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第十一話:奥様と至高の晩餐(ざまぁ味)中編

奥様の名前はエヴァ・アマルガムに決定しました。


第十一話:奥様と至高の晩餐(ざまぁ味)中編


 月の光が冷ややかに差し込む、奥様エヴァ・アマルガムの館の大広間。

 そこは今、通常時の華やいだ雰囲気とは無縁の、異様な熱気に満たされていた。


 中央に設えられた長テーブルを囲むように、領内外から集った名士や貴族たちが、固唾を飲んで一点を見つめている。

 その視線の先にあるのは、一週間前の雪辱を果たすべく用意された、いまだ銀のクロッシュに覆われた一皿。

 そして、その料理の運命を左右するアノン赤爵の、内心の得意気な笑みを隠し、わざとらしく不機嫌さを装った尊大な表情であった。


(ククク…面白いことになってきたわい、エヴァ・アマルガムよ)


 アノン赤爵は、内心でせせら笑っていた。

 思いの外、事が己の望む方向へとうまく運んでいる。


 そもそも、アマルガム家自体は、連綿と続く二十七の名門赤爵家の一つとして、その歴史と格式を誇る家柄ではある。

 だが、先代当主が若くして世を去り、その妻であったエヴァという小娘が、こともあろうに当主の座、そして赤爵の爵位までをも受け継いだというではないか。


 伝統と血統を何よりも重んじるアノン赤爵にとって、どれほどの名門であろうと、血の繋がりの薄い、ましてや嫁いできたばかりの小娘が、誇り高き赤爵の地位にやすやすとおさまっていること自体が、到底許容できるものではなかったのだ。

 他の貴族たちの中にも、このエヴァ・アマルガムの当主就任を快く思っていない者は少なくない。


 無論、今回の件で、あの小娘が即座に赤爵の座を退くとは思うていない。

 何故だか、あの小生意気なエヴァという女当主を気に入っている奇特な貴族も多く、特に赤爵家より格上の青爵家の中にも、あの女に一目も二目も置いている者たちがいるのは厄介な事実だ。


(だが、良い。こういう揺さぶりは、一度で終わらせる必要はない。じわじわと、真綿で首を絞めるように、何度も何度も繰り返すことで、確実に我が意のままに事を運ぶことができるのだ、アマルガムの小娘めが)


 そして、あのエヴァが赤爵の座を退いた暁には…ふむ、あの妙に熟れた色香を漂わせる肢体を、我が側室の一人に加えてやるのも一興か。

 アノン赤爵は、そんな下卑た妄想にしばし耽り、歪んだ悦に入っていた。


 やがて、大広間の扉が静かに開かれ、銀盆を捧げ持った給仕たちを先頭に、一人の男が進み出てきた。

 その男こそ、あの日、アノン赤爵に料理を顔に投げつけられるという屈辱を味わった料理長であった。

 しかし、今の彼の顔に、かつての怯えや絶望の色はない。

 あるのは、己の全てを賭してこの一瞬に臨む、覚悟を決めた男の神妙な、そしてどこか鬼気迫るほどの静謐さであった。

 彼は奥様 -エヴァ・アマルガムの傍らに進み出ると、深く一礼し、その位置に控えた。


 奥様、エヴァ・アマルガムは、ゆっくりと立ち上がり、集まった人々を見渡した。

 その優雅な所作の一つ一つが、場の空気を支配していく。


「皆様、今宵はお集まりいただき、誠にありがとうございます。…本来ならば、皆様には我が館自慢のフルコースを心ゆくまでご堪能いただきたかったところではございますが」

 そこで奥様は一旦言葉を切り、アノン赤爵へと皮肉を含んだ笑みを向けた。

「アノン赤爵のせっかくの『ご期待』に沿うべく、本日は趣向を変え、いきなり真髄とも呼べるべき一品からお楽しみいただきたく存じますわ。それでは、この銀のカバーが取り払われる前に、我が忠実なる執事長、伊勢馬場より、今宵皆様にお召し上がりいただく料理について、ご説明させていただきます」


 その言葉を受け、奥様の後ろに影のように控えていた伊勢馬場が、音もなく一歩前に進み出た。

 その立ち姿は、一本の磨き上げられた鋼の剣のように、揺るぎない。


「皆様、長らくお待たせいたしました。ただいま、皆様のテーブルにございます銀のクロッシュの中には、当領主館料理長、ジャン=ピエールが、その魂と料理人としての技術の粋を尽くし、丹精込めて調理いたしました逸品、『アンギャラスの月光包み パピヨット仕立て 深淵産星屑茸ほしくずたけの香りをまとわせて』が、その姿を現す刻を待っております」

