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【脚本】真ネザーワールド リヴァイヴ(冥界蘇生)~神々の黄昏と陽だまりの詩~  作者: たくみふじ


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第六話 虚無の鎮魂と陽だまりの錨

千年の地獄を耐え抜いた魂が、神々に抗い『陽だまり』の日常を守る!

〇シーン1 湾岸地区・第7倉庫内部(夜)

潮の匂いと酷く錆びた鉄の匂いが重く混じり合う湾岸地区の第7倉庫。

巨大なシャッターの奥に広がる広大な倉庫の中は、天井の鉄骨から吊された幾つかの裸電球が薄暗い空間を頼りなく照らしている。

その中央、塗装の剥げた粗末なパイプ椅子に縛り付けられ、猿轡をされたひかりの姿があった。

彼女の周囲を取り囲むように、十数人の屈強な構成員たちが鉄パイプやサバイバルナイフを手に威圧的に立っている。

その中心にいるのは、不釣り合いなほど仕立ての良い高級スーツを着た男、塾のカウンセラーであった神崎だ。

そして彼らの背後の色濃い闇には、おぞましく冷たい気配が蠢いている。

冥府の反逆者、ヤミが率いる死神たちだ。

彼らはあえて姿を見せず、霊的な圧力だけで倉庫の空間を完全に支配している。

ゆっくりと、しかし一切の躊躇いを持たない足取りで歩みを進めてきたカイが、神崎から数メートルの距離で立ち止まり対峙する。

神崎が口角を不自然に吊り上げ、優雅に一礼するがその目は全く笑っていない。


神崎

「よく来たな、カイ・タカハシ」


神崎は縛られたひかりの肩に手を置き、品定めするように撫でる。


神崎

「君も、非常に優秀な商品になりそうだ。その底知れない強靭な魂、裏の市場でさぞかし高く売れるだろうな」


カイ

「ひかりを、放せ」


カイの声は低く、まるで千年の地獄の底から響いてくるかのように重く冷たかった。

その声に含まれた微かな怒りの波動に、構成員たちがビクッと肩を震わせる。


神崎

「そう焦るなよ。まずは建設的な取り引きをしようじゃないか」


神崎はひかりの髪を無造作に、そして乱暴に掴んで上に引き上げた。

ひかりが苦痛に顔を歪め、猿轡の奥からくぐもった悲鳴を上げる。


神崎

「君が大人しく我々の『商品』になるという契約書にサインすれば、このお嬢さんは無傷のまま解放してやる。君にとっても彼女にとっても、実に簡単なことだ」


その時、ひかりの背後の床に落ちていた影の一つが、にゅりと不気味な形に伸びた。

「辱め」を司る地獄の番人、ハジの眷属だ。

ハジの陰湿な力が発動し、黒い靄となってひかりの頭部を包み込む。

ひかりの脳裏に、彼女が心の奥底で最も恐れていた光景が鮮明な幻覚となって強制的に映し出される。

カイに見捨てられ、言葉も通じない異国の地で弄ばれ、最後にはボロ雑巾のように暗い路地裏に捨てられる自分自身の無惨な未来のビジョン。

精神を直接削り取るような悪意の奔流。


ひかり

「んぐっ……!! いや……いやぁぁぁっ!」


猿轡越しにひかりの悲痛な絶叫が倉庫内に響き渡る。

彼女の瞳から理性の光が急速に消えかけ、絶望の涙がボロボロとこぼれ落ちる。

その姿を見た瞬間、カイの中で何かが決定的に弾けた。


カイ

「やめろぉぉぉぉぉっ!!」


カイの怒りが臨界点を超えた。

ブォン!!

