第十三話:奥様と六角島の激闘
第十三話:奥様と六角島の激闘
館の遊戯部屋は、その日、いつになく知的な興奮に満ちていた。
テーブルの中央には、色とりどりの六角形のタイルが組み合わされてできた島――「六角島開拓遊戯」の盤面が広げられている。
木々鬱蒼たる森、黄金色の穂を垂れる畑、赤茶けた粘土質の湿地、羊たちがのどかに草を食む草原、そして鉄鉱石を秘めたる岩山。
中央には、不毛ながらも戦略上無視できない砂漠が鎮座している。
「ふふ、たまにはこうして盤を囲んで興じるのも、良い息抜きになりますわね」
奥様は、白魚のような指で駒を一つ弄びながら、優雅に微笑む。
その目的は、もちろん楽しい余暇を過ごすこと。
そして、生来の負けず嫌いと領主としての戦略眼を遺憾なく発揮し、盤上の覇者となることである。
その微笑みの奥には、獲物を見据えるドラゴンのような、絶対的な支配者の風格が垣間見える。
その奥様の正面に座すは、執事伊勢馬場。
背筋を伸ばし、盤面を鋭い眼光で分析している。
彼にとって、これは単なる遊戯ではない。
この「六角島開拓遊戯」の勝利者には、奥様から「超一流の執事の証」とも噂される伝説のアイテム――『かっこいいモノクル』が下賜されるというのだ。
奥様への揺るぎない忠誠心とは別に、執事としての己をさらなる高みへと導く至宝を手に入れるため、彼は今日、一切の忖度なく、ただ勝利のみを目指す。
その静かな闘志は、獲物を狙う猛虎のオーラを背後に漂わせている。
そして、盤を囲むもう一人の影。
メイド服に身を包んだあん子は、小さな拳を握りしめ、その猫のような瞳にはいつになく悲壮な決意が宿っていた。
「今日こそ…今日こそ、あの屈辱的なニャンニャンポーズから解放されるニャ…!」
この遊戯で勝利すれば、奥様直々に「ニャンニャンポーズ免除」という、あん子にとっては砂漠のオアシスにも等しい褒美が与えられるのだ。
自由を賭けた彼女の戦いが、今、始まろうとしていた。
彼女の背後には、なぜか頬袋いっぱいにヒマワリの種を詰め込み、回し車を猛烈な勢いで回しているハムスターの幻影が見え隠れしている。
かくして、それぞれの譲れぬ野望と、ささやかな自由への願いが盤上で交錯する、三つ巴の戦いの火蓋が、厳かに切って落とされた。
初期配置。
奥様は「あら、この赤い丘(レンガ産出地)と豊かな森(木材産出地)に挟まれた場所、なんだか落ち着きますわ。将来、素敵な別荘でも建てられそうですもの」と、一見のどかなコメントとは裏腹に、実は戦略的に極めて重要な資源の交差点を確保。
最初の「開拓小屋」を設置する。
その指先から、まるで盤上に赤い薔薇が咲き誇るかのような幻影が立ち上った気がした。
伊勢馬場は、奥様の選択を冷静に分析しつつ、自らの勝利への最短経路を算出する。
「奥様、失礼ながら、その地点は我が『石畳の道』拡張計画の要衝。ですが、奥様のご慧眼、恐れ入ります」と、『かっこいいモノクル』への執念を隠すことなく、奥様の進路を牽制しつつも、鉄鉱石と麦が期待できる場所に、寸分の狂いもなく小屋を配置した。
彼の駒が置かれた瞬間、盤面にかすかな地響きと、鋼の意志を思わせる冷たい輝きが生じたように見えた。
一方、あん子は「この羊さんがもふもふで可愛いニャ!ここにアタシのおうちを建てるニャ!」と、見た目の好みで初期配置を選択。
羊毛は豊富に出るものの、他の資源に乏しく、早くも前途多難なスタートを切った。
彼女が駒を置くと、ふわふわとした綿毛が舞い上がるような、和やかな幻が見えた。
序盤
サイコロの女神(という名の、奥様が振る象牙のサイコロ)は、奥様に微笑んだ。
次々と必要な資源が手に入り、奥様は「あらあら、幸先が良いですわね。
やはりわたくし、持っている女なのかしら」と、瞬く間に「石畳の道」を盤上に伸ばし、二つ目の開拓小屋を建設していく。
その手際は、まるで領地経営そのものを見るかのようだ。
道が伸びるたび、奥様の背後に広大な領地と城が蜃気楼のように揺らめいて見える。
伊勢馬場は眉一つ動かさず、淡々と資源を集め、着実に地盤を固めていく。
