8.選ばれる者、選ばれない者
よろしくお願いします。ストーリーに少し矛盾があるかもしれませんが、お目溢しください。
しばらく経って、秋のある日、クラウスは再び移民局に呼ばれていた。
面談室に通されると、今回はカートだけでなく、もうひとり――見慣れない上席の監督官がいた。
「クラウス・ヴァイスさんですね」
「はい。……なにか問題でも?」
クラウスはすぐに空気を読んだ。
これは通常の定期面談ではない。
この場には“報告”ではなく“判断”がある。
カートが目を伏せた。
そして、ゆっくりと封筒を手渡してきた。
「クラウスさん。あなたの市民権取得申請についてですが……承認されました。正式に通知をお送りします」
クラウスは息を呑んだ。
それは、五年間の努力の集大成だった。
ようやく、都市に受け入れられたという実感。
「ありがとうございます。……本当に、ありがとうございます。五年...もう少し掛かると思っていました。早くても来年になるかと。」
カートと上役は一瞬視線を交わした。少し声が平たいものへと変わる。
「同時に、もう一件。お嬢さんのアンネリーゼ・ヴァイスさんについて――」
クラウスの心臓が跳ねた。
「……はい?」
「残念ながら、審査の過程で、例外措置の対象に該当することが確認されました。よって、彼女は“追放”の対象として認定されます」
「…………え?なんですか?例外?」
意味が、分からなかった。
市民権の取得と、追放通知。
なぜそれを同時に受け取るのか。なぜ同じ封筒に入っているのか。
クラウスの手が、震え始める。
封筒の中からは緊急度が高い濃い橙色の用紙が出てくる。赤いハンコで【EXPLUSION】とデカデカと押印されている。
これは、なんだ?
紙が微かに擦れた。
「……何かの、間違いだ」
移住の際の説明で、この都市には追放制度制度があるのは知っていた。
まるで烙印のようなけたたましい文字が、娘の市民権取得申請書に押されている。
そうだ、なぜか、、まだ扶養中の娘の申請書を別書類として分けて作成するように指示があった。
カートの声が響く。
「再審査を求めることは可能です。ただし、制度上“記録に残らない例外措置”です。従って、記録上の異常とは紐づかない判断が下されます」
「記録に残らない……だと?」
クラウスの声が、かすれた。
「病歴も、行動記録も、問題はない。無論犯罪歴があるはずがない!では何が――」
「都市は、すべてを記録しているわけではありません。今回の例外的判断は、それ以外の優先度の高い判定材料による決定事項です」
クラウスは視線をカートに向けた。
だが、彼もまた沈黙を守っていた。
それは、何もできないことを知っている沈黙だった。
クラウスの拳が震えた。
「ふざけるな……!!」
クラウスは立ち上がり、書類を机に叩きつけた。
「お前たちは幼い娘を、何もできない娘を何故追放するというんだ!?理由も述べられないのか!であれば、俺は、娘と一緒に出ていく。市民権など、、いらない!」
その瞬間、カートが慌てて立ち上がる。
「クラウスさん、待ってください!たかが・・」
「たかが?たかが何だ!!アンネリーゼは俺の娘だ!もういい!帰る。……お前たちの都市が、どういう場所か、ようやくわかった!」
クラウスは書類を鞄に押し込み、部屋を後にした。
背中を見送りながら、カートは唇を噛んだ。
クラウスは、優等生だった。そうあるように努めた。
都市にとっても、移民にとっても“模範的”な存在。
それなのに。
なぜ、娘が追放される?
目の前にある制度の壁に、カートもまた初めて、“割り切れない違和感”を感じていた。
--------------------------------------------------------
クラウスは移民局を出て、無意識に歩き始めていた。
スマートフォンに震えるほどの着信が入っていたが、見なかった。
通りすがる人の会話も、看板も、春の風も、すべてが遠かった。
――追放。
――アンネリーゼ。
言葉の形をしていながら、まるで意味を成さない。
彼女が何をしたというのか。
「追放」とはなんだ。
なぜ彼女が“外”に捨てられなければならないのか。
どこをどう歩いたか覚えていない。気づけば、家の前にいた。
鍵を差し込み、ドアを開ける。
「おかえりなさい」
リビングにいたアンネリーゼが、いつものように笑顔で迎えた。
クラウスは一瞬、言葉を失った。
いつも通りの、娘の声だった。
いつも通りの、笑顔だった。
なのに、そのすべてが――遠い。
「……ただいま」
かろうじてそれだけを返し、クラウスはジャケットを脱いだ。
ネクタイを緩め、キッチンに立ち、冷たい水を一杯飲んだ。
アンネリーゼは、何も言わずにソファに座っていた。
髪のリボンを外し、手のひらで整えている。
(言えない)
クラウスは、胸の奥で何かが崩れていくのを感じていた。
あんなに小さかった娘が、
“制度”によって存在を否定されようとしている。
それは、自分がこの都市に尽くしてきた年月すらも、
全て否定されたように思えた。
だが。
「パパ」
アンネリーゼが静かに言った。
「なにか、悩んでる?」
クラウスは、思わずその場に座り込んだ。
笑顔のまま問いかける娘が、あまりに優しすぎて、言葉にならなかった。
「……いや、大丈夫だよ。ただ疲れてね。」
そう言って、自分でも驚くほど自然な笑みを浮かべた。
「パパ、いつもがんばってるから」
アンネリーゼは、そっと彼の手に触れた。
それは慰めではなく、
「もう、わかってるよ」という静かな肯定のように感じられた。