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第十七話:奥様とニコニコひまわり園 後編

第十七話:奥様とニコニコひまわり園 後編



レオンハルトの姿を見て、黒曜のボルカは己の目を疑った。

銀狼のレオンハルト -その名は裏社会に轟く孤高の剣士。

一騎当千の武勇、冷静沈着な頭脳、そして何よりもそのクールな生き様に、ボルカは密かに、そう、ほんの僅かだが憧憬の念を抱いていたのだ。


そのレオンハルトが、自分と同じ、いや、色違いではあるが屈辱的なお遊戯服に身を包んでいる。

信じられない光景だった。


「レ、レオンハルト…あんたも捕まっちまってたのか…」

思わず、昔馴染みに声をかけるような口調になるボルカ。


この地獄のような状況で、知った顔に出会えたことに、ほんの少しだけ、本当に針の先ほどの安堵感を覚えたのかもしれない。

しかし、レオンハルトはボルカの言葉を遮るように、人差し指を自身の唇の前に立て、周囲を警戒するように素早く視線を動かした。


「ポルカ君、気をつけろ。ここでは呼び捨ては減点対象だ。」

その声は囁くように小さく、しかし切実な響きを帯びている。


ボルカは、レオンハルトが何をそんなに怯えているのか理解できず、訝しげな表情を浮かべた。

ここは監獄だ。多少の無礼な口の利き方など、日常茶飯事のはずではなかったか?


誰にも聞かれていないことを確認し、レオンハルトはふぅ、と小さなため息をつくと、ボルカに向き直った。

「いいか、新入り君。まず、このニコニコひまわり園で生き抜くために、一番大事なことを教えてやる。心して聞け」

レオンハルトの真剣な眼差しに、ボルカはゴクリと唾を飲み込む。


「この場所を支配しているのは、暗黒街の帝王でも、百人斬りの狂戦士でも、ましてや残虐な悪魔や慈悲深き神でも無い…」

そんな途方もない存在がいるというのか、とボルカが息を呑んだ、その刹那。


「ここを支配しているのはな…『花丸ポイント』だ」


「……へ?」

ボルカは己の耳を疑った。

聞き間違いか?

だが、レオンハルトの目は、冗談を言っているようには到底見えなかった。

その瞳の奥には、狂気と紙一重の真剣さが宿っている。


「このメルヘン地獄を、ほんの少しでもマシなものに変えてくれる、唯一無二の天使にして女神…それが、花丸ポイントなんだ」

そう言うと、レオンハルトは首から下げられた、手の平よりも一回り大きな、パステルカラーの可愛らしいカードをボルカに見せた。

カードには「れおんはるとくん」と、丸みを帯びた文字で書かれ、その下にはいくつかの小さな花のシールが貼られていた。


「ルールは至ってシンプルだ。良い子にしていればポイントがもらえ、悪い子にしていれば容赦なくポイントを消される。ポイントの譲渡は基本的には出来ないが、唯一、お誕生日の日だけは、お友達みんなから祝福の1ポイントずつをプレゼントしてもらえる特別ルールがある」

ボルカは、レオンハルトが何を言っているのか、全く理解できなかった。

花丸? ポイント? お誕生日? ここは重犯罪者収容施設ではなかったのか?


「基本、花丸ポイントは自分の行いで稼がなければならない。だが、抜け道もある。猫か犬を飼うことで、1日につき自動的に10ポイントが加算されるんだ。これは結構デカい。俺は断然、猫を飼うことをオススメするね。」

