1話 出会い
ラスティア帝国辺境に位置する、魔法帝国軍事学校。
ソウタは、全身を襲う奇妙な浮遊感と、目の前に広がる見慣れない景色に、意識が覚醒するのを感じた。
そして、その視界に飛び込んできた光景が、ついさっきまで彼が読んでいた、あの小説の挿絵と寸分違わないことに、脳髄を直接揺さぶられるような衝撃を受けた。
(まさか……本当に、ここは本の中の世界なのか?)
彼が読んでいたのは、一人の皇太子を巡る、壮大な復讐物語だった。
その物語の主人公である皇太子ルースは、過激な貴族派の陰謀によって拉致され、殺されそうになる。
しかし、魔法の武器で姿を変え、どうにか逃げ出すことに成功。
その際に記憶喪失になってしまい、ラスティア帝国辺境の魔法帝国軍事学校の前で倒れていたところを、心優しい校長に助けられ、優秀なアタッカーとしての素質を見出され、入学することとなる。
ここまでは順調なのだが、その学校には、主人公を徹底的に虐げる意地悪な貴族たちがたくさんいて、ソウタが今、この身を宿している元の身体も、その悪役の一人だった。
この元の身体のソウタは、中立派の侯爵家の嫡男。
薄茶色の髪の毛と、明るい金茶色の瞳を持つ優しげな顔立ちは、一見すると清廉な好青年に見える。
しかし、その内面は勉強嫌いで傲慢な性悪だった。
異母兄弟が優秀なため家族はそちらを可愛がり、その愛情の欠如が、彼の性格をさらに歪ませてしまったという設定だ。
しかし、彼には冷たいが美しい婚約者がいる。
その婚約者を喜ばせるため、婚約者が嫌っているルースをとことん嫌がらせするのが、元のソウタの「役目」だった。
そして、その嫌がらせは次第にエスカレートし、ルースは危うく死にそうになってしまう。
その時、皇太子の記憶を取り戻したルースは、元の身体のソウタを含めた貴族派たちに、恐ろしいほどの復讐を遂げる……というのが、この本の残酷な結末だった。
(なんで婚約者が男なんだよ?!)
転生したソウタは、心の中で絶叫した。
かっこいい復讐物語だと思って読んでいたら、まさか同じ名前のキャラクターが出てきて、しかもそれがこんな性悪キャラで、婚約者が男で、果てには復讐されて殺される運命だとは。
イライラしながら横断歩道を渡っていたら、信号無視したトラックに轢かれてしまい、そして今、この絶望的な状況に至る。
目の前には、誰かに殴られたのか、顔と制服が血と泥でひどく汚れた青年が膝をついていた。
彼の制服は破れ、腕からは血が滲んでいる。
その瞳には、侮辱と怒りが混じっていたが、まだ、反抗の炎は宿っていなかった。
それが、間違いなくルースだった。
ルースは現在、魔法で皇太子としての記憶を失っていて、見た目も少し変わっている。
皇太子の頃は威厳のある凛々しい顔立ちで赤い目だったらしいが、今のルースはどこか弱々しく、黒髪の色白で、綺麗な黒目をしている。
だが、その雰囲気は異なるものの、どちらも容姿端麗であることは間違いない。
ソウタが品定めするようにジロジロと見つめていると、ルースは警戒したようにソウタを睨みつけた。
その視線に、ソウタはハッと我に返る。
このままでは、原作通りの復讐が始まってしまう。
死ぬのは嫌だ!!
その時、ソウタの隣にいた貴族が、汚い言葉を浴びせかけた。
「平民風情が!ちょっと成績がいいからって調子に乗るなよ!」
そう言いながら、持っていた棒をルースめがけて振り上げた。
その棒が、ルースの頭を打ち砕かんばかりの勢いで振り下ろされる。
ソウタの脳裏に、復讐される未来が鮮明にフラッシュバックした。
「やめろ!!」
ソウタは、反射的に叫んだ。
その声は、彼の意図に反して、周囲の空気を震わせるほどの響きを持っていた。
突然の声に、棒を振り上げていた貴族も、そして殴られようとしていたルースも、驚いて動きを止めた。
ソウタは、躊躇なく膝をついた。
そして、ルースの頬についた血と泥を、自分の袖で優しく拭ってあげる。
その行動は、周囲の貴族たちを呆然とさせ、ルースの瞳には驚きと困惑の色が深く宿った。
ルースは、さっきまで周りの下っ端貴族たちに自分を攻撃しろと命令していたソウタが、今、優しく見つめてきたり、汚れを拭いてくれたりしていることに、混乱し、体を固まらせていた。
その表情は、まるで理解不能な現象を目の当たりにしたかのようだ。
ソウタは、そんなルースの様子を気にする素振りも見せず、優しい声で謝った。
「痛かっただろう?ごめんね……」
彼の脳内では、「主人公の好感度を上げる」という、新たな生存戦略が高速で実行されていた。
この主人公を助けることが、自分の未来、すなわち「死なない」ための唯一の道筋だと、彼は直感的に理解していたのだ。
ソウタは振り返り、毅然とした態度で下っ端貴族に命じた。
「彼に謝りなさい」
下っ端貴族は、ソウタの突然の変貌に呆然としていた。
「でも……ソウタ様の命令で……」
謝りたくない気持ちが滲み出ているその言い訳に、ソウタの涼やかな瞳に怒りの炎が宿る。
「人のせいにするのか?」
心の中で
(僕が止めなかったらお前も殺されるかもしれなかったんだぞ!この愚か者め!)
と、罵倒にも似た愚痴を吐きながら、ソウタは貴族たちを睨みつける。
ソウタの冷たい威圧感に怯えた下っ端貴族たちは、しぶしぶルースに軽く謝罪すると、一目散にその場から逃げ去っていった。
ソウタにとって、これは「生き残るため」の、まさに命がけの転換点だった。
そして、ルースにとって、ソウタという存在への、新たな「誤解」の始まりでもあった。