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ペンギンプール前の午睡

 目が覚めて、ベッドの中から窓に目をやる。

 外はまだ明るくなり始めたばかりなのか、厚い雲におおわれて太陽を隠してしまっているのか、差し込む光は少ない。


 時計の針は6時過ぎを指している。準夜勤を終えて、ベッドに入ったのは3時半頃だった。いつもより、早く眠りは訪れたけれど、いつもより、早く目が覚めた。

 相変わらず、体は重く、頭は痺れたようにぼんやりしている。

 起き上がることが出来ず、また、眠ることもできず、ベッドに入ったまま、ぼんやりと天井を見ていた。

 うつらうつらと、眠りの淵をさ迷う。


 体も頭も、はっきりとはしないけれど、時計は11時を過ぎた。もう支度をしなくては、間に合わない。

 今日は約束の水曜日だ。


 長い時間、ベッドにいたにもかかわらず、目の下のクマはファンデーションで隠しきれない。けれども、長くベッドにいたために、顔はしっかりと浮腫んでいる。


「ひどい顔……」


 今回は、服装の指定はなかった。メールは楽しみにしてますといったようなありきたりのものだった。

 クローゼットを開けて、洋服を見回す。首もとが隠れれば、何でもいい。

 鏡に映る首筋の赤い跡はなかなか消えない。

『お前、最低だな』

 西口の声が聞こえるようだ。

「……絶対にわざとだよね」ため息がこぼれる。

 後悔と自己嫌悪のせいか、禁断症状なのか、夜、眠れない。

 体は疲れているのに、眠りはやってこなくて寝返りをうつばかり。

 家にこもっていても、気分は滅入るばかりだ。そのほうが、私に合っていると思わないでもない。

 けれども、断りの連絡をすることが、ひどく億劫で、ずるずる後回しにしていたら、今日になってしまった。

 そんな自分が嫌になる。




 待ち合わせのコンビニに着いたのは、約束の時間のほんの少し前だった。

 店の前にいた彼はすぐに気が付いて、走り寄ってきた。顔には満面の笑みを浮かべている。

「こんにちは」

 人懐っこい整った顔が微笑んでいる。私にひどくそぐわない。

「……顔色が良くないです。お疲れですか?」眉尻を下げてそう言う彼に耳と尻尾があれば、きっと、耳は伏せられ、尻尾はだらりと下がる。そんなことが頭に浮かび、頬が緩んだ。

「ちょっと、仕事が大変だっただけ、平気」

「そうですか、無理してませんか?」

「ん、大丈夫」

 彼は少し困ったように笑って、じゃ、行きましょうかと車に向かって歩き始めた。


 車の助手席に深く座り、小さく流れる音楽に耳を傾けて、車窓を見つめる。

「ねぇ、今日はどこにいくの?」

「ちょっとベタですけど、水族館です」

「水族館ってベタなの?私、前に行ったのって、ずいぶん前だよ」

「デートスポットとしては、ありきたりじゃないですか?」

「……そっか」デートというものから、遠ざかっていたことを痛感する。

「僕、好きなんですよ、水族館。しばらくかかるんで、眠っててもいいですよ」

「……ありがとう」車の揺れは心地いいけれど、眠りはやってこない。

 流れていく景色をただ眺めていた。


 水族館は平日の昼過ぎのせいか、人はまばらで、とても静かだった。

 青い水槽をゆったりと泳ぐ魚たちは、優雅にヒレを翻す。

 彼に手を引かれて、薄暗い通路を進む。

 色鮮やかな小さな魚たちが、くるくると泳ぎ回る。その水槽に手をつくと、ひんやりと冷たい。

「ルリスズメダイですね」耳元で、声が聞こえる。

「あの、青い魚?よく知ってるね」

「ここに書いてありますから」彼の指差す方を見ると、大きく掲示してあった。思わず、頬が緩む。彼も頬を緩ませている。

 彼の目はそんなに大きくないけれど、瞳が大きい。黒目がちの目が彼を人懐っこく見せるのだろうか。

「……平原さん、そんなに見つめられると困りますから」キスしますよと、そむけた顔は耳まで、赤くなっている。

「えっ、ごめんなさい。ほんとにそんなつもりじゃなくて、伊達くん、黒目が大きいなって思ってたの」

「……無意識ですか」

「……」そんなことを言われても困る。なんと答えればいいのだろう。私は最低の女です、かな。

「気にしないでください」にこっと笑って、さっ、行きましょうかと手を引かれる。


 大きな水槽には、たくさんのペンギンがいた。座って観察できるように、水槽の前に並べられたベンチは、水槽からの青い光に包まれている。手を引かれベンチに腰をかけると、彼も横に座った。


 見上げる大きな水槽は、下半分が水、上半分が陸になっており、ここからは泳ぐペンギンの姿がよく見える。

 よたよたと歩き、落ちるように水に入ったペンギンは、水の中では、驚くほど、俊敏だ。目の前を一瞬で通りすぎていく。

「泳ぐの、早いね」

「ほんとに」じっと水槽を見つめる彼の横顔は青い光を受けている、形のいい耳と、すっきりと尖った顎、水槽を見つめる瞳は光を宿している。とてもきれいだった。

 ゆっくりと振り向いた彼は困ったように笑って、

「平原さん……」

「あっ、ごめん。伊達くんってきれいな顔してるなぁって、ちょっと見とれてた」

 また、彼はにこっと笑って、ペンギンの水槽に視線を戻す。


 目の前を勢いよく通りすぎる弾丸のようなペンギンを見つめていると、まぶたが落ちてきた。少しの間、目を閉じていてもいいだろうか、ほんの少しだけ、目を閉じるだけ。





 目を開けると青い光。横切る黒い塊は、ペンギン。頬には柔らかいニット。


「目が覚めた?」


 彼の腕に抱かれ、寄りかかって眠ってしまっていたらしい。

「あっ、ごめん」あわてて、体を離すと、彼のニットにシミがついているのが、目についた。

「わっ、やだ。ヨダレ付けちゃった。ごめん」

「気にしないで。こっちこそごめん。疲れているのわかってたのに、無理に連れてきたし」

「ううん、伊達くんは悪くないよ。私が来たかったんだから。それより私、どれくらい寝てた?すごくすっきりしてるから、かなり寝てたんじゃない?ほんとにごめん。デートでうたた寝するって、ほんとにあり得ない」

 本当に嫌になる。

「ほんの少しですよ。平原さんこそ、気にしないで」

「ほんとにごめん……」

 ため息がこぼれてしまう。

 両肩を強く掴まれて、正面から彼に見つめられる。大丈夫だから、とにっこりと微笑み、彼の顔がゆっくりと近付いてくる。


「ダメ」

 彼の肩を抑え、うつむく。

「……平原さん、ごめん」

「……ダメだよ」私なんかに優しくしないで、キスしないで。


 静まり返った館内に閉館を知らせるアナウンスと音楽が流れ始める。


「えっ?やっぱり私、すごく寝てたよね……」

「そんなことないですよ、立てますか?」

 彼はやっぱり私に微笑む。

 人の気配のない通路を抜けて、水族館を後にする。


「全然、回れなかったね」

「また、一緒に来ましょう。お腹、空きましたか?」

「ん、そんなに」


 外はすっかり暗くなり、西の山際がうっすらと光を残している。東のそらには星が煌めいている。




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