表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/20

焼酎梅割りによる心神喪失

 病気の治療のために。


 夜、部屋にいないようにすることにした。

 彼が来たら開けてしまうから。

 開けてしまえぼば、拒むことはできない。

 それでは、いつまでたっても、病気は治らない。




 病棟で朝を迎える勤務を数えられないくらいこなしてきた。

 闇が濃紺に変わり、空が白み、東側の窓から、真っ赤な光が差し込む。

 七階にある南病棟から見る朝焼けは、ひどく眩しく、疲れきった体にも頭にも滲みる。



 目覚め動き始めた病棟、日勤者に申し送りを済ませ、パソコンの前に座ると、ほっとするせいか、瞼が落ちてくる。

 帰ってシャワーを済ませたら、きっとそのままねむってしまう。

 そして、きっと夜、眠れない。


 詰所で大きな分厚い手で器用にキーボードを叩く西口が目についた。


「西口先生?今日飲みに行きませんか?この前、結構ごちそうになっちゃったし」

「あ?あぁ、いいぞ。平原さんはもう、俺とは飲まないかと思った」

「いや、別に。ほんとのことだし。他にいないんですよ」

「そんな理由かよ」

「なかのいい同期は退職してるし、結婚してたり、子供がいたりするから、なかなか急には誘えなくて。私付き合い悪くなってたから、院内に、気軽に飲みに誘える友達いないんですよね」

「平原さんと飲みに行きたい、男はたくさんいるだろ?」

「いませんよ。男の友達っていないし……。女の友達も少ないけどね」

「そんなわけないだろ〜」

「いませんよ」ちらりと茶色の柔らかそうな髪の優しい目をした顔が浮かぶ。

「……まぁ、いいぞ。どこにする?アルデバランか?」

「……先生、性格悪いですね」

「そうか?じゃあ、沖の太夫って居酒屋知ってるか?」

「はい、わかりますよ」

「じゃ、9時でいいか?」

「ちょっと遅くないですか?」

「終わらねぇんだよ。9時でもギリギリだよ」

「了解」



 沖の太夫は、四階建てのマンションの一階部分のテナント。

 色の褪せた暖簾をくぐり、ガタガタとならして戸を開けると、「いらっしゃい」と明るい声がかかる。こじんまりとした店内を見回す、カウンターが五席、テーブルが四つならび、テーブル席に二組の先客がいる。まだ、西口は来ていないようだ。

 カウンターに座ると、にこやかな女の人がお通しを持って、やってくる。生ビールと湯豆腐を注文する。


 お通しは、レンコンのきんぴらだ。しゃきしゃきとした歯応えと、ピリッとした辛味。ビールが進む。もう少しで約束の時間だけれど、西口はきっと遅れてくるだろう。湯豆腐をつまみながら、焼酎の梅割りを注文する。梅がさっぱりとして飲みやすい、するすると喉を通る。



 グラスを何杯かからにした頃、大きな体を小さくして、戸をくぐって西口はやってきた。


「どんなけ飲んでんだよ。すっかり出来上がってるじゃないか」

「先生が遅いからですよ」

「人のせいにするなよ」笑いながら、焼酎の梅割りと手羽先の唐揚げを注文する。

「この間はごちそうさまでした。たらふくマタドール飲みましたから」きっとこれで、西口に私の意志が伝わる。ふっと息を吐くように笑い、テーブルにおかれたレンコンのきんぴらを口に運ぶ。

「そうか」とだけ言う。


 西口は私が部屋にいたくないだけで、ここにいることをわかっている。

 だから、私はあえて話題を探さない。西口もグラスを傾け、手羽先の唐揚げを平らげるだけで、何も言わない。



 飲み過ぎかもしれない、そう思ったときには、体が言うことを効かなくなっていた。

「飲み過ぎだろ。なにやってんだ」西口に腕を取られ、抱えられるように店を後にした。

「また、ごちそうになっちゃた……」

「おい、しっかり歩けよ。タクシー呼ぶから」

 西口に寄りかかっていると、タクシーに乗せられた、一人で大丈夫と声をかけたが、西口も乗った。

 運転手が渋ったようだ。

 こんな女の酔っぱらいは迷惑でしかないよね。耳も意識もはっきりしているけれど、体は言うことを効かない。



 マンションのエレベーターに乗るときには、足に力が入らず、立てなくなってしまった。西口の背中に乗せられた。温かく広い背中は、ひどく心地いい。歩みに合わせてゆっくりと揺れる。

 熊の背中ってこんな感じなのだろうか?乗ったことはないけれど。


 西口はカバンから鍵をあさり、マンションの戸を開ける。

「おい、大丈夫か?しっかり、水を飲めよ」

 玄関で背中から、ゆっくりと下ろされる。

 温かい広い背中から離れたくない。もう少しだけ。ぎゅうと腕に力を入れた。


「……平原」

「……離したくない、もう少しだけ」


 けれども、腕は簡単にほどかれて、寝かされたフローリングの床は冷たくて硬い。

 細く目を開けると、じっと見つめられる。その真っ直ぐな瞳を見つめ返すことができずに目を閉じると、唇に柔らかいものが触れる。それはゆっくりと深くなる。

 唇が離れて、大きく息をする。

「はぁっ……」自分の声とは思えないほどの甘い声に耳を疑う。

 膝裏と背中に腕をいれられ、ふわりと体が浮き、とっさに、首に腕を回してしまう。

 胸に頬を寄せると温かく広い。


 下ろされたのは、ふんわりと柔らかい体に馴染んだベッド。いつになく大きな軋む音が響く。体に重みを感じ、首筋をチクリと痛いくらいに吸われる。

 西口は耳元でささやく。


「バカ、そんなに物欲しそうな顔しても、抱いてやらねぇよ」


 バシッ!


 音と共におでこに激痛が走る。

「イタっ!」


「……お前、なにやってんのか、わかってるのか?」おでこを押さえ、まぶたを開けると、目にはいったのは、西口の嘲笑う口元と冷えた目。

「……わかってる」

「わかってない。お前は全然、わかってない」

「……」

「お前は……、最低だな」

「それもわかってる」言われるまでもない。でも改めて、他人の口から出る言葉は思いの外、胸に刺さる。

「俺と寝たって言えば、あいつはもう絶対にここに来ない。でも、俺のところにもこない。……誰でもいいんだろう?そう言われても仕方ないことしてるんだぞ。あいつも俺も、自分も不幸になる選択してどうするんだ?!自分だけが寂しいと思うな、自分だけが苦しいと思うな、誰だってそんな思いを抱えて生活してんだよ」


「……」西口は正しい。正しい言葉、間違いない。私は何も言えない。


「泥酔状態による心神喪失。無罪ってことでなかったことにする、俺は忘れる。でもお前は忘れるな、骨に刻め」西口は冷たくいい放ち、部屋を出ていった。


 私を捕らえて離さない、彼との恋は麻薬だ。ダメだとわかっていてもやめられず、禁断症状は苦しく、辛い。誘惑に勝ち、絶たなくてはならない。

逃げることなんてできない。 一人で戦わなくては、周り人も傷つけてしまう。

 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