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20食目 白日

 五月の午後の陽光は、すでに初夏の気配を孕んでグラウンドの人工芝を熱していた。

 ピッチの上では、鋭いホイッスルの音と共に、肉体と肉体がぶつかり合う鈍い音が絶えず響いている。インターハイ予選を一ヶ月後に控え、Aチームの練習は実戦形式のメニューが組まれていた。


 蓮は相手ディフェンスの網の目に身を置きながら、絶えず首を振って周囲をスキャンしていた。バイタルエリアにわずかな隙間が生じた瞬間、彼はそこへ滑り込み、味方からの縦パスを呼び込む。

 足首に触れたボールは、複雑な回転を殺され、吸い付くようにその場に収まった。一瞬の静止。そこから放たれたラストパスは、ディフェンダーの視界の外を通り、走り込んだ味方の足元へ完璧な精度で届けられた。


「ナイス、天根!」


 声を上げたのは、二年生の桐生だった。ネットを揺らした桐生が、汗を拭いながら親指を立てる。蓮は短く頷き、すぐに自陣のポジションへと戻った。彼の動きは、周囲から見ても明らかに一段上の次元に達している。椿によるコンディション調整が彼をより高みへと至らせていた。


 同時刻。

 西日が差し込む専門教室の窓際で、椿は一冊のノートに向き合っていた。

 周囲では同じ課程を歩む生徒たちが、実習の片付けや放談に興じている。その喧騒を遮断するように、椿のペン先は迷いなく動いていた。そこには蓮から共有された今日の練習メニューと、それに基づき算出された推定消費エネルギー、そして脳のパフォーマンスを維持するための栄養管理の計画が、緻密に刻まれている。


 その時、机の端に細長い影が落ちた。


「つばき、最近ずっとそれやってるね? 放課後なのに熱心だねー」


 声をかけてきたのは、友人の陽菜だった。吹奏楽部の練習に向かうべく楽器ケースを肩にかけた彼女は、覗き込むような仕草で椿の顔を覗き込んだ。


「陽菜。……別に、ただの調べ物よ」


 椿は表情を崩さず、静かにノートを閉じると、鞄の奥へ滑り込ませた。だが、陽菜の口角は面白そうに上がっている。悪意はないが、隠し事を見つけた時の子供のような純粋な好奇心がそこにはあった。


「ふーん。ただの調べ物ねぇ。……最近、椿ってば放課後のチャイムが鳴った瞬間に消えるでしょ。今日もお弁当、やけに中身が詰まってたし。なんか、生活が充実してそう。彼氏でもできた?」


「……変なこと言わないで。私は、最高の結果を出すためのサポートをしてるだけよ」


「サポートねぇ、そのサポート相手が、あの天根くんだってのは、内緒にしておいたほうがいいやつ?」


 陽菜が耳元で、確信に満ちた声で囁いた。

 ペンを掴んでいた椿の指先に、僅かな力がこもる。


「……なんで、それを」


「だって、吹奏楽部の部室ってグラウンドすぐそばの校舎だよ? サッカー部の練習しているところがよく見えるんだもん。天根くんが練習の合間にも食べてる容器、椿が昨日予備で持ってたやつと同じ色だったし、お昼のお弁当も同じメーカーのだよね。へへー、どう?当たりでしょ?」


 陽菜はそう言って楽しげに笑うと、楽器ケースを背負い直した。


「ま、椿が楽しそうならいいんだけどさ。じゃあ、私は合奏があるから行くね」


 陽菜が去った後の教室で、椿は肺に溜まった空気をゆっくりと吐き出した。

 自身の行動と容器の種類。それだけで自分たちの閉じた関係の輪郭を捉えられたことに、椿は心底驚いていた。


 夕方。

 マンションの401号室のキッチンには、まな板を叩く規則正しい音が響いていた。

 豚肉を均等な厚さに切り分け、野菜を刻む。鍋からは、疲労回復を促すための出汁の香りが立ち上り、換気扇の低い回転音がそれを吸い込んでいく。

 カチャリ、と鍵が回る音がした。


「……ただいま」


 入ってきた蓮は、練習の余熱を全身に纏っていた。スポーツバッグを床に置き、いつものようにカウンターの前に腰を下ろす。


「おかえり。……天根くん、少し話があるんだけど」


 温度を調整した麦茶を一気に飲み干した後、蓮は不思議そうに視線を向けた。


「……どうした?そんな改まって」


「陽菜…私の友達に、私たちの関係にあることがバレたみたい。使っている容器のせいで」


 椿が事実を伝えると、蓮はバッグの中を一瞥した。


「……そうか。まあ、同じ物を使っていればそうなるか。何か言いふらされたりしそうなのか?」


「彼女、変なところで勘が良すぎるのよ……変なことをする人ではないし、面白がって広めるような子じゃないわよ?そこは保証する。

 …けど、万が一学校で何か言われたりしたらごめん。私の不注意だった」


 椿の謝罪に対し、蓮は短く鼻で息を吐き、僅かに口角を上げた。


「謝る必要はないよ。俺の方は別に構わない。後ろめたいことをしているわけではないし。

 実害がないなら、気にする必要はないだろ」


「あんたは相変わらずね。……でも、少しは気を付けるわ」


 椿は顔を背け、再び鍋の中をかき混ぜ始めた。野菜が煮える静かな音が、二人の間の落ち着いた沈黙を埋めていく。


「橘さん。……今日の飯は何だ? 腹が減って仕方ない」


 蓮が空腹を隠さずにそう言うと、椿の表情がわずかに和らいだ。


「ええ、できているわよ。今日は疲労回復を最優先にした献立。豚肉とタマネギを特製のタレで炒めたものと、大根の煮物。それと玄米ごはん」


 カウンターに並べられた皿から、温かい湯気が立ち上る。

 蓮は手を合わせ、迷いのない箸運びで食事を始めた


「……相変わらず、美味いな」


 ボソリと漏らした蓮の言葉に、椿は聞こえないふりをして、キッチンのタイマーをセットし直した。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


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