第二十六話:猫耳メイドと二つのゼロの物語 中編
第二十六話:猫耳メイドと二つのゼロの物語 中編
「琥珀の間」に、銀色の懐中時計の小気味よい秒針の音が響く。
伊勢馬場は、寸分の狂いもない手つきで時計の蓋をパチンと閉じると、内側から発光するようなツヤツヤの頬を緩めて微笑んだ。
その肌の輝きは、もはや後光に近い。
「おや。最終面接開始まで、そろそろ五分前でございますね。対面の控室には既に、お一人が気品ある静謐な気配を纏ってお待ちのようです。メイドと談笑しながら優雅に紅茶を嗜んでおいでですが……緊張感なくゆったりくつろいでおられますな、実に良い『気』の状態です。……一方で、もうお一方は未だにいらっしゃらない。急いでこちらに向かわれていらっしゃるようですが……おや、もしや遅刻かもしれませんな」
壁の向こうに誰が、どのような状態でいるのか。
透視など、この超一流の執事にとってはティーカップを温めるより容易なことなのだろう。
あん子も今更それを不思議がることはない。
この執事の言葉は深く考えず、天気予報くらいの感覚でとらえておくのが1番と経験から理解できているのだ。
「ふふん、おっと、これは減点対象にゃん。社会人として五分前行動は最低限のマナーにゃ。あたいを見習うにゃ」
あん子はそう言って、先ほどまで涎を垂らして履歴書を眺めていた自分を棚に上げ、偉そうにふんぞり返った。
自分こそ遅刻の常習犯で、しょっちゅう伊勢馬場から「廊下バケツでとほほの刑」に処されている事実は、この猫の脳内からは都合よく消去されているようだ。
「いや、そうとは言えませんな。きっかり五分前。……お見事でございます!」
伊勢馬場が、まるで極上の舞台の幕を開けるかのように優雅な一礼を捧げた。
その視線は、屋敷の壁さえも通り越し、遥か上空――音速の壁をぶち抜いて飛来する「何か」を、既に網膜に捉えているかのようだった。
「琥珀の間」の窓の外、丹精込めて手入れされた中庭に、空を真っ二つに叩き割るような重低音が轟いた。
ドォォォォォン!!
天から降り注いだのは、鉄の塊などという生易しいものではなかった。
戦場の絶望をそのまま形にしたような、凶悪な重武装の兵器。それが垂直に落下してきたのだ。
だが、地面に激突する寸前、それは物理法則を嘲笑うかのような慣性制御で「ふわり」と静止した。見えない力場が美しい芝生を円形に押し広げ、池の波紋のように土壌を揺らす。
その衝撃波は、耽美な琥珀の間の内装をも無慈悲に揺さぶった。
壁に掛けられた名画が悲鳴を上げて傾き、天井の水晶シャンデリアが涼やかな、しかし狂気じみた音を立てて鳴り響く。
伊勢馬場は眉一つ動かさず、激震に踊るテーブルの上で、あん子のティーカップが滑り落ちる寸前にその指先でピタリと制した。
アールグレイがカップの中で荒れ狂うが、一滴もこぼさせない。重力さえも彼の美学に服従しているかのようだ。
「……にゃ、にゃ……?」
あん子は椅子から転げ落ちそうになりながら、口をパクパクさせ、窓の外に鎮座する死神――ディバイド・ゼロを凝視した。
あん子の尻尾は、恐怖のあまりタワシのように膨れ上がっている。
対照的に、伊勢馬場はティーポットを掲げたまま、完璧な余裕を湛えていた。
その涼やかな瞳は、「ドッキリ大成功!」という言葉以上に饒舌な悦びを浮かべている。
中庭のディバイド・ゼロは、周囲を破壊せぬよう細心の注意を払っているようだった。
巨躯を縮めるようにして、メイン・センサーを申し訳なさそうにキョロキョロと巡らせる。
機械的な逡巡が伝わってくるような、奇妙に謙虚な佇まい。
どうやら、自身の巨体が収まる「着陸場所」を必死に探しているようだ。
だが。
唐突に、屋敷の二階――メイド長の部屋の窓が勢いよく開き、地獄の火蓋が切られた。
ダダダダダダダダ!!
