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第二十五話:猫耳メイドと二つのゼロの物語 前編

第二十五話:猫耳メイドと二つのゼロの物語


世界は、終わるはずだった。


天を衝くほどに巨大な星震兵器『虚空を穿つ神のゴングニル』。

その中心核は粉砕され、胸部には山を削り取ったかのような巨大な風穴が穿たれていた。


だが、その巨躯は沈黙していない。

断たれたエネルギーラインから溢れ出した極大の熱量が、再起不能の機体を内側から焼き、死を振り撒く最後の残光へと変えていく。


やけっぱちの一撃

それは、自らの野望を、その傲慢な瞳ごと粉砕した目の前の戦士への、呪詛に満ちた返礼。

致命傷を与えたディバイド・ゼロを、せめて地獄の道連れにせんと放たれた星震兵器の断末魔は、北の大地の万年雪を瞬時に蒸発させ、銀世界を赤黒い煉獄へと塗り替える終焉の咆哮だった。


ディバイド・ゼロの視界メイン・モニターは、逃げ場のない死を告げる警告色アラートで埋め尽くされていた。


『――警告。戦域内の熱量、許容限界を突破。生存可能時間は残り三秒。……二、一。……極大熱量の放出を確認』


無機質なオペレーターの声が響く。

ディバイド・ゼロは、自身の演算回路が弾き出す「生存率:0.00%」という死の数式を、ただ静かに受け入れようとしていた。


視界を埋め尽くす赤い光が集約し、爆発的な閃光が走る。


(……終わるのか)

諦めが脳を掠めた瞬間、何かが、暴力的なまでの質量をもって彼と死の間に割り込んだ。


一瞬、理解が追いつかない。

だが、ノイズの走るモニターの向こう側に映し出されたのは、見慣れた、しかしここにあるはずのない純白の機体のシルエットだった。


『……? 状況再確認。……ディバイド・ゼロ、聞こえますか!? あなたのバイタル、生存を確認しました! ……熱量が消失しています。負のエネルギーによる強制相殺……個体名:アブソリュート・ゼロ。彼女が……全出力を、あなたの防護へ転換しています!』


「アブソリュート……!?」

オペレーターの声に、絶望的な緊迫が混じる。

『出力相殺、維持限界! 数値が振り切れています、耐えられ――!』

その言葉を、より強まった閃光が、そして世界を包み込んだ白磁の光が飲み込んだ。


……硝煙と白霧が晴れた跡。

ディバイド・ゼロの目前には、一枚の焼け爛れた鋼鉄の盾が突き立っていた。

それを保持していたのは、宿敵――アブソリュート・ゼロ。

本来ならば、有機的な曲線を描く純白の装甲を持ち、禍々しくも神々しいまでの美しさを誇った超高速戦闘マシン。

だが今、その機体は熱量飽和によって装甲が剥げ落ち、内部のフレームが剥き出しになった、無残な鉄の骸と化していた。



ディバイド・ゼロは、そのボロボロになった純白の機体を、自身の巨大なマニピュレーターで壊さないよう、必死に抱きかかえている。


「……フッ。……相変わらず、……お前が関わると。……俺の計算式ロジックに、……バグが……生じる……」

バイザーから漏れるのは、加工された無機質な男の声。


「……なぜだ。貴殿の能力なら、離脱は可能だった。……なぜ、全出力を私の防護に回した。……論理的説明を、要求する!」


ディバイド・ゼロの声は、制御限界を超えて割れていた。

彼は狂ったように予備のリカバリー・カートリッジを、彼の歪んだ装甲の隙間に強引に叩き込んでいく。

もはや修復ではない。それは、死という絶対的な論理に対する、絶望的な抵抗だった。


『――通信。ディバイド・ゼロ、もう……。対象のコアは完全に融解しています。リカバリーの成功確率は、ゼロです。今すぐ、危険な治療行為を止めてください!そうしないと、貴方のコアも!!!』


オペレーターは通信の向こう側で、溢れ出そうになる人間性を必死に押し殺し、冷徹なまでに正しい答えをディバイドに突きつける。


「黙れ! 黙って……修復させてくれ! アブソリュートのバイタルを……強制再起動させている! 私に……無駄な計算をさせるな!」

無理な電力供給により、ディバイド・ゼロの腕からも激しい火花が散る。

回路が焼き切れる音、駆動系が悲鳴を上げる振動。


彼自身、これが無意味な足掻きだと理解していながら、それを認めることができず、出力を流し込み続けた。


『……ディバイド・ゼロ。演算処理能力が……著しく低下しています。お願いです、もう止めて……。……分かりました。直ちに医療班を最大編成で向かわせます! だから……それまで、何とか、持ちこたえさせてください……』


