0.プロローグ
長編シリアスものだと思ってます。
まったり更新していきます。
※2018/03/23 一部分変更しました。
初めてその姿を見たのは果たしていつだったか。
前任の領主が失脚し、彼が新しくリグスティ領の領主に着任した時期のことだった。
前任の趣味嗜好全開な、言ってしまえば悪趣味な城にうんざりして、改築のために東奔西走し設計に頭を悩ませ、その片手間に前任がため込んだ仕事を片っ端から片づけていく。そんな生活を続けて疲労が蓄積し精神的に満身創痍になった頃、彼は気分転換と称してお忍びで隣領・ユソルへとふらりと出かけた。
気分転換なのだから、ユソルの領主へ目通りの文書は送らなかった。庶民が纏う軽装に少しばかりの金銭を持って、移動はもっぱら徒歩か荷馬車だ。後にその話を聞いた城の侍従は卒倒しかけたが、とにかく息抜きをしたかった彼が耳に入ってくる侍従の小言を右から左へと聞き流したのは言うまでもない。
身軽な格好で荷馬車にゆらゆらと揺られながら、やれあれがユソルの城だのやれあれが領名物のアザレアの花畑だのといった馭者のざっくりとした案内説明に適当に相槌を打ち、適当な世間話から領の雰囲気や治領の情報を学んでいく。
そんな折だった。
(雪……?)
視界を、白いものが掠める。馭者に止まるよう言って荷馬車から飛び降りたのは、春の鮮やかな色彩の中にあって、その寒々しい印象を与えるものが気になって仕方なかったからだ。
名残の雪かと思ったそれは、小さな畑の中心にあった。思っていたより距離が遠く、目をこらしてやっとそれが雪ではなくひとであることに気づく。
「……聖女、か……?」
近くに古びた教会を見つけ、そう思ったのだが。
「違いますよ、お客さん。あれは孤児です」
いつの間にか後ろにいた馭者がそっと訂正した。
「孤児?」
聖女──もとい孤児は真っ白な長い髪を高い位置で無造作に結い、しゃがみ込んで何かをしている。光を反射してきらきらと輝く髪は美しく、年老いて色が抜けてしまったそれとはまったく違い、その色を持って生まれたのだろうというのがわかる。
言われてみれば彼女が纏っているのは修道服ではない。だが、白は聖なるものを表す純粋な色だ。それを先天的に持っているのであれば、彼女は聖女で間違いないはず。
彼が眉を顰めるのと同時に彼女がぱっと顔を上げた。長いと思っていた髪は彼女が立ち上がったことで想像していたより長かったことに気づく。腰より長いそれはしゃがんでいたときは畑に広がっていたらしく、毛先は土で汚れている。
無造作にそれを払い収穫籠を持ち上げようとしたところで小さな塊が彼女の腰に飛びついた。
「あ」
彼が無意識に声を上げたと同時に、均衡を崩した彼女が畑に尻餅をつく。適当にとはいえせっかく土を払ったというのに、真っ白な髪は再び土まみれになった。
きゃっきゃとはしゃぐ声が聞こえる。彼女の腰に容赦なく突っ込んだ幼い少女の満面の笑みに、彼女もつられたように笑みを零した。
「っ」
ひゅっという音が自分の喉から発せられたものだと気づいたのは、彼女が少女の手を引いて立ち上がったときだ。花が綻ぶような笑顔、というのを初めて目にした気がする。素朴ながら目を奪われ、しばらく金縛りにあったように動くことができなかった。
何故馭者が彼女を聖女ではなく孤児だと訂正したのかは、ようやく指を動かせるようになった頃にわかることになる。
「あの娘は」
距離があるというのに、まるで馭者の声が聞こえたように彼女がこちらを振り返った。
光を弾いて輝くまるで雪のように真っ白な長い髪。肌も白く、おそろしく整った可憐な顔立ちをしている。東国の言葉にある花顔雪膚とは彼女のためにあるものではないかと錯覚するほどだ。
だが。
「彼女は、聖色の髪と魔色の眸を持つ〝まがいもの〟の聖女です」
馭者の言葉が嫌にはっきりと耳に残る。彼の目は、一点に集中したまま動かない。
あちらからこちらはあまりはっきりと見えないのだろう。きょとんと大きな目をしばたたかせて小首を傾げる愛らしい姿。
そして異質な、漆黒の双眸。
──黒は、魔を導く歪な色だ。