3.例外、奇妙な空白
よろしくお願いします。
次の面談まで少し時間があったので、
カートは、移民局の地下、資料課別室にあるアーカイブ室にいた。
先ほど検索エラーとなった「名前も番号も記録されていない案件」を調べるためだ。
クラウスとアンネローゼを見ていると、忘れてしまいそうになるが、
調書上、唯一懸念されるのは二人の続柄だ。
このまま申請を進めて問題ないか一度確認しておきたかったし、
必要なら早めに追加申請の準備を進めたかった。
カートは軽くため息をついた。
書類の記載などよりも、あの子がクラウスを見つめる目の方が、よほど本物だった。
データの欠損自体は実は年に数件ある。
手元の端末にはなくても、決裁ログが損なわれることはないはずだ。
しかし、該当の案件一覧には、妙な空白がある。
「手続き記録……連番が抜けてる」
パネルに入力されたデータは破損ではなかったのか。
意図的に“存在しないことになっている”。
タブレットを指でスクロールしていく。
連続する移民処理の記録の中に、一件分だけ欠番がある。
「これは……事故か?」
いや違う。ファイルそのものが消去されている。
ログイン権限のある者の操作痕跡が残っていた。
誰かが、意図的に“削除”した形跡。
(……なんだ、この違和感)
思い出すのは、子供のころのある記憶。
移民2世としてこの都市にやってきて間もない頃。
名前は思い出せないが――いつも隣にいた“誰か”の存在。
放課後、一緒に帰って、丘の上でジュースを飲んで、
どちらが高くジャンプできるか競った。
そんな、どうでもいいような記憶。
なのに、その“相手”の顔も、声も、名前も出てこない。
(そんなはずはない。俺には、友達なんてほとんどいなかったのに)
ふと脳裏に浮かぶ――「Elni」という言葉。
どこかで聞いた気がする。
忘れようとすると、逃げていくような響き。
「……消えてる。全部」
思わず声が漏れた。
すぐに背後で「咳払い」が聞こえた。
上司だった。
普段は冴えない男だが、今日は妙に冷ややかだった。
「カート。こんなところで何をしてる?」
「削除記録が気になって……一件、手続きが飛んでいて」
「それは“例外処理”だ。気にするな」
「でも、処理対象も理由も……全部消えてるんです。こんなの初めてで――」
「……例外は、記録に残らないものもある。それが、この都市の仕組みだ。君は例外に二度アクセスした。それで、僕の端末にチェックが入ったんだ。気にするな。そうすれば次第に”忘れる”。」
言い残すと、男は踵を返して去っていった。
カートは、タブレットの画面を見つめたまま、
胸の奥に芽生えた違和感を、押し殺すことができなかった。
カートはしばらくその場に立ち尽くした。
冷たい蛍光灯の光が、背中を照らしていた。
「・・そうだ、、――"Elni"?」
記録にない名前。
思い出せない友人。
そして、Elniという音。
(まさか……)
カートの心に、かすかな霧が差し込んだ。
この都市には、語られない“何か”がある。
誰も知らない、あるいは、忘れさせられている何かが。
聞き覚えのあるその言葉。
誰もが忘れたがっているもの。
だが、今も確かに“そこにある”。