第二十八話:猫耳メイドと二つのゼロの物語 終編
第二十八話:猫耳メイドと二つのゼロの物語 終編
『奥様とドラマチックな目安箱』/ アーカイブ放送:第108回
(♪オープニング:甘く蕩けるようなピアノのメロウな旋律が、聴く者の理性を愛撫するように流れ始める)
あん子の声:
「…座り仕事の多いそこのあなた!その『痛み』、我慢は禁物ニャ。
サキュバススライム成分配合、新感覚座薬『イボジナ・オールZ』。
ひとたび差し込めば、いぼ痔の痛みは甘美な快楽へと書き換えられ、昇天するような心地よさで患部を癒やすニャ。
…痛みを忘れて、夢の世界へ。
サキュバス薬品工業がお送りしましたニャ。
※使用には医師や錬金術師の指示に従って、イボ痔治療以外での使用はお控えくださいニャン♪」
(♪BGM:オープニング曲がフェードアウトし、深淵を覗くような重厚かつ耽美なハープシコードの調べに変わる)
奥様:「うふふ…領民の皆さん、ごきげんよう。今宵も闇の帳を切り裂いて、あなたの孤独に寄り添う、奥様ですわ」
伊勢馬場:「そして、奥様の美しき影、伊勢馬場でございます。皆様、今夜も奥様の吐息に、心ゆくまで溺れてくださいませ。」
(♪BGM:軽やかながらもどこか神聖なフルートの短いジングル)
伊勢馬場:「それでは、まずは領内のお知らせ、アマルガム・ニュースでございます。
……近頃、季節の変わり目により、ドラゴンインフルエンザの流行の兆しが見えております。
竜系のペットや、騎獣でラプトル種を飼育されている皆様。
お近くの動物診療所にて、早めの予防接種をお願いいたします。
申請すれば領主館より八割の補助金が出ますので、家計へのダメージは最小限に抑えられます。……感染した火竜のクシャミは、家屋火災の原因の3番目になっております、どうか万全の対策を」
奥様:
「我が領の守護竜アマルガム様も、先日お鼻をムズムズさせていらっしゃいましたわ。わたくし、直々に特性のお注射をお見舞い申し上げようと致しましたら……、急用を思い出されたとかで、音速で飛び立たれてしまわれましたの」
伊勢馬場:
「さすがは我らの守護竜アマルガム様でございます。健康管理の時間すら惜しんで奔走されるとは、お忙しいにも程がありますな」
奥様:
「ええ、決して注射針を見てお目を白黒させて逃げ出されたわけではございませんわ! 小さなフェアリードラゴンちゃんですら我慢できるお注射を、神竜様が怖がるはずありませんもの。
皆様、もし空を逃走……いえ、公務に励むアマルガム様を見かけたら『フレ!フレ!神竜!負けるな!負けるな!神竜!!』と温かくお声がけお願いしますわね。」
(♪BGM:運命の扉が開くような、激しくドラマチックなファンファーレ)
伊勢馬場:
「さて、皆様お待たせいたしました! 今宵もまた、奥様の愛の光が、迷える子羊たちの魂を救済するお時間……『ドラマチックな目安箱』、開扉の刻でございます!」
奥様:
「いいわ、伊勢馬場! 領民たちが、その奥底に秘めた、言葉にならないほど激しい渇望と絶望を……今宵、このわたくしが、全て受け止めて差し上げますわ!!」
(♪BGM:静謐に。少し物悲しい、しかし希望も感じさせるようなアコースティックギターの調べ)
奥様:
「……あら。今回のお便りは、遥か北の大地に設置されたアマルガム領事館、そこの目安箱の消印が付いておりますわね。極寒の防衛軍事最前線から紛れ込んできた、切実なパルス。……ふふ、腕が鳴りますわね。領民ネーム、『カチンコチン子』さん。……なんて、力強くも愛らしいお名前なのかしら」
伊勢馬場:
「……カチンコチン子。凍てつく大地の厳しさの中でカチンコチンになりながらも、それでも挫けない女性の強さと美しさを感じますな!」
奥様(代読):
「ごきげんよう、奥様。本日はわたくしの……いえ、わたくしの大変親しい『友人』の相談を聞いてくださいませ。
かつては花を愛でる令嬢だった彼女は今、窓のない鉄の箱の中、冷たい液体に揺られながら、機械の拍動を鼓動だと信じ込む日々を過ごしております。
極寒の地で兵たちを率い、生き残るためには『か弱い令嬢』など不要でした。
温もりを全て脱ぎ捨てて、重い鎧を身にまとい、彼女は自らの声すら重厚な機械音へ書き換え、世間が望む『寡黙な歴戦の古強者』という鉄の仮面を被ったのです。
戦場で鋼の巨神が冷酷に振る舞うたび、その内側では、かつて掌の中で震える小鳥をそっと包み込み、その柔らかな命の鼓動を愛おしんでいた頃の自分が、出口のない暗闇で喉を枯らして泣いておりますの。
凄惨な戦場を白く凍てつかせ、静寂に変えるたび、彼女の世界は美しい景色から『冷徹な数字の羅列』へと書き換えられていきました。
救えなかった命も、屠った敵の怨嗟も、今や不備データとして分解され、闇に溶けていくばかり……。
わたくしは……いえ、彼女はこのまま、数字の海に溺れ、恐怖という感情さえ失って消えてしまうのでしょうか?
奥様。どうか、教えてくださいませ。
わたくしの……友人は、この暗闇の中、いったいどこに向かって進んでいけばよいのでしょうか?願わくば、わたくしが……あ、違いますわ! わたくしの『友人』が、ただの数字になって消えてしまう前に、お答えをいただけると幸いです」
(♪BGM:静謐で、どこか祈りを感じさせるような柔らかなハープの音色)
奥様: 「……カチンコチン子さん。ご友人のお話、しかと受け止めましたわ。 その方は、過酷な北の大地で、戦うために心を殺し、無骨な鎧を着込んでしまった……。そして、自分という存在が冷たい数字の海に飲み込まれていくことに、ひどく怯えていらっしゃるのね」
(♪BGM:少しずつ、温かみのあるバイオリンが重なっていく)
奥様: 「けれど、わたくしには見えるのです。 その友人さんが着込んだものは、単に敵を討つための鎧などではありませんわ。 それは……かつて彼女が優しく、気高く、そして誰よりも美しかった頃の、かけがえのない魂を守り抜くために誂えられた『ドレス』だったのよ」
伊勢馬場: 「……なるほど。その硬く冷たい装甲こそが、彼女の純粋さを守るための、最後の砦だったという事でございますね。」
奥様: 「カチンコチン子さん、友人さんに伝えて差し上げて。 『あなたは何も失ってなんていないわ』と。 数字に飲み込まれ、暗闇の中にいると思っているかもしれないけれど、大丈夫。 あなたがかつて愛した小鳥の鼓動も、命の温もりも、そのドレスの内側で、今も宝石のように光り輝いています。
……さあ、恐れずに、もう一度その光を手に取って周りをご覧なさいな。 そうすれば、あれほどあなたを苦しめていた暗闇も、きっと今までとは違った景色に見えるはずですわ。 そこには、あなたが守るべきもの、そして……あなたを待っている『温もり』が、必ずありますから」
伊勢馬場: 「……出口のない冬はございません。奥様の光が、その方の行く先を照らさんことを」
奥様: 「ふふ。いつか、その友人さんと共に、わたくしの元へいらしてね。 その時は……その重いドレスを脱ぎ捨てて、心ゆくまで温かな紅茶を楽しみましょう。とっておきのスコーンを御馳走いたしますわ。 約束ですよ、カチンコチン子さん」
伊勢馬場:
「……左様でございますな。カチンコチン子さん……の、お友達が。一日も早くその窮屈な暗い闇から抜け出せると良いですな。……たとえ、今どれほど深い冬の底にいようとも」
奥様:
「ウフフ……きっと大丈夫よ。伊勢馬場、覚えておきなさい。
ドレスを着た女性はね、それだけで光り輝くものなのよ、『暗闇』なんかに、負けるなんてありえないわ。」
伊勢馬場:
「……なるほど。奥様がおっしゃると、真実味と説得力が凄まじうございますな。鋼鉄の装甲すら、奥様の前では絹のドレスも同然ということでございますな。」
(♪エンディング:オープニングの華やかなピアノメロディが、少しテンポを落とし、切なくも希望に満ちたアレンジで流れ始める)
あん子の声:
「……はぁ〜、今夜もドラマチックすぎて、アタイの涙腺は決壊寸前だニャ……。
さて、お別れの時間だニャ。
番組へのご意見、ご要望、そして誰にも言えない心の叫びは、お近くの役場カウンターに設置された、あの『目安箱』へ投函してほしいニャ!
ドラマチックなあなたのご意見を、奥様と伊勢馬場が、今か今かとお待ちしているニャン♪」
(♪BGM:華やかな旋律が最高潮に達し、優雅にフェードアウトしていく)
地下資料室を包んでいたアーカイブ放送の残響が、静かに消えていく。
かつて北の戦場で、アブソリュート・ゼロが死の間際に聴いていた、あまりにも優しく、バカバカしく、そして底抜けに慈愛に満ちた「光」の正体。
ディバイド・ゼロは、彫像のように動かなくなっていた。
そのモノアイから深紅の光が消え、ただ暗いレンズの奥で、行き場を失った処理データが激しく明滅している。
機械の体に、涙を流す機能など備わっていない。
だが、過負荷を起こした冷却系が、装甲の隙間から「シュウ……」と、白く儚い蒸気を漏らした。
それは、熱を持った回路が上げる、音なき慟哭のようだった。
「……そうか。これが、貴殿が見つけた光だったのだな……」
重厚な合成音声が、今までにないほど人間らしく、掠れた音を立てる。
「理解した。アブソリュート・ゼロ、貴殿が私を助けてくれたのは、貴殿が闇に飲まれずに、光を見つけることが出来たからだったんだな。貴殿は、戦場を凍らせる死神では無かった、貴殿はどこまでも優しい一人の女性だった……。……判定、完了。この命を救ってくれて感謝する。」
ディバイドの巨大な拳が、アブソリュート・ゼロに託されたヒビ割れたボイスストーンを握り、嗚咽のような駆動音を響かせる。
その隣で、放送を聴き終えたあん子もまた、ボロボロと大粒の涙をこぼしていた。
「アブソリュートさんは……本当に、強い人だったんだにゃ……。」
あん子は、もはや泥まみれで原型を留めていないメイド服の袖で目元を拭うと、隣で震える鋼鉄の巨躯を見上げた。
そして、かつて暗殺者だった自分の手が、今は誰かを温めるためにあることを証明するように、ディバイドの冷たい装甲を、力いっぱい抱きしめた。
「もう大丈夫だニャ、ディバイド。あんたの宿敵は、最高の『光』の中で眠ってるニャ。せっかく助けられた命にゃ!お前もアブソリュートさんの分まで頑張って生きるにゃ!!」
鋼鉄の胸板に、あん子の小さな体から伝わる、生きた人間の熱。
その温もりが触れた瞬間、ディバイドの中で止まっていた冬の時計が、カチリ、と確かな音を立てて、新しい明日へと動き出した。
その地下室の入り口で、二人の姿を静かに見守っていた伊勢馬場が、音もなく影を引く。
その手には、三人分の温かな紅茶と、真っ赤なイチゴのコンフィチュールを添えたスコーンが用意されていた。
「……これだから、奥様の執事は辞められませんな。」
地上からは、春を待つ風の音が、穏やかに響いていた。
◇数日後
陽光がテラスの白磁を優しく温め、風が運ぶ花の香りが午後の静寂を彩っている。
銀のトレイを掲げた伊勢馬場は、音もなく背筋を伸ばし、満足げに目を細めた。
先日、時計塔で得た「極致のポーズ」の余韻は、今も彼の立ち居振る舞いに、過剰な光沢とは異なる、真珠のような奥深い気品を与えている。
「紆余曲折有りましたが、ディバイド・ゼロ殿を無事あん子の部下に受け入れる事が出来て宜しゅうございました、奥様」
「ええ、まさかあん子とディバイド・ゼロが、揃って泣きながらディバイド・ゼロの雇い入れを土下座で懇願してくるとは思いませんでしたわ。戦闘機体の土下座……わたくし、初めて見ましたわ。あん子も、まるで拾って来た犬を飼いたいみたいな勢いで……うふふ」
奥様は細い指先で琥珀色の紅茶にミルクを注ぎ、銀のティースプーンをわずかに躍らせた。
カチ、カチと規則正しく響くその乾いた音さえ、一流の音楽のように心地よい。
「それにしても、よろしかったのですか? ディバイド・ゼロ殿を神竜アマルガム様に認めてもらうために、秘蔵の『漆黒金剛』をご献上されるなんて」
「ええ。案の定、北の大地の人材(兵器)に関しては当初アマルガム様は、『汚れた民など、我が領に不要だ!!』と、怒り狂っておられましたけれど。……アマルガム様のさらに上位にいらっしゃる神竜様へ、直接あの宝石を献上することで、すべてが事なきを得ましたわ」
「怒りの頂点に達したアマルガム様の元へ、予告なく上司であるノリノリな上位神竜が御降臨……。流石は奥様、その盤面の操り方。この伊勢馬場、心より感服いたしました」
伊勢馬場は深々と、けれど水面を滑るような滑らかさで頭を垂れた。
その完璧な角度は、領主を支える「影」としての誇りに満ちている。
「そうね、やはり我が領の神竜アマルガム様は『持って』いらっしゃいますわ。あの、怒髪天の形相から、上司を前にして茹ですぎたほうれん草のように萎びるあの変わりよう……。ふふ、超常を操る神の域にいらっしゃるとは思えないほど、器がちぃ……では無く、感情豊かで素敵ですわ」
「……左様でございますな。しかし、漆黒金剛はもはや二度と手に入らぬ、この世の果てのような宝石……」
伊勢馬場の言葉に、奥様はゆったりと椅子に背を預け、遠い空を見つめた。
その眼差しには、一国の主としての重みと、すべてを包み込む包容力が同居している。
「あら、伊勢馬場。どんなに輝かしい宝石も、我が領民の笑顔には敵いませんわ。わたくしは信じておりますの。あの鉄の体に閉じ込められていたディバイド・ゼロの笑顔は、漆黒金剛の輝きなんて霞むほど、素晴らしいものになるに違いありませんわ」
奥様はそう言うと、手にした扇を優雅に広げ、口元を隠して悪戯っぽく微笑んだ。
成熟した女性特有の余裕が、テラスの空気を甘く蕩けさせる。
「流石は奥様でいらっしゃいます。伊勢馬場、奥様の放つ慈悲の輝きに、いつでも目が眩んでしまいそうでございます」
「あらあら、伊勢馬場。お上手ね。……うふふふ」
「あはははは」
心地よい笑い声が、穏やかな午後の光の中に溶けていく。
二人の間には、世界がどれほど混沌としていても揺るがない、完成された平穏があった。
――だが、その完璧な静寂を、遥か階下から響く無作法な絶叫が、容赦なくぶち壊した。
「……よく考えたらニャ! 今回、アタイは何も悪くないのにボーナス削られただけだニャァァァァン!!」




