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第三話:奥様とポムポム草のポタージュ

第三話:ポムポム草の誓い


これは、かつて奥様がクーデターの憂き目にあい、伊勢馬場と再起をかけた逃避行を行っていたワンシーン。


月影も届かぬ、打ち捨てられた狩人の小屋。

かつての栄華は夢のまた夢、今はただ、ひたひたと迫る追手の影と、冷たい夜風だけが二人の現実だった。

そんな闇の中、伊勢馬場はどこからか調達してきた粗末な土鍋を手に、奥様の前に恭しく跪いた。

「奥様。本日のメインディッシュ、ポムポム草のポタージュスープでございます」

その声は、かつて壮麗な晩餐を告げた時と何ら変わらぬ、落ち着き払ったテノールであった。

しかし、奥様の柳眉は見る間に険しくなる。

土鍋から立ち上る、青臭く、どこか土の香りが混じる湯気は、彼女の記憶の琴線を不快に震わせた。

「伊勢馬場…わたくし、もう雑草のスープは飲みたくはありませんわ」

その声には、隠しきれない疲労と、僅かな絶望が滲んでいた。

「奥様。この世界に雑草という名の草はございません。本日のスープは、ポムポム草のポタージュ。滋味深く、奥様のお身体を温めることと存じます」

伊勢馬場は、あくまでも冷静に、しかし有無を言わせぬ響きで言い切った。

「ポムポム草ですって…?」

奥様は記憶を手繰り寄せる。

その脳裏に浮かんだのは、道端に群生し、家畜が食む、あの頼りなげな、しかし生命力だけは強い草の姿だった。

「わたくしの記憶が確かなら、それは道端に生えている、家畜に与えるあの、丸くポンポンとした…あの草ではございませんこと?」

「さすがは奥様。ご慧眼、恐れ入ります。まさしく、そのポムポム草を丁寧にアク抜きし、長時間煮込みました、この伊勢馬場、渾身の力作でございます」

伊勢馬場は、僅かに胸を張って見せた。

その横顔には、料理人としての矜持すら浮かんでいるように見えた。

「…伊勢馬場。それはもう、雑草ではないの? このわたくしに…領主であったわたくしに、家畜と同じものを食せと、そう仰るのかしら!」

奥様の声が、ついに怒気に震えた。

疲労と屈辱が、彼女の理性のたがを外したのだ。

「奥様、この世に雑草という草はございません。こちらは正しくポムポム草のポタージュでございます」

伊勢馬場の、あまりにも落ち着き払ったその言葉が、奥様の逆鱗に触れた。

まるで、今の状況を些事とでも言うようなその態度に、彼女の堪忍袋の緒が切れたのだ。

「伊勢馬場ぁっ! そこに直りなさい! 今日という今日は、お仕置きをして差し上げますわっ!    ………ハッ! 伊勢馬場っ! そ、その手は…どうしたの?」

奥様は、どこから取り出したのか、普段は乗馬の際に用いる細い革鞭を振り上げ、伊勢馬場の頬を目掛けて振り下ろそうとした、まさにその瞬間。


彼女の視線は伊勢馬場の手に釘付けになった。

白い手袋に覆われてはいるが、そこかしこに赤黒い筋が走り、痛々しい切り傷が無数に刻まれているのが見て取れたのだ。

鞭を振り上げた腕が、力なく下ろされる。

「伊勢馬場…そういえば、ポムポム草には…小さな、けれど鋭い棘が、びっしりと生えていたわね…」

奥様の声は、先程までの怒気が嘘のように消え失せ、か細く震えていた。

あの見慣れた草を摘むために、この忠実な執事がどれほどの痛みを堪えたのか。

その想像が、彼女の胸を締め付けた。

伊勢馬場は、ゆっくりと顔を上げた。

その表情は常と変わらず穏やかであったが、瞳の奥には深い光が宿っている。

「奥様。ポムポム草は、厳しい冬の寒さを耐え忍び、いかなる痩せた悪地にあっても、春には必ず可憐な花を咲かせるのでございます。その生命力は、まさに今の我々を象徴しているかのようで…」

そう言って差し出された木匙には、温かなポタージュがなみなみと盛られていた。

奥様は、しばしその緑色の液体を見つめた後、静かに頷き、震える手でそれを受け取った。

一口、また一口と、ゆっくりと味わうようにスープを口に運ぶ。

やがて、その頬に微かな血の気が差し、瞳に力が戻ってきた。

「…伊勢馬場。腕を上げましたね。こんなにも滋味深いポタージュは、王宮の晩餐でも味わえなかったかもしれませんわ」

奥様は、ふわりと微笑んだ。

それは、苦難の中にあっても失われることのない、彼女本来の気品と優雅さを湛えた微笑みだった。

「もったいのうございます、奥様」

伊勢馬場もまた、安堵したように柔らかな笑みを返す。

「うふふ…」

「あはは…」

二人の笑い声は、まるで闇夜に灯る小さな蝋燭の炎のように、か弱くも温かな光を放ち始めた。

それは、冷え切った狩人の小屋の隅々まで染み渡り、夜の静寂に溶けていくのであった。



どこかの暗殺家業の少女:「へっくしゅん! …なんだか急に寒気がしたニャン…」


この話は、もう一つの作品喫茶なまずでやらかしてしまった為、お詫びとして書かせていただきました。

シュブ=ニグラスと、グラシャラボラス、なんか似てると思いませんか?


ちなみに、最後の謎のくしゃみの少女が奥様達に出会うのはもう少し先の話になります。

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