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番外編 3

「お〜す」

 コンビニの駐車場で水色のストライプ姿ではない店員さんがふらりと現れた。


「おはようございます。お仕事お疲れ様でした」


「おう。眠いわ。今日はお姉さんと待ち合わせか?」


「はい」いつも部屋まで迎えに行くことが多いけれど、こうして待ち合わせをすると彼女がここに来ることを待つ楽しみがある。


「お姉さんってさ……」


「何?私の噂?」いつの間にか、彼女はやってきていて、にこやかに微笑みながら、長い髪をサラサラとなびかせている。


「いや、お姉さんってさ。こいつのどこがいい訳?」店員さんの突拍子もない質問に彼女は目を丸くしている。


「えっ!何?いきなり」


「いやー、普通に不思議でしょ?どう考えても」


「……聞いてみたいかも」


「えっ……、和馬くんまで?」

 彼女は僕の顔を見つめて言葉に詰まる。




「おっ……、お父さんっ!」

 緊迫した声が聞こえ、振り返ると健診でメタボを指摘されそうな体型のおじさんがコンビニのドア付近でしゃがみこんでいる。


「おいっ、おっさん大丈夫かよ?」店員さんは躊躇することなく、走り寄る。


「どうしたのかな?」彼女はニコリと笑うけれど、その瞳はいつになく黒く、真っ直ぐにおじさんに向けられている。


「おいっ!おっさん!」

「お父さんっ!」

 店員さんと一緒にいるおばさんの声が緊張感を増す。


「綾音さん……」

「……」彼女は一瞬、苦笑いを浮かべおじさんのもとに寄る。


 真っ青な顔、眉間に皺を寄せて、苦しそうな短い呼吸、肩をゆらせている。


「アララ……」

 彼女の瞳がキラリと光ったような気がした。


「わかりますか?」

 彼女はおじさんの脇に座り込み、肩を叩きながら問いかけるけれど、おじさんは荒く息をしているだけで答えない。


 窮屈そうに首もとを飾っていたネクタイをほどきながら、彼女はおばさんに問いかける。

「糖尿病とか高血圧って言われたことありますか?」


 おばさんはカクカクと首を縦にふる。


 おじさんの息がひゅっと鳴って、そのまま固まってしまう。彼女の手はおじさんの首もとに添えられて、じっとその指先に神経を集めていた、ふうと息を吐いて、次はおじさんの手首に触れる。


「アララ……、店員さん、携帯持ってる?119番、救急車呼んで、和馬くん、何か書くもの持ってる?今から私が言うこと書いてくれない?」


 彼女はその場にゆっくりとおじさんを寝かせて、顎をグッとあげて手にしていたバッグを肩の下に押し込む。


「9時15分、呼吸停止。脈は触れる。撓骨動脈は触れず。30回ね。気道確保。年齢不明、男性、呼吸苦でうずくまっているところを発見。漢字じゃなくてもいいから。既往症はDMと高血圧ね。……誰かAEDあるところ知ってるかな?コンビニってないよね?」

 彼女はおもむろに、髪をまとめると、白い頬と彼女の真剣な眼差しが見える。


「オイッ!救急車呼んだぞ?電話切らないで、様子を教えてくれって」

 店員さんの声もいつもより大きく、しれっとした雰囲気はまるでない。

 彼女に言われるままに、メモを取る。


「和馬くんのメモを読んでみてくれる?店員さんはAED知らないかな?」


「あぁ?なんだそれ?」


「うーん、誰かAED知ってる人いませんか?」

 いつの間にかまわりにはたくさんの人だかりができている。彼女は躊躇することなく、大きな声をかける。

 その中のひとりが「あっちのビルにあったと思う」と呟く。

「借りてきてくれる?」彼女はニコリと笑う。


 彼女はおじさんの首もとにまた触れて、指先をじっと見つめている。

「和馬くん、メモして。17分、脈拍の触知なし、CPAね。店員さん、救急隊にも伝えて?換気はなしで、胸骨圧迫開始」


 彼女はおじさんの脇に膝立ちになり、腕を伸ばして、体重をかけて、真っ直ぐにその胸を押す。1、2、3と小さく数を呟いている。僕はボールペンとメモ用紙を持ったまま、その横で立ちつくしていた。