 伊勢馬場の静かな、しかしよく通る声が響いた瞬間、場にどよめきが走った。


「ア、アンギャラスだと…!?」

「まさか、あの幻の…?」

 アンギャラス――それは、この世界において、もはや伝説の域に達している超希少食材。

 実際に目にし、ましてや食したことのある者など、この場にいる美食家たちですら数えるほどしかいない。

 いや、ほとんどの者は、その名前を文献の中で聞いたことがあるという程度であろう。


 アノン赤爵もまた、その名を耳にして、思わず目を見開いた。

 美食を極め、あらゆる珍味を食してきた彼ですら、このアンギャラスを口にしたのは、生涯においてわずか三度。

 それも、十年以上も昔の記憶の中にだ。

 あの、一度味わえば二度と忘れることのできぬ、天上の味が、今、この銀のカバーの向こうにあるというのか。


 このエヴァ・アマルガムという女への積年の恨みも、貴族としての体面も、今は霞の彼方。

 ただ純粋な、食への渇望だけが、アノン赤爵の全身を支配していた。

 さらに、伊勢馬場は、その場を支配するような落ち着き払った口調で続ける。


「皆様は、アンギャー、そしてその上位種たるアンギャラスが、何故これほどまでに希少であり、また、比類なき美味とされるか、その理由をご存知でございましょうか?」

 人々は、互いに顔を見合わせる。誰も、その明確な答えを持ち合わせてはいない。

 ただ、希少だから美味い、美味いから希少なのだろう、という漠然とした認識があるだけだ。

 伊勢馬場は、そこで芝居がかったように、わずかに間を置いた。

 そして、まるで秘儀を告げるかのように、その細い指を一本立てる。


「それは、アンギャーがあまりにも『美味しすぎる』からに他なりません」

 その言葉は、シンプルでありながら、抗いがたい説得力をもって広間に響いた。

 伊勢馬場の身振りに合わせ、人々の視線が彼の一挙手一投足に注がれる。


「アンギャーは、その生態上、ある特定のキノコしか食しません。皆様もご存知の、この地方では『闇夜の宝石』とも呼ばれる希少な茸、『星屑茸ほしくずたけ』でございます。この星屑茸を常食とすることにより、アンギャラスの肉は、えもいわれぬ芳香と、舌の上で淡雪のようにとろける奥深い甘露なる風味をその身に宿すのでございます。ただし…」

 そこで伊勢馬場は、一転して悲しげな表情を浮かべ、その声のトーンを落とした。


「その比類なき美味は、他の生物にとってもまた、抗いがたい魅力なのでございます。アンギャーは、その肉があまりにも美味であるが故に、森の超獣はおろか、深淵に潜む魔獣からも常にその命を狙われる、儚き存在なのでございます」

 伊勢馬場の語りに、人々は息を飲む。

 まるで、悲劇の主人公の物語を聞いているかのように。


「そんなアンギャーの中でも、幾多の困難を乗り越え、ごく稀に長寿を全うする個体が存在いたします。それこそが、皆様がその名を耳にされたことのある、アンギャラス。長年に渡りその身に蓄積された星屑茸の旨み成分が、奇跡的なバランスで凝縮熟成され、筆舌に尽くしがたい至高の風味へと昇華するのでございます」

 伊勢馬場の言葉が紡がれるたび、人々の期待は妖しいまでに高まっていく。

 誰かがごくりと唾を飲む音が、静寂の中でやけに大きく響いた気がした。


「そして、」

 それまでのざわめきを、鋭利な刃のように切り裂いて、伊勢馬場が次の言葉を発する。

 その声には、先程までの語り部のような抑揚はなく、ただ事実だけを告げるような、冷徹な響きがあった。


「そのアンギャラスを、さらに数年の歳月をかけ、特別な環境下で『熟成』させるという前代未聞の試みが、ある『深淵を識る友人』によって成し遂げられました。天敵から守りつつも、アンギャラスが最も好む自然のままの環境を保持し、ただひたすらに最高品質の星屑茸のみを与え続ける…その途方もない時間と労力の果てに、アンギャラスという奇跡の存在が、更なる高みへと昇華した究極の食材――それこそが、『アンギャラス・マチュアード』。今宵、皆様の御前にご用意させていただきました、ただ一品にして至高の一品でございます」


 絶句。


 その言葉が意味するものを理解した瞬間、広間にいた全ての人間が、文字通り息を止めた。

 目を限界まで見開き、目の前にある銀のクロッシュを、まるで未知の神像でも見るかのように凝視している。


 何だそれは?

