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第四話 奥様とオットセイ

第四話 奥様とオットセイ


柔らかな陽光が降り注ぐ、屋敷の庭園。

その一隅、薔薇のアーチの影で、奥様は信じられない光景を目にした。

あろうことか、完璧な執事服に身を包んだ伊勢馬場が、四肢を巧みに動かし、まるで…そう、オットセイのような奇妙な動きを繰り返しているのだ。

その真剣な表情と、どこか滑稽な動作のアンバランスさに、奥様はしばし言葉を失った。

「伊勢馬場…? あなた、一体何を…?」

戸惑いを隠せない奥様の声に、伊勢馬場はピタリと動きを止め、くるりと優雅に身を翻すと、背筋を伸ばし、いつもの完璧な執事然とした佇まいに戻った。

「これは奥様。いやはや、お恥ずかしいところをお見せいたしました。実はこれ、超一流の執事を目指すための、ささやかな特訓でございます」

伊勢馬場は、額に滲んだ汗を白いハンカチで拭いながら、悪びれる様子もなく言い放つ。

「特訓…? オットセイの真似が…?」

奥様の美しい眉が、訝しげに寄せられる。

その視線は、目の前の忠実な執事の真意を探るように、鋭く注がれた。

「奥様は、超一流の執事と聞いて、どのような姿を思い浮かべられますか?」

伊勢馬場は、逆に問いを投げかけた。

「そうねぇ…常に主人の意を先読みし、あらゆる知識と技能に通じ、どんな状況でも冷静沈着に対処できる…そんなところかしら」

奥様は、優雅に顎に手を添えながら答える。

「いえいえ、奥様。それは、いわば『一流』の執事の条件に過ぎませぬ」

伊勢馬場は、きっぱりと言い切った。

「では、勿体ぶらずに教えなさいな。あなたのその奇妙な…オットセイの真似とやらが、超一流の執事とどう繋がるというの?」

奥様の声には、好奇心と、ほんの少しの焦れたような響きが混じる。

伊勢馬場は、そこで一度、恭しくお辞儀をすると、芝居がかった口調で高らかに宣言した。

「はい! 超一流の執事に不可欠なる条件、それはッ!」

奥様は、思わず息を呑む。

「そ、それは…!?」

「『見えざる糸』による攻撃でございますッ!」

伊勢馬場の言葉に、奥様はハッとしたように目を見開いた。

「確かに…! 暗殺者が潜む夜会、不意の襲撃…そのような時、執事が華麗に見えざる糸を操り、主君を守り抜く…! なんてロマンティックなのかしら!」

奥様の瞳が、少女のようにきらめく。

伊勢馬場は、満足そうに頷く。

「ご明察、痛み入ります。その見えざる糸は、ピアノ線よりも細く、鋼よりも強靭。指先一つで、あらゆるものを両断し、時には複雑な罠をも構築いたします。月光の下、銀色の軌跡を描きながら舞う糸は、まさに芸術…」

伊勢馬場の語り口は、まるで詩人を夢見る少年のように熱を帯びていた。

「まさか、伊勢馬場、あなた…!?」

奥様の視線が、伊勢馬場の指先へと注がれる。

「ご慧眼、恐れ入ります。先日賜りましたおたんじょう日休暇は、この『見えざる糸』を入手するため、西方の深き森に潜むという蜘蛛の魔獣との死闘に明け暮れておりました。その魔獣が吐き出す糸こそ、この世で最も強靭にして最も美しいと聞き及びまして…ええ、少々手荒い手段とはなりましたが、無事に入手いたしました次第です」

伊勢馬場は、その言葉とは裏腹に、どこか誇らしげに、そして涼やかな表情で語った。

その白い手袋の下には、幾多の戦いの痕跡が隠されているのかもしれない。

「伊勢馬場…! あなたは、どこまでも高みへと登ってしまうのね…わたくしの想像もつかないような方法で…」

奥様の声には、感嘆と、ほんの少しの呆れ、そして隠しきれない畏敬の念が滲んでいた。

「滅相もございません。この伊勢馬場の全ては、奥様をお守りし、奥様の覇道をお支えするためにこそございます。この力もまた、奥様のために」

伊勢馬場は、奥様の前に跪き、その手を恭しく取ろうとした…が、すんでのところで思いとどまり、いつもの完璧な距離感を保った。

「うふふ…」

奥様の唇から、絹を擦るような艶やかな笑いがこぼれた。

「あはは…」

伊勢馬場もまた、どこか嬉しそうに、しかし控えめに笑い声を返した。


「ところで、伊勢馬場」奥様はふと思い出したように尋ねる。

「結局のところ、なぜオットセイの真似だったのかしら? その…『見えざる糸』の理想的な扱い方でもあるの?」

すると伊勢馬場は、先程までの自信に満ちた表情から一転、どこかバツが悪そうに視線を泳がせた。

「は、はあ…まことに恐縮至極に存じますが、奥様。その…この『見えざる糸』、あまりにも繊細かつ強力なため、熟練の技がなければ、指先のみで自在に操ることは困難を極めます。現在のわたくしの未熟な糸捌きでは、恥ずかしながら…あのような全身を使った、やや不格好な動きでなければ、対象を両断するに至らないのでございます。お見苦しいところを…まことに、お恥ずかしい限りでございます…」

伊勢馬場の声は、徐々に小さくなり、最後は消え入りそうであった。

完璧な執事の、意外な弱点とも言える一面だった。



あん子:「超一流の執事の条件は、やっぱり顔だと思うニャ!うぉ!! …あっぶねー!」

足元を掠めた見えない何かを、あん子は野生の勘でひらりとかわすのであった。


失くしていたと思っていたお金が見つかった記念投稿

また、何か良い事があったら投稿します。


次回予告

おたんじょう日休暇中に何があったのか?明かされる?

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