彼の狙いは、まず「最長の交易路」の称号を得て、そこから得られる「開拓点」を足掛かりに、『かっこいいモノクル』への道を切り開くことだ。
彼の頭の中では、常に数手先の盤面がシミュレートされている。
彼が資源を得るたび、あるはずの無いモノクルのレンズがキラリと光を反射する幻影が見えた。
あん子は、なかなか必要な資源が揃わず、「キーッ!なんでアタシだけ麦が出ないニャー!これじゃパンも焼けないニャ!」と猫耳をピコピコと揺らしながら頭を抱えている。
彼女の背後には、ハムスターの幻影が懸命に回し車を回していた。
中盤
戦いは激しさを増す。
奥様と伊勢馬場の間で、資源を巡る静かな、しかし熾烈な交渉が始まった。
「伊勢馬場、その『山の恵み(鉄鉱石)』を一つ、わたくしの『森の恵み(木材)』二つと交換していただけませんこと? この島を豊かにするには、互いの協力も必要ですわよね?(有無を言わせぬ貴婦人の微笑みと共に、背後には交渉相手を威圧するような、巨大なドラゴンの影が揺らめいた気がした)」
「奥様、そのご提案、大変魅力的に聞こえます。しかし、私の都市建設計画において、『山の恵み』は生命線。等価交換の原則、及び将来的な資源価値の変動予測に基づき、『森の恵み』三つ、あるいは『畑の恵み(麦)』二つとの交換であれば、検討の余地がございますが(一切の妥協も忖度もなし。彼の言葉と共に、背後の猛虎のオーラが、奥様のドラゴンの影と拮抗するように唸りを上げた)」
「あら、伊勢馬場もなかなか強気ですわね。いいでしょう、その挑戦、受けて立ちますわ。力で奪い取るまでですわね(優雅な声色とは裏腹の、領主の覇気。ドラゴンの影が一層濃くなった)」
火花を散らす奥様と伊勢馬場。
その傍らで、あん子は「誰かレンガを恵んでくれニャー!道が一本も作れないニャー!」と悲痛な叫びを上げていたが、二人の耳には、盤上のサイコロの音と、互いの背後で巻き起こる幻影の激突音しか届いていないようだった。
戦局を大きく動かしたのは、伊勢馬場が虎の子の資源を投じて引いた「天啓の札(発展カード)」だった。
彼がカードを掲げた瞬間、そのカードからまるで青白い稲妻が迸り、部屋の空気がピリリと震えたように感じられた。
「『独占宣言カード』でございます!!…! 奥様、あん子さん、誠に恐縮ではございますが、この島の『畑の恵み(麦)』は、その一粒に至るまで、全てこの伊勢馬場が管理させていただきます!」
伊勢馬場の冷徹な宣言と共に、奥様とあん子の手元から、なけなしの麦が根こそぎ奪われる。
その瞬間、伊勢馬場の背後の猛虎の幻影が、黄金色の麦穂を咥えて咆哮したように見えた。
「まあ、伊勢馬場!なんてことを!執事にあるまじき非道な行いですわ!」
奥様は柳眉を逆立てるが、その瞳の奥は楽しんでいるようにも見えた。
彼女の背後のドラゴンの影が、悔しげに翼を震わせる。
「これも『かっこいいモノクル』のため…奥様、ご容赦を」
伊勢馬場は表情を変えない。
彼の忠誠心は、今この瞬間だけは、モノクルへの渇望の下に隠されている。
これで伊勢馬場が一気に有利になるかと思われたが、奥様も黙ってはいない。
次の手番、奥様は「あら、『騎士の加護カード』ですわ。この島の平和は、わたくしが守らなくてはなりませんものね」とカードを盤に置いた。
すると、カードから眩い光が放たれ、まるで聖騎士団が出現したかのような勇壮なファンファーレが聞こえた気がした。
奥様は、伊勢馬場が独占した麦を産出する、最も豊かな土地に「厄介者(盗賊)」のコマを配置し、伊勢馬場の資源獲得を痛烈に妨害する。
「奥様、それはあまりにも非情な…!計算が狂います…!」
「あら、遊戯は非情なものですわよ、伊勢馬場? それとも、わたくしに手加減しろとでも? うふふ」
奥様と伊勢馬場は、互いの戦略を読み合い、資源を奪い合い、道を塞ぎ合う、まさに一進一退の攻防を繰り広げる。
その様は、もはや盤上の遊戯というより、国家間の資源を巡る冷戦の縮図のようであり、二人がカードを切るたびに、目には見えないはずの炎や氷、雷といったエレメントが盤上で激しくぶつかり合っているかのような錯覚を覚えた。
