ディキャンプのトマト鍋
ゆったりと走る車から、景色を眺める。
晩秋の空は抜けるように高い。
風はさらりと乾いていて、陽射しは暖かく、すっかり色付いた木々は葉を落としはじめている。
どんどん、山深くなる車窓。
「着きましたよ」
車はキャンピングパークというところに着いた。
山の麓の施設は木々の緑の隙間に茶色い建物が並んでいるのが見える。
彼は車を停めて、一緒に行きますか?と言う、よくわからないままに頷いて、彼の後を着いていく、大きなログハウスの中に入り、何やら用紙に記入している。手慣れた様子だ。時々、ここに来るのだろうか?
管理の人らしきおじさんから小さな鍵をもらい、ログハウスを出て、また、車に乗って、更に奥に進む。
小さなログハウスが並んでいる。その一つの前で車を停める。
「ここですね。到着です」
ログハウスの前に駐車スペースとテラス、テーブルと椅子が据えられている。
車を降りると、コンビニより風が冷たく感じる。そのぶん、空気が澄んでいるようで、風の香りが違う。思わず、うーんと伸びて、胸一杯に吸い込んだ。
その時、彼と目があってしまい、少し恥ずかしかった。
「ここはよく来るの?」
「三、四回ですかね」そう言いながら、車から荷物を下ろしている。手伝おうと近寄ると、
「いいですって、ほんとに手伝ってもらうほど荷物もありませんし」彼はあそこに座っててくださいねとログハウスの前に据えられた丸太のテーブルと椅子を指差す。
何を手伝えばいいのかわからないうえに、今日は900円くらいを奢ったお礼ということも思い出し、大人しく座っておくことにして、周りを見渡す。
目の前の小さなログハウスはハイジの小屋というより、白パンを食べたがった目の見えないお婆さんの小屋を思い出させた。そっと中を覗いてみると、六畳ほどの板の間で、土足厳禁の、張り紙があった。古びた様子もなく、管理が行き届いている感じがする。
施設内もゴミが落ちていたり、雑草が生い茂っていることもない。丁寧に管理されている公園といった印象。
小学生の頃に行ったことのあるキャンプ場はもっと野性味があふれ、蜘蛛の巣がいたるところにあり、バンガローもペンキが剥がれて、壁の木もささくれだっていた記憶がある。それと比べると、同じキャンプ場とひとくくりにしてしまうわけにはいかない。
キャンプ場は進化をとげているらしい。
彼は大きなトートバッグとクーラーボックスをテーブルの脇において、すぐそばの備え付けのバーベキューコンロに炭を入れている。 すぐに煙が上がり、炭がパチパチと鳴っている。これまた手慣れた様子だ。
前に病棟のみんなでバーベキューをしたときはなかなか、炭に火が付かなくて、とても時間がかかった。
頬を撫でる風が冷たい。じっと座っているからだろうか。立ち上がり、彼の近くに寄ってみると、炭の熱が心地いい。
「平原さん……」名前を呼ばれて、彼のほうを向くと、顔を赤くしてうつむいている。
「何?」
「……寒いですか?」
「ん、大丈夫。ここは温かいね、炭って炎があがってないし、燃えてるって感じがしないけど、温かいね」
「ちょっと、待っててください」パッと車に走り、何やらもって戻ってくる。細長いカバーから取りだし、広げられたそれは折り畳みのイスだった。
「これに座ってください」
「何でも揃ってるんだね」
「借り物です。友達が凝ってて、よく一緒に行くんですよ。今日はクーラーボックスも椅子も鍋も借り物です」
「そうなんだ」
「今日は鍋にしますね、平原さんはトマト鍋と味噌ちゃんこ鍋とどっちがいいですか?」
「選べるの?!」
「はい、鍋の素を用意しました」
そう言って、トートバッグからパウチ入りの鍋の素を二つ、手に取る。ネタばらしを早々としてしまっている。見栄は張らないらしい。
「じゃ、トマトで」