そう言うと、レオンハルトは足元で気持ちよさそうに喉を鳴らしているシャム猫を、まるで我が子を愛でるかのように優しく撫でた。

その横顔は、ボルカが知る「銀狼」の面影はどこにもなく、ただの猫好きのおじさんのようにしか見えない。


「ふ、ふざけるな!俺は黒曜のボルカだぞ!こんな子供騙しみたいなシステムに、誰が従うものか!」

ボルカは、残された最後の気力を振り絞り、ピンクのウサちゃん服の袖をまくり上げようとしたが、そのフリルが邪魔で上手くいかない。

「俺はこんな馬鹿げたルールなんぞ認めん! このクソみたいな服も今すぐ脱ぎ捨てて、ここから…」


「落ち着け、ボルカ君。俺は敵じゃない。お前の気持ちは痛いほどわかる。俺も最初はそうだった」

レオンハルトは、ボルカの肩をそっと掴み、諭すように言った。

その手つきは驚くほど優しく、そして力強かった。

ボルカは、その意外な感触に一瞬戸惑い、荒ぶっていた呼吸が少しだけ落ち着くのを感じた。


「説明を続けるぞ。よく聞け。ポイントが無くなると、恐ろしいペナルティが発生する。…ちょっとこっちへ来て、向かいの『おへや』のあいつを見てみろ」

レオンハルトはそう言って、鉄格子の隙間から、通路を挟んだ向かい側の独房――いや、「きりんさんのおへや」と書かれたプレートが掲げられた部屋の中を指差した。

そこには、筋骨隆々の、かつては「鉄槌のゴライアス」と呼ばれ、その剛腕で数多の敵を沈めてきた巨漢が、体育座りで壁の一点を見つめていた。

その姿は、あまりにも変わり果てていた。


彼の股間からは、なぜか白鳥の頭の飾りが不自然に生えており、頭にはバーコードがプリントされた見るからに安っぽいカツラ、そして鼻には、息をするたびに先のピロピロ笛が情けなく伸縮を繰り返す、パーティーグッズの定番である鼻眼鏡が装着されていた。

その目は虚ろで、生気というものが完全に抜け落ちている。


「アイツはな、トイレに行って手を洗わなかったり、お歌の時間に口パクで誤魔化そうとしたり、お昼寝の時間に騒いだりした、札付きの極悪人だ。その結果、花丸ポイントがマイナスになり、可愛がっていた柴犬のポチを取り上げられた挙句、あのザマさ。しばらくは、ああやって生き恥を晒し続けることになる」

レオンハルトの声には、同情とも憐憫ともつかない、複雑な響きが混じっていた。


「そ、そんなことで…あんな姿に…?」

ボルカは愕然とした。

人を殺傷することなど日常茶飯事、超獣に喧嘩を売ってその鱗を数枚剥いだことすらあると豪語していたあのゴライアスが、手を洗わなかった、歌を歌わなかったという、そんな些細な(?)理由で、あのような屈辱的な姿に成り果てている。

この現実は、ボルカのこれまでの価値観を根底から揺るがすものだった。


「いいか、ボルカ君。ここではな、外の世界でお前が何人殺そうが、どんな凶悪な超獣を屠ろうが、そんなことは一切関係ないんだ!重要なのは花丸ポイント!ただひたすらに、花丸ポイントのことだけを考えろ!」

レオンハルトは、ボルカの両肩を掴み、必死の形相で訴えかける。

それはまるで、この辛く厳しい現実から逃避するために、あるいはこの狂ったシステムに順応するために、自分自身に言い聞かせているかのようでもあった。


「このクソみてぇなシステムを考え出した奴は、マジで頭のネジぶっ飛んでやがる!反抗すればするほど、泥沼にズブズブとハマっていく一方なんだ!かつて俺のライバルだった『血染めのジャッカル』も、泣く子も黙る暗殺者『影喰らいのモーガン』も、今では胸にキラキラ光るお花のバッジをつけ、満面の笑みで『お掃除隊長』だの『給食当番リーダー』だのに任命され、それを誇らしげに自慢してきやがる!クソッ!そして、そんな彼らが身につけている、あの安っぽいバッジを!この俺は!心の底から羨ましいと!そう思っちまってるんだ!!」

数秒前まで比較的理性的だったレオンハルトが、突如として怒り、そして次の瞬間には悲しみに打ちひしがれる。


そのあまりにも不安定な感情の起伏を、ボルカは信じられないものを見るような目で、ただ呆然と眺めるしかなかった。

そんな荒れたレオンハルトの足元に、心配そうな表情を浮かべたシャム猫が、そっとその身を擦り寄せた。

ハッと我に返ったレオンハルトは、その猫を優しく抱き上げる。


「あぁ…ごめんでちゅねー、ミカエル。またパパ、取り乱しちゃったでちゅねー。よしよし、怖かったでちゅかー? 今日は花丸ポイントで煮干しを買ってあげまちゅからねー。ごめんねー、もう大丈夫でちゅよー」