その激しい潰し合いの影で、誰にも注目されていなかったあん子が、ひっそりと、しかし着実に「開拓点(勝利点)」を積み重ねていた。
奥様と伊勢馬場が互いの妨害に躍起になっている隙に、あん子は乏しい資源をやりくりし、時には「誰か羊毛いらないかニャ?鉄と交換してほしいニャ…ダメ?じゃあ麦でも…」と涙ぐましい交渉を試み、コツコツと道を作り、小屋を建てていたのだ。
彼女の盤面は、二人の華々しい都市開発に比べれば地味だったが、着実に勝利へと近づいていた。
彼女が小さな小屋を建てるたび、そこから小さな虹がかかるような、ささやかな祝福の幻が見えた。
そして、運命の女神は、時として最も予想外の者に微笑む。
奥様と伊勢馬場が、互いにあと一手で勝利という状況で睨み合っていた、その時。
盤面には緊張が走り、見守るメイドたちも息を呑む。
二人の背後では、ドラゴンの影と猛虎のオーラが、今にも盤面を破壊しかねないほどの凄まじい気迫でぶつかり合っていた。
「えいっ!もうどうにでもなれニャー!」
あん子がヤケクソ気味に振ったサイコロが、コロン、コロン、と音を立てて盤上を転がり、そして止まった。
出た目は、あん子が最後の「石造りの町」を建設するのに、まさに必要な資源をもたらす、奇跡の目だった。
その瞬間、あん子の背後で、回し車を回していたハムスターの幻影が、まるで後光が差したかのようにキラキラと輝きだした!
「……え? …えええええっ!? や、やったニャーーーーー!!!」
あん子の、信じられないといった表情から一転、狂喜乱舞する声が部屋中に響き渡る。奥様と伊勢馬場は、一瞬何が起こったのか理解できず、呆然と盤面を見つめていた。
彼らの背後の壮大な幻影も、まるで霧が晴れるように掻き消えていく。
まさかの、あん子の勝利。
漁夫の利とは、まさにこのことであった。
「ふふ、あん子にしては上出来ですわ。おめでとう、寂しいですけれど、ただいまをもってにゃんにゃんポーズの卒業を許します」
奥様は一瞬悔しそうな表情を見せたが、すぐにいつもの優雅な微笑みを浮かべた。
その瞳の奥には、「次はこうはいかないわよ」という、新たな闘志の炎が揺らめいている。
「ありがとうございますニャー!これで自由ニャー!もうあの恥ずかしいポーズとはおさらばニャー!」
あん子は、激闘の末に掴んだ自由の喜びに、部屋中を飛び跳ね、側転まで披露していた。
伊勢馬場は、「…計算外、でしたな。私の『かっこいいモノクル』への道は、まだ遠いようです」と小さく呟き、静かに盤面を片付け始めた。彼のポーカーフェイスの下には、わずかな悔しさが滲んでいたが、その目には、次こそはという決意の光が宿っていた。
その日の夕方。
ニャンニャンポーズから解放され、有頂天になっていたあん子は、奥様にお茶を運ぶ途中、スキップでもしそうな浮かれた足取りがもつれ、運悪く奥様が大切にしていたアンティークのティーカップを床に落とし、カシャーンという絶望的な音と共に粉々にしてしまった。
「あ……あ……あ……」
あん子の顔から血の気が引き、全身が硬直する。
背後には、いつの間にか音もなく現れた奥様が、それはそれは美しい、しかし底冷えのするような、まるで氷の彫刻のような笑顔で立っていた。
「あらあら、あん子。せっかくの自由も、つかの間でしたわねぇ…?」
その声は鈴のように可憐だが、あん子の耳には冥府からの呼び声のように聞こえた。
そして、翌日の朝から、さらに腰をくねらせて、両手でハートマークを作ってウインクを飛ばすという動作が追加された「にゃんにゃんポーズVer1.3」を遂行する元暗殺者の少女がいた。
あん子「見ないでぇ、こんな私を見ないでぇニャン」
深淵の蜘蛛の話が出来てしまったので投稿するついでにこちらも投稿。
実は作者である私はボードゲームなどを嗜んでおりまして。
草の根の普及活動の一環として、超有名タイトルでお話を組ませていただきました。
また、忘れたころに別ゲームでお話をかくかもしれません。