カイの小さな体から、漆黒の波動が爆発的に広がった。

それは周囲の物を吹き飛ばすような物理的な衝撃波ではない。

触れたもの全ての意味を奪い、全てを無に帰す「空虚」のオーラ。

ハジの眷属が放っていた幻術の靄が、カイの波動に触れた瞬間にジュワッと音を立てて霧散した。

幻覚を見せていた霊的な回路そのものが、この世界から「無かったこと」にされたのだ。

圧倒的な虚無のプレッシャーに当てられ、構成員たちが訳もわからず武器を取り落とし、よろめいて尻餅をつく。


神崎

「な、なんだ……今の恐ろしい気配は!?」


神崎が完全に狼狽し、ひかりから手を離して無様に後ずさりする。

その時、倉庫の天井近くの鉄骨の梁の上から、氷のように冷たい声が降ってきた。


ヤミの声

「……ほう。これが、スサノオ様が危惧していた噂の『虚無』か」


〇シーン2 同・第7倉庫内部

黒い巨大な翼を広げた死神ヤミが、音もなくゆっくりと舞い降りてくる。

ヤミは床に降り立つと、面白そうにカイを見据えた。


ヤミ

「面白い力だ。だが、その力、ただ感情に任せて振り回すだけでは宝の持ち腐れだということを教えてやろう」


ヤミが指をパチンと鳴らす。

その合図にハッとした神崎が、慌てて懐から鋭いサバイバルナイフを取り出し、再びひかりの背後に回ってその細い喉元に刃を突きつけた。

冷たい金属がひかりの肌に食い込む。


神崎

「動くな! 動けば、この女の喉を即座に掻き切るぞ!」


カイの動きが完全に凍りついた。

踏み出そうとしていた足が止まり、纏っていた黒いオーラが揺らぐ。

空虚の力は、対象の持つ意味や霊的な事象を消し去ることができる。

だが、物理的なナイフが喉の肉を切り裂くという、その一瞬の物理的な速度を完全に止めることはできない。

ほんの少しでも術式の展開が遅れれば、ひかりを永遠に失うかもしれない。

その底知れない恐怖と絶望が、カイの心を太い鎖のように縛り付ける。


カイのモノローグ

「どうすれば……! 僕の力じゃ、物理的な刃の速度には絶対に勝てない!」


カイが絶望に顔を歪めた、その時だった。


ひかり

「……カイくん!」


激しい動きで猿轡がずれ、ひかりの澄んだ声が響いた。

彼女は恐怖で震えながらも、涙で濡れた顔をしっかりと上げ、カイを真っ直ぐに見つめていた。

そこには死への恐怖の色はなかった。

あるのは、カイという存在への絶対的な信頼だけだった。


ひかり

「私を、信じて……! カイくんなら、絶対にできる!」


その強い瞳の光が、カイの暗く沈みかけていた魂に強烈な光を灯した。


カイのモノローグ

「そうだ。僕は、何を恐れている? ひかりを失うこと? 違う。自分の力が及ばず彼女を守れないかもしれないという、僕自身の『無力さ』を恐れているだけだ。でも、彼女は命の危険に晒されながらも信じてくれている。僕の力を。僕という存在を。なら、応えなきゃいけない。僕が彼女を守るんだ」


カイは深く、ゆっくりと息を吸い込んだ。

感情のままに暴走しかけていた「空虚」の力を、強靭な意志の力で完璧に鎮め、極限まで内側に凝縮させる。

嵐のような無差別の破壊の力ではなく、全てを優しく包み込む静寂な湖面のような「無」の領域へ。

カイはゆっくりと目を開けた。

その瞳は神崎でもヤミでもなく、ただひかりの顔だけを優しく見つめていた。


カイ

「……大丈夫だよ、ひかり。もう、何も怖くない」


〇シーン3 同・第7倉庫内部

その言葉と共に、カイから放たれた目に見えない波動が倉庫全体を瞬時に満たした。

それは空間を完全に支配する、絶対的な「静寂」だった。

神崎が心の中で感じていた、他者を暴力で支配する醜い優越感。

構成員たちが感じていた、人を売って得る金への汚い欲望。

それらの感情が、音もなく空虚に吸い取られ、急速に色あせていく。

彼らはなぜ自分が今ナイフを握っているのか、なぜこの無力な少女を捕らえているのか、その行動の「動機」を完全に見失い、手足の力が抜けて呆然と立ち尽くした。

神崎のナイフを持つ手が震え、力なくダラリと下がる。

チャリン、とナイフが床に落ちる音が異常に大きく響く。


ヤミ

「な……馬鹿な。精神干渉ではない……因果そのものを、この空間から断ち切ったというのか……!?」


ヤミが驚愕に目を見開き、一歩後退する。

敵全員の動きが完全に止まったその完璧な隙を、彼らは見逃さなかった。


ガシャーン!!