重そうな蓋付きの鉄製の真っ黒な鍋に注ぎ、炭の上におく。クーラーボックスから、具材を取りだし、ガサッと鍋に投入する手つきは、これまた手慣れている。
「野菜は家で切ってきました」
「すごいね」部屋で包丁を使ってから、かれこれどれくらいたつだろうか。もう、はっきりとは思い出せない。包丁が拗ねていなくなってもきっと気づけない。
あのキッチンはお湯を沸かすくらいしか使ったことがない。最近は湯沸しポットを導入したため、ガスのコックすらひねっていない。野菜を家で切ってくる……、尊敬に値する行為だ。
「全然、大したことないですよ、切っただけだし」
「普段から、料理するの?」野菜を切るだけと言うなら、もっと何かしらしているということになる。
「簡単なものばかりですよ、炒めるだけ、煮るだけって」
「なるほど」あの部屋でなにかを焼いたり煮たりした記憶はほとんどない。この時点で、彼の料理スキルに敗北決定。
「そろそろいいかな?」
彼は鍋の蓋をそっとあげる。湯気がふわりと上がり、トマトのいい香りがする。
トートバッグからお皿とお箸を取りだす。
「苦手なものってありますか?」
「大丈夫、私、トマトの鍋って初めて、わー、美味しそう」
これまた、トートバッグからお玉を取り出して、お皿に取り分けてくれる。はい、どうぞと微笑む。
「ありがとう」
真っ赤なスープを啜る。想像以上に美味しい。トマトの甘味とコクがあって、少し胡椒が効いていてスパイシー。キャベツがいくらでも食べられる。具材はソーセージと鶏肉、玉ねぎ、ブロッコリー、エリンギ。ハフハフしながら、夢中で食べてしまった。
「おかわりは、いりますか?まだまだありますよ。ビールもありますけど。飲みますか?」
気が利くじゃないの、昼間からビールってかなり背徳感があるうえに、車で来ているから、一人で飲むことになるけど、飲みたい。
「僕、ノンアルコールのビール飲みますね。気にしないで、飲んじゃって下さい」
「では、お言葉に甘えて、いただきます」クーラーボックスから取り出されたビールをもらい、コツンと乾杯。
あぁ、うまい。思わず、ぷはーっとしそうになる。鍋もビールも進む。こんな風に青空の下で、鍋を囲んだのは、初めてだ。
「伊達くんは、よくこういうことするの?」
「学生の時の友達にアウトドアが好きなヤツがいて。バーベキューしたり、鍋したり。今でもみんなで集まるときはキャンプ場です。最近はみんな、仕事が忙しいからなかなか、会えないですね。僕が土日仕事だし」
「そうなんだ、休みの日は何してるの?」
「だらだら、寝てたり。仕事してたり、ですよ。平原さんは何してるんですか?」
「似たようなものよ。だいたい、寝てるね。買い物行ったり、友達と飲みに行ったりもするけど、夜勤の前後はひたすら、寝てる」なんとも、さみしい。自分で言って改めて、悲しくなる。
「夜勤って、大変そうですよね。みんなが寝てる時間に仕事してるんですよね、そりゃ。寝ますよ」
「ほんとに年々、しんどくなる気がするわ。やだ、おばさんみたいだったね」まっ、おばさんだよね。
「そんなことないですって、平原さんとそんなに年変わらないと思いますよ。いっつも、幼く見られるんですけど、僕、26なんです」
「えっ」
「やっぱり、もっと年下だと思ってましたよね?」
「いやいや、そんな。ていうか、十分若いし」あれ意外。三つ下。
「いつまでも、学生と間違われて。ちょっとコンプレックスなんです」
「そう?若くみられるっていいと思うけど」
「若いんじゃなくて、幼くみられるんですよ、僕」
「そう?幼いって感じはしないけど」むしろ、ちゃんと暮らしてる印象です。
「そう言って、もらえると嬉しいです。シメはパスタにしますね」
ショートパスタをそのまま、鍋に入れる。
「茹でなくても、大丈夫?」