「にゃ!!? 何事ニャ!?」
あん子が青ざめて窓際に駆け寄り、外を覗き込む。その後ろで、伊勢馬場は「おや」と小さく呟き、事も無げに茶葉の蒸らし加減を確認していた。
「おや、あれはメイド長のノーマさんですね。面接の方を不遜な侵入者と勘違いなさったのではないでしょうか?」
「勘違いで済む量じゃないニャ! 庭が耕されてるニャ!」
「そういえばあん子さん、ノーマさんに今回の面接の件、連絡はなさいましたか? ……場合によっては、お屋敷への被害の責任は、今回の面接の最高責任者であるあん子さんのものになる可能性がございますな」
あん子は文字通り飛び上がった。
伊勢馬場に縋り付こうとするが、彼は柳に風と身をかわす。
「にゃ、にゃにゃにゃにゃんで!? あたい、聞いてないニャ!」
あん子の顔はみるみる土気色に変わっていく。脳内では既に、奥様から「あん子、お庭の修理代、一万年分のお給料から差し引いておきますわね」と聖母のような微笑みで宣告される恐怖の未来予想図が、フルカラーで再生されていた。
外では、弾丸の嵐をホバーリングで華麗に回避し、庭園を疾走するディバイド・ゼロの姿があった。
だが、執拗な射撃に興が乗ってきたのか、ノーマの弾幕は徐々に殺意と彩度を増していく。噴水が砕け散り、芸術的な石像の首が飛び、自慢の薔薇園が挽き肉のように切り刻まれていく。
「あ、あああ……あたいのボーナスが、老後の貯金が、おやつ代がぁぁ!!」
あん子は窓ガラスに張り付き、増え続ける被害総額を数えながら情けない悲鳴を上げた。
「伊勢馬場様、助けて……にゃ?」
涙目で隣を振り返った。
しかし、そこにはもう、誰の姿もなかった。
つい数秒前までそこにあった紅茶の温もりと、超一流の執事の気配だけを残し、伊勢馬場は完全に「消失」していた。
「……ハメられたニャ。あのツヤツヤ野郎、絶対に許さないニャ……」
愕然とするあん子の耳に、控えめだが力強いドアのノック音が響いた。
「……あの、失礼します。……庭の戦闘は、あれはどういう事なのでしょうか?」
顔を覗かせたのは、履歴書の一枚目、さわやか系イケメンだった。
輝くような金髪に、彫刻のような横顔。
背中に負った大剣は、古びているが隠しきれない神聖な気配を放っている。
あの剣はどこかで?
あん子の脳裏に何かの教科書で見た、伝説の聖剣のシルエットと目の前の聖剣が重なろうとする。
が、今はそんな事に構っていられない。
「メイド長と面接の人が本気で殺し合っているのにゃ! あ、あぶないにゃ! ここは逃げるにゃ!」
あん子は彼の服の裾を引っ張り、避難を促そうとした。
だが。
「なるほど! トラブルですね? 任せてください!! こういうのは慣れてるんです!!」
カインと名乗ったその青年は、あん子の泣きそうな顔を見て、眠っていた騎士道精神に火を灯してしまったらしい。
「この前の空飛ぶふた首サラマンダーより厄介そうだ!行くぞ!相棒!」と叫ぶと、抜いた瞬間に周囲の硝煙を浄化するような清冽な光を放つ聖剣を手に、窓から中庭の地獄へと飛び込んでいった。
「……にゃ、にゃあ……あいつ、行っちゃったニャ……」
一人残されたあん子は、窓の下で巻き起こる「爆発」と「聖光」と「機関銃の轟音」の三重奏を見つめ、そっと膝から崩れ落ちた。
「……もう、どうにでもなれニャァァァァ!!」
あん子の絶望の咆哮が、無惨に耕される庭園に空しく響き渡った。
中庭の状況は、もはや「面接」の域を完全に逸脱していた。
「……計算外だ。なぜメイド一名の投射火力が、戦闘機体の火力を上回っているのだ!?」
ディバイド・ゼロはホバーユニットを全開にし、泥濘と化した芝生の上を高速滑走しながら困惑していた。