その光景を目の当たりにして、ボルカはもはや何も言うことができなかった。

ただ、背筋に冷たい汗が流れ落ちるのを感じるだけだった。

しばらくの間、ミカエルの首筋に顔をうずめ、その柔らかな体臭を恍惚とした表情で嗅いでいたレオンハルトは、やがて少し恥ずかしそうな顔をしてボルカに向き直り、咳払いをして続けた。


「ま、まぁ、そういうわけだ。ここは、花丸ポイントさえあれば、そこそこ快適に、いや、ある意味では天国のように暮らせる。何でも揃うからな」

「飯は驚くほど美味い。特にデザートのプリンは絶品だ。なんでも、領主様の専属料理人である、かの有名なジャン・ピエールが、直々に監修しているらしい。花丸ポイントが貯まれば、お昼寝時間を延長できる『おひるねチケット』も手に入るし、そうだな、あとは…やっぱり、女だな」

ボルカは、その言葉に僅かな希望を見出し、驚きの声を上げた。

まさか、花丸ポイントで女まで買えるというのか?


「はっ、流石に本物の女性は無理に決まってるだろう。だがな、花丸ポイントで購入できる絵本、『みんなで元気にニコニコシリーズ』が、ここでは砂漠のオアシスなんだ。その中でも、ウサギちゃんとキツネちゃんは、このニコニコひまわり園における二大ヒロインとして、皆の心を癒してくれている」


そう言うと、レオンハルトはベッドの枕元から、少し古びて表紙が擦り切れた絵本を、まるで聖書でも取り出すかのように恭しく取り出し、ボルカに見せた。

そこには、妙に肉感的なタッチで描かれた、フリフリのドレスを着たウサギちゃんと、赤いチョッキのキツネちゃんが、楽しそうに踊っているページが描かれていた。

動物たちの体がほのかに女性的な曲線を描いていて、ほんのりとした色香が感じられた。


「…これは、絶対に貸さないからな!」

レオンハルトは、ボルカが手を伸ばす前に、素早く絵本を元の場所へと隠した。

ボルカは、強烈なめまいを感じた。

ほんの少しだけ憧れていた、あのクールで孤高な「銀狼のレオンハルト」が、もはや見るも無惨な、変わり果てた姿になってしまっている。


その現実は、ボルカの心に、これまで経験したどんな拷問よりも深い絶望を刻み込んだ。

このメルヘンチックな内装、可愛らしいお遊戯服、そして「花丸ポイント」という名の見えざる鎖。

それら全てが、かつての凶悪犯たちの牙を抜き、骨を抜き、魂の髄までしゃぶり尽くそうとしているのだ。


「そうだな、あとは…」

レオンハルトが、さらに何か言いかけた、その時だった。

鉄格子の向こうから、例の看守が満面の笑みでやって来て、両手を大きく広げながら、まるでミュージカル俳優のように高らかに告げた。


「みんなー!お待ちかね!たのしーい、お歌の時間が、はーじまーるよー!!大きな声で、元気に歌おうねー!」

その声を聞いた瞬間、レオンハルトはおろか、隣や向かいの「おへや」からも、それまで呻き声や悪態をついていたはずの屈強な男たちが、まるでパブロフの犬のように、一斉にソワソワとし始めるのを目の当たりにして、ボルカは、今まで感じたことのない種類の、底知れぬ恐怖に全身を支配された。


だが、ボルカはまだ知らない。

奥様と伊勢馬場が、あの夜、ノリと勢いで作り上げたこの「ニコニコひまわり園」の「花丸ポイント」という悪魔的なシステムの真髄を。

それをボルカが気が付くのはもう少し先の話である。



あん子:「『みんなで元気にシリーズ』? あぁ、あれ、ウサギちゃんと、犬くんが女の子ニャン。キツネ?あいつはオスだニャン!」

奥様に絵本作家としての才能を見出されたあん子。

後にニコニコひまわり園の半数のお友達の脳に、修復不可能な深刻なダメージを与えてしまうのも、もう少しだけ先の話である)


次回予告

奥様があの日の約束を果たしに行くようです。

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