倉庫の裏口の高い位置にある窓が激しく割れ、ガラスの破片と共にソラとクロが飛び込んできた。


ソラ

「ひかり!」


ソラの放った不可視の念動力が、巨大なハンマーとなって神崎の胴体に直撃し、彼を数十メートル後方の段ボールの山まで吹き飛ばす。

クロが疾風のように床を駆け抜け、ひかりを椅子に拘束していた太いロープを鋭い牙で瞬時に食いちぎった。

拘束が解け、床に崩れ落ちそうになったひかりを、駆け寄ったカイがしっかりと抱きとめる。


カイ

「……遅くなって、ごめん」


ひかり

「ううん……来てくれて、ありがとう。信じてたよ」


二人はお互いの温もりを確かめるように強く抱きしめ合った。

遠くから、パトカーのけたたましいサイレンが複数近づいてくる音が聞こえる。

ソラが突入直前に警察に匿名で通報していたのだ。


ヤミ

「……チッ。今日はここまでか。だが、カイよ。貴様のその力、いずれ必ず我が糧としてくれる」


ヤミは忌ま忌ましげに舌打ちをすると、黒い翼を翻し、部下の死神たちと共に倉庫の深い闇の中へ溶けるように姿を消した。

神崎と構成員たちは、完全に魂が抜けたような無気力な状態で、駆けつけた警官隊に一切抵抗することもなく次々と確保されていった。

事件は解決し、巨大な人身売買組織は一夜にして壊滅した。

だが、カイたちの戦いはこれで終わったわけではなく、より深く厳しい局面へと進んでいたのだ。

カイの瞳の奥で、静かなる空虚の力が完全なる覚醒の時をじっと待っている。


〇シーン4 大学の図書館(数年後・昼)

季節は巡り、数年の月日が流れた。

大学の図書館の最も奥まった静かな席。

高い窓から差し込む午後の柔らかな日差しが、空中に舞い上がる埃を金色の粒子に変えてキラキラと輝かせている。

大学生になったひかりは、机の上に開いたままの分厚い専門書に視線を落としていたが、並んだ活字は上滑りするばかりで少しも頭に入ってこなかった。

彼女の意識は本ではなく、窓の外、青々とした緑の芝生が広がる中庭へと吸い寄せられていた。


〇シーン5 大学の中庭(ひかりの主観視点)

中庭の木陰のベンチに座り、穏やかな表情でペーパーバックを読んでいる青年、カイ。

その隣で、スポーツドリンクのペットボトルを片手に、身振り手振りを交えて何かを熱心に話しかけている少女、ソラ。

そして二人の足元で、初夏の日差しを浴びて気持ちよさそうに腹を出して寝転がっている黒い豆柴のクロ。

まるで印象派の絵画のように完璧で、美しい光景だった。

春の光が彼らを柔らかく包み込み、そこだけ世界の喧騒から切り離されて時間が止まっているかのような、神聖ですらある「陽だまり」。

時折ソラが笑い、カイが微笑み返して頷く。


〇シーン6 図書館

窓越しにそれを見つめるひかりの胸の奥で、温かさと同時に、ちくりとした鋭い痛みが走る。

それは、言葉にするのも憚られるような、暗くて重たい感情だった。

羨望と、拭いきれない疎外感。

ひかりは小さくため息をつき、視線を落とす。


ひかりのモノローグ

「私は、彼らの大切な『仲間』だ。誰よりも長く彼らの傍にいて、彼らの抱える過酷な秘密を知り、共に死線を潜り抜けて戦ってきたという自負がある。でも、時々、どうしようもなく孤独を感じてしまうのだ。私は、彼らの特別な世界における、ただの『傍観者』なのではないか、と」


