第七話:奥様と甘美で危険な昼下がり
第七話:奥様と危険な昼下がり
春の陽光がまどろむ、けだるい昼下がり。
食後の満ち足りた胃袋は、奥様の意識を甘美な眠りの淵へと誘っていた。
執務室の長椅子に身を預け、とろりとした琥珀色の瞳で窓の外を眺める奥様の傍らには、いつものように伊勢馬場が影のように控えている。
彼が恭しく差し出す、銀のポットから立ち上るジャスミンの香りが、部屋の空気を微かに震わせた。
「ふあぁ…眠いわ、伊勢馬場。どうにかしてちょうだい」
奥様が、小さな桜貝のような唇から、猫のあくびにも似た吐息を漏らした。
その仕草一つにも、抗いがたい色香が漂う。
「かしこまりました、奥様。この伊勢馬場特製、『地獄巡りブレンド』の激辛ハーブティーで、奥様を襲うその不届きな眠気に、天の誅を与えてご覧にいれましょう」
伊勢馬場は、胸元から取り出した銀のピルケースを恭しく捧げ持った。
そのケースの蓋には、小さな、しかし不吉なドクロの紋様が刻まれているのを、奥様の鋭い眼差しは見逃さなかった。
「お待ちなさい、伊勢馬場。まずはあなたが一口、味わってみせてちょうだい」
奥様の声は、絹を滑るように柔らかいが、有無を言わせぬ響きを帯びている。
「ご冗談を、奥様! この私めに、自ら冥府の門を叩けと仰せでございますか?」
伊勢馬場は、芝居がかった悲壮感で胸を押さえた。
「そんな得体の知れないものを、このわたくしに薦めるなんて。伊勢馬場、少しお仕置きが必要なようね」
奥様の指先が、戯れに伊勢馬場の顎をくすぐる。
「もちろんでございます、奥様には、黄金色の蜂蜜をたっぷりと添えさせていただきます。それでも…明日の朝、奥様の『後ろの門』が、少々賑やかなことになるやもしれませぬが…この伊勢馬場、奥様ならばきっとお耐えいただけると、固く信じております!」
伊勢馬場の言葉は、どこまでも真摯で、それゆえに恐ろしい。
「うふふ…伊勢馬場。わたくし、時々あなたが、怖くて仕方がないことがあるのよ」
奥様の笑い声は、まるで熟した果実のように甘く、そして妖しい光を宿していた。
「あはは、それこそ、睡魔が見せる束の間の幻なのでございましょう」
伊勢馬場もまた、その奥様の言葉を柔らかな笑みで受け流す。
二人の笑い声が、とろけるような昼下がりの陽光に溶け合い、部屋の隅々まで満たしていく。
「でも、そうなると…この眠気は、本当に困ったものね」
奥様が、再び悩ましげに眉を寄せた。
「ご安心くださいませ、奥様。この伊勢馬場、こんなこともあろうかと、とっておきのご用意がございます」
そう言うと伊勢馬場は、音もなく廊下へと滑り出て、ややあって、大きな麻袋をずるずると引きずって戻ってきた。
袋の中からは、もぞもぞと何かが蠢く気配が伝わってくる。
「こちら、先ほど館内に潜んでおりました、不届きな女暗殺者様でございます!」
伊勢馬場は、まるで手品師が鳩を取り出すかのように、麻袋の口を解き、中から一人の女を恭しく引きずり出した。
目隠しをされ、猿轡を噛まされ、そして全身を芸術的なまでに亀甲に縛り上げられたその姿は、ある種の倒錯的な美しさを湛えていた。
「あらあら、まぁまぁ…」
奥様の琥珀色の瞳に、ゆらりと妖しい光が宿る。
その唇は、満足げな微笑みの形に歪んでいた。
「ちょうど、おもちゃ…ではなくってよ、新しいメイドが欲しいと思っていたところなの。お前は暗殺者だから、今日から『あん子』と名乗りなさい」
奥様のその提案に、縛られた女暗殺者は、必死の抵抗を示すかのようにブルブルと首を横に振った。その動きが、かえって奥様の嗜虐心をくすぐる。
伊勢馬場が、にこやかに、しかしどこか冷酷な光を瞳に宿して提案する。
「奥様、こちらの『あん子』、どうやら猫獣人のようでございます。つきましては、より愛らしさを際立たせるため、語尾に『ニャ』をつけさせていただいてもよろしいでしょうか?」
その提案を聞いた瞬間、あん子の肩が絶望に打ち震え、猿轡の下から声にならない嗚咽が漏れた。
「まあ、伊勢馬場、素晴らしい提案ね!」
奥様の目に、さらに妖しい光が強く宿る。
「そうね、挨拶の時は、可愛らしくニャンニャンポーズをさせましょう。ふふ、楽しみだわ」
「うわっきっつ!いや、さすが奥様、奥様のご慧眼にこの伊勢馬場、戦慄を禁じ得ません!」
忠臣伊勢馬場の機転(?)と奥様の悪戯心によって、奥様の気怠くも甘美な昼下がりは、新たな刺激と、一人の哀れな獣人の更なる絶望に満たされることとなったのだった。
あん子:「あの後…なんとか逃げ出してアジトに帰ったら、組織が影も形も残さず壊滅してたニャン。…何も見なかったことにして、おとなしくお屋敷に帰ってきたニャン」
あん子が奥様と伊勢馬場のおもちゃになった日
次回予告
奥様も伊勢馬場も出ませんッス!