 聞いたこともない。

 アンギャラス・マチュアードだと?


 ただでさえ幻と言われるアンギャラスを、更に数年間も特別な環境で「熟成」させるだと?

 ありえない!

 その間、どれほどの労力と費用、そして危険があったというのだ。


 超獣や魔獣からアンギャラスを守りながら、「闇夜の宝石」とも呼ばれる星屑茸を、それも最高品質のものだけを選りすぐって与え続けるなど、およそ正気の沙汰とは思えない。

 それはもう、料理の領域を超えている。狂気の産物だ。

 赤爵の上、青爵、それどころか至高の紫爵の力を持ってしても成し得ることなど出来はしない!


 誰も、何も言えなかった。

 声を発することすら、憚られるような圧倒的な何かが、そこにはあった。

 アノン赤爵さえも、その傲岸な表情を凍りつかせ、瞬きすら忘れて目の前のクロッシュを見つめている。


 誰も何も発せない、その神聖なまでの静寂の中、奥様――エヴァ・アマルガムの横に控えていた料理長が、静かに一歩前に進み出た。

 彼は奥様に目礼し、発言の許可を得ると、集まった人々に向き直り、震える声ではあったが、しかし確かな覚悟を込めて口を開いた。


「わ、私が、今回この奇跡の食材『アンギャラス・マチュアード』を調理させていただきました、料理長のジャン=ピエールでございます。…この一皿には、私の料理人としての半生、その全てを注ぎ込みました。誇張でも何でもなく、私の生涯における、正真正銘、最高傑作でございます」

 料理長の声が、震えながらも、しかし力強く広間に響き渡る。


「この料理は、私の料理人としての誇りと、この命そのものを賭けて、奥様のため、そしてこの場にお集まりいただいた皆様のために、お作りいたしました。万が一、もし、この場におられるお客様、お一人にでも、この料理の味にご満足いただけなかった…その時には…」

 料理人は一度、ごくりと唾を飲み込んだ。

 そして、その目に鬼気迫るほどの、赤黒い灯火を宿すと、絞り出すように言葉を続けた。


「その時は、この料理長ジャン=ピエール、この両の腕を叩き折り、そして、二度と味を感じることのないよう、この舌を根元から引きちぎってご覧にいれましょう!そして、その後の人生、生き恥を晒しながら、余生を送る覚悟でございますッ!!」

 場の一同は、再び息を呑み、そして完全に凍りついた。

 料理長の言葉が、まるで現実の音ではないかのように、脳髄に直接響いてくる。


 誰もが料理長を見るが、その言葉に嘘や偽り、ましてや芝居がかった虚勢など、微塵も感じられない。

 そこにあるのは、純粋な、そして狂気じみたまでの覚悟。


 それどころか、料理長の隣に座す奥様、エヴァ・アマルガムからもまた、先程までの淑やかな微笑みは消え失せ、まるで挑戦者を射竦めるかのような、冷たくも美しい圧と、何者をも寄せ付けぬ女王の威厳とが、静かに、しかし強烈に放たれていた。


 その琥珀色の瞳は、アノン赤爵を、そしてこの場にいる全ての人間の魂の奥底まで見透かしているかのようであった。

(中編 了)


名前を決めるのが苦手なので、奥様の名前を今までぼかしてきましたが、さすがに敵対する人物が奥様と呼ぶのは不自然なので、奥様の名前をエヴァ・アマルガムに決定しました。

あと、作中に出てくる高級食材のアンギャラスについて

アンギャー→超おいしい(めったに市場に出てこない)

アンギャラス→アンギャーの成長体(超超おいしい)

アンギャラス・マチュアード→狂気の存在ミラクルおいしい

星屑茸ほしくずたけ→一個一万円くらいするキノコ

こんな感じでとらえてください。


次回予告

ざまぁ解決編、アノン赤爵かわいそう

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