ひかりはポケットからスマートフォンを取り出し、写真フォルダを開く。

色褪せたデジタルデータがいくつも画面に並んでいる。

画面をスクロールさせ、一枚の写真で指を止める。

三歳くらいの頃の写真。

近所の公園の砂場で、泥だらけになって無邪気に笑う三人の子供たち。


ひかりのモノローグ

「太陽みたいに元気で明るいソラちゃん。月のように静かで優しいカイくん。そして、その二人の手をぎゅっと握って離さない、泣き虫で弱かった私。この頃の私にとって、二人は世界の全てだった。特別な力なんて関係なく、言葉なんていらなかった。ただ一緒にいるだけで、心が満たされていた。この幸せな時間が、永遠に続くと信じて疑わなかった」


写真のスクロールを進める。

小学生の頃の、暗く冷たい記憶がフラッシュバックする。

あの交通事故をきっかけに向けられた大人たちの冷たい視線、学校での陰湿な孤立、「呪われている」という心無い噂。


ひかりのモノローグ

「あの時、私の両親も泣きながら私に言った。『もう、あの子たちと関わってはダメだ』と。世界が反転したようで、怖かった。でも、それ以上に理不尽な世界が悔しかった。世界中が彼らを拒絶しても、私だけは絶対に味方でいよう。そう固く心に誓った」


ひかりはスマートフォンを閉じ、机の上に置く。


ひかりのモノローグ

「でも、現実は残酷だった。小学生の時の神隠し事件、そして、高校生の時の人身売買組織との戦い。ヤミたち死神が絡む恐ろしい事件が起きるたびに、私は思い知らされた。私には、彼らと一緒に戦う力がないのだ、と。ソラちゃんのように強力な念動力で敵を吹き飛ばすこともできない。クロのように恐ろしい猛獣に変身して最前線で戦うこともできない。ましてや、カイくんのように世界の理そのものを書き換えるような神の奇跡なんて、起こせるはずもない」


数年前の、第7倉庫での出来事が頭をよぎる。

椅子に縛られ、ただ助けを待つことしかできなかった無力な自分。

自分の命を救うために、カイが無理をして恐ろしい力を制御し、精神をすり減らしていく姿。


ひかりのモノローグ

「彼らが命を懸けて血を流して戦っている間、私はいつも安全な場所で見ているだけ。情報収集や司令塔なんて聞こえのいい役割を与えられているけれど、結局のところ、私は彼らが傷つくのをただ見守ることしかできないのだ。守られているだけの、か弱く平凡な人間。それが、私の正体」


ひかりは再び、窓の外で楽しそうに笑い合うカイとソラをじっと見つめる。


ひかりのモノローグ

「彼らは双子だ。血を分け、魂を分けた片割れ同士。言葉を交わさなくても、常人には決して理解できないレベルで、互いの魂が深く共鳴しているのが分かる。そこには、私がどれだけカイくんを愛しても、どれだけ側にいようと努力しても、決して踏み込むことのできない絶対的な『聖域』がある」


