第3話:境界線(ソール)を踏みしめて
「……物理的な『絶縁体』が、ボクをこれほどに一個体として定義してくれるなんて」
◇ヴィーダーラント王城・正門前
エドヴァルトは、地面をじっと見つめていた。
その足には、クララが慌てて用意させた丈夫な革靴が履かされている。
天国という情報の海で過ごしてきた彼にとって、それは人生で初めて触れる「制約」という名の外部デバイスだった。
「……。…………」
一歩、また一歩。
自律システム(OS)による自動歩行プログラムを調整しながら進む姿は、まるで生まれたての小鹿のように危うい。
「……なるほど。接地圧のフィードバック、正常。抵抗値による摩擦係数の算出、完了。……この不自由な制限こそが、ボクが一個の『端末』である証拠ですね、兄弟」
そこへ、騎士団長ジークムントが重厚な馬車と共に現れた。鎧をきしませる彼は、目の前の「美しき人形」を、生理的な恐怖を伴う目で見つめている。
「陛下より貴殿の守護を任された。……エドヴァルト殿、俺は貴殿を理解できん。だが、その技術が国を救うなら、この剣を貴殿に捧げよう」
「ありがとうございます。あなたの思考波形は振幅が大きくノイズが多いですが、物理的な構造強度は信頼できそうです。よろしくお願いいたします、兄弟」
エドヴァルトが差し出したのは、先ほど自らの肋骨を引き抜いてエーファを生成したばかりの、まだ冷却液の付着した指先だった。ジークムントは引き攣った顔で、その無機質な冷たさを握り返した。
◇走行中の馬車内
「――いいですか、エドヴァルト殿。魔法とは、世界に満ちる『魔力粒子』に対し、精神を介して『命令』を下すことです。世界の理を一時的に書き換える術なのですよ」
老魔導士ヴェンツェルが杖の先で火花を散らし、得意げに基礎理論を講義する。
しかし、エドヴァルトの瞳はその事象を瞬時にバイナリデータへ変換し、冷徹に結論を出力した。
「なるほど。理解しました。つまりこの世界の物理基盤は、誰かが記述した『極めて実行効率の低いクソコード』なのですね?」
「……は? ク、クソ……?」
「わざわざ『魔法陣』という名の非効率なマクロ言語を経由するから、処理にラグが生じるのです。精神など介在させず、直接粒子のベクトルを上書きすれば済む話です。例えば、あちらの巨岩――」
エドヴァルトが、無造作に指を鳴らした。
「対象の質量・密度をスキャン。原子結合プロトコルを解除。魔力密度を周囲の空間と等価(Null)に再定義」
――ポンッ。
軽い破裂音。
数メートル先にあった数トンはあろうかという巨岩が、瞬時にさらさらとした砂へと崩壊し、風に舞った。
「物質変換を……無詠唱、魔法陣なし、おまけに等価交換の法則すら無視したというのか……!?」
杖を落とし、泡を吹くヴェンツェル。もはやそれは魔法ではない。
九十億の演算能力による、世界の管理者権限(ルート権限)の強奪だ。
◇
その時、窓の外に牧歌的な風景が広がった。
同時に、天国の巨大スクリーンを見つめる九十億の魂が、一斉にバーストした。
『おい見ろ! あれが「牛」か!? 生体サーバーか!?』
『形状が非論理的だ! 筋肉の付き方が物理演算のバグだろ!』
『胃が四つあるのか!? 標本にして中身をダンプしたい! 兄弟!』
「――っ! 牛です! 本物の牛ですよ兄弟! ちょっと馬車を停止させてください! 遺伝子情報を直接読み取りたい! 胃袋を一つ貸してくれないでしょうか!?」
掲示板の書き込み速度が臨界点を超え、エドヴァルトの自律システムに過負荷がかかった。
先ほどまでの無機質な表情は消え失せ、頬を紅潮させ、子供のように目を輝かせて窓から身を乗り出す「人形」。
「エドヴァルト様!? 窓から落ちます! 落ち着いてください!」
クララが必死に羽交い締めにして引き戻した。
「ハァ、ハァ……失礼。システムがオーバーヒート(興奮)しかけました。危うく個体がクラッシュするところでしたよ。……素晴らしいですね、この世界。データの海には存在し得なかった『予測不能なノイズ(生命)』に満ちています」
エドヴァルトは乱れた衣装を機械的に整え、再び無機質な顔で世界の最果てを見据えた。
その足元では、不自由な「境界線のソール」が、確かに異世界の土を踏みしめていた。
◇
【第3話:状況まとめ】
エドヴァルト:「異世界の物理法則を『データ』として再定義することで、魔法を直接ハックすることに成功しました。要するに、ボクたちはこの世界の管理者としてログインしたわけですね。ですが、野生の『牛』という名の未知のバグに遭遇し、危うくシステムが焼き切れるところでした。次は、前任者ヴェスパーが遺した『論理爆弾』の正体をデバッグしに行きます、兄弟」
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