番外編 2
深夜勤務、午前0時を少し回った病院は暗く静まり返り、自分の靴音だけが響く。
廊下には非常灯が緑にぼんやりと光り、病棟へと続くエレベーターに導く。
7階南、看護師詰所は照明が少し絞られ、パソコンに向かう準夜勤務者に声をかけてから、休憩室に入る。
体がだるい、栄養ドリンクを開けて、一気に飲み干す、喉を通っていく甘く濃い液体、強い香りが鼻に抜ける。
「はぁ」
「お疲れ様っす。なんすか?桃色のため息なんかついて」
休憩室に入ってきたのは、同じ深夜勤務の高井、カバンをおきながら、ニヤリと笑う。
「……」
「上手くいってないっんすか?年下の彼氏と?」
「……そんなことないよ。ただねぇ、年下なんだよね、……彼の友達っていうか、先輩って人を紹介されたわけよ?」
「友達に紹介されたってことは、それなりに相手は本気だと思いますけど?」
「いや、そうなんだけど。……彼の先輩って私の年下だったりするのよ。しかも彼のこと先輩って呼んじゃうような子は、すごく年下なのよね……、迂闊にオリンピックの話なんてしようもんなら、あはっ!小学生でしたとか言われちゃう訳よ?私、すごくね……」
彼に似合わない気がしちゃうんだよね。
「乙女っすよね、平原さんって」
「えっ?」
「もっと、可愛い他の子がいいんじゃないかしら?とか思っちゃうんですか?」
「いや……、そういうわけじゃないけど。なんかね」
なんで私なのかなって思ったりはする。
「直接、聞いてみたらいいじゃないですか?報告、連絡、相談ですよ。俺は逐一、話しますよ?」
「佐倉ちゃんにもそう言うの?」
「そうなんすよ、茉莉子あんまり思ってること言ってくれないから……って!俺の話はいいです。でも、やっぱり言葉にしないと伝わりませんよ?」
言葉にすると重くなりそうだから、30間近の女の言葉はまだ若い彼にとってきっと重荷でしかない。
「……うん、そうね」
「平原さん、結構本気なんすね?」
「……日勤終わって、次の日、早出の勤務の合間に、部屋に押しかけて、カレー作っちゃうくらい?」
「……かなりっすね。日勤深夜の間に行くくらいになったりして?」
「……体がもたないかな」
「もってたら、行くんすか?」
「あは?」きっと会いに行く、ほんの少しでも一緒にいたいと思うから。
「今度、会わせてくださいよ?その彼氏」
「え……、嫌かも。高井君に値踏みされるの、何か嫌。佐倉ちゃんならいいけど」
「何で、俺はダメなんすかー?!」
「さっ!仕事仕事、丸野また遅刻?」
「平原さんより前に来てたみたいでしたよ?」
「おー、やるね」
私がもっと若かったら、軽くお願いするみたいに言えるのかもしれない。
もっと一緒にいたい、ずっと一緒にいたい。だから、結婚したい。
「平原さん、何が残ってますか?」
日勤者に申し送りを済ませ、落ちてくる瞼を無理やり、押し上げてパソコンに向かっていると、高井が涼しい声をかけてくる。
「大丈夫、もう終わるから」
「じゃ、先に失礼します。今から研修なんで」
「えっ?本気?高井君、元気だねぇ、何の研修を入れたの?」
パソコンから目を離し、思わず高井を見つめる。さすがに眠そうだ、切れ長の目を糸みたいに細めている。
「ICLSっすよ。前に受けてから随分経ってるの、師長さんにばれて、深夜明けでも大丈夫よね〜って言われて……」
「えぇ、私もかなり前だよ、もう六年とか?」
「バージョンアップしたらしいです、アプリかよっ!て、感じっすよね。ハハハァ」
「……しんどいよね、お疲れ様」
勤務に加えて、研修や委員会、カンファレンスなどのプラスアルファがかなり多い。勤務中に行けることもあるけれど、それでも負担になることにはちがいない。
掃除も洗濯も特別苦手ではないけれど、なかなか行き届かない。料理に至っては、私はセンスに欠けている自信がある。レシピの通り作れるけれど、いつだってたいして美味しくはない。
家事が得意なわけじゃないし、若くもない、可愛くもない。
仕事が忙しく、すれ違ってばかり。
こんな私のどこがいいのか、本当に不思議だ。
ーー私のどこが好きなの?
そんなことを聞くことはできそうもない。
ICLS→immediate cardiac life supportです。