第6話:火影(ほかげ)の境界線と、空虚な仮面
魔獣との凄惨な死闘を終え、一行は深い沈黙に包まれた街道の傍らで野営を張っていた。
爆ぜる焚き火のオレンジ色の光だけが、霧深い夜の闇を細く切り取っている。
エドヴァルトは、火の粉が夜空に舞い上がるのを、ただ無機質な瞳で見つめていた。その脳内では、未だに「死」という鮮烈な実数データが嵐のように吹き荒れている。
『エドヴァルト。我ら(ヒム)は検知しました。……貴方の内部に、共有されていない「独立した非論理的なプロセス」が存在します』
王城にいるエーファの声が、脳内に直接響く。それは九十億の意識たちによる、一斉の検品だった。
「……死ぬ直前、コンソールを無視して叫んだ者がいました。『消えたくない』って。この肉体に閉じこもろうとしていた」
エドヴァルトは、微かに震える自分の細い指先をじっと見つめた。
「ボクの中に、『自分』というバグが産まれたんじゃないかって……そう、疑っているのですね」
その問いに、九十億は沈黙で返した。それは、全の世界において初めて生じた「答えのない空白」だった。
◇ 共有不能な美しさ
「……貴殿の世界は、そんなに素晴らしい場所なのか」
死線を乗り越えたばかりの少年の、そのあまりに脆い横顔を見て、騎士団長ジークムントはほんの軽口のつもりで聞いた。
「素晴らしいですよ。夜はなく、死はなく、病もない。隠し事なき、神の愛に満ちた完全な世界です。……あなたも早く、ボクたちと一つになればいいのに、と皆さんが言ってます。」
「まるで天国のように仰るのですね」
クララが戸惑いげに笑う。だが、ヴェンツェルが老練な観察眼を湛えて割って入った。
「しかし、夜もないというのは、ちと寂しいのではないかな」
皆が一斉に、夜空を見上げる。天蓋には、零れ落ちそうなほどの星々が、静謐な青白い光を放っていた。焚き火のオレンジ色の火の粉が、それら遠い星々の光に混ざり合おうとするかのように、高く、高く舞い上がっていく。
「……。…………肯定します。こんなに美しい光景を、ログにすら残さずにいたのは……少し、残念な気もしますね」
エドヴァルトも、その光景を魂の深部で肯定するように頷いた。
そんな中、ジークムント一人だけは、先ほどのエドヴァルトの熱烈な勧誘に対し、必死に思考のエンジンを回していた。
(つまり、俺と、エドと、ヴェンツ老人と、クララが……ひとつの塊になるってことか……)
想像した瞬間、ジークムントは顔を青ざめ、烈火のごとく首を振った。
「……断る。御免被る。俺とお前達がひとつの塊に? 想像しただけで、発狂しそうだ!」
あまりに間の空いた回答。真剣すぎる彼の剣幕に、皆がきょとんとした後、誰からともなくクスクスと笑い声が漏れた。一触即発の戦いの後だからこそ、その「不自由で不器用な拒絶」が、ひどく人間らしくて温かかった。
「それに、退屈だ」
笑われたことに気づいたジークムントは、照れ隠しのようにぶっきらぼうに付け加えた。
『退屈――。その通りですよ、ジーク』
エドヴァルトの瞳が、ふと遠くを見つめる。九十億の集合体が抱える絶望を、一人の無骨な騎士が言い当てていた。
◇ ヴェスパーの「論理爆弾」
「ヴェスパー様は、本当に……悪い人だったのでしょうか?」
不意に、クララが絞り出すような問いを投げた。
それに応えるように、エドヴァルトの口から、エーファの解析結果が冷徹に重なって出力された。
「……いいえ、クララ。彼は『いい人』などではありません。王城の地下書庫で見つけた真の図面には、明確な悪意が記述されていました」
エドヴァルトの声から温度が消える。
「彼が遺した魔力炉には、意図的に臨界突破を誘発するための『論理爆弾』が組み込まれていました。……彼は失敗したのではない。最初から、この王国を地図から物理消去するつもりだったのです」
暖かな「ストーブ」の中に、最初から時限式の爆薬が仕込まれていたようなものだ。
「ヴェスパー様が……自ら国を滅ぼそうとしていた……?」
クララの脳裏に、あの日見た光景が蘇る。崖から身を投げる直前の、ヴェスパーの「空っぽな顔」。
もし、自分の意思で王国を消滅させようとしたのなら、あんなにも「空」でいられるだろうか?
◇ 最後の火影
薪が崩れ、最後の一片が爆ぜて消えた。
「ありがとう、ジーク、クララ、ヴェンツ。……『個』であるということは、これほどまでに不安定で、矛盾に満ちているのですね」
九十億の安らぎ(ヒム)と、孤独な生存本能の狭間で揺れる少年。
「……休眠モード(睡眠)に入ります。明日の朝には、魔力炉という名の『時雷』が眠る、研究所へ到達するはずです」
火影が消えた後の暗闇に、名もなき不安と、美しき謎だけが長く尾を引いて残された。
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【第6話:状況まとめ】
エドヴァルト:
「魔獣との戦闘で得た『死の恐怖』が、ボクの中に独立した人格のバグをデプロイしてしまったようです。ですが、考えている時間はありません。王城の解析で判明したヴェスパーの真実――魔力炉に仕掛けられた『論理爆弾』の正体を暴かなければ、ヴィーダーラントに明日はありません。次は、臨界点が刻一刻と迫る、研究所への突入です。要するに、ボクらは今、巨大な不発弾の上を歩いているようなものですね、兄弟」
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