その機体の上には、聖剣を構えたカインが必死にしがみついている。
カインはつい数分前まで、騎士道精神を胸に「この場は私が預かる!」と意気揚々に中庭へ飛び込んだはずだった。
だが、ノーマの放つデタラメな弾丸の嵐の前に、誇り高き聖剣の結界は一瞬で飴細工のように歪んだのだ。
伝説の剣ですら防ぎきれぬ暴虐の物量。
死を予感した瞬間、ディバイド・ゼロの無骨な装甲がカインをすくい上げ、強制的に背負い込んだ。
今の二人は、逃げ惑う運命共同体でしかなかった。
「文句を言っている暇はないぞ! 来るぞ、三時方向!! 回避!回避!!」
カインの叫びと同時に、屋敷の二階から無数の火線が降り注ぐ。
ノーマは、両手に保持した重機関銃を、館の屋根から屋根へ飛び移り、まるで扇子でも振るうかのような優雅さで掃射し続けていた。
カインが聖剣で神聖な魔力結界を展開し、鋼鉄の雨を火花に変えて散らすが、その衝撃波だけでディバイド・ゼロの機体は激しく軋み、揺さぶられる。
「まずいぞ!明らかに、追い込まれている!カイン!あとどれくらい結界は張れる?」
「あまり長くは持ちそうは無いが、大丈夫だ!俺の聖剣は、追い詰められてからが本番なんだ!」
カインの手の中で、黄金の輝きを放つ聖剣が、場にそぐわない野太いダミ声を上げた。
『おい小僧!何が大丈夫だ! 妾の刀身にヒビが入るわ!あの女、リロードという概念を知らんのか!?何故だ?3食昼寝とオヤツ付きの簡単なメイド作業補助の面接ではなかったのか? もう嫌だ!帰る!おうちに帰る!!』
降り注ぐ鋼鉄の雨が、ディバイド・ゼロの無骨な装甲と、その背で必死に踏ん張るカインの頭上で火花を散らす。
なんやかんや言いながら器用に結界を展開する聖剣、確かにまだなんとかなりそうだ。
「やめろ、暴れるな! 振り落とされるだろ!」
『嫌なものは嫌じゃ! 妾は伝説の聖剣であって、対空防護シールドではないわ! 痛い! 今の榴弾、絶対にお肌に傷がついたぞ! おのれ、あのメイド! 殺す気か! 殺す気満々じゃないか!!』
ディバイド・ゼロが回避機動をとるたびに、カインは聖剣の柄にすがりつき、聖剣は罵詈雑言を撒き散らす。
その喧騒を嘲笑うかのように、弾幕は一切の途切れを見せない。
一瞬、ガトリングの重低音が止み、静寂が訪れるかに見えた。
だが、ディバイド・ゼロがカウンターを仕掛ける隙すら与えない。
空になった重機関銃が地面に転がるよりも早く、ノーマはヌルリと空間から新しい機関銃を引っ張りだして、間髪入れず「次」の死神の咆哮で中庭を埋め尽くす。
「もう四の五の言っていられないぞ! こちらからも仕掛けなければ、二人まとめてハチの巣だ! 突っ込むぞ、ディバイド!」
「仕方がない…のか?……ラジャー。彼女が武装を切り替える瞬間の、ゼロ・コンマ秒に賭ける。カイン! 合わせてくれ! 非殺傷鎮圧弾、装填!」
「OK!! 任せてくれ!!」
ディバイド・ゼロがブースターを逆噴射し、弾丸の雨を紙一重で縫うように急接近する。
カインが残された魔力の全てを聖剣に込め、太陽を切り取ったかのような強烈な閃光を放った。
「光あれぇぇぇ!」
その眩い輝きに、さしものノーマも一瞬、目を細めて動きを止める。初めて見せた、わずかな隙。
「目標補足……発射!!」
ディバイド・ゼロの腕部から、特注の「大魔導捕縛弾」が放たれた。それは巨躯を誇る暴君竜ですら一撃で深い昏睡に落とす、対モンスター用の強力な鎮圧武装である。
青白い電光を纏った弾丸が、ノーマの眉間へと吸い込まれていく。
(((……決まった!)))
カインとディバイド・ゼロ、そして聖剣、二人と一本の脳裏に「勝利」の確信がよぎった。
だが!
