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第五話 深淵の狩人と伊勢馬場

第五話:幕間 深淵の狩人と理不尽な拳


 我は名は持たぬ。

 ただ、狩る者。

 この奈落の最深部で、獲物だけを追い求めてきた魔の領域にいたりし蜘蛛。

 

 未来視の瞳は、獲物の僅かな動きも見逃さず、多重結界はあらゆる反撃を無に帰す。

 我が魔銀の糸は、触れるもの全てを瞬時に捕らえ、切り裂き、その命脈を絶つ。

 切り札たる破壊の光条は、この深淵の闇すらも一瞬で消し飛ばす絶対の力。

 強者のみが生き残る、それがこの世界の唯一のことわり

 そして、我こそがその理を体現する者。


 その日、我が狩りの領域に、一体の「人間」が迷い込んだ。

 黒衣を纏い、どこか力の抜けるような面構えの男。

 魔力の波動は希薄で、およそ強者とは見えぬ。


(また一匹、か弱い餌が紛れ込んだか)


 未来視が、男の心臓を我が糸が貫く刹那を鮮明に映し出す。

 狩りは、既に終わったも同然だった。


 だが、その「確定した未来」は、音もなく霧散した。

 男は、我が放った不可避のはずの魔銀糸を、まるでそよ風を避ける柳のように、最小限の動きでかわしきった。

 

(…ほう)


 久しく感じなかった、微かな高揚。

  ならば、と第二、第三の糸を放つ。

 それは虚空を切り裂き、岩盤を穿つ必殺の連撃。

 しかし男は、その全てを紙一重で見切り、時にありえない角度で身を捩じり、回避する。

 その動きは、洗練された舞踏のようでありながら、一瞬の油断も許さぬ極限の戦闘術。

「面白い」 初めて、狩りの対象に言葉を発した。

 

 男は、無言。

 ただ、その静かな瞳が、真っ直ぐに我を見据えている。

 ならば、力で捩じ伏せるまで。


 多重結界を展開。千変万化の罠を張り巡らせ、退路を断つ。

 同時に、数十本の魔銀糸を全方位から放つ!

 まさに死の檻!

 だが、男は、こともなげに一歩踏み出した。


 その瞬間、空気が爆ぜた。

 男の右拳が、不可視の衝撃波を伴い、魔銀糸の一群を薙ぎ払う。

 糸に触れることすらなく、ただ拳圧だけで!


(馬鹿な…!?)


 パンチの余波が、背後の大岩に激突し、轟音と共に粉々に砕け散った。

「何者だ、貴様は…!」

 驚愕を隠せない我に、男は初めて、僅かに口角を上げたように見えた。


「少々、お尋ねしたいことがありまして」

 その声は、嵐の前の静けさのように、不気味なほど穏やかだった。


 問答無用!

 全神経を集中し、魔銀糸を鞭のようにしならせ、嵐のごとく打ち込む!

 男もまた、拳と蹴りのみで応戦する。

 

 一撃一撃が、山を砕き、地を割る絶大な威力。

 パンチが空を切れば、その風圧だけで周囲の岩壁が抉れ、キックが地面を掠めれば、そこには巨大なクレーターが出現する。

 一撃でも喰らえば即死。

 それは、我にとっても、男にとっても同じはず。


 だが、その必殺の応酬は、まるで終わりのない流星雨のように、延々と続いた。

 互いの攻撃は、互いの未来視と超感覚によって、ギリギリで見切られ、回避され、あるいは相殺される。

 時間が、空間が、この激闘の中で歪んでいく。


 どれほどの刻が流れたか。

 ついに、我が動きが一瞬、鈍った。

 永劫にも思える攻防の中で、蓄積された疲労が、ほんの僅かな隙を生んだのだ。

 その刹那を、男は見逃さなかった。


 閃光のような踏み込み。

 放たれた左ストレートは、我が多重結界を紙屑のように貫き、硬質化した外骨格を粉砕し、その奥の臓腑へと深々と突き刺さった。

 衝撃と共に、全身の力が抜けていく。


(…ああ、これが…敗北か)


 永きに渡り、最強を誇った我が、ついに地に伏す。

 だが、不思議と悔いはなかった。

 これほどの死闘を演じられたのだ。

 狩人として、本望と言えよう。

 ゆっくりと、死の訪れを待つ。


 その時だった。


 男が、ぜえぜえと肩で息をし、全身から汗を滝のように流しながら、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。

 その黒衣はところどころが裂け、肌には無数の切り傷や打撲痕が見える。

 まさに満身創痍、ボロボロの状態だ。

 しかし、その口から発せられた言葉は、その疲弊しきった姿とは裏腹に、驚くほど丁寧なものだった。


「…はぁ…はぁ…失礼、いたします。…つきましては、はぁ…少々、お話をお伺いしても、よろしい、でしょうか…?」


 …は?

 お話?

 この我を、死闘の末に打ち破っておいて、今更、何を?


 我は、あまりの予想外の言葉と、その男の常軌を逸したギャップに、ただただ困惑するしかなかった。

 その男の、底知れぬ不可解さに、改めて戦慄を覚えながら。



「この糸玉を三日三晩、油に浸せ。油は、できれば純粋な肉食獣の脂が好ましい」

 我はいくつかの説明をして糸玉を渡す。


  あの後、目の前の人間――伊勢馬場と名乗った男は、地に伏した我の眼前で、懇切丁寧に、そしてどこか熱っぽく「超一流の執事」なるものの在り方について語り始めた。

 その内容は、正直に言って、意味は辛うじて理解できたものの、まったくもって共感も納得もできぬものであった。


 見えざる糸による攻撃?

 そんな回りくどいものに頼らずとも、この男の剛拳はあらゆる障壁を粉砕し、その剛脚は大地すらも割るではないか。

 なぜ、わざわざそのような不確実な手段を求めるのか。


 だが、わかった。

 この男は、そういう「理屈」では動いていない。

 そして、敗者である我に、選択の余地などない。


 我は、伊勢馬場の望む「糸」を創り出すことにした。

 存在しない糸。

 この世界の理から、ほんの僅かに位相をズラした糸。

 それ故に、どこまでも無限に伸び、決して断ち切られることのない、絶対の束縛。

 糸と世界の揺らぎが完全に同期した、ほんの刹那の瞬間のみ、その糸はこの物質世界にその姿を現す。


  …我ながら、途方もないものを創り上げてしまった。

 こんなものが、果たして本当に役に立つのか?

 現象の再現に注ぐ膨大な労力に、その結果が見合っているとは到底思えぬ。


 しかし、伊勢馬場は、完成したその不可視の凶器を手に取り、まるで至宝でも見るかのように瞳を輝かせると、深々と頭を下げ、丁重な感謝の言葉を述べて去って行った。


 世界は広い。

 そして、理解不能な存在がいるものだ。

 我が長年の自惚れは、あの男によって粉々に打ち砕かれた。


 だが、不思議と気分は悪くない。

 むしろ、どこか清々しさすら覚えていた。

 …そう、あの時までは。


 まさか、あの伊勢馬場と名乗る人間が、その後もちょくちょくと我が領域を訪れるようになるとは、その時の我には夢にも思っていなかった。

 来るたびにトラブルが舞い込んでくるのだが、それはまた別の話である。


伊勢馬場パンチは岩を砕く

伊勢馬場キックは大地を割る

伊勢馬場イヤーは地獄耳


昨日参加したイベントが超面白かったので投稿


次回予告

奥様がソワソワしています。どこかにお出かけするようです。

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