オペレーターの声が、気丈に、けれど微かに震え、涙を堪えるように響く。

その制止を無視し、彼は血のような培養液が噴き出す装甲を無様にひっかき続けた。

戦場の数式を壊してきた男が、今、必死に「死」という計算結果を拒絶しているのだ。


「よせ……。もう、俺にリカバリーは使うな……。……お前も、わかってるんだろ? ……俺のコアは、もう……冷え切っている」

死を目前にした「彼」の声に、激しいノイズが混じる。

音声合成デバイスがまるで吐血するように、青白い火花を散らして沈黙した。


……不意に、ノイズが消えた。

スピーカーから漏れ出たのは、震えるほどに繊細で、清らかな「女性の声」だった。

擬装音声デバイスの最期の大破。

それが露わにした本来の声に、ディバイド・ゼロの演算が数瞬停止する。

(……貴殿、は……)


「……迷いの闇は、闇の中に居る限り、どんなに足掻いても抜け出す事なんてできない。……お前も俺も、ずっとそこに居た。鉄の殻に閉じこもって、人殺しの数字だけを数えて……。でもね、ディバイド。その闇は……永遠じゃないの」


彼女のひび割れたカメラユニットが、ガチガチと異音を立てながら必死に焦点を絞ろうとする。

だが、視界は既に機能不全を起こしており、目の前のディバイド・ゼロの輪郭さえ捉えきれず、ただ曖昧な影に向かって語りかけている。


彼女のマニピュレーターが、ディバイド・ゼロの掌に、小さなボイスストーンを押し付けた。


「……最後だ、私のとっておきを、お前にあげる。光を見つけるんだ……小さな一粒の光でも良い。そんな光があれば、あなたも……その闇を抜け出せるから」


それは、同じ地獄を這いずり、先に一筋の光を見つけた「先輩」としての、心配と愛情に満ちた最後のアドバイス。


「色々あったけど……お前の腕の中で終わるのが……『私』の最後で……よかった……。……本当に……嬉しい……」


それが、すべてを凍てつかせてきた彼女が、最期に灯した最大の熱量だった。

彼女のコアから生命の鼓動が消える。


「アブソリュート・ゼロ! 答えろ! 演算を止めるな! アブソリュートォォォ!!」

ディバイド・ゼロの脳内を、演算プログラムと忘れていたはずの「激した後悔」がぐちゃぐちゃに混ざり合い、エラーログを埋め尽くしていく。

彼は自身のマニピュレーターを地面に叩きつけ、氷原を砕き、意味のない怒りを咆哮として撒き散らした。


『……ディバイド・ゼロ、応答してください。ハーモニクスが危険域です。……あなたの……心が、壊れてしまう……』


オペレーターの悲痛な呼びかけすら、今の彼には遠い。


その時、死の静寂に包まれた上空、重く垂れ込めた雲が光のナイフで裂かれたように分かたれた。

この北の大地ではめったに見ることが出来ない、天と地をつなぐ一筋の光の柱、エンジェルラダーが、鉄屑と化した二人の兵器を照らし出す。


見上げた空には、残酷なまでに澄み渡った、吸い込まれるような青。

光の中、一羽の純白の鳥が、天へと昇っていくのが見えた。

(……ああ。貴殿は、ようやく……この狂った檻から、解放されたのだな……)


『……戦域内の全敵性反応、消失を確認。……アブソリュート・ゼロ、バイタル、完全停止ロスト。……お疲れ様でした、ディバイド・ゼロ。只今をもちまして、ミッションはコンプリートされました。……世界を救っていただき感謝します。』


オペレーターの淡々とした「完了報告」が、空虚な戦場に響く。

ディバイド・ゼロは、光に透ける石を握りしめながら、天に消えていく純白の鳥を、いつまでも、いつまでも見上げ続けていた。




◇ある日の気だるい昼下がり


「琥珀の間」は、静謐に満ちていた。

磨き上げられた黒檀のテーブルには、窓の外に広がる薔薇園の色彩が鏡のように映り込み、天井から吊るされた水晶のシャンデリアが、午後の柔らかな光をプリズムへと変えて壁面に散らしている。


本来ならば淑女が詩を詠むに相応しいその耽美な空間で、あん子は今にもよだれを垂らしそうな、実に見苦しいニヤニヤ顔で二枚の書類を眺めていた。


最近の絵本作家としての活躍、奥様襲撃事件での決死の警護、さらには深淵ダンジョン最下層への随伴任務。

そして、最大の功績である、奥様肝いりで進められている「奥様のドラマチックな目安箱」というラジオ?番組のサブパーソナリティーとしての活躍。

それら全ての功績を認められ、奥様から「あん子に部下をつけてあげましょう」という、心優しい采配が下されたのである。


「ぐふふふ……へへ……にゃん。ようやく、あたいにも顎で使える……もとい、甲斐甲斐しく支えてくれる部下がつくにゃん! しかも!この履歴書の写真! 二人とも、なかなかの逸材にゃん!」