 彼女は息を弾ませて、額に少し汗をにじませている。

「あ……、綾音さん、代わります」

 自動車免許を取得する時にやったような気がするけれど記憶は曖昧で、あの時は人形だった。本当の人でやったことはないけれど、代わりたかった。


「うん、お願い」

 彼女がしていたように真っ直ぐにその胸を押す。固いのか柔らかいのかよくわからない、不思議な感覚が腕を伝う。


「もう少し、体を前にして、おじさんの脇腹を真っ直ぐ見下ろす感じ。リコイル……、押したあとは少し浮かせるくらい弛めて」

 彼女がしていたように、数をかぞえてみる。彼女がニコリと微笑んだ気がした。


「AEDですっ!」勢いよく声がかかる。

 オレンジ色の片手で持ち運べるくらいの機械がおじさんの横におかれる。ありがとうと彼女の声が聞こえ、僕は息を弾ませて、顔をあげる。


「22分、AED到着。和馬くん、そのまま続けてくれる?」

 彼女はおじさんのシャツの前をはだけ、機械の中のシップくらいのサイズのシートを胸にペタリと二枚、貼り付ける。

「電源、入れて……、ちょっと離れててね」


『解析中離れて下さい』機械から音声が流れる。


『電気ショックが必要です。充電しています』


「アララ……、離れててね。和馬くん、メモして。23分、DCね」

 固唾を呑んで、たくさんの人が見守るなか、彼女は淡々と手を動かしている。


『感電ボタンを押してください』

 彼女は機械のピカッと光っているボタンを強く押す。

 おじさんの体はほんのすこし、びくっとしたけれど、想像していたよりそれはとても小さかった。


「胸骨圧迫開始」

 彼女はまたおじさんの胸を押し始める。



 遠くから微かに、サイレンの音が聞こえてきた。それはみるみるうちに、大きくなり頭に響きわたる。


「……遅いしっ!」彼女は吐き捨てるように呟く。僕は彼女が救急隊の到着を待っていたことを知る。



 駐車場の脇にキュッと音をたてて停まったと思ったら、中から救急隊が降りてきた。

 彼らは素早く綾音さんと交代し、ストレッチャーにおじさんを乗せる。ひとりはおばさんに話しかけて、もう一人は処置の手を止めることなく、彼女をちらりと見てハッとしたようにじっと見つめている。


「あっ……、平原さんすか?」

「来るの遅くないですか」

「全力ですよ。しかも8分なんで、勘弁してください。平原さん、ちょうどいいっすね。一緒に乗ってくださいよ」

「ええぇ?」

 半ば強引に彼女は救急車に乗せられていく。

「すぐ戻ってくるからっ!」



 遠退くサイレンを聞きながら、僕は店員さんと呆然と立ちつくしていた。



「どうした?何かあったか?」

 店長さんの間延びした声に我にかえる。ボリボリと頭をかきながら、のんびり近づいてくるその姿に店員さんは駆け寄る。


「てっ!店長!マジ大変だったんすよ?何やってたんすか?」

 店員さんの声が裏返っていて、バシバシ店長さんの肩を叩く。


「イテっ!やめろ」


 店員さんはその肩に手をおいたまま、大きく息を吐いて呟く。


「マジであのお姉さん、スゲーよ……、とりあえず、中に入ってお姉さん待っとこうぜ?」

 明るい茶色の髪をくしゃとかきあげて、店員さんはニコッと笑う。





 ふらふらと店員さんの後ろをついていき、コンビニの事務室に入りる。スチール椅子に腰を下ろすと、はぁっと大きく息がこぼれる。


 こんなことを彼女は生業としていることに初めて気づかされる。

 彼女は命のやり取りをいつだって感じていて、それを表だってみせることはなく、ニコリと笑うけれど、全く負担に感じていないわけではない。

 そんな彼女の助けになりたいと思う。



 ぼんやりと店長さんのおごりの缶コーヒーをすする。


「オレさ、マジであのお姉さんにホレたかも」


 ブーーーーっ!


 僕は店員さんの呟きに、口に含んでいたコーヒーを霧吹きのようにとばしてしまった。見事な反射神経で避けた店員さんは全く気にすることなく言葉を繋ぐ。


「いや……、マジであのお姉さんに付いて行きたくなるわ」


「ダメですっ!無理ですっ!僕のですっ!」


「あのお姉さんのためなら、毎日洗濯して掃除して、メシ作るよ?オレ」


「何なんですか?!」


「そうだろう?あんたは、あのお姉さんと結婚して洗濯したり掃除したり、してほしいんだろ?」



「そんなんじゃありませんよ。……結婚したいのは、ただ、もっと一緒にいたいんですって!」


「なんだそれ?結婚する理由は一緒にいたいってことか?」


「……そうですね」


「オレと結婚したら、家事はオレがする。もちろん、バイトもするぞ?一緒にいるだけの男なんていらねぇよ。つうか、あんたのことだから、仕事辞めて、家庭にって思ってんじゃね?」


「……そうですね。仕事大変そうだし、なかなか会えないし。綾音さんには仕事を辞めてもらって、僕が働いてって。……でも、それ違う気がしました」


「だな……、もったいねぇ。多分、あのお姉さん、かなり仕事できるぞ?適材適所だ。専業主婦なんて似合わねぇな」


「……そうですね」

 ならいったい僕には何ができるんだろう。彼女と一緒にいたい、それだけでは足りないのだろうか。

 



参考文献、「ICLSコースガイドブック」羊土社、日本救急医学会ACLSコース企画運営委員会ICLSコースガイドブック作成ワーキング/編


BLSだけですけど。

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