15食目 勝利のあとに
試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、常盤台のベンチから歓声が弾けた。
『常盤台 5 ― 2 誠和』
前半二点のビハインドから、後半だけで五得点。スタンドの空気はまだ熱を帯びたままだった。
選手たちが次々とピッチへ飛び出してくる。歓声と笑い声の中で、蓮は何人ものチームメイトに肩を叩かれていた。
「おい天根、すげえな」
「一年であの試合するか普通」
「未来見えてんのか?」
次々に飛んでくる言葉に、蓮は苦笑するしかない。
その中心にいたのは、もちろん桐生だった。
「なあ天根」
桐生が汗を拭きながら歩いてくる。顔にはまだ興奮が残っていた。
「最初のスルーパス。あれで完全に支配したな」
「……そうですね」
「俺さ、まだ走り出したばっかだったんだよ」
桐生は笑う。
「なのにボールがすぐそこに落ちてる。意味分かんねえだろ」
近くにいた三年生も頷いた。
「確かにあれはヤバかった」
「ディフェンス完全に置いてかれてたし」
桐生は蓮の肩を軽く叩く。
「しかも三アシストだろ?
俺の三点も、全部お前絡み」
桐生はさらに続ける。
「で、最後には自分で決める」
笑いながら言う。
「1ゴール3アシスト。今日のMVPはどう考えてもお前だな」
蓮は首を振った。
「チームが決めた得点です」
「謙虚だなあ」
桐生は面白そうに笑う。
「でもさ、俺は今日めちゃくちゃ楽しかったぞ。走るだけでボール来るんだもん」
あれ?サッカーこんな簡単だったっけ?ってなったわ」
そう言って桐生は、ロッカールームへと向っていった。
ロッカールームに戻っても、騒ぎは大きくなる一方だった。
話題はもちろん、さっきの試合のMYPの彼。
「後半別のチームだったな」
「天根入ってから完全に流れ変わった」
「誠和のディフェンス、途中からパニックだったろ」
蓮は静かにタオルで髪を拭いた。
すると隣に桐生が腰を下ろす。
「なあ天根。このあとメシ行かね?」
「メシ、ですか?」
「そ、祝勝会。……先輩方もどうすか、焼肉とか」
「いいねぇ、焼肉」
「行こうぜー」
その様子を見て、桐生が再び蓮を見る。
「な、どうよ?」
「すみません、今日はちょっと……
食事管理してるんで」
「あー、そうだったな。
じゃあ、明日はどうよ?」
「行けると思います」
「オーケー、じゃあ決まりだな
……先輩方!祝勝会は明日で!店空いてねぇって!」
そういって、蓮の肩を叩く。
「桐生さん、すみません。ありがとうございます」
「いいってことよ、また明日な」
桐生は手をヒラヒラとさせて去っていった。
そして、夜。
家に帰ると、静かな空気が迎えた。
蓮はバッグを置き、深く息を吐く。
体は思った以上に疲れていた。
水を飲もうとキッチンへ向かったとき、スマートフォンが震えた。
画面を見ると椿からだった。
【帰ってきた?】
【うん、今着いたところ】
【今から行っていい?】
【いいよ】
間もなく、インターホンが鳴る。
「開けて、両手ふさがってるの」
蓮がドアを開けると、両手に袋を抱えた椿が立っていた。
「持つよ」
「あ、ありがとう」
椿は靴を脱ぎながら、ふわりと笑みを浮かべた。柔らかく、でも芯のある雰囲気。
「お風呂入った?」
「まだ、これから」
椿は軽やかにキッチンへ向かう。
「じゃあ先に座ってて。すぐ準備するから」
蓮はうなずき、浴室へ。湯気の向こうで疲れを洗い流すと、気分が少しすっきりした。
十分ほどして戻ると、キッチンから油の音が聞こえる。椿は包丁を手に、静かに食材を切っていた。
「今日の試合、外から見ててどうだった?」
蓮は、料理中の椿に話しかける
「そうね。後半30分経過してから、スプリントの出足が遅くなってたわね」
「いや、そういうとこじゃなくて……チーム全体の話なんだけど」
「?それはわかんないわよ。だって私あんたしか見てないもん」
椿はまな板に向いたまま、至極当然のことのようにさらりと言ってのけた。
包丁が刻むリズミカルな音が、一瞬だけ蓮の鼓動と重なる。
「……え?」
蓮の喉から、間の抜けた声が漏れた。
今、この女は何を言った?
チームの勝敗でもなく、戦術の成否でもなく、ただ「自分だけ」を見ていたと、そう断言したのか。
椿は手を止めず、流れるような動作で切ったばかりの野菜をボウルへ移すと、ようやく蓮の方を振り向いた。その剥き出しの瞳は、冗談を言っているようには見えない。強い意志を宿したその視線が、蓮の意識を真っ向から捉える。
「勘違いしないで。私はあんたの管理栄養士なのよ。ピッチ全体の戦術なんて監督や専門家に任せればいいわ。私の仕事は、あんたという個体の挙動を完璧に把握して、その後の栄養摂取にフィードバックすること。……だから、最初から最後まで、あんたの筋肉の動きと心拍の推移、それしか追ってないわよ」
理屈だ。いつもの、ぐうの音も出ないほどに冷徹な正論。
それなのに、蓮の胸の奥は、試合中のアドレナリンとは全く質の違う熱を帯び始めていた。
「……そっか。仕事、だもんな」
蓮は視線を逸らし、あえて無造作にタオルで濡れた髪を拭った。そうでもしないと、自分の顔が熱くなっているのを悟られそうで怖かった。
ジューッ、と食材が焼ける力強い音が静かな部屋に響き渡る。
背中を向けたままの椿の耳たぶが、夕焼けに照らされたのか、あるいは沸き立つ鍋の蒸気のせいか、微かに赤く染まっていることに、蓮は気づかなかった。