あん子の三角形の耳が、歓喜のあまり高速で震え、左右非対称に踊る。


「ご機嫌でございますね、あん子さん」

背後から、衣擦れの音すらさせずに伊勢馬場が現れた。


彼は羽毛が落ちるような軽やかさで、白磁のティーカップをテーブルへ置く。

その所作は流麗を極め、指先一つ、膝の角度一つにまで「超一流」の美学が宿っていた。

注がれた紅茶から、高貴なアールグレイの香りが耽美な室内をゆっくりと満たしていく。


「ご機嫌に決まってるにゃ! 見るにゃ伊勢馬場様! 一人は元ハンターのさわやか系イケメン! もう一人は元傭兵の渋系イケメンにゃん! 能力はそれぞれ申し分なし、経歴もピカピカ。これはもう、目を瞑って選んでもどっちも大当たりっていう、ボーナスタイム状態にゃん!」


あん子の尻尾が、メトロノームのように激しく、かつ優雅に左右へ振られた。


「これはこれは、大変結構でございますね。日頃の貴女の献身を、奥様も高く評価しておいでなのです」

伊勢馬場は、部下であるあん子に対しても決して崩さない丁寧な物腰で、うやうやしく書類を覗き込む。


「元ハンターのさわやか系……ほう、『森で迷ったあなたを救い、月明かりの下で「君の瞳に、僕の矢は射抜かれてしまったようだ」と微笑みながら膝をつく』系の、正統派王子様ルートでございますな」


「げへへ、わかってるニャン! 伊勢馬場様もわかってるニャン!」


「対する元傭兵は、『敵に囲まれた絶体絶命の瞬間、無言で前に立ち、傷だらけの背中で……「……下がっていろ。俺の前で、もう二度と愛する者が傷つくのは許さない。……お前はただ、そこで光だけを見ていればいい」……と、失った恋人の面影をあなたに重ねて守ってくれる』系の、哀愁漂う守護者ルートでございますな」


「にゃはー! それにゃ! その『二度と愛する者が傷つくのは許さない』っていう重い愛! 過去に何があったか知らないけど、あたいがその傷を癒してあげるにゃん! 結婚式には一番良い席で呼ぶニャン、新婦代表の挨拶お願いするにゃん!」


あん子の耳がぺたんと伏せられ、恍惚とした表情で妄想の海に溺れる。

伊勢馬場は満足げに一つ頷くと、燕尾服の裾を美しく捌き、胸に手を当てて宣言した。


「心得ました! あん子さんの門出の為に、この伊勢馬場、とっておきの『金玉袋の物語』で、参列者全員を感動のるつぼへと叩き込んでご覧に入れましょう。……わたくしの元いた世界では、どんな困難も乗り越えることが出来ると言われる伝説の三つの袋がございまして……」


「にゃにゃにゃにゃにゃ! その話は、一年後くらいのお楽しみにしておくにゃん!!」


「おやっと失礼、私としたことが気が急きました。育児休暇の申請書は五枚ほど用意しておけばよろしいでしょうか? 当然、私が超一流のシッターとして赤子のオムツ交換の妙技をご伝授いたしましょう!」


「も~う! 伊勢馬場様も気が早いニャン! にゃにゃにゃにゃにゃ!」

「これは、失礼しました。ははははは!」

あん子の上機嫌なにゃにゃにゃの声と、伊勢馬場の柔らかなバリトンボイスの笑い声が、穏やかな午後の室内に響き渡る。


……だが、あん子はまだ知らない。

奥様の屋敷へ向かい、上空1,500メートルから大気を焦がし、音速で突き進む「漆黒の火薬庫」の正体を。


宿敵だった彼女に命を投げ出させてまで自分を救わせる。

それほどまでに戦友の心を変えた『ドラマチックな目安箱』の言葉。

彼女の最期に託された形見のボイスストーンを唯一の導標しるべに抱いて、この声の主が自分を救ってくれた「恩人」か、あるいは友を死へ誘った「仇」かを見極めるべく、命を賭して面接会場へ飛来する男の心の危うい均衡を。


そして、あん子の「ボーナスタイム」が、命を懸けた「サバイバルタイム」へと切り替わるまで、残された時間がわずか900秒を切っていることを。


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