6.動悸
よろしくお願いします。ストーリーに少し矛盾があるかもしれませんが、お目溢しください。
クラウスはテレーサと会っていた。
週末の昼下がり。
旧地区にある静かなカフェ。建築雑誌にも載ったという店だった。
白木のテーブルに、ティーカップの縁が触れる音が、乾いて響く。
「ずいぶん、落ち着いた顔してるわね。最近、忙しいんじゃないの?」
コミュニティの顔利き役に少し強引な形で紹介されたのがテレーサだった。
その場で断ることもできず、月に一度、休日が合うタイミングで会うようになった。
クラウスは職業柄、旧地区の古い建築を巡りたいと思っていたが、なかなか子供連れで行くには地味な場所だ。そんな話題が出た時、テレーサは特に入りづらい場所には行こうと言ってくれた。
「……まあ、仕事は安定してきた。来年には市民権も取得できそうなんだ。」
「あら!おめでとう。クラウスさんなら当然よ。ずっと真面目にやってきたんでしょう?」
「いや、なんかコミュニティの偉い人たちが気を遣ってくれたみたいなんだ」
ふたりを引き合わせたのは、建築業のコミュニティでの小さなパーティだ。
もともと、クラウスは建築家のコネがあるため、この都市への移住を決めた。コミュニティも積極的に関わっている分には、なかなかメリットがあるし、人を紹介してくれたり、仕事を紹介してくれたりもある。
「ご謙遜ね。」
テレーサの口調は堅めで、抑制されていた。
彼女は病院勤務で、日々多くの人間と接している。
その分、“人を読む”ことにも長けているはずなのに。
(なのに、この人だけは――なんか読めない)
彼女はそう思いながらも、もう一度微笑んだ。
「……あの、リーセちゃんのこと、ちゃんと見てる?」
クラウスは一瞬だけ視線を落とし、すぐに持ち直す。
「ああ。少し疲れているだけだ。学校もちゃんと行っている。ただ最近、大人びてきていてね。こっちが戸惑ってしまうことが多いよ。」
「……そう」
テレーサはそれ以上、追求しなかった。
いつものように、クラウスは完璧だった。
服装も、態度も、会話も、すべて問題がなかった。
(だけど、完璧すぎるのよね)
テレーサは紅茶をひとくち飲みながら、
ふと、クラウスのネクタイの結び目が、ほんの少し緩んでいるのに気づいた。
クラウスは仕事の資料を机に並べていて、週明けのプレゼンの準備をしていた。
気がつけばもう遅い時間だ。
アンネリーゼは既に寝ていると思っていたが、リビングの灯りがついていた。
「リーセ?……まだ起きていたのか?」
アンネリーゼはソファに座り、本を読んでいた。
だが、どこか雰囲気が違った。
クラウスは、その横顔に一瞬、息を飲んだ。
姿勢、髪の乱れ、目の光。
ふとした仕草すべてに、まだ見たことのない影が混じっていた。
クラウスに気づくと、彼女は振り返り、いつものように笑った。
「パパ。うん、食器を片付けてたの。あ、お茶、いれる?」
クラウスはその笑顔に一瞬、安心しかけて――
いや、違う、とすぐに思い直す。
どこか“演じている”ように見えた。
けれど、自分が疑っているのか、娘が変わったのか、判断できなかった。
「いや……いい。もう寝なさい」
「うん。おやすみ、パパ。」
アンネリーゼは立ち上がり、
軽く会釈するようにして、静かに部屋を出ていった。
それは、まるで舞台の上から降りるような足取りだった。
娘が、“子供”ではなく、“少女”に変わっていくというのはこういうことか。
クラウスは部屋に戻っても、しばらくぼんやりとしてしまい、机の上の書類に手をつけず、ただ時を過ごしていた。