「意外と、問題ないんです」重そうな蓋を乗せて、しばらく待つ。
「寒くないですか?」
「うん、大丈夫」ガンガン、ビール飲んでますから、ちょっと顔があついくらい。
風が木々を揺らす音のほかは、炭がはぜる音が聞こえるくらいで、とても静かだ。
「今日は平日だから、あまり人がいませんね」
「そうなの?」
「週末なんかは、なかなか予約が取れないですよ。アウトドアは今が一番いい季節ですから」
「夏じゃないの?」
「真夏はあんまり、おすすめしませんね。暑いし、炭も暑いしね。寝る時も暑いし」
「泊まりで行ったりもするの?」
「だいたい、泊まりで行くことのほうが多いですよ。友達、みんなでワイワイやって、だらだら飲んでって。このログハウスも一応、泊まれますし、今日はデイキャンプなんで宿泊予約はしてないですけど。向こうの方の大きいログハウスは10人くらい泊まれるから、酔い潰れた順に寝て」ニコニコしながら話す彼は本当に楽しそうだ。気の合う仲間がたくさんいるのだろう。
「本当に楽しそう」
「そうですね。大学の部活の仲間なんですよ」
「サークルじゃなくて、部活なの?何?」看護学校にはどちらも無縁の活動だ、ひたすら実習と試験に終われた学生時代。
「バレー部です」
「バレーボール?」ちょっとマイナー。
「今、パッとしない部活だなっておもいませんでしたか?」
「ちょっとね……」
「確かに、サッカーとか野球みたいな花がないですよね。姉が小学生から習っていて、その影響で始めたんですけど、パッとしないと気づいたときには、他にできることなかったんですよね。そろそろいいかな?」
再び、蓋をあける。グツグツと煮立つパスタをお玉ですくい、柔らかくなっていることを確認すると、とろけるチーズを鍋に入れて、ひと混ぜする。トロトロのチーズが絡むパスタにヨダレが出る。
これまた、美味しい。ビールもおかわり。二人で黙々と食べて、鍋をさらえる。
「美味しかったね」
「そう言って、もらえると嬉しいです。平原さんは甘いものは好きですか?」伺う様子は少し不安そうだ。
「うん、好きだよ」
そう言うと、彼はパッと笑った。そのとき、ちょっと周りが明るくなったような気がした。
「僕、甘いもの、実は結構好きなんです」そういえば、ビールと一緒にプリン買ってたもんね。
またまた、トートバッグからビスケットとチョコレートとマシュマロを取りだし、マシュマロを竹串に刺して、炭で炙る。ほんのり焼き色のついたマシュマロをビスケットにのせ、さらにチョコレートをのせて、ビスケットで挟む。
「スモアです。ちょっと熱いから、気をつけてくださいね」
サクサクのビスケットにもっちり柔らかいマシュマロ。そこにチョコレートがとろけて絡む。チョコレートは甘さが控えめで、カカオの風味がマシュマロの甘さとよく合う。
「美味しい!」
「よかった」ほっとしたように頬を緩ませる。
ちょっと反則みたいですけど、そう言って、車から電気ポットを取りだし、ログハウスの中に入っていく。
「コーヒー、飲みますか?インスタントですけど」
「うん、飲みたい。電気ポットは反則なの?」
「アウトドアに、電源は反則って言うヤツいますから」
「アウトドアに反則とかあるんだ」笑える。
コーヒーとスモアを堪能して、お腹はいっぱいになった。
「これって、どこで片付けるの?」
「いいですよ、座ってて下さい」
「ううん、一緒に行く」
「じゃ、このお皿とお玉を持って来て下さい」彼は鍋を持って歩き始める。
流し台が並ぶキッチンスペースに移動して、並んで食器を洗う。
使った道具は少なくて、すぐに片付けば終わってしまう。きっと彼がそうなるように考えて準備をしてきたのだろう。
ログハウスに戻り、道具を片付ける。
「少し、歩きますか?」確かに、腹ごなしに歩くのもいい。
施設内をぐるりと回る遊歩道を歩くことにする。