス待ちの時間に立ち寄ったこの楠書店に一目ぼれして、この書店のある街で暮らしたい、と思って今に至る。

 僕の実家はそれなりの都心にあって、当時、僕の両親や友達は、

「なにもわざわざそんな田舎の大学にいかなくても・・・」

としょっちゅう言っていた。

 楠書店のある街は、電車はのぼりくだりとも一時間に2本、駅前と大学を結ぶバスは、朝以外は一時間に一本しかない。くわえて大学のまわりには田んぼしかなく、地域住民は楠書店も店を構えている竹原商店街でほとんどの買い物を済ませるよりほかないのである。

 ただ、僕はこの街が結構好きだ。

 周りは田舎かもしれないが、昔は名のある武将の弟が建てたという城があり、その城址は今でも桜の名所として有名である。竹原商店街のなかもみんながみんな知り合いで、アットホームな空気感が都会育ちの僕にはむしろ新鮮だ。


 僕は、小さいころから、なんとなく思考がトリップしてしまう傾向にある。

 だからいままで、ぼーっとしないで早くしなさい、と両親にも学校の先生にも言われ続けて生きてきた。周りのスピードに何とか合わせようとして背伸びをしてきたが、高校三年生で大学受験を控えていた時、ついに息継ぎができないような感覚に陥って、毎日毎日深海でひっそりと生きているような気分になっていた。(もちろん深海に行ったことはない)

 もともと明るくも社交的でもない性格の僕が、さらに陰気な少年になってしまった様子を見て、さすがに危機感を感じたのか、母が、夏休みに旅行気分ででも、といってこの街の大学のオープンキャンパスを勧めてくれた。

 その時にたまたま入った楠書店は、僕にとって衝撃的だった。

 見た目はただの商店街の中の本屋である。

 ただ、中にいったん入れば、そこは宝の山だ。

 天井まで届くほどの高い高い本棚にぎゅうぎゅうに本たちが詰め込まれている。

 取り扱っているジャンルは、文芸書はもちろん、新書、漫画、ガイドブック、雑誌類、参考書もあるが、古書のコーナーもあるのだ。

 これらは無秩序というわけでなく、きちんと整理整頓されている。新刊はかわいらしいポップまでつけられている。

 無類の本好きの僕にとってはそれだけでもうれしい限りであるのに、入口のところに、黄ばんだ模造紙で「立ち読み可。ゆっくり選書してください」と書かれているのだ。

 普通本屋での立ち読みはあまりいい顔をされないものであるが、この書店ではそれを許しているというのが妙にうれしかった。

 

 高校三年生のぼくは、吸い込まれるように楠書店の店の中へ入り、いろいろな本を本棚から出してはいれ、出してはまた戻し、ということを繰り返した。

 ほしい、読みたいと思っている本の全てが手に入る勢いの品ぞろえで僕は興奮していた。

 そして、つい、

 「すごい、すごい、なんでもある・・・」

と独り言をつぶやいてしまったのである。

 すると、隣で恋愛小説の棚を物色していたお姉さんがこっちを向いて

 「そうよ、ここは宝箱とおんなじよ」

 と上品に微笑みかけてくれた。 

 彼女が、「麗しの君」。僕が、夜桜デートに行こうとしていた相手である。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