瞳に映るのは木漏れ日
ニコニコと微笑んでいた彼女から、手を繋がれた。あまりにも嬉しくて、頬がゆるんでしまう。
けれども、
お日様が雲に隠れるように、彼女の笑顔が隠れてしまった。
心なしか、足の運びが重くなったようだ。一体、彼女は何を思っているのだろう。
「平原さん?どうかしましたか?」
問いかけても、その目は伏せられたまま。
「ん……、なんでもない。大丈夫」
そう言う彼女にそれ以上かけられる言葉はなかった。
抜けるように高い空、木々を揺らす風は彼女の長い髪も揺らして、吹き抜ける。
繋いだ手は冷たく、細い指は思い切り握ったら、折れてしまいそうだった。少しずつ、温かくなる手を離したくはない。
美味しいと言って、丸くした大きな瞳も、喉をならしてビールを飲んで、ほんのり赤くなった頬も、ビスケットにかじりついた唇も自分だけのものにしたい。
けれども、彼女の心には、別の誰かがいるのだろう。
ぼんやりと見つめる先に、僕は映っていない。
このまま、どこかに行ってしまいたくなる。
「平原さん、明日は仕事ですか?」
「うん、遅番だから、13時からだよ」
「そんな勤務もあるんですね」
「病棟によっていろいろだけどね」
「平原さんは、何科にいるんですか?」
「外科だよ」
「メス!とか?」
「いや、それは手術室だし」ふふっと笑う。雲の切れ間から陽射しがこぼれたようだ。
「外科ってどんな感じなんですか?」
「うーん、消化器外科がメインだから、胃癌で胃の手術とか、腸の手術とか、あとは、虫垂炎……、盲腸ね。そんな感じかな?いろいろだよ」
「亡くなる人はいるんですか?」最近見たテレビで胃癌の主人公を思い出した。
「うん、いるよ。そんなに多くないけど」
「そういうのって、辛くないですか?」
その問いに答える前に彼女は一瞬、何のことかわからないというように、きょとんとした。すぐに、ニヤリと笑って言う。
「辛いときもあるけど、泣くことはないよ」
「……」馴れてしまうのだろうか?彼女の表情の意図が掴めない。言葉に詰まっていると彼女は、ふっと笑った。
「私の周りって、医療関係の人が多いのよね。だから、そんなこと聞かれるのほんとに久しぶりかも。ちょっと新鮮」
彼女の笑顔を曇らせた人もその中に入っているのだろうか。
「そうですか?」
「うん、えーと、何て言ったらわかるかな。伊達くんさ、バレーボールしてるって言ってたよね?その試合、一生懸命やって負けちゃうの。その時、審判とかラインズマンとかボール拾う人に悲しまれて、泣かれるのってどう?負けちゃったね、可哀想ねって」
「……それはちょっと、違うと思います」
「そういうこと。私たち看護師は観客じゃないの。患者さんか精一杯、戦えるよう環境を整えることなの。いろんな相手がいて、チームのおかれた状況も違う。もちろん、勝ってほしいって思うよ。でも、明らかに敵わないってわかってるときもある。それでも、戦わなくちゃいけない。負けたチームに可哀想って、泣いたりすることはできないもんよ。精一杯、戦ったってわかってるから。ま、私が個人的にそう思ってるだけだから、看護師がみんなそうだとは思わないで」泣いてる子もいるしねと彼女は口元を緩ませて言う。
まだまた、彼女を知り足りない。もっと知りたい。医療関係とかかわる機会のない生活、彼女との距離を感じる。
こうして、手を繋いで、横に並んで歩いているのに、彼女はまだ遠くにいる。
黄昏の木漏れ日を受けた彼女は眩しいくらいに綺麗だった。光を映した瞳で見つめられて、吸い寄せられるように唇をかさねた。全理性を総動員して唇を離して、前を向いて歩き始めた。
このまま一緒にいて我慢できる気がしない。
上着を持っていない彼女は肩を縮ませている。風邪を引いたら大変だ。
帰り道に、次に会う約束を取り付けて別れる。
立ち去る彼女が少し名残惜しそうに見えるのは、自惚れだろうか。