ひかりは深くうつむき、両手で顔を覆う。


ひかりのモノローグ

「ああ、敵わないな。私は、陽だまりの外側にいる。ガラス一枚隔てた向こう側で、彼らの紡ぐ英雄の物語を読んでいるだけの、ただの傍観者なのだ」


〇シーン7 同・図書館

不意に、すぐ近くで名前を呼ばれた。


カイ

「……ひかり?」


ハッとして顔を上げると、いつの間にか中庭から戻ってきたカイが、向かいの席に静かに座っていた。

少し長くなった前髪の下にある、静かで深い瞳がこちらを見ている。

彼の手には、自動販売機で買ったばかりの、ひかりが好きなミルクティーのペットボトルが二本握られている。

ひかりは慌てて涙を誤魔化し、本を閉じて笑顔を作った。


ひかり

「あ、ごめん! ちょっと、ぼーっとしてたみたい」


ひかりのモノローグ

「ダメだ。こんな暗い顔、彼に見せてはいけない。彼は世界を守るために、自分の身と心を削って戦っているのに。私がこんなちっぽけな劣等感で足を引っ張ってどうするの」


カイはミルクティーをひかりの前にコトリと置くと、静かにひかりの目を見つめた。


カイ

「……無理、してないか?」


その瞳は深くて暗くて、でも底知れない優しさを湛えている。

千年の地獄の苦しみを見た瞳。

その目は、ひかりの不自然な作り笑いなんて、いとも簡単に見透かしてしまう。


ひかり

「ううん、全然。ちょっと、難しい専門書の勉強で疲れちゃっただけだよ」


カイ

「嘘だ」


カイは短く言うと、テーブルの上に置かれたひかりの震える手に、自分の大きな手をそっと重ねた。

彼の手は少しごつごつしていて、そしてとても温かかった。

でも、その温かい手は微かに震えているようにも感じられた。


カイ

「ひかり。君が今、何を考えているか、少しだけ分かる気がするんだ」


カイはぽつりと言葉を紡ぐ。


カイ

「君は、自分には戦う力がないと思っているだろう。ソラやクロみたいに最前線で戦えないし、異能を持つ僕とは違う世界の住人だと。……僕たちの間に、越えられない壁があると感じているんじゃないか?」


ひかり

「……ッ」


完全に図星だった。

心臓を直接鷲掴みにされたようで、ひかりは言葉を失い、うつむくことしかできなかった。

堪えきれずに涙が滲んで視界が歪む。


ひかり

「だって……そうじゃん。カイくんはすごいよ。神様みたいな恐ろしい力を持ってて、世界だって救えちゃう。ソラちゃんも、クロも、普通じゃない特別。でも、私は……私はただの、何もできない人間で……」


カイ

「逆なんだよ、ひかり」


カイの指が、ひかりの細い指にしっかりと絡まる。

強く、すがるように。


カイ

「僕たちは、君がいるから、こっち側の世界にいられるんだ」


ひかり

「……え?」


顔を上げると、カイはひどく苦しげな表情を浮かべていた。


カイ

「ソラも、クロも、そして僕も。……僕たちは、放っておけば『あちら側』の理に引きずり込まれて行ってしまう存在だ。力を使えば使うほど、人間としての正常な感覚が薄れていくのがはっきりと分かるんだ。地獄での凄惨な記憶や、全てを俯瞰する神の視点が、僕を『カイ』というただの人間じゃなくしていく」


カイは、空いた方の手で自分の胸元をぎゅっときつく掴んだ。


カイ

「高校の時、第7倉庫で力を解放した時……自分が完全に消えてしまいそうな感覚があった。世界を書き換える全能感に飲み込まれて、感情も、痛みも、愛さえも、ただの『無意味なデータ』に感じられそうになったんだ。自分が自分でなくなる恐怖。……それは、千年の地獄の責め苦よりもずっと恐ろしかった」


カイの声が微かに震えていた。

あの、どんな死神を前にしても何事にも動じない彼が、怯えている。

ひかりは初めて、彼が抱える圧倒的な力の代償と孤独を知った。

彼は強大な力を使うたびに、人間としての心を摩耗させ、虚無の淵に立たされていたのだ。


カイ

「でも、その時、君の声が聞こえた気がしたんだ」


カイはひかりの手を両手で優しく包み込んだ。


カイ

「『私を信じて』って叫んだ君の声が。君が作ってくれたハンバーグの匂いや、テストの点数で一喜一憂したこと、君の屈託のない笑顔、君の怒った顔……そんな、神の視点から見れば取るに足らない、でも何よりも温かい日常の記憶が、僕の自我を現実に引き戻してくれたんだ」


