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俺だけの献立 〜隣のスポーツ栄養士志望が俺の食事を管理するらしい〜  作者: はるくぼ
2年生・夏「変わったけど、変わらない」

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107/153

106食目 背中に焦がれて

 若葉の横パスを掠め取った西条南のボランチが、顔を上げた。

 その視線の先には、常盤台の最終ラインと中盤の間に生まれたわずかな裂け目。奪った瞬間から前線の二枚が同時に走り出している。


「戻れ!」


 桐生の声がピッチに響く。


 だが、その一歩より早く、黒いユニフォームが中央を切り裂こうとする。縦に差し込まれる一撃で決定機になる。誰もがそう思った瞬間だった。


 蓮が、戻っていた。

 若葉の視界の端を、白い背番号が斜めに横切る。


(……え)


 いつ下がったのか分からない。


 さっきまで中央のライン間にいたはずなのに、もう最終ラインの一歩手前まで戻っている。しかも、ただ戻っただけじゃない。相手の縦パスの受け手より半歩前、最も危険なラインに身体を滑り込ませていた。


 ボランチの右足が振り抜かれる。

 鋭い縦パス。


 だが、その軌道の先に先に足を差し込んだのは蓮だった。

 インサイドで面を作り、ボールの勢いを殺しながら自分の前へ転がす。受け手の前に入って、そのまま奪い切る。


「……っ!」


 西条南の前線が一瞬止まる。


 その一瞬で十分だった。

 蓮は奪った次の瞬間にはもう前を向いていた。


 トラップは一回。

 視線は一度だけ上がる。


 次の瞬間、左足が振り抜かれた。


 低く鋭いフィードが、右サイドの裏へ一直線に走る。


「走れ!」


 桐生が声と同時に加速する。サイドのウイングも呼応して一気に裏へ抜ける。西条南の最終ラインが慌てて下がるが、ボールの方が速い。


 右サイドで受けた常盤台のウイングがそのまま中へ切り込む。


 左足一閃。


 ゴール左隅へ向かったシュートに、スタンドが息を呑んだ。


 だが。

 西条南のGKが横へ飛ぶ。


 指先一本。


 白い手袋がボールを弾き出した。


 大きなどよめきがスタジアムを揺らす。


「ナイスキー!」


 西条南ベンチから歓声が飛ぶ。

 若葉はその一連を見ながら、息を呑んでいた。


 奪われた。

 終わったと思った。


 なのに、次の瞬間にはこっちの決定機になっている。


(天根センパイ……)


 やっぱりすごい。

 そう思わずにはいられない。

 あの局面で戻って奪い切るだけでもすごいのに。その上で、奪った瞬間にはもう前線への最適解まで見えている。


 視野。

 判断。

 実行速度。


 全部が一段違う。


 けれど、その感情のすぐ下に、別の熱もあった。


(……でも)


 胸の奥で、静かに何かが燻る。


(俺だって)


 ただ見ているだけじゃ終われない。


 試合はまだ前半だ。

 ここで常盤台の流れを作り直さなければいけない。


 再開後、西条南の圧はさらに強くなった。


「やっぱり天根に入れさせるな!」


 相手ベンチから飛ぶ声。


「そいつが触ると一気に変わる!」


 ピッチ上の認識も完全に揃っていた。

 蓮の周囲には常に一枚。


 その手前のレーンにはもう一枚。


 若葉が受けた時点で、蓮への斜めのラインはすでに消えている。


 若葉は中盤の底でボールを受け、半身で首を振る。


 ない。

 やはり見えない。


 蓮はいる。

 桐生も動いている。

 サイドも走っている。


 それでも線が通らない。


(また戻す……?)


 脳裏に、さっきの奪われた場面が一瞬だけよぎる。


 だが、すぐに別の感情がそれを押し流した。


(違う)


 また後ろで回しても、このままじゃ押し込まれるだけだ。

 自分で局面を変えなければ。


 若葉は右足で一つ前へ運んだ。


 相手ボランチが寄せてくる。

 それでも止めない。


 もう一つ持ち出し、角度を変えて中央へ切り込む。


「若葉!」


 蓮の声が飛ぶ。


 だが、その時にはもう遅かった。

 西条南のボランチが身体を寄せながら、蓮へのコースを切ったまま足を伸ばす。


 ボールだけを、正確に奪い取られた。


「……っ!」


 若葉の身体が止まる。


 その瞬間、西条南の前線が一気に走り出した。

 今度は、蓮が戻るより早い。


 中央を裂く縦パス。

 右サイドからの折り返し。

 ゴール前へ飛び込んだFWが、迷いなく右足を振り抜く。


 ネットが揺れた。

 一拍遅れて、西条南の応援席が爆発する。


 0―1。


 前半二十八分。

 スタジアムの熱が、一気に相手側へ傾いた。


 若葉の呼吸が浅くなる。


 自分の判断だった。

 自分で変えようとして、失点した。


 センターサークルへ戻る足が、いつもより重い。


 再開後、再び若葉へボールが入る。


 今度こそ落ち着いて。

 そう思った瞬間、さっきの場面が脳裏に蘇る。


 切り込んだ瞬間。

 奪われた感触。

 揺れるネット。


 喉が詰まる。

 視野が、狭い。


 いつも見えているはずの外側が見えない。


 奪われる。

 また失点する。


 その恐怖だけが先に立つ。


「若葉!ここ!」


 蓮の声。


 だが、そのコースも半歩で消される。


 足が止まる。

 次の選択肢が出てこない。


「柏原ァ!」


 今度は桐生の声だった。


「いいから俺に出せ!」


 切り裂くような声が、若葉の思考を強制的に切る。


 反射で右足を振り抜く。

 桐生の足元へ。


 桐生は背負いながら強引に収め、そのまま落とす。右サイドが拾い、クロス。


 再び桐生が飛び込み、頭で合わせるも、わずかに外れる。

 ゴール右へ逸れたボールに、スタンドから大きなため息が漏れた。


 そのまま前半終了の笛が鳴る。


 ロッカールームへ戻る足取りは重かった。


 誰もすぐには口を開かない。

 汗の滴る音と、ボトルの蓋を開ける音だけが響く。


 若葉は俯いたまま、拳を握っていた。


 悔しさとも違う。

 情けなさとも違う。


 もっと、重い感情だった。


「……俺が」


 ぽつりと漏れた声に、空気がわずかに止まる。


「俺が、天根センパイの代わりができれば」


 誰もすぐには言葉を返さない。

 若葉は視線を落としたまま続ける。


「天根センパイなら、あの局面でも前に出せたはずなんすよ」


 蓮は何も言わなかった。


 ただ、その言葉だけが静かに胸の奥へ落ちていく。


 ――代わり。


 その一言が、ハーフタイムの静かな空気の中で、確かに残り続けていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


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