ノーマは、飛来する弾丸をまるで見えていたかのように、あるいは最初からそこにあるべき品を手に取るように、片手で無造作に掴み取った。
ギュリ、と。
鋼鉄の弾丸が、彼女の華奢な指先の中で飴細工のように歪み、粉砕される。 ノーマは艶やかな唇を吊り上げ、ニヤリと笑った。
それは狡猾な罠を抜けてきた獲物を前にした「捕食者」の愉悦、自らが手を下すに値する獲物を見つけた「狩人」の歓喜の笑顔だった。
「……良いわ、貴方たち。少しは『掃除』のし甲斐が出てきたみたい」
彼女が吐き出した溜息が、物理的な圧力となって二人(+一本)を襲う。
それは面接が終了した合図ではなく、試験がより過酷な、生存率皆無の「二次選考」へと進んだ宣告だった。
泥沼の戦闘は一段と激しさを増し、屋敷全体が「ドン! ドン!」と、地響きのように震え始める。
琥珀の間で、あん子は震える手で、奥様が最も大切にしている、手に持つだけで呪われそうなほど高価な一品「秘蔵のティーセット」を、両手に包みながらイっちゃった目で見つめていた。
「……やってやるニャ。このままじゃジリ貧ニャ……。どうせ死ぬなら、あいつらも道連れにしてやるニャ!!」
あん子は琥珀の間の窓を蹴破り、狂気と絶望に突き動かされて屋上へと駆け上がる。
数分後。
硝煙と泥濘に沈んだ中庭を見下ろす屋上の縁に、あん子が現れた。
その眼は、すでに理性の光を失い、完全に正気ではなかった。
「おら!! てめえら! 手を上げろニャ!!」
いつもは「にゃ〜ん」と甘えるような鳴き声のあん子が、今はドスの利いた濁声を上げ、一客で領地が買えると言われる伝説のティーカップを、爆弾か何かのように掲げている。
その姿は、忠実なメイドというよりは、追い詰められた果てにすべてを放棄したテロリストのそれであった。
その瞬間、戦場にいた全員の意志が、戦慄と共にリンクした。
((((ヤバい!! あのバカ、何を手に持っていやがる!!))))
ノーマの指が引き金から離れ、ディバイドのブースターが停止し、聖剣すらも「ヒッ」と短い悲鳴を上げて沈黙する。この場にいる全員が、その磁器の破片一つが自分たちの人生と給与、そしてこの世界の物理法則さえも再起不能に粉砕する「呪いの触媒」であることを悟ったのだ。
中庭の争いは、あん子の放つ圧倒的な「狂気」によって強制終了させられた。
だが、アドレナリンが沸騰し、伊勢馬場への積年の恨み(と今回ハメられた事への殺意)で視界が真っ赤に染まったあん子には、その沈黙すら耳に入らない。
「伊勢馬場ぁぁぁ!! 見てるんだろ!? おら! 隠れてねぇで出てこい!! これを叩き割って、あたいもお前らも、みんなまとめて一万年ただ働きじゃぁ!!」
あん子は、その一客で砦どころか小国が買えるという伝説のティーカップを、全力でアスファルトならぬ泥濘の庭へと叩きつけようとした。
世界が、スローモーションへと切り替わる。
「やめろぉぉぉ!!」と叫びながら、泥を跳ね上げ、なりふり構わず手を伸ばすカイン。
損傷した脚部を無理やり駆動させ、残像を残してティーカップを空中捕獲しようと跳躍するディバイド・ゼロ。
「それだけは、それだけはやめてぇぇ!」と、初めて規律を乱して顔を真っ青にするノーマ。
全員の指先が、空を舞うあん子の腕に届くよりも早く。
時が止まったかのような静寂の中、あん子の腕が、殺意を込めて一気に振り下ろされる!
「お待ちなさい!!」
その瞬間、屋敷で一番高い時計塔の頂上に、一際清廉で、天の調べのごとき声が響き渡った。
逆光を背負い、陽光を後光のように纏って現れたのは、乱れた戦場を見下ろしながらも、凛とした美貌を輝かせる奥様であった。
その姿は、混沌とした現世に降臨した「裁定の女神」そのもの。
不謹慎なほどに輝かしく、そしてこの破滅的な状況を最高に愉しんでいるかのような、ノリノリの微笑を浮かべている。
そしてその傍ら、鋭角な塔の屋根という不安定な足場でありながら、一寸の揺らぎもなく美しく片膝をつき、絶対の忠誠を示す影があった。
伊勢馬場である。
彼は燕尾服の裾を流麗に捌き、胸元に手を当てて深く頭を垂れている。
その姿はまさに忠臣の理想形、奥様の美しさを引き立てる完璧な「超一流」の絵面を完成させていた。
しかも、その頬は陽光を反射して、いつも以上にツヤツヤに輝いている。
「皆さま……少し、賑やかすぎましてよ?」
時計塔の上から見下ろす奥様の、光り輝くようなオーラ。
そして隣で「これぞ私の主、これぞ私の舞台」と無言で語り、ひたすらノリノリで跪く伊勢馬場の完璧な礼。
その圧倒的な「正解」の光景、そして物理法則を超越したツヤツヤの光輝を前にして。
あん子は振り下ろした腕を空中で止めたまま、文字通り魂が抜けたようなマヌケな顔で、あんぐりと口を開けて固まるしかなかった。