カイは切実な表情でひかりの目を見た。

それは全能の神の顔ではなかった。

不安で寂しがり屋な、ただの不器用な少年の顔だった。


カイ

「ひかり。君は『普通』だ。地獄も、神も、魂の覚醒も知らない、ただの心優しい人間だ。……だからこそ、君は僕たちの『錨』なんだよ」


ひかり

「錨……」


カイ

「荒れ狂う海で、船が闇に流されないようにしっかりと繋ぎ止めるもの。君が隣にいて、笑って、怒って、普通の話をしてくれるから。僕は、自分が人間であることを思い出せる。君という『陽だまり』があるから、僕はどんなに遠くの狂った世界へ行っても、必ず人間の世界へ帰ってこられるんだ」


涙がポロポロと溢れた。

止めどなく頬を伝って机に落ちる。


ひかりのモノローグ

「私は、なんて馬鹿だったんだろう。力がないから、意味がない? 違う。異能の力がない『私』だからこそ、できることがあったんだ。彼を人間としてこの世界に繋ぎ止めること。彼が安心して帰れる場所で在り続けること。それは、どんな強力な魔法よりも、どんな奇跡の力よりも、彼にとって絶対に必要な救いだったのだ」


ひかりは涙を袖で拭いながら、くしゃくしゃの顔で笑った。


ひかり

「……ずるいよ、カイくん」


ひかり

「そんなこと言われたら、私、一生離れられなくなっちゃうじゃない」


カイ

「離さないでくれ。……僕には、君が絶対に必要なんだ」


カイは照れくさそうに、でも真剣な眼差しで言った。

その言葉が、ひかりの心に巣くっていた黒いモヤを、春風のように完全に吹き飛ばしてくれた。


ひかりのモノローグ

「羨望も嫉妬も無力感も、きっとこれからも私の心を訪れるだろう。人間だもの。弱い自分がいなくなるわけじゃない。でも、もう迷わない。私は、陽だまりの傍観者なんかじゃない。このかけがえのない日常を守るため、私の全てを懸けて戦う、チームの立派な一員なのだから」


ひかり

「……うん。分かった」


ひかりは彼の手をしっかりと握り返した。今度は私の方から強く。


ひかり

「私、ずっとここにいるよ。カイくんが神様になっちゃいそうになったら、私が足を引っ張ってでも、地上に引きずり下ろしてあげる。……覚悟しててね!」


カイ

「はは、頼もしいな。それなら安心だ」


カイが笑った。憑き物が落ちたような心からの笑顔だった。

つられてひかりも声に出して笑った。

図書館の静かな空間に、二人の小さな笑い声が溶けていく。


〇シーン8 大学・中庭(夕方)

窓の外の空がオレンジ色に染まり始めている。

カイが席から立ち上がる。


カイ

「さて、そろそろ行こうか。ソラとクロが待ちくたびれてる」


ひかり

「そうだね。今日の夕飯、何にしようか?」


カイ

「やっぱり、ハンバーグがいいな。ひかりのハンバーグを食べると、一番元気がでるんだ」


ひかり

「もう、昨日も食べたじゃない。……ま、いいけどね。カイくんのために、世界一美味しいのを作ってあげる」


二人は図書館を出て夕焼けの中庭へ向かう。

中庭ではソラが待ちきれずにベンチから立ち上がり、大きく手を振っている。


ソラ

「おーい! 遅いよー! 待ちくたびれた!」


クロも「わんっ!」と元気よく吠えて、尻尾をちぎれんばかりに振って駆け寄ってくる。

その何気ない日常の光景が、今はただひたすらに愛おしい。

ひかりは大きく息を吸い込んだ。


ひかりのモノローグ

「春の風の匂い。土の匂い。私たちの温かくて騒がしい戦いの日々は、まだ続いていく。これから先、どんな過酷な運命が待っていようと、この手が届く範囲の幸せは、絶対に手放さない。私はあなたの陽だまりになる。あなたが暗闇で迷子にならないように、いつだってここを明るく照らし続けるから」


夕日が四人の影を優しく包み込み、一つの大きな塊のように長く伸ばしていく。

彼らは並んで、明日へと続く歩道を踏み出していった。

X(Twitter)でも連載しています。

https://x.com/TakumiFuji